か ならず読んでください

文化体系としてのイデオロギー

Introduction to Geertz' Interpretation of Culture, 1973


解説:池田光穂

I 3
・イデオロギーが「おとろしい」用語と して使われてきたわけ
・イデオロギーの言わば自己言及性(マンハイム)
・それゆえマンハイムは「価値判断を含まないイデオロギー概念」の探求(構築)に着手する、pp.4-5
・ゼノンのパラドクスと、マンハイムのパラドクスとの類似(脱色しても脱色しても無垢の差は縮まらない)
・イデオロギーのイデオロギー概念を解消しようと努力するマンハイム、または「イデオロギーの終焉」終焉。
・イデオロギー抜きの社会科学は「客観性」への到達願望か?
・イデオロギー抜きの社会科学は、自分の探求している内容や手法が「洗練」されていない、というコンプレックスによるのか?(7)
・イデオロギーが社会学的分析を拒む(分析が不適切だから?)

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1)社会科学は、価値判断を含まないイデオロギー概念を手にしてない
2)その理由は方法論的な欠如ではなく、理論的な不備による
3)社会的心理的文脈を吟味するのではなく、イデオロギーを象徴的に取り扱うときに、このようなジレンマが生じる
4)意味というものを巧妙に扱う概念装置を完成させるべき
5)研究対象をより正確にとらえること(そうでないと)「おとなしい嫁」を探せと言われて死骸をもちかえる愚かな少年(ジャワの民話)にならないように (7)
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II

・イデオロギー概念のほとんどは価値判 断的=侮蔑的である(8)。
・スタークの議論を引きながら、イデオロギーという用語にはさまざまなマイナスのイメージが付与されていることを指摘。
・つまり、イデオロギー研究とは、知識社会学とは異なり、その知的誤謬をしてきすることにあると認識されている(9)
・シルズにおいても、その扱いは同様(10)
・あの慎重なタルコット・パーソンズも同じような路線を主張する(11)——有害な「二次的」選択性——
・社会科学の分析に、イデオロギーほど中傷されているのに、なぜそれが残留しているのかは謎のまま(12)
・レイモン・アーロンの「知識人の阿片」でも同様
・シルズのイデオロギーに対する病理的な嫌悪は、異端審問官の異端に対する態度に通底する(13)
・イデオロギーがもつ先験的な虚偽性の意味を保持させるのは、論点先取的な誤 りにも覚える(14)
III
14
・イデオロギーの病理解剖的な様相にス トーリーはすすむ。とりわけ、社会心理的な説明。
・イデオロギーの社会的決定要因は、利益説と緊張説(15)
・利益説には多くを踏み込まない(15)
・利益説の問題は、心理的には貧困であり、社会学的には骨太すぎること(16)
・果てしのない闘争史観(17)
・利益説も、緊張説も、両方とも、心理的であり、社会的説明でもある(18)
・緊張説の出発点は、社会の「慢性的な不統合状態」からはじまる(18-19)
・社会的摩擦が個人的摩擦に反映される(19)そして絶望状態を産む(20)
・イデオロギー的思想は、この絶望に対する(ある種の)反応である(20)——象徴的はけ口など
・この表現は、病理的(医学的)に説明=表現される(20)
・以下、洗浄(カタルシス)論的、意欲論的、団結論的、弁護論的
・洗浄=カタルシス論は、安全弁論的で、スケープゴート的(21)
・意欲論
・団結論(21)
・弁護論(22)
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・緊張説とそのの限界(24-25)
・いずれせよ、社会と心理の関連を関連づけて説明するイデオロギー説明説の問題点が列挙されている(26)
IV
26
・社会科学理論は、マルクス主義、ダー ウィニズム、功利主義、観念論、フロイト学説、行動主義、実証主義、操作主義など、主知的な運動から影響をうけてきた(26)
・(他方)生態学、動物行動学、比較心理学、ゲーム理論、サイバネティクス、統計学の方法論的革新から影響をうけてこなかった。
・例外のひとつバークの「象徴行為」論。
・哲学者の仕事も、文芸批評家の仕事も影響を与えていない(26)。
・比喩言語を理解できないので、イデオロギーの手の込んだ苦痛の叫びに還元してみることとなる(27)
・サットンの「タフト・ハートレー法」の理解。組織労働者は「奴隷労働法」とラベル(28)。
・奴隷労働者を見下すような見解が(事例引用)には含まれている。(29-)
・それは比喩の企て(30-)
・奴隷労働という表現は、複雑な象徴的行為であることを示唆(33-34)
V
34
・人間の思考は公共的活動であり…… (34)
・思考が外にあるアプローチ=外在説
・象徴モデルと世界の状態の過程と付き合わせる活動(35)
・引用、想像的思考とは……(35)
・引用、象徴モデルとは……(37)
・人間を政治的動物とするのは(41)
・イデオロギーの説明に(41-)
・エドマンド・バークのイデオロギー論(批判)
・「教えられざる感性の人」(42)——エドマンド・バーク
・【イデオロギーは大衆の政治的緊張への反応だ】
「イデオロギーの機能とは、政治 を意味あるものとするような権威ある概念を与えることによって、すなわち政治を理解し得るような 形で把握する手段としての説得力あるイメージを与えることによって、自律的な政治を可能とするこ とである。事実ある政治体系が、受け入れられてきた伝統の無媒介的支配から、すなわち一方で宗教 的ないし哲学的規律の直接的で細部にまでわたる導きから、他方で慣習的道徳の省みられることのな い教えからまさに自らを解放し始めるとき、形式化されたイデオロギーが最初に現われ根を張る傾向 にある。自律的政体が分佑することは、政治的行為について、独立しった文化的モデルが分化す ることをも意味する。なぜなら政治的行為に特定しない古いモデルは、そうした政治体系が要請する ようなたぐいの導きを与えるには、あまりに包括的にすぎるか、具体的にすぎるか、だからである。そう/ したモデルは、超越的な意味を負わせて政治的行動を束縛するか、習慣的判断のうつろな現実主義に 縛り付けて政治的理念を窒息させるかである。ある社会の最も広汎な文化的方向付けも、最も実際的 で「実用的な」方向付けも、ともに政治過程の妥当なイメージを与えるに充分でなくなったときに、 イデオロギーは社会的政治的な意味と姿勢の源泉として決定的重要性を帯び始める」(42-43)

・イデオロギーの積極的解釈(44)★
VI
45
・イデオロギーの醸成の場はどこにあ る?(45)——イデオロギーの跋扈は途上国(=ギアツの言葉では「新生国家」)にある
・ラマルティーヌの詩(46)——このあたりの解説はベネディクト・アンダーソンの表現に似ている?
・インドネシア近代国家における適応と失敗のプロセス(47)
・ヒンドゥ時代のジャワ(48)
・イスラムとヒンドゥ(49)
・パンチャシラ(51)
・マニポル・ウスデク(54)
・イデオロギーとリアル・ポリテークが混乱したインドネシアの分析(56-57)
・インドネシアは政治的実験の場

・イデオロギーの科学的研究の出発点(58)
VII
58
・なぜ、ケネス・バークの引用からこの セクションははじまるのか?(58-59)
・【批判的想像的作品】
「批判的想像的作品とは、それが生まれた状況により提示された問題に対する解答である。それは単 なる解答ではなく、戦略的解答であり様式化された解答である。というのは同じ「はい」と言うにし ても、「よかった!」を意味する調子の時と「残念!」を意味する調子の時とでは、様式や戦略に違 いがあるからである。そこで私はさしあたっての作業上、「戦略」と「状況」の間に区別を設けるこ とによって、批判的ないし想像的性格の作品とは……状況を包囲するために様々な戦略を用いること である……と考えることにしたい。こうした戦略は状況を測り、状況の構造とその目立った内容物に// 名前を付けるが、それらに対する姿勢を含むような形で名前を付けるのである。/ このような見方をしても、いかなる意味でも個人的ないし歴史的主観主義にくみすることにはなら ない。こうした状況は本物である。それらを処理するための戦略には公共の内容がある。状況が個人 と個人の間で、あるいはある時代と時代の間で重なり合う限り、その戦略には普遍的意味がある ——ケネス・バーグ『文学形式の哲学(Philosophy of Literary Form)』」(58-59)
・科学とイデオロギーの差異の解説(60-61)
・「ヒットラーが自国民の悪魔的自己嫌悪を、聖書に依拠して呪術的に腐敗するユダヤ 人像に映し描 いたとき、彼はドイツ人の意識を歪めていたのではなかった。彼は単にそれを客体化していたのであ る——広くみられた個人的神経症を、強力な社会的力へと変容させていたのである」(ギアーツ(下)1987:62)。
・言説により人を動員させる機能がイデオロギーであるが、それを働かせるためには、言説のシンボル的操作が必要だということか?(62-63)
・【科学とイデオロギーの関係】——イデオロギーと「科学(あるいは常識)の共犯関係?を最後に描写するギアーツ。でも科学を信じているギアーツの別の姿 がある。
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・「しかし、科学とイデオロギーが相異なる企てであったとしても、相互に関連してい ないわけではな いイデオロギーは確かに社会の条件と方向について経験に基づく主張 を行なうが、評価を行なうの は科学の(そして科学的知識が欠如する場合には常識の)役目である。イデオロギーに対するものとし ての科学の社会機能とは、まずイデオロギ——それが何であるか、それがどのように機能するか、 それを生むものは何か——を理解すること、次にそれを批判し、それに現実との妥協(必ずしも降伏/ ではない)を強いることである。社会問題の科学的分析という欠くべからざる伝統が存 在することは、 極端なイデオロギーを生まない保証として最も効果が大きいものの一つである。なぜなら科学的分析 というものには、政治的理念が依存し尊重すべき実証的知識の源泉として、比類のない信頼性がある からである。科学的分析はそうした阻止機構として唯一のものではない。既に述べたように、当該社 会の他の強力な集団が奉ずる競合的イデオロギーの存在もまた、少なくとも同じくらい重要である。 また全体的権力の夢がそこでは明らかに幻想としかなり得ない自由な政治体系も、また伝統的期待が 常に裏切られるわけではなく伝統的思想が根源的に無能力であるわけでもない安定した社会条件も、 同じくまた重要である。しかし自らの見解については静かに妥協を拒む科学的分析は、おそらくその どれよりも不屈である」(62-63)

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099


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