「まちづくり」という発想から自由になる方法
Planning not Town but Human, another path to MICHI-ZUKURI
Science
僕 は、まちづくりとは、ひとづくりに、ほかならないと考える人間であ る。したがって、土木系の専門家が謳う土建屋丸出しの思考から抜け出ない「まちづくり」の理念を聞いても全く心が動かされな い。また、自称「交通系」の人が、交通の流れがかわったら、自動的にまちづくりができるというバカな主張も、俄かには信じがたい暴言のように思われる。そ んな土木系や交通系の「まちづくり」をいった い誰が信じるのだろうか?
「戦
前ニューヨーク市の都市計画家にロバート・モーゼスがいた。モーゼスは黒人を差別する人種主義者だった。当時、彼がニューヨーク市からロ
ングアイランドのジョーンズビーチ公園にむかう公園道路の設計を担当することになった。モーゼスは公園道路を横断する200ほどある陸橋の高さを普通乗用
車がくぐるには十分な高さはあるが、バスがくぐるには低すぎて通れないようにデザインした。自家用車を利用する人たちはドライブすることができるが、公共
交通であるバスにたよる人たちには、ジョーンズビーチへはアクセスできないようして、自分の理念を実現することができたのである」。→排除のためのコミュニケーションデザイン(原出典はラングド
ン・ ウィナー「人工物に政治はあるか」『鯨と原子炉』紀伊國屋書店、2000年)
ま ちづくりとは、ソーシャルデザイン系の人たちの課題解決の場なのである。土木系や交通系の「まちづくり」の発想を拒絶しよう!!!!
そ れだったら、建築系のひとが、各人各人が「すまう」という観点から、人と人がであう「まちづくり」というアイディアを提唱するほうが、より多くの信頼性を もってようやく聞くことができる(→「まちづくりは、本当によいことなのか?」)。
・ ジョナサン・ラバン『ソフトシティ』(1974):ジェントリフィケーション、ヤッピーの用 語をつくる。
「ジェントリフィケーション(gentrification) とは、都市において比較的貧困な層が多く住む中下層地域(インナーシティなど都心付近の住宅地区)に、再開発や新産業の発展などの理由で比較的豊かな人々 が流入し、地域の経済・社会・住民の構成が変化する都市再編現象である。日本語では、高級化、中産階級化、階級浄化などの訳語があてられる。価値判断を離 れれば、「都市再編に基づく地価上昇」と簡単に定義することもできる(そのような研究者もいる)。これにより、貧困地域の家賃・地価の相場が上がり、それ まで暮らしていた人々が、立ち退きなどによって住居を失ったり、それまでの地域コミュニティが失われたりすることが問題となる。」#Wiki.
"Gentrification
is a process of changing the character of a neighborhood through the influx of more affluent residents and
businesses.[1]
This is a common and controversial topic in politics and in urban
planning. Gentrification often increases the economic value of a
neighborhood, but can force out low-income residents due to the
increased cost of rent and higher cost of goods." - #Wiki.
・
日本の行政によるまちづくりには、コンサル会社をつかう一種の「ジェントリフィケーション」
の下支えをおこなうことが常套手段として使われています。以下の竹川教授の批判を参考にしてください。
Jane Butzner Jacob,
1916-2006 (left); Robert
Moses, 1888-1981.
・ジェーン・ジェイコブズ『アメリカ大都市の死と再生』(1961)/Jane Butzner Jacob, 1961. The Death and Life of Great American Cities. [pdf]
・ セオドール・ローザック(Theodore Roszak, 1933-2011)『対抗文化をつくる』(1969)
ま ちづくり用語集
人 気のあるまちづくりのブログサイト(なぜかローマ字のサイトが多い)
● まちづくり・地域づくりをコンサルに丸投げすることがいかに危険かを知ること
以 下は、北九州市がすすめる旦過地区まちづくりに関する行政文書とそれに対する北九州大学の竹川大介教授の異論(2019年12月9日)である。
【画像で行政のサイトにリンクします】 以下は竹川教授による批判 「旦過市場の再開発に関して、こうした問題に詳しい知人から重要な指摘をいただきました。 「旦過地区まちづくりに係る合意形成支援業務委託」に係る公募型プロポーザルの実施について。 https://www.city.kitakyushu.lg.jp/kensetu/tanga-proposal.html 市からこんな委託事業の公募が出ていたのです。公開情報なのに知りませんでした。たぶん今年がはじめてではなく毎年別の形で更新されていたのだと思いま す。住民の合意形成を実施する業務を外注していたことに、まず驚きました。 あらためて内容を読んでみて(評価基準などは削除されています)、これは実はかなり大事な問題かもと感じました。 「旦過地区まちづくりに係る合意形成支援業務委託」 (2)業務の目的 旦過地区のまちづくりについて、小倉都心部の魅力を高め、集客活性化に資する新機能の導入や施設配置の検討について、市場関係者(約200名)の合意形 成を実施するものです。 普通に読むと、このこと自体は悪いことのようには思えません。でも、税金を使った市 の事業で、住民の合意形成を、コンサルが請け負い業務としておこなう。そのあたりがどこかモヤモヤします。市のお金で仕事を委託された業者は、市の意向に そわない意見があったときに、合意形成の場でそれをどうあつかうのでしょうか? 合意形成をうながすプロ。 問題はそれだけではないかもしれません。相手はプロです。振り返って考えてみると、 会議では毎回、新市場の運営方法やイベント・宣伝などの課題をだし、あたりさわりのない作業ばかり委員たちにさせて、シビアな議論になりそうな問題には、 ほとんど触れないままずっとと先延ばしにしてきました。 あまりにあからさまなので、いったい何をしているのだろうと思っていました。でもそれが、この手の業務の常套手段だと考えれば、いろいろ腑に落ちます。 こうしたコンサルは、多くの再開発や立ち退きなどの経験から学んだ「住 民の合意形成」のための手法を持っているはずです。たとえば既成事実を積み重ね、ステークホルダーを疲弊させ、反対意見をださせないためのノウハウのよう なものが蓄積されているのでしょう。」 |
● このようなジャンクなまちづくりに抗して、さまざまなアポリアから逃れる方法としては、「まちづくりは、本当によいことなのか?」という発想の転換が必要 です
饗 庭伸は『 都市をたたむ : 人口減少時代をデザインする都市計画』で次のようにいっています:「『都市をたたむ』の英訳は『shut down』ではなく、『fold up』である。つまり、この言葉にはいずれ『開く』かもしれないというニュアンスを込めている。 日本全体で見ると人口は減少するが、空間的には一律に減少せず、特定の住み心地のいい都市に人口が集中する可能性もあるし、都市の内部でも人口の過疎と集 中が発生する可能性がある。さまざまな力やさまざまな意志にあわせてたたんだり開いたりする、いわば、都市と、都市ではないものの波打ち際のような空間が これから出てくるのではないだろうか」
わ たくしは、「いずれ『開く』かもしれないというニュアンス」を籠めような 込めまいが、開く時期を明白に述べていないという点で、都市デザインの専門家にありがちな、欺瞞性、偽善性がまだ払拭されていないと思います。「都市と、都市ではないものの波打ち際のような空間」というのも抽象的過ぎてまだ、詐術的です。
そ れでもなお彼のスローガンそのものは魅力的です。ま、その意味で目次だけでもみておきましょう。(→)内は私が得た別の発想です
第 1章 都市は何のためにあるのか(→都市のネガティブな点を列挙し整理するほうがいいでしょう)
第 2章 都市を動かす人口の波(→人 口学的制限要因は重要ですが、移動人口や滞留人口の意味をより深く考えるべきです。ノマドという発想も忘れずに)
第 3章 縮小する都市空間の可能性(→廃墟を美学的観点から称揚するバカどもに は注意が必要です)
第 4章 都市をたたむための技術(→これは重要、ショボくたたむのではなく、 ゴージャスにたたむという発想の転換が必要)
第 5章 都市のたたみかた(→承前)
第 6章 災害復興から学ぶ(→自然破壊や災害は、強制的にリセットする 機運になるかもしれません。ただし、人類文明にはそのような覚悟はないと思います)
第 7章 都市をたたむことの先にあるもの(→どんな前向き/後ろ向きプログラムも、時 間的尺度を考慮することが重要で、時間軸のスケールにあわせて、「それぞれ」具体的に考えましょう)
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