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国家家族主義

Critical Introduction to State Familialism

Mitzub'ixi Qu'q Ch'ij

家族主義という術語は、丸山真男(1964)が、 「日本ファシズム」の特徴をあげる際に、農本主義ならびに大アジア主義とならんで三大特徴のひとつとして指摘したものである。丸山のファシズム論は「反革 命」の変奏であると考えてよい。それに対して橋川文三(1964)は、戦前日本の政治体制を超国家主義と呼び、丸山の日本(型)ファシズムとは距離をとり 批判した。橋川の視座は、反動=反革命ではなく、超国家主義という規定そのものがラディカルな側面をもつ。

さて、筒井清忠(1984:14)は、丸山に対する 橋川の批判をさらにすすめて、上掲の家族主義、農本主義、大アジア主義という日本ファシズムの特性の「反革命」的視座を批判しようとする。このページは、 そのうちの、家族主義がもつ反革命性を批判したものを紹介する。筒井の指摘は明確であり、理念としての家族主義は、現実との照合のなかで統治構造へのラ ディカルな攻撃性に転化することがある。家族主義のイデオロギーを統治者が掲げても、現実との齟齬のなかで、理念を動員した社会変革への道は開かれる。す なわち、家族主義は反動ではないという主張である。

「(1)理念として「和の精神」を基調とした「家族 主義」を掲げることと、現実政治・現実社会においてそれが実行されていないことを認識することとは全く別のことがらである。むしろ理念の現実化への欲求が 高まれば高まるほど、それを現実化しえていない現実の「統治構造」への攻撃性はエスカレートするばかりである。/(2)まして現実の「統治構造」の支配者 たちが自らの「信条体系」としてそれを口にする時、理念と現実とのギャップは深まり、欺瞞は増すばかりであろう。かくて現実の「家族主義」は、理念の「家 族主義」への「つねに具体的な『敵』または『対立者』」として立ち現われることになるので、後者の最も尖鋭な部分は前者に対して高まった攻撃性を直接的に 噴出させることになるであろう」(1984:15)。

「(3)このように、氏(丸山のこと——引用社)の 言う「下からのファシズム」は「家族主義」を掲げることによって「統治構造」への全面的攻撃が鈍るわけでもなく、敵・味方の存在を不明にすることによって 「治的イデロギー」として成立しえない、ということもない。むしろ「和の精神」は逆説的に攻撃性を高めるバネになっているのである。血盟国事件、五・一五 事件、二・二六事件らの彼らの激しい行動が何よりも雄弁にこのことを物語っている」(1984:16)。

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Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099