はじめによんでください

琉球コロニアリズム

Colonization of both Okinawan and Ryukyuan People, and a way to decolonialization

琉球コロニアリズム年表はこちら

Chronological table of Colonialization of the Ryukyu

解説:池田光穂

琉球の定義というのはむつかしい。古くは琉球王国だ が、これは沖縄本島と先島(宮古・八重山)を含んだ王国の領土区分だが、沖縄やウチナーに先島が含まれるのかというのは、歴史的にはアイデンティティ問題 も含めて複雑な歴史的事情がある。島津藩は、江戸幕府の琉球征服の過程のなかで奄美を侵略併合したという経緯がある。明治政府の琉球処分は、沖縄、先島を 含めて南北の大東島と尖閣諸島をすべて包摂して沖縄県とした。そのため、ここでの琉球の定義は、歴史的かつ広域的に言語文化圏としてみなしてよい、奄美か ら八重山までを含む領域を緩やかに「琉球」と呼ぶこととする。

「諸君のいわゆる世界苦は、よく注意して見たまえ、 半分は孤島苦だ……政治でも文化でも、中心に近いものたちに遮られて恩恵の均分を望み難い。この境遇にいる者の鬱屈は、多数の凡人を神経質にし皮肉にし、 不平好きにするには十分だ」——柳田國男「島の人生」『全集19』(表記は変えた)

「琉球=沖縄人起源論は、「国民」像の構成懸念を定義しようとしたこうした問題意識(いわば「人種」論的関心)と重なっていたわけです」高良倉吉——対談への期待(安里・土肥 2011:9)

組織暴力国家暴行犯たちの記録 (2014/09/16)——国家暴力犯罪に時効なし/森嶋中良——寛政2年(1790年)9月 『琉球談』(りゅうきゅうばなし) - 須原屋市兵衛の依頼で執筆。11月の琉球使節の江戸参府に合わせたもの。須原屋市兵衛板 寛政二年刊 原装 琉球国王、板舞、女市、琉球楽毬舞、米廩、 扇、烟架他絵(大阪の黒崎書店:大阪市阿倍野区長池町のカタログより)

沖縄コロニアリズムあるいは琉球コロニアリズムと は、沖縄列島に対する植民地支配の形態の総称のことをいう。琉球コロニアリズムと いう術語は松島(2012)の著作の第1章に登場する。コロニアリズム状況からの脱却において、(1)移民・ディ アスポラ(国内/国外)、(2)政治解放運動、(3)沖縄(琉球)独立運動、(4)米軍基地反対 運動(例、辺野古基地移転問題、等)などの社会的応答のパターンがある。また、沖縄では、2013年に「琉球民族独立総合研究学会」が、発足されて沖縄に住む人たちの先住民性とその国 際社会における承認などを通して独立運動の可能性がより具体的な方向に進んだ。

その後、必読書なる書物が2020年に公刊された。 松島泰勝『帝国の島:琉球・尖閣に対する植民地主義と闘う』明石書店。この書肆の紹介によると次のごとくである:「尖閣諸島の領有は、日本帝国による琉球 併呑の延長線上にあった。今日なお、尖閣の領有を主張することは、近代日本の膨張主義を克服できていないに等しい。国際法、地理学、歴史学……あらゆる学 問を動員して作り上げた近代日本帝国の植民地主義を、琉球独立の視点から根底的に批判する脱植民地化の道」

その目次(→出典:明石書店より)(あわせて「琉球コロニアリズム年表」もご参照ください)

 はじめに

I 日本政府はどのように琉球、尖閣諸島を奪ったのか

 1 植民地主義を正当化する「無主地先占」論
 2 尖閣日本領有論者に対する批判
 3 「無主地先占」論と民族自決権との対立
 4 琉球、尖閣諸島は「日本固有の領土」ではない
 5 歴史認識問題としての尖閣問題

II 日本帝国のなかの尖閣諸島

 1 日本による尖閣諸島領有過程の問題点
 2 他の島嶼はどのように領有化されたのか
 3 山県有朋の「琉球戦略」と尖閣諸島

III 尖閣諸島における経済的植民地主義

 1 古賀辰四郎による植民的経営としての尖閣開発
 2 寄留商人による琉球の経済的搾取
 3 油田発見後の日・中・台による「資源争奪」
 4 「県益論」と「国益論」との「対立」
 5 琉球における資源ナショナリズムの萌芽と挫折
 6 稲嶺一郎と尖閣諸島
 7 なぜ今でも尖閣油田開発ができないのか

IV サンフランシスコ平和条約体制下の琉球と尖閣諸島

 1 サンフランシスコ平和条約体制下における琉球 の主権問題
 2 アジアの独立闘争に参加した琉球人
 3 戦後東アジアにおける琉球独立運動
 4 李承晩による琉球独立運動支援
 5 日本の戦後期尖閣領有論の根拠
 6 なぜ中国、台湾は尖閣領有を主張しているのか――その歴史的、国際法的な根拠

V 日本の軍国主義化の拠点としての尖閣諸島と琉球

 1 地政学上の拠点としての尖閣諸島
 2 尖閣諸島で軍隊は住民を守らなかった
 3 八重山諸島の教科書選定と「島嶼防衛」との関係――教育による軍官民共生共死体制へ
 4 教科書問題、自衛隊基地建設、尖閣諸島のトライアングル
 5 沖縄戦に関する教科書検定問題と日本の軍国主義化
 6 琉球列島での自衛隊基地建設と尖閣問題との関係

VI 琉球人遺骨問題と尖閣諸島問題との共通性

 1 学知の植民地主義とは何か
 2 琉球における学知の植民地主義
 3 皇民化教育という植民地主義政策
 4 天皇制国家による琉球併呑140年――琉球から天皇制を批判する
 5 琉球人差別を止めない日本人類学会との闘い
 6 京大総長による「琉球人差別発言事件」の背景
 7 どのように琉球人遺骨を墓に戻すのか

VII 琉球独立と尖閣諸島問題


 1 琉球人と尖閣諸島問題との関係
 2 琉球の脱植民地化に向けた思想的闘い
 3 尖閣帰属論から琉球独立論へ
 4 尖閣諸島は琉球のものなのか
 5 「日本復帰体制」から「琉球独立体制」へ
 6 どのように民族自決権に基づいて独立するのか

  注
  索引

 あとがき

●琉球先住民の再想像

琉球先住民というのは、もともとに琉球に居住し、独自の文化と言語を維持継承発展させてきた人たちのことである。これを《琉球先住民Ver 1.0 》と呼んでもいい(→「琉球コロニアリズム年表」)。しかし、1972年「琉球返還」後、琉球が日本に再度併合されて、日本国の都道府県のひとつ「沖縄県」になってから以降の、中央政府とのさまざまなやりとりを通して、琉球コロニアリズム(あるいは沖縄コロニアリズム)の兆候を歴史年表から読み取ることは容易である。

琉球の先住民性を更新する新たな出来事が2023年9月に2つあった。

それは、玉城デニー知事が、2023年9月18日(日本時間19日)、「スイス・ジュネーブの国連欧州本部で開かれている国連人権理事会に出席し、在日米軍基地が沖縄に集中している現状や、日本周辺の緊張を高める軍事力増強への懸念について訴えた」(朝日新聞)。 玉城知事の重要性は、中央政府が進める米軍辺野古基地移設に関して県民投票などの民意が一切聞き取ることをせず、基地建設を反対派の運動を暴力で押さえつ けて実行していることを伝え、県民の人権と福利が阻害されていることを、人権理事会で発言が認められている非政府組織(NGO)側の参加者として演説した ことである。つまり、知事の立場を超えて、(文化的独自性をもつ)沖縄人民の一人として発言したことである。これは、地域的独自性をもつ、民族集団として の沖縄県ないしは琉球人としての発言としてみなしてよいのである。玉城知事が、国際社会にその人権擁護を訴えたことはまことに素晴らしい発言である。

https://www.asahi.com/articles/ASR9M72H1R9JUTIL00C.html

次に琉球遺骨返還訴訟控訴審の同年9月22日の結審で、大阪高裁の大島眞一裁判長が、控訴審そのものは、第一審の京都地裁判決(2022年4月)を支持し、原告側の控訴を棄却したが、判決には異例の次の文章の付言(一部)を表現した。

「遺骨は、単なるモノではない。遺骨はふるさとで静かに眠る権利があると信じる。持ち出された先住民の遺骨は、ふるさとに帰すべきである。日本人類学会から提出された『将来にわたり保存継承され研究に供されるべき』との要望書面に重きを置くことはできない」

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1115534

大島裁判長は、第一審判決での「琉球民族」という名 称認定に加えて、その民族が「先住民」であることを示唆している。裁判長がこのような語彙を判決文に付記することは、日本の裁判史上画期的なことであり、 これは、琉球先住民 Ver 1.0で前提としている歴史的事実から発言ではないことは明らかである。むしろ、これまでの琉球先住民 Ver 1.0への差別や中傷——玉城知事の国連人権理事会での発言に産経新聞などは琉球先住民という概念に対してほとんどヘイトに限りなくちかい批判論難を展開 することに着手していている——に対して沖縄の内部から、そうではなくて、沖縄の新しい自己の存在という民意すなわち琉球先住民 Ver 2.0が生まれつつある、あるいは少しづつ確固としたものになりつつあるということだ。琉球先住民 Ver 2.0 は、琉球の人たちの中央政府からの抑圧に対して対抗的に形成されたことがあきらかであるが、自らの被抑圧な状況に対する現状認識があることは明らかであ る。

つまり、沖縄県民が国際社会に訴えて、日本の国内に おいて、文化的独自性をもつある種の民族集団——先住民としての琉球人——の人権が侵害されていること。そして、琉球遺骨返還訴訟控訴審において、琉球の 人たちの文化的独自性が侵害されていることが、公に指摘されたこと。これらのことを通して、新たな琉球先住民 Ver 2.0が内部から生まれると同時に、琉球アイデンティティをもたない人からも、そのような民族的文化的独自性を認定しないと、そのような差別と人権侵害の 実態が明らかにされないと、指摘されている歴史的事実を我々は真剣に考える時が来ている。

● 年表→「琉球コロニアリズム年表」「学術人類館への長い旅」「金関丈夫と琉球の人骨について

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◎遺骨返還に関する所感(2022年5月31日「朝日新聞より」Asahi_Sinbun_220531)

【肩書】文化人類学者 池田光穂(いけだ・みつほ)さん【略歴】1956年生まれ。大阪大学名誉教授。中米グアテマラの先住民を研究。人類学研究における倫理のあり方にも詳しい。

——沖縄の葬制について

「沖縄や奄美などでは風葬が行われていました。遺体 を崖や洞窟に置き外気にさらし、数年後に白骨化した骨を洗い、墓に納めます。明治時代に前近代的で不潔だという当局の指導などもあり土葬が広がりました が、掘り起こして洗骨をするのは同じで、骨は共同体の神として現在もなお重要な信仰対象です」

——京大遺骨返還訴訟の地裁敗訴について

「沖縄県北部、今帰仁(なきじん)村の百按司(むむ じゃな)墓には15世紀の王家、第一尚氏や貴族らの遺骨が葬られていました。昭和初め、京都帝国大学(現京都大)の人類学者の金関丈夫(かなせきたけお; 1897-1983)らが、その墓から研究目的を理由に遺骨を持ち去ったのです。遺骨は今も京大に保管されています。今回の判決は『原告には遺骨返還請求 権がない』として訴えを退けました。しかし、関係機関を交えて返還の是非やその際の手順、受け入れ機関を協議するなど環境整備が図られるべきもの、と述べ ている点に注目すべきです」

——遺骨の必要性について

「当時、世界の人類学者たちは人骨を熱心に集めました。人種の差異や人類進化を、骨格や頭骨の計測値を調べて、証明しようとしました。ほぼ全世界の博物館や大学研究機関など、世界には少なくとも数十万体の先住民の頭骨が保管されているとみられます」

——研究のための遺骨採集の様子

金関丈夫助教授(当時)は「沖縄県庁や警察と事前に 申し入れ、地元の巡査を伴い、百按司墓から数十体の遺骨を持ち去りました。当時は、子孫ら祭祀(さいし)継承者への説明や同意が必要だという考えはありま せんでした。人類学者たちは、アイヌや台湾の先住民、朝鮮の人たちの遺骨も集め、学問研究のためとして正当化しました。日本政府は『琉球の民』を先住民と して認めていませんが、当時の日本本土から来た人類学者たちは、その先住性を学術的に証明できると確信していたのは皮肉なことです」

——人種主義と遺骨収集の結びつきに切断を!

「背景にあるのは、欧米で発達した誤った人種主義で す。支配する側にいた学者は、自分たちの民族が最も優れ、先住民や植民地の人々は劣っているのではないかと『科学的』に証明しようとした(→現在では、それはナショナリズムに基づくロマン主義的な「日本人の起源論」にすり替えられています)。政治的支配や社 会的差別の正当化に学問が手を貸したのです。研究対象とされた側からすれば、まさに『学問の名による暴力』でした」

——人権意識の向上と法整備

「国連が2007年に採択した『先住民族の権利に関 する宣言』は、先住民の遺骨返還の権利を明記しています。アイヌの場合は、2020年に北海道・白老町にできた国立民族共生象徴空間(ウポポイ)のはずれ の施設に、各地の大学から返還された遺骨などを収めた慰霊施設を設けました。40万人超といわれる訪問者のほとんどがその存在すら知りません。日本政府は アイヌを先住民として認めていますが、その差別に対する歴史的反省を国民にきちんと伝えていません。沖縄については先住性すら認めていません。米国の『先 住北米人墳墓保護と返還に関する法律(1990)』のように、法整備に向かわないと、ますます日本は人権意識のない国であると認定されてしまいます」

——研究倫理の徹底化

「今日では、研究倫理が厳しく問われます。米国では 1970年代に先住民の権利を回復する社会運動が盛んになり、学会で倫理要綱ができました。日本でもその後、倫理要綱が整備されました。人権の尊重や、研 究に際しては対象者への説明と同意が必要であることなどが定められています。しかし90年代以降の国際的な返還運動に対する倫理意識は日本の学会では希薄 ですが、喫緊の課題であることは確かです」

——法律違反と道徳的倫理的訴求=遡求は別物です

「法律の場合は、原則として過去の行いについて遡及 (そきゅう)しません。しかし倫理や道徳はそうではありません。今なお、学問によって心に傷を負わされた被害者がいます。戦争の加害者や被害者には当事国 の国民による集合的な反省の機会があります。しかし、先住民に対する過去の人権侵害には、その集合的権利すら認められていません。学問による過去の過失を 反省し、当事者の集団に対して赦しを乞うために、学会や研究者は何ができるかを今まさに考えるべき時なのです。そのためには、研究者たちは、過去の歴史を 無関係だと沈黙するのではなく、過った歴史を明らかにすべきです。そのためには地元の人たちとの対話も必要になります」

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文献

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