ジョークを通して学ぶイデオロギー入門
On ideology
解説:池田光穂
スラヴォイ・ジジェクの講演や著作にはジョークが満載しているために『ジジェク・ジョーク集』という、それだけを集めた本もあるくらいである。 そのなかで、イデオロギーを説明したもののなかに、ニールス・ボーアと馬蹄の呪術というものがある。つまりこういうことだ(→)。
「量子力学のヒーロ、ニールス・ボーア、コペンハーゲンの男である。彼が、週末の田舎の別荘かなにかに客と一緒にいった。そこで入り口の横 に、馬蹄がかけてある。馬蹄はなにかの魔除けであることを知っている来客は不思議に思った。ボーアは骨太の科学者で、迷信なんかこれっぽっちも信じない。 『ボーアさん、迷信など信じないあなたが、かけてあるこの馬蹄、いったい、あなたは信じるのでしょうか?』と客はたずねた。ボーアは真顔で言った。『ああ、もちろん、そんなものなど信じていないよ。けど、これは、僕のような不信心者でも、効き 目があるって人が言うんだよね』(会場大爆笑)。みなさん、これこそが、イデオロギーなんですね!!!」スラヴォイ・ジジェクの講演での ジョーク(梗概)
つまり、どういうことだろうか? 馬蹄の呪術力を信じるか、信じないかは、問題ではない。みんながやっていることを無反省にやること、これがイデオロギーの本質なのだ。 これはルイ・アルチュセールが『国家と国家のイデオロギー装置』のなかで、警官が君に「おい、お前」と背面から呼ばれた時に、誰しもが振り返ってしまうこ とを、指摘したが、それに通底するものなのである。
イデオロギーとは「ある特定の観念についての理論体系」のことであり、それが明文化されていようがいまいが「観念に権威を与え、理解し、それに 基づいて何かの実践を引き出すことができるもの」とここでは定義することができます。したがって、イデオロギーはその渦中にいる人にとっては良い/悪い、 正しい/間違っているという価値の判断を(とりわけ深く考えなくても)もたらすことができます。
アルチュセールに言わせると、イデオロギーとは「自分は外にあるにも関わらず、自分の外にはないもの」という自己矛盾したものであるということ です(上野 2014:226-227)。ルイ・アルチュセールのテーゼだと「イデオロ ギーには外がない、と同時にイデオロギーは外にしかない」「イデオロギーには歴史がな い」「イデオロギーは永遠である」ということになる。これは、イデオロギーがイデオロギーとして機能している時には、(あたかも)歴史性をもたず普遍で 「永遠」なものとしてその行為者たちには錯認してしまうからである(→イデオロギー概念の自然化)。
アルチュセールは、マルクスがイデオロギーの概念を根本的に変えて、それ(=イデオロギー)を「ひとりの人間、あるいは社会的な一集団の精神を支配する諸観念や諸表象の体系」と説明している(アルチュセール[下]
2010:208)。この「精神を支配する」
ことこそが、ヘゲモニーを掌握するというアントニオ・グラムシのテーゼになるのである。そしてアルチュセールのテーゼに従うと、イデオロギーの支配とは、
それが各個人個人に直接訴える。すなわちイデオロギーは主体に訴えかける機能をもつのである(アルチュセール[下]2010:217)。
クリフォード・ギアツ(ギアーツ)は、イデオロギーの機能としては「政治を意味あるものとす るような権威あ る概念を与えることによって、すなわち政治を理解し得るような形で把握する手段としての説得力あるイメージを与えることによって、自律的な政治を可能にす ることである」(邦訳:第2分冊:42ページ)と述べています。(→出典「文化としてのイデオ ロギー論に関する対話」)
カール・マンハイム(『イデオロギーとユートピア(Ideology and Utopia)』)によると、イデオロギーは、存在被拘束性(Seinsverbundenheit)という性格をもち、支配集団の現状維持 を承認する「虚偽意識」という。
アーレントによると、イデオロギーは世界観と同義だけれど、人間に考えることを停止させる、思想的装置ないしは武器のように思えてくる。次の引 用を参照したまえ。
「哲学的思想に必然的にそなわる不確実さを捨ててイ デオロギーとその世界観(Weltanschaung)による全体的説明を取ることの危険は、何らかの 大抵は月並な、しかも常に無批判な臆断にはまりこんでしまうということよりも、人間の思考能力に固有の自由を捨てて強制的論理を取るということである。人 間はこの強制的論理をもって、何らかの外力によって強制されるのとほとんど同じくらい乱暴に自分自身に強制を加えるのだ」[アーレント 1981:313]。
端的に言って、ケアの現場において、手厚く看護や介護する人は〈女性の役割〉で医療や診断などの知的労働は〈男性の役割〉だと考える人がいた
ら、それは古い考え方をもっているのではなく、〈ケアのジェンダー〉や〈労働のジェンダー〉というイデオロギーに呪縛されている人だとい
うことができる(→「ケアの倫理」「ミソジニーのイデオロギー的機能」)。
関連用語集&リンク集
余滴
【冗長語法というイデオロギーあるいはイデオロギーの逆説】
「つまらないイデオロギーを超える」という表現に出会う——「つまらなくないイデオロギーってあるの?」と自問する、それはイデオロギーなどではないと言
えばいいのに。ここでの僕たちが得る結論はただひとつ:「冗長語法はイデオロギー的表現のひとつである」。あるいは「〜を超える」というのは、敵を非難し
エゴセントリックな主張する彼らの思考(=つまりイデオロギーの)扇動家の常套句なのだ。そして、こういう回りくどいということもイデオロギーの特徴なの
である。
垂 水うんこ源之介のレクチャ
文献
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