もっと恐い話を…
池田光穂
怪談を語るにはすこし季節外れかもしれないが、中央アメリカの農村に伝わる小妖怪について‥‥。
ドウェンデ(duende)とは、スペイン語で小悪魔、妖精、いたずら者の意味である。それより転じたのであろうか、抗し難い魔力や魅力 のことを意味することもある。この言葉のもともとは、家主や持ち主をことをいうドウエーニョ(due<o)に由来するドウェン(duen)からきて いるという。だから、スペインでは、日本の民話や昔話にみられる「座敷わらし」のような、“家についている妖怪”のようなものであったのだろうか。ドウェ ンデは男性形で、女性形はドウェンダ(duenda)である。
さて、中央アメリカのメスティーソ農民によると、座敷わらしのように家屋の一定の場所に現れるというような存在ではない。むしろ特定のあ る個人にまとわりつき、その人を悩ます存在とみなされている。しかしながら、ドウェンデは我々の眼には映らない。見えないものを“あるかのごとく”表現で きるのも奇妙だが、そのイメージもある。粗末な紙に印刷された「魔力に満ちたドウェンデへの祈りの言葉」という異端的な呪文の表紙にみられる姿は、ネクタ イを締め正装して巨大な帽子を被っている。
ドウェンデは人を悩ませる存在である。村の年老いたある女性は、子供とくに可愛い子供が生まれたらドウェンデが連れ去るのだ、と聞かされ て育ったという。 彼女は、この妖怪について私に語ってくれたとき、“実際にあった話”として具体的な土地名——大概は語られた当地ではなく近隣の村の名が出ることが多い ——を挙げながら次のようなことを語ってくれた。
山を越えた隣の集落にとても可愛い女の子が生まれた。ある時、子どもが寝ている枕をどけてみても、その女の子の頭は寝床に落ちずに宙に浮 いたようになっていた。ドウェンデの“見えざる手”が彼女の頭を寝床にぶつけないように支えていたのだった——どのようにそれを確かめたのかは分からな い。その意味では、ドウェンデは守護霊のように子どもを守ってくれるような存在かもしれない。しかしながら、ドウェンデの女の子への愛情は嫉妬深いもので あった。
女の子が大きく成長してやがて年頃になった。農村では一年のうちにそのチャンスはなかなか巡ってこないが、守護聖人のお祭りの時などには 楽師たちが音楽を奏で、村人たちがダンスに興ずる時がある。可愛いその彼女が村の男性の誘いに応じてダンスを踊ったりすると、部屋の片隅にあった誰も触れ ていないギターが勝手に鳴ったという。ドウェンデは彼女と長い年月共にいて、彼女の恋人を自認しているという。だから、彼は村の男に嫉妬して奇怪な現象が 起こったというわけである。
この程度であれば問題はない。もっと悲惨で重症な“症例”(?)を紹介しよう。今度は隣の大きな村のその先にある小さな集落に住んでいる 初老の男性に起こった話である——こちらも伝聞のかたちで語られた。
今を去ることおよそ14年前——この話を聞いた当時から遡る過去である——彼がまだ働き盛りの頃の話だ。ずっと遠方にある○○(実在する 山の名称)で働いていた男性は、山中でとても美しい女性と出会った。彼女は実はドウェンダ(女の妖怪)であったのだが、その男性に恋をしてしまった。彼女 は夜毎にその男性の寝床の現れて、男性の体を触っていたずらしていた——ちなみに村の人びとの常識からみると、夜中に成人の男女が出会っているのにもかか わらず性交渉に至らないという状況はかなり奇異に思われる。
男性には恋人——むろん人間の!——がいたが、彼がそこに出向こうとすると、決まって道には茨のある植物が敷いてあって行けない。さらに 彼は、自分がどんな仕事についているか思い出せないでいた——ふつう男は野外で農作業に従事するから、仕事以外の用事でもない限り家にいることになる。と もにドウェンダの仕業である。だが、彼は彼女がドウェンダであることを知らなかった。
ドウェンダとのエロティックな夜を過ごして12日目の夜、それは彼女の訪問の最後の日であった。彼女は男性に「私はドウェンダなの」とそ の正体を告げた。驚いたのは男性で、恐ろしさのあまり寝床から飛び起きて逃げた。ドウェンダは怒り狂いながら男性のあとを追いかけた。彼女は火炎を吹きな がら、男性の体の右側に火を浴びせたという。男性の体の右側とは、ドウェンダとの最後の夜に彼女が添い寝していた側である。男性の体の右側が冷たくなった のはその時である。
彼はそれ以来視力を失い、また身体の右側が麻痺してしまったという——人びとが体の部分が“麻痺”したり“しびれ”たりするとき、その部 分が“死ぬ(morir)”あるいは“眠る(dormir)”と表現する。
このような話を聞かされたとき、私は自分の知的な興味に赴くままにいろいろなことを確かめたくなる誘惑に駆られた。なぜ、異邦人である私 に人びとがそれを語ったのか?——むろん私がその種の話に興味をもち、彼らが話すのを手ぐすね引いて待っていたのも事実だ。なぜそれらの“実話”が伝聞の かたちで語られたのか?、(すでに文中でコメントしたように)眼に見えない妖怪の手をどうして確かめたのか?、またドウェンデやドウェンダはなぜ魅力のあ る異性の人間に興味をもつのか?、妖怪が人間に抱いた思慕と嫉妬、あるいはエロティックな感情や体験の代償とは何か?——寓話が聞き手に教訓を与えるよう にドウェンデ/ドウェンダの“彼らの言う実話”にもメッセージがあるのか?
あるいは、ぐっと臨床めいた話に引きつけて、ドウェンダに魅入られた男性の身体の偏麻痺は卒中の結果なのだろうか?、彼が体験した“火を 浴びた経験”はそのときのアウラのようなものだったのか?
ドウェンデは、決して身の毛のよだつ怪物ではない。それは奇譚めいた噂話の登場人物——登場妖怪?!——にすぎない。そんなことを、人び との話を書き溜めたフィールドノートを繰りながら思い起こした。彼らにとって取るに足らない(?)話に興味をもち、次々と質問を浴びせかけた私も、実は彼 らにとって十分に“妖怪”たる資格をもっていたのかも知れない。奇怪な話以上に、その話をあれこれと解釈し理由づける営為もなかなか奇怪であると言うこと が、この怪談のオチである。
このコーナーでは、「いのち」に関する世界のさまざまな民族や社会でみられる興味深い慣習や信条 を紹介します。そのねらいは、周囲から消え去ってゆく「変わった習慣」を面白がったり、懐かしむことではありません。むしろ「いのち」の多様なあり方につ いて読者の皆さんとともに考えたいのです。いろいろなテーマについて多角的に取りあげますので、皆さんからのご意見をお待ちしております。
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10 もっと恐い話を・・
Mitzub'ixi Quq Ch'ij, 2000-2017