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観光現象研究のパラダイム転換

Epistemology of Japanese Tourism Studies in 1993


観國之光 利用賓于王(易経)——国の光を観るは、用って王に賓たるに利し;岩倉使節団。明治4(1872)年12月、サンフランシスコ到着直後の記念撮影。左から木戸孝允(39歳)、山口尚芳(33歳)、岩倉具視(47歳)、伊藤博文(31歳)、大久保利通(42歳)。

池田光穂

日 本旅行業協会(JATA)主催の研究会 を通して、観光の原初的なイメージの探求や人類にとっての旅の諸相の多様性について様々な議論が 試みられた。

こ こでは私個人の研究会への参加を通して の共感や違和感から得られたアイディアを中心に問題提起をしたい。拙論は、個々の氏名は挙げな かったが諸先生の基調報告やコメントに多くを負うている。また言うまでもなくその文責は筆者にある。

筆 者の問題提起は、私自身がより最近より 明確に抱くようになってきた現状認識に基づいている。

そ れは“観光”にまつわる様々な社会現象(観光現象)につ いて考えれば考えるほど、既存の学問が前提としてきた枠組みではとらえられない ことがより明確になりつつあるという認識である。それはまた観光を単なる“研究対象”として固定化することに対して疑問を投じることでもあ る。これは既存 の観光研究パラダイムに対して新たな刺激になると同時に、結果的にそれらをも解体させることに繋がるということなると、私は信じている。

思 考実験としての観光研究を位置づけると 同時に、現実の観光現象にこの理論的な成果を反映させるという挑戦こそが新・観光学の実践である と筆者は考えているからである。

こ のようなことを前提にして、研究会への 参加を通して着想を得た次の3つの主張について論じる。すなわち、


  (1)旅と観光を理解することの根本的見直しが、現在まさに求められている。

  (2)観光のメディア的性格についてより調査研究されるべきである。

  (3)このような研究を通して、現実世界における新しい旅の演出の可能性・妥当性について 考えるべきである。


 以下、順に論じてゆこう。


 議論(1):旅と観光(*1)を理解す ることの根本的見直し


1.1  まず、最初に指摘しておかねばな らないのは、現代の観光についての研究を通して次第になりつつあること、すなわち「文化」に関する従来の 学問的概念の限界があらわになったことである。

1.2  旅と観光にまつわる現象を取り扱う際に、本JATA研究会をはじめとして従来までの多くの議論は、例えば日常/非日常、採集狩猟民/農耕 民、中心/周縁、‥‥といった二項対立で解釈する枠組みが基調としてとられてきた。

1.3  例えば、旅は日常からの解放であ り、非日常を手に入れる“聖なる旅”(N・グレーバーン)である。あるいは、その旅の経験は通過儀礼の三 要素である「分離・移行・統合」(ファン・ヘネップ)の枠組みで理解されるという主張。さらに「江戸時代にさかんにあった“お伊勢参り”や“ええじゃない か”は千年王国運動の一種である」等々の講釈をおこなうこと、などがそれである。

1.4  そのような解釈に全く成果がな かったという訳ではない。しかしながら、これらの説明は一種の“解釈の循環”であり、従来指摘されてきた理 論的枠組みを観光現象を分析するために当てはめ、その妥当性の可否を議論しているにすぎない。対象に対する便宜的な理論的外挿は、対象を理解する上でも、 また既成の理論を鍛え上げるという観点からみてもあまり有益なことではないのではなかろうか。

1.5  問題はより深刻である。なぜなら 観光が現代世界にもたらしつつある状況は、従来の文化研究というジャンルの変更をも含む大きなインパクト をもつからである。例えば“文化”の定義を社会における“象徴と意味の体系”(D・シュナイダー)という静態的な実体概念として把握することが、有意義な ものとは思えなくなってきた。と同時に観光における“文化理解”のビジョンをも含めて、静態的な文化概念がもたらした言わば“弊害”そのものが我々に意識 されるようになってきたのである。(その意味で、観光研究は人類学が常に問題にしてきた“文化の理解”研究に大きな影響を与えつつある)

1.6  はっきり言ってしまえば、本研究 会が「人はなぜ旅をするか?」という設問を投げかけ、それに固執したことは、そのような認識の到達点に至 るまでの道のりを遠回りさせた。“答えはすでに設問の中に見いだせるものである”という格言は、この回を重ねた研究会の議論の展開の中にも見て取れる。す なわち、最終回に至るまで、その“なぜ?”という原因探しに終始し過ぎたために、多彩で多様な旅と観光にまつわる現象に決定的な“統一された合意”を与え ることができなかったのだ。

1.7  それはまた研究会で提供される話 題が、生物における移動から、遊牧民の移動生活、狩猟採取民としてのオーストラリア・アボリジニーの夢見 と旅、“旅”芸人の“旅”、さらにはバーチャルリアリティへと、「旅」をある種の単線的な“発展”ないしは進化(?)としてとらえたことでも明らかであ る。だが、このような設問とその解法を通して、人間の“移動”に関する多様な形態について情報を整理することはできなかった。より深刻なのは、今日におけ る“観光”とそれが孕む問題について、さほど貢献することはできなかったことである。

  その理由は次の2点にまとめられる。

1.8  第一に、旅や観光を考える際に、 そのあまりにも自明な事実である“移動”を鍵概念に固執して議論を展開したことである。

1.9  私見によれば、旅や観光への源泉 は「場所へのフェティシズム」であって「移動」そのものではない。あるいは、旅や観光における「移動」は 「場所性」を演出するなにものかであって(または論理的帰結?であって)、旅を本質的に決定づけるものではない(*2)。それゆえに、場所性に敏感になら ざるをえない旅人は、身体性にもとづいた五感を動員するのである。旅人は五感をたよりにして旅を満喫する(あるいは満喫されない)のだ。

1.10  本研究会の議論が空転した第二 番目の理由は、今日世界の各地を巻き込んている“近代観光”に対する配慮が欠如していたことである。あるい はそれを過小評価したことである。そこには近代観光という様式が、それまでの旅や観光の形態の延長上、あるいはそれらの要素の複合として把握されており、 近代観光そのものの独自性について考慮されることは少なかった。そしてその要素のコアとなるアイディアとして(第一の理由に関わるが)“移動”というメタ ファーが動員されたのである(→移動からの解放としての「虚構観光論」)。

1.11  18世紀の英国の“道楽息子” が修養することの意義が強調された大陸へのグランド・ツアーと、19世紀半ばの禁酒運動の一環としての労働 者に対して企図された観光の間には、明らかな断層がある。すなわち、後者には、労働の対極にある余暇概念の誕生、大規模な交通手段、マスメディアの発達、 観光“関連”産業成立の萌芽、など近代観光を特色づける要素が多くみられる。すなわち我々の大衆観光の原型がそこにある、といっても過言ではない。観光を 考える際に、我々の観光を想起して議論を始めるのならば「観光は近代の産物である」という合意をもってなされるべきであった。

1.12  また「パースナライズされた旅 の経験」についても関心がもたれるべきであった。その具体的なテーマとは、例えば旅そのものが常態化した者 の意識の問題、旅行経験の内在化、旅行後のフラッシュ・バック体験あるいは、旅のデジャブ体験などであるが、(それについての未開発ないしは開発途上の) 研究の沃野は未だ手付かずのままなのである。そしてそれもまた、近代という時代を抜きにしては語れない。なぜならば、パースナライズされた経験はきわめて 近代的な意識にもとづいていることは従来から指摘されている(L・トリリング)事柄であるからだ。

文献

リンク集

これは最終的に「虚構観光論」に結実しました。


 議論(2):観光はメディアそのもので ある


2.1  旅と観光についての事例報告を聞 いたり議論するたびに、それらのあり方の“多様性”について感慨を新たにする。その多様性が、どのように して生じてきたのか我々は未だ十分に把握できていないのが現状だ。

2.2  研究会のテーマに関連して、もし それが少しでも貢献するものがあるとすれば、それは「人間にとっての旅」が、何か単系=単線的に変遷した のではなく、過去から現在にまでいたる時間的経過のなかで、その時点で個々の新しい旅として生起すると同時に、それらが並存する形で続いてきたのでない か、という着想を我々に与えてくれた点である。

2.3  そこで問題となるのは、旅と観光 の現象を、ひとつまたは限られた理論的な枠でくくるのではなく、多様な旅や観光のありかたを、多様なまま で包摂できるような理論と実践の体系は可能か?、ということである。

2.4  奥野卓司氏は、研究会の報告のな かで、近未来の観光がデバイス的性格を増しつつあることについて指摘した。デバイスは、もともとトランジ スターやICのような電子回路の素子であり、コンピューターシステムの中では、特定機能をもった装置のことを意味する。従って、これは観光がひとつあるい は複数の“機能”として特化し、人間がそれを“装置”として利用することと理解することができる。

2.5  しかしながら、これだけでは観光 という現象が、時と場合に応じてある特定の機能を担うという明白な事実を反復して指摘しているに過ぎな い。ただ、その指摘に斬新さがあるとすれば、それは観光は将来に向かってデバイス的傾向をより増すだろうということである。しかしながら、現在までに観光 (特に近代観光)を通して理解されてきたことは、奥野氏の指摘するようにデバイスとしてある機能に特化すると同時に、先に述べたようにそのパースナライズ 傾向によって、その意味内容がどんどん多様化する、すなわち、(利用者が想像し、またそのことを要求する)装置の機能が固定化することなしに流動的に変化 してゆくこと。このことなのである。

2.5  したがって観光においてデバイス 的性格をもつものがあるとするならば、それは観光という体験を保証しかつパースナライズする契機を与える “身体”ないし、それを最初に受容する“感覚器官”のほうなのだ。そして、それらは観光体験のデバイスそのものなのである。

2.7  そこでより包括的に観光を把握で きる枠組みを提示したい。結論を先に述べよう。観光はメディアそのものであるということだ。あるいは、近 代観光は、それを利用するもの(=観光客)に対して、メディアとして最大限に利用可能なシステムとして発展してきた、のだと言おう。

2.8  近代観光のメディアとして性格を 検証してみよう。まず、近代人にとって観光がメディア=媒体であること。“観光を可能にするメディア(媒 体・手段)”としての運輸・交通・宿泊施設を想起する立場から見ると、「観光=メディア」論はほとんど見当違いのような印象を与える。しかしながら、従来 の観光理解の限界は、まさにここにある。それは観光を具体的な何かの動機に基づいて、具体的な何かを成就することとして理解する陥穽からきていると思われ る。

2.9  観光におけるパラドクスとは、人 にとって観光をする動機が“空虚を埋めること”にあるにも関わらず、それが具体的に観光を実践する瞬間か ら、観光の一般性、すなわち何かをもって“空虚を埋めること”という意味から遠退いてしまうことである。

2.10  観光とは“白紙に何かを書き込 む”ことであり、個々人における観光体験とは“白紙に書き込まれた”なにものかである。白紙に書き込まれた 瞬間、それは個々の観光体験になってしまい、類的な概念としての“観光”の実例=実践のひとつになってしまうのだ。これは、近代社会における経験としての 観光が、何度も反復されることと無縁ではない。

2.11  したがって、観光はある行為を 遂行することと理解するよりも、ある行為を通して為されたこととして理解するほうが適切なのである。“観 光”を理解するとは、そのメディアに旅行者自身が自由に「書き込んだ」(*3)なにものかについて理解することなのである。

2.12  「観光=メディア」論は体験す る者にとってのメディアである、と同時に(近代観光のより重要な要素である)空間創造に関してもメディアと しての性格を遺憾なく表わす。

2.13  近代観光の歴史的な発展につい て顧みれば明かなように、それは巨大な観光地=環境=メディアの創造の歴史なのでもあった。環境が創造され たことは、同時にそれまでの環境が破壊されたことを含意する(*4)。端的に言えば、近代観光の本質は[観光客]を一時的に収容する“ゲットー”を創造す ることにあるのだ。そして、観光のイメージが、そのゲットーの内部で創造されると同時に、ゲットーに来たゲストのために提示される。ゲットの創造のため に、それ以前の環境を破壊しかつ改造することは、“人間に対して隷属させられるべき環境”という近代的な開発の典型でもある。

2.14  この観光地=ゲットーという意 識が、観光客によって薄々感じられていることは、言うまでもない。それゆえに、エリート・ツーリズムにおい ては、ゲットーの内部をさらに差異化する方向をもって(プライベート・ビーチ、会員制クラブ等の)ゲットー内ゲットーを“創造”したり、あるいはゲットー の外側に出て、少数民族観光やエコツーリズムのような“本物の手触り”を求めるという(今日注目されている)方向性に発展するのだ。

2.15  当然、観光地=ゲットーという 人々のイメージはいわゆる“観光研究者”にも共有されているがゆえに、特定の場所に密着した集客産業の形 態、例えばディズニーランドや甲子園が観光を研究するものにとって絶え間のない刺激を与える源泉になるのだ。したがって、ディズニーランドにみられるゲス トの迎えられ方/楽しみ方は、(まことしやかに語られる)ポストモダン観光にみられる形態なのではなくて、観光地のハイパーリアルな再現にほかならないの だ。


 議論(3):新しい旅の演出は可能か?


3.1  研究会の議論を通して、遊び・癒 し・エクスタシーの装置としての観光を今後どのようにとらえるか? あるいは表現行為としての遊び・癒 し・エクスタシーを観光にどのように反映させるか? さらには非労働時間を演出するための観光をどのように展開させるのか? などの問題が提起されてき た。

3.2  このような問題意識は、従来の開 発サイド主導のような観光研究の立場からは、なかなか指摘されてこなかった観点である。一見当り前そうに みえるこの種の提案が出される背景には、言うまでもなく何か現在ある観光に対して人々が、十全な満足をしていない、やはりこれもまた当り前の状況がある。

3.3  石森秀三氏の提唱する「適正観 光」論においては、開発する側が、より倫理的な意識をもって観光開発に取り組むべきであるという姿勢が強調 されている。むろん、そのために、いったいどのような人々が、どのような権利(や意識)をもって、どのような実践に対して、“適正”と判断するかという、 より具体的な対応について今後検討されるべき課題が山積している。今まさに、近代観光を取り扱うことが学問的にも実践的にも大きな転機を迎えているのであ る。

3.4  トーマス・クックによる近代観光 の開発は、週末を酒浸りになった労働者を健全にしたいというブルジョアの希求からはじまった。その意味で は、150年後の現代において観光のあり方に対してなんらかの倫理的な含みを再び持たせ、より“ふさわしい”観光のあり方を模索する(あるいは“もう一度 原点に立ち帰る”ような)石森氏の試みが、彼自身によって「観光ルネサンス」(*5)という名称を与えられ提唱されていることは、現代の観光現象のあり方 を考える上でもたいへん興味深い。

3.5  にもかかわらず、いやそれゆえに こそと言うべきか、その方向性はいまだ理念でしかうかがい知ることしかできず、また「観光ルネサンス」以 前の近代観光が演出してきた“幻影”について自覚的な研究はきわめて少ないのが現状なのである。

3.6  新しい観光をどのように演出すべ きかは、“近代観光”が経済的のみならず文化的にもどのように生産され、どのように消費されてきたか?、 ということをはじめとする研究と、その(反省的で再帰的な)成果を活かすような社会運動としての観光の試みを通して明かにされるだろう。

3.7  これは予言的なコメントであると 同時に行為遂行的(パフォーマティブ)な提言でもあるのだ。

3.8  このように拙論で、筆者は萌芽的 で仮説的でまた批判的な見解しか提示できなかったにも関わらず、その表題を「パラダイム転換」として銘 打ったのは、「人はなぜ旅をするのか?」という設問の構成こそがともすれば講壇的で不毛な議論になるということを指摘し、かつ「近代観光」研究こそが「観 光ルネサンス」の提唱する“倫理的課題”に対してより明確な展望を与えることを指摘するためであった。

3.9 種々の討論に参加させていただ き、またこのような議論の機会を与えて下さった、(財)日本旅行業協会、ならびに生産的な議論のお膳立てを してくださった(有)総合観光研究所の方々に謝意を表します。


【初 出&クレジット】池田光穂、観光現象研究のパラダ イム転換,日本旅行業協会主催研究会報告書,(財)日本旅行業協会(JATA),pp.90- 98,1993年5月

【註】

*1  筆者は“旅”と“観光”という言葉 の意味づけを便宜的におこなう。旅は「住む土地を離れて、一時他の土地に行くこと」(広辞苑)とい うふうにその行為そのものに着目して理解する。他方、観光はその語源(『易経』)の意義を汲み、ある種の“動機”を明確に意識して(それは国の光を観るこ とに限定しない)他の土地にゆくこと、を必要条件としたい。さらにつけ加えれば、後に指摘するように余暇概念や可分所得などを考慮した、近代に特異的な現 象として“近代観光”(modern tourism)と理解したい。

*2  旅のもつ想像力と、その倒立として の(移動を伴わない経験としての)「想像力観光」現象については、次の拙論において不完全ながら触 れておいたので参照願いたい。(池田光穂「想像力観光への招待:フィクショナル・ツーリズムと<他者>理解」中央公論,1992年10月号,pp.314 -320.)

*3  研究会のメンバーである日本交通公 社の小林英俊氏は、研究会討論のなかで旅行業における「添乗員は額縁である」との旨の指摘をされ た。これは、近代観光がメディア的性格を有することを端的に表現することばである。むろん、その額縁のなかのカンバスに描くのは観光客自身である。大衆観 光やエリート観光などの違いは、その額縁のサイズや装飾、あるいは“すでになにか描かれた輪郭”が存在するか否か、あるいはカンバスをはみ出たり、あるい は額縁を破壊し、別の素材(メディア)をもとめて創造すること、などのアナロジーとして理解することができる。

*4  その端的な例が“楽園”としてのハ ワイ・ワイキキの観光地の“創造”である。20世紀初頭から30年代にかけて、ワイキキは衛生改善 の名目でもって、それまであった水田や沼地を埋め立て造成したが、それはまた周囲の環境の壮大な“破壊”であった。(山中速人『イメージの<楽園>』筑摩 書房,1992年,pp.79-83 参照)

*5  石森秀三「観光ルネサンス:新しい 観光学の提唱」中央公論,1992年7月号,pp.257-266 を参照のこと。



Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

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