苦悩のなかの実践
Human practice and/or praxis in suffering experiences
講釈師:池田光穂
田辺繁治『生き方の人類学』講談社・現代 新書[→文化人類学、はじめの一歩;人類学の最前線]
【第5章】苦悩のなかの実践:エイズ自助グループ ※注意:正しい要約を試みたい人はページ末のindexを参考に本章をまとめてください
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■ 私(池田)が焦点化したいテーゼ
「彼ら(=エイズの自助グループのメンバー)のホリスティック・ケアとは、自己のケアの技法であ り、個々の感染者や患者によって異なった仕方で選択的に実践されるべきものである。消費者社会における消費行為と同じように、彼らのホリスティック・ケア の実践は多重的な言説のなかで彼ら自身を再構成していく方法でもある」(田辺 2003:212)。
このテーゼを理解できるためには、次の用語法について理解しておく必要がある。
・本書で使われているホリスティック・ケアの「独特の」用語法――しかし独特ではない用語法 というものは本当にあるのだろうか?
・自己のケアとともに、本章の内容を理解する際に重要となる「自己の統治」(フーコー)の概 念。
・後期?資本主義社会における消費と消費者、さらには個人のアイデンティティの関係につい て。
・〈多重な言説〉が存在し、行為者の主体に影響を与えているとすれば、その〈多重な言説〉と はいったい何のことか? また、主体はなぜ自分自身を〈再構築〉するのか?
・彼ら自身を再構築するとと、〈再生〉(クートマイ)(p.198)、瞑想(pp.203- 205)、治癒の日記を記述すること(pp.215-216)とは、どのような関係にあるのか?
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・用語法:HIV(human immunodeficiency virus ),PHA(People Living with HIV/AIDS),AIDS/SIDA(acquired immunodeficiency syndrome ,syndrome d'immunode'icience acquise )
” a disease of the human immune system that is characterized cytologically especially by reduction in the numbers of CD4-bearing helper T cells (ヘルパー/インデューサーT細胞)to 20 percent or less of normal rendering the subject highly vulnerable to life-threatening conditions (as Pneumocystis carinii pneumonia) and to some that become life-threatening (as Kaposi's sarcoma) and that is caused by infection with HIV commonly transmitted in infected blood and bodily secretions (as semen) especially during illicit intravenous drug use and sexual intercourse” - (Merriam-Webster Online Dictionary, http://www.m-w.com/)
■自助グループは実践コミュニティである
「それは(自助グループ)は病気の治療法は社会的な対応についてたがいに情報交換し、さらに その他の困難な状況にある感染者・患者たちを救済する相互扶助の組織であった。こうした自助グループは、主として感染告白したメンバーによって構成される 実践コミュニティである」(p.182)。
■クロノロジー
1980年代後半:医療運動としての公的言説としてのホーリステック・ケアが提唱される。
1980年代末:エイズの感染爆発。タイ政府は(1)セーファーセックスの奨励普及と、 (2)売買春を公認した上で性産業関連体制の強化。
1989年:チェンマイ・ドーイサケット寺院内に「ドーイサケット未亡人の会」が結成され る。
1980年代末:中国系タイ人の民間療法師、サウジアラビアで出稼労働の改善を求めて本国に 強制送還される。
1993年〜95年:煎じ薬の消費ブーム
1993年末:チェンマイ市チャーンプアック地区にPHAたちが中国系タイ人の民間療法師 「天神の治療師」の煎じ薬を求めて集まるようになる。
1994年初頭:天神の治療師の煎じ薬(「奇跡の薬」)の噂が高まり、新聞で報道されるよう になる。小さな薬の頒布グループは、「友人救援クラブ」後に「自然と暮らすクラブ」と称するようになる。(#14)
1994年2月23日:天神の治療師は、医薬品の不法販売により警察に逮捕される。
1994年2月27日:チュアン・リークパイ首相(当時)に直訴。同月28日チェンマイ県知 事に、治療薬として販売を継続するように要請。「販売と宣伝をしない」という条件で製造・頒布を許可。その後、天神の治療師は消息を絶つ。
1994年頃:「自然と暮らすくらぶ」を継承した「新たな命の友センター」結成。当時、多く の都市で類似の自助グループが結成される(ドーイサケット郡「澄んだ空の会」、チェンマイ・サンティタム地区「生命のための保健の会」、メーリム郡「コ ミュニティ保健センター」:多くはオーストラリアの援助プログラムNAPACを受ける)。
1994年以降:土着の民間医療の復興運動が各地でおこる。また近代医療も「タイ医学」を容 認受容するようになる(cf.pp.206-7, pp.209-)。
1995年:「新たな命の友センター」NAPACより資金援助を受けて活動を多面化・拡大化 する。(#37, pp.194-)
1995/96年以降:自助グループの薬草栽培や生薬の利用が(盛んに?)おこなわれるよう になる。
1996年:タイ国保健省は自助グループへの資金援助を開始。地域単位でCBO(後述)が発 生し、それらのグループ活動と連携する「北タイ北部PHAネットワーク」が形成。この当時には、「新たな命の友センター」ではカウンセリング体制が整う。(#30)
1999年5月:自助グループの活動は209に達する。
2000年頃以降:PHAたちが、独自の〈ホーリステック・ケア〉を提唱しはじめる。
2002年前半:タイのHIV感染/エイズ患者の累積数は、107万人(人口6,200万 人)
■自助グループの4つの分類(pp.191-2)
(1)独立の経営組織で、小グループを支援できる能力をもつ。
(2)郡立病院・保健センターに支援される小グループ
(3)個別のNGOの支援を受けて地域社会に発生した小グループ
(4)村や地域社会に基盤をおく組織(CBO: Community Based Organization)
■自助グループへの評価
「これらの自助グループは今日では一つの社会勢力にまで成長しつつあるが、その活動は自分た ちの治療と保健管理を促進するなかで、末端の現場から医療のあり方を変えようとするものである」(p.192)。[→この文章の中身は次節以降展開され る]
■自助グループのジレンマ
・医療者からは、エイズ関連症候群を発症させるので他の感染者との接触を控えることを助言さ れる。
・「類似した苦痛や苦悩、生活上の問題を共有する感染症たちにできるだけひんぱんに接触し、 それらについて話し合う」(p.193)。
■脱−中央集権化する、知識と情報の管理(pp.195-7)
■再生の体験(pp.197-)
・初期の絶望状態
・いわゆる〈再生=クートマイ〉:「カウンセリングを何回も受け、また自分の家族から勇気づ けられることで、感染者たちは憂鬱状態と病気からの快復をしばしば経験し、自信を深め新たな人生の感覚をつかむようになる。自助グループへの参加は、彼ら の自己の転換を生みだしていく。PHAたちは、エイズが彼らに新たな生の機会を与えるという意味で、この決定的な転換を「再生」と呼んでいる」 (p.198)。
・ピムチャイさんは、どのように感じたか?(p.198)
■HIVという他者とつきあう
・プラサート君(「澄んだ空の会」)の弁(p.199)
■柔軟に適用されたカウンセリング
「カウンセリングと訪問とは何らかの公式の医療言説に依存するのではなく、個々のPHAが置 おかれた医療条件や生活環境に応じて多様な形で行われる。・・・」(p.202)。
12ステップ(AA)p.202
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3.健康管理という自己の技法
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■身体技法としての瞑想
・pp.203-205
◎火葬場における瞑想
■生薬とその活用(pp.205-)
■HIV禍がタイの民間医療を復興する(pp.206)
■生薬は、西洋医薬品の代替物以上の社会的意味と役割を果たす
「もはや、生薬は民間医療という従来の枠組みをこえて、都市住民や村人たちの間でも断片的な 形ではあるが、健康管理の消費対象として普及してゆく。自助グループにおける生薬利用は、これまでのように治療師に依存するばかりではなく、PHA自らが 薬剤を採取、栽培、加工することによって彼らの治療と健康管理の重要な実践になった」(p.207)。
■実践コミュニティ間/メンバー間における“情報”の互酬性(p.207)
「多くの自助グループでは民間療法師との協力のもとにさまざまな日和見感染症の治療や健康管 理のための生薬利用についての知識を蓄積し、その情報をグループ内外でひんぱんに交換するようになった。こうして、各グループではエイズにともなう感染症 を生薬によって治療するために、適切な薬材の採取、栽培とその加工や症状に適した服用法などの知識が蓄積されていった。多くの自助グループでは、簡単に採 取、栽培できる薬材を各家庭菜園で常備して服用し、また家庭内でその利用の仕方を熟知するように呼びかけている」(p.207)。
・この情報の交換は、ホーリスティック・ケアをめぐる言説の多重化、コマーシャリズムの拡大 と相互作用をもつことが想定される(cf.p.211)。
■自助グループ流の〈ホーリスティック・ケア〉(定義)/公的言説のそれとは区別せよ!#71
・「それ(=ホーリスティック・ケア)は、近代医療、生薬利用、養生法、運動、および瞑想や 儀礼をとおした精神的安定法など、複数の治療法を自分なりに選択して治療・健康管理に取り組むことである」(p.208)。
・「伝統医療リバイバルの公的言説とほぼ同時期に開始」(p.210)され、その背景には、 ホーリスティック・ケアをめぐる〈多重な言説〉と「コマーシャリズムの拡大」がある。
・「生活上の便宜や薬材の入手可能性など各自のスタイルに合わせて自らの実践は選択され、ま た変更されていく。PHAたちにとってホーリスティック・ケアは権威ある言説あるいはコマーシャリズムの単純な受容を意味するものではなく、その知識と実 践の積極的な占有化である」(p.211)。
・【再掲】「彼ら(=エイズの自助グループのメンバー)のホリスティック・ケアとは、自己の ケアの技法であり、個々の感染者や患者によって異なった仕方で選択的に実践されるべきものである。消費者社会における消費行為と同じように、彼らのホリス ティック・ケアの実践は多重的な言説のなかで彼ら自身を再構成していく方法でもある」(田辺 2003:212)。
■公的言説としてのホーリスティック・ケア(→「タイ医学」を構成)
・「PHAが言う選択的な治療・健康法としてのホーリステック・ケアと、その公的な言説とは 異なっていることである。医療運動としてのホーリステック・ケアは1980年代後半から、古い医学テキストや各地の民間治療師の知識に基づいて構築された 「タイ医学」の有力な指導者たちによって提唱されてきた、保健省では何人かの医師たちが省内に「タイ伝統医療研究所」を創設し、公認ホーリスティック・ケ アの言説を広めてきた」(p.209)。
・仏教的心身論を基礎(p.209)
・「この公認「タイ医学」とそれに基づくホーリスティック・ケアは、過去数十年にわたって医 療現場からほとんど放逐されていた伝統的な医療知識の復興である。しかし、それは保健省を中心とする近代医療言説がひとたび追放した伝統医療を再び部分的 に取りこんでいく局面と見ることもできるだろう」(p.210)。
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自己のケア
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■ネオリベラリズム状況における「自己流ライフスタイル」
「タイの都市中間層の人びとにおける自己流のライスタイルの追求は一般の商品の消費のみらな ず、ヘルス・ケアにおいても広く見られる。健康そのものの価値が高まり急速に商品化されていく。そうしたなかで、彼らは自己管理、自己依存および自己への 責任を達成するために多様な予防・治療サービスやヘルス・ケア商品の消費に向かっている」(p.212)。
・[→この記述を我が国における同胞の生活状況とどこか違うところはあるだろうか? では、 否と言い切ってしまえば、タイの都市中間層と我々は全く同じような状況に置かれているのだと断言することはできるだろうか? 何が同じで何が異なっている のか?]
■都市中間層(α)と自助グループ(β)の違い
(α)「ふつうの人びとがヘルス・ケア商品やサービスを消費するのは、彼らは病気ではない が、リスクにさらされているからである」(p.213)。
(β)「PHAたちがヘルス・ケアを消費するのは、彼ら自身の内部の圧倒的な他者。つまり HIVにつねに対峙しながら自らを転換するためである」(p.213)。
■自己の統治
「倫理的な主体としての生存の/あり方を各自の技法において不断に追求すること」 (pp.213-4)=〈統治の技法〉の中にふくまれる〈自己の統治〉
・〈自己の統治〉=「彼らの行為を制約する何らかの道徳的規範に基づくのではなく、〈a〉グ ループのなかでの共通の理解をとおして、〈b〉各自によって選びとられ〈c〉実践される自己のケア」(p.214)のこと。
「現在の私(M・フーコー)が、自己の実践によって主体がどのように能動的に自己を構成するかに関心をもっているのはたしかですが、こうした自己の実践は個人が自ら発明するようなものではないと申し上げて置かねばなりません。それは個人がおのれの文化の中に見いだす図式であり、文化や社会集団が突きつけたり持ちかけたり課したりする図式なのです」(214ページに引用)
■治療の日記(#88)
・サムラーン君が日記をとることの意味(pp.215-6)
■生き方の差異化
・実践コミュニティは、参与者にとっての環境であると同時に、エージェントの部分あるいは エージェントそのものである。
・「自助グループにおける自己のケアの実践の高まりは、今日のヘルス・ケアの商品やサービス の消費の拡大現象と並行している。【しかし、】彼らの自己のケアの実践は、国家の医療・保健システムからほとんど排除され、社会的な激しい差別を耐えるな かで見いだしてきた生き方である。彼らは村社会、地域社会や家族という既存のコミュニティから追放された自助グループという相互扶助的な社会空間のなか で、はじめてそうした生き方の技法を編みだしてきた」(p.217)
・彼らは我々にとってのnoble savage なのか?
■新たな倫理
・固定した道徳的規範から導き出されるものではなく、外部と交渉し、自己の生存をかけて積み 上げてゆく実践のことだ。
・環境の多様性ゆえに、多様な倫理の構築が起こりうる。そのような差異(破滅者の廃棄物のな かに?)のなかに救済を求める?のだろうか?
・冒頭であげた、焦点化したいテーゼを再掲しよう。
「彼ら(=エイズの自助グループのメンバー)のホリスティック・ケアとは、自己のケアの技法 であり、個々の感染者や患者によって異なった仕方で選択的に実践されるべきものである。消費者社会における消費行為と同じように、彼らのホリスティック・ ケアの実践は多重的な言説のなかで彼ら自身を再構成していく方法でもある」(田辺 2003:212)。
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1. エイズ自助グループの誕生 183頁
タイにおけるエイズ
感染者の集まり
「天神sky god? の治療師」
社会的苦悩
自助グループの勃興
ネットワーク
2.実践コミュニティとしての自助グループ 193頁
ともに集まり、友から学ぶ
「新たな命の友センター」
参加と知識
再生の体験
エイズとともに生きる
カウンセリングと家庭訪問
対話への参加
3.健康管理という自己の技法 203頁
回転瞑想
火葬場における瞑想
生薬とその活用
民間医療の復興
ホーリスティック・ケア
「タイ医学」
ホーリスティック・ケアの受容
4.自己のケア 212頁
ヘルス・ケアの消費
自己のケア
治癒の日記
生き方の差異化
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課題:
1960年代のアメリカ軍のR&Rが、現在のチェンマイのPHAとどのような歴史的・社 会的関係において接点をもちうるのか? 授業のなかで指摘されたさまざまな社会的事象を用いて、そのストーリーを展開しなさい。
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【リンク】
【文献】
田辺繁治「苦しみと人間の可能態──北タイにおける霊媒カルトとHIV感染者グループ──」 『新たな人間の発見』青木保ほか編、pp.181-212、岩波書店、1997年
●タイの買売春問題について学ぶには(入門書)
タン・ダム・トゥルン(田中紀子・山下明子訳)『売春−性労働の社会構造と国際経済』、明石 書店、1993年(Thanh Dam Truong, Sex, Money, and Morality: Prostitution and Tourism in Southeast Asia, 1990.)
●エイズの医学的記載(※:出典:南山堂医学大辞典第18版)
「ヒトレトロウイルスhuman retrovirusの一種であるレンチウイルス科LentiviridaeのHIV(human immunodeficiency virus)感染症の終末像であり,が荒廃し,種々の日和見感染症や悪性腫瘍,HIV脳症HIV encephalopathyが生じてきた病態をさす.
今日,HIVにはHIV‐1とHIV‐2の2種の subtypeの存在が認知されている.
AIDSは,1981年にアメリカで男性同性愛者や麻 薬常習者に認められる特異な疾患として報告されていたが,1980年代後半からラテンアメリカや東南アジアなどの発展途上国で爆発的に発生し,現在では異 性間性的接触で伝播されるSTD(→性感染症*)であることが認識されている.
これに対しわが国ではSTDという側面は現時点では低 いが,→血友病*患者治療のための輸入血液製剤中にHIV混入があり血友病患者の多くがHIV感染を生じるという悲劇が生じている.
HIV感染症の→感染経路*としては,性交渉,輸血,血液 製剤使用,妊娠中の母子感染(→垂直感染)などが知られている.
HIVはヘルパー/インデューサーT細胞(CD4細胞)に 対する親和性が高く,これらの細胞に感染して破壊するため細胞性免疫の荒廃が生じ,最終的に日和見感染症(カリニ肺炎,肺外クリプトコッカス症,サイトメ ガロウイルス感染症,カンジダ症,非定型抗酸菌症,クリプトスポリジウム症,肺外結核症など)や悪性腫瘍(非ホジキンリンパ腫,カポジ肉腫)が発生する.
HIV感染症は,CDC(Center for Disease Control;アメリカ防疫センター)により,4群よりなる病期分離がなされている.第1群は感染初期に特有な一過性の症状のみられる抗HIV抗体陽性 者,第2群は無症候性感染者,第3群は持続性全身性リンパ節腫脹がみられる患者,第4群はリンパ節腫脹の有無にかかわらず他の症状の合併している患者であ る.第4群はさらにA)発熱,体重減少,下痢などの全身症状の持続,B)神経症状,C)二次感染症,D)二次悪性腫瘍,E)その他の症状の5亜群に分けら れている.AIDSは,このうち第4群のB以降の状態である.
従来の分類におけるasymptomatic carrier(AC)が第2群,persistant generalized lymphadenopathy(PGL)が第3群,AIDS related complex(ARC)が第4群Aに対応する.AIDSの診断はHIV抗体検査が陽性であり細胞性免疫の低下による日和見感染症や悪性腫瘍(指標疾患) が認められること,HIV抗体検査が陰性もしくは判定保留でも免疫不全を起こす他疾患に罹患しておらず,かつ指標疾患がありCD4+T細胞が 400/mm3以下であれば確定される.