ダグラス・フェルドマン編『エイズの社会的次元』書評
Bookreview
of "The social dimensions of AIDS," Duuglas A. Feldman and Thomas M.
Jphnson eds., 1986
読者諸氏にとっては後天性免疫不全症候群と「エイズ」は疾病論的に同じものであるが、一般の人々の社会的文脈で語られているものは、それらが 殆ど似ても似つかぬものとなり、それぞれに異なる意味付けがされていることは意外と気付かれていないことが多い。病気は人々によって様々な意味を付与され 解釈される「象徴」となりうる。病気の社会学的な研究が必要とされる由縁である。らい、結核、性病と闘ってきた医療者達は、病気そのものよりも病気に付与 された社会的偏見と闘うことがいかに困難であるかを我々に教えてきた。そして今、「エイズ」である。
エイズの社会的影響に関する研究の先進国である米国の本格的な社会学・人類学研究に関する論文集が邦訳された。論文は研究戦略、疫学的検討、生 活と行動の変化、エイズと報道、保健行動への影響、の五部構成で一六編。原著は八六年に出版されたが、八五年当時までのエイズの臨床的知見に基づいており その後の新たな問題(バイセクシュアルな感染等)や血友病患者集団には触れられていない。この論文集が我々に与える興味深い点は、社会的な視点に立つ研究 者にも様々な立場と認識のレベルがあり、エイズに関する社会科学的コンセンサスは未だ発展途上にあるという事実である。問題の多い例として、エイズのハイ チ起源説を支持するある論文はブードゥー教という土着宗教の動物供儀において血液を摂取し同性愛に耽けることがエイズの有力な根拠として挙げられている。 しかしこれは医学史上に散見される<伝染病の未開地起源説>ともいう近代科学以前の文化的な偏見に由来するものである。かと思えばエイズ流行という社会的 脅威によってゲイ・コミュニティーの文化、例えば性的パートナーの数の減少や、性生活のパターンおよびゲイという社会集団の意識などが変容していくという 洞察あふれる論文もある。またエイズ末期患者のホスピスへの収容は、施設のスタッフが既に通常の死を克服してきたと感じているにも拘らず、今度は死を迎え るエイズ患者に対する社会的偏見と闘わなければならないという新たな「試練」を与えたと言う。
評者は読んで初めて知ったことなのだが、エイズのハイリスクグループと見なされている麻薬静注者達のサブカルチャーやゲイの性生活のパターンは
我々のものとはかなり異なるユニークさを持っている。エイズをめぐる医学的な脅威とそれに対する社会防衛論がそのような差異を社会的偏見へと導いていく。
彼らのライフスタイル特性を理解することが彼らの行動を(疾患予防という観点で)変容させる糸口となり、我々は患者の保護救済の為にその努力をすべきだと
著者の一人が主張する時、価値観が錯綜する多元化社会の中で鍛えられた米国の研究者達のこの疾患に対する意気込みに新たな感動を覚えるだろう。
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