異文化の理解と看護
Concept of Nursing, Medicine, and Culture, 1982
池田光穂(1982)
(0)多文化間看護(ranscultural nursing)のススメ
このページは、異文化の理解を国際看護の実践に役立 てるために設けられたものである。国際看護における異文化理解の文脈は、看護師が国内(ホーム)にいる場合と、国外(アウェー)にいる場合の大きく2つに わけられる。さらに、それぞれに臨床の現場で個別の患者に対応する場合と、公衆衛生の保健プロジェクトなど集団に対応する場合がある【図版を参照】。かつ ての国際看護は、インターナショナルな文脈の中での臨床医療に対応することが目的とされた。しかしグローバル化のすすむ現在、患者やその家族が多文化状況 のなかで生活の質(QOL)を高めるための、新たな国際看護の制度枠組みとしての多文化看護(transcultural nursing)が求められているのである。
(1)医療人類学と看護理論−米国と日本−
米国の医療人類学会には、その設立の当初から医療関係者、とくに看護や地域医療に関心がある研究者が多く参加していた。人類学理論をどのように 看護や地域医療に応用、展開していくのか、というのが主たる問題意識であった。それが出てきた背景には、多民族・多文化のなかで、お互いの価値観を尊重し 共存をしていこうという「多元社会」を目指す米国の社会文化的事情があるように思える。米 国の政治や経済が必ずしも「多元社会」にむかって歩んでいるとは 限らないが、看護や地域医療のなかに社会文化的な要因が大きく関与しているという認識を、それらの実践者や研究者たちが共有していることは明かである。
では、日本ではどうだろうか?。「単一民族社会」という幻想が多くの人々に もたれ、民族的な差にたいして無関心を装い、「一元化社会」を形成し ようとす る傾向の強い我々の社会。そこでは看護や地域医療の社会的な問題は、医療における文化的現象として理解されるのではなく、しばしば<平等を妨げる>制度的 あるいは技術的問題として捉えられており、それを乗り越えるために、政治的機構の改革やハイテク医療の実施を訴えてきた。だが日本においても、医療の諸問 題が<医療という文化>から由来するものであるという認識は、徐々にではあるが、生まれてきている。その代表は<患者=異文化>論という主張であろう。米 国の医療では現実に多民族の患者を扱うことが起きているのに対して、日本では「医療者のいうことを聞かない」患者を異文化の人間にしてしまおうというので ある。<患者=異文化>論は、患者を社会文化的な集団の一員として文化の問題として理解しようという動機は評価できるが、患者は本来の意味では<同文化の 人間>であり、我々が共有している<医療という文化>に対する配慮が欠けている点でまだまだ不十分である。
(2)文化の翻訳者としての看護者
では、安易な「異文化」概念を捨てて、「人間的な医療をおこなえば看護者と患者は真にわ かりあえる」という使い古された主張に戻っていくべきな のか。しかし、このような考えは、看護側の自己規定−「このような看護者でありたい」という理想−を患者側に押しつけることでもあり、医療がおかれた場や 医療そのものがもつ否定的側面に眼をつむることにもなる。(その意味で、先端化する現代医療における臨死の場に、看護者のもつ矛盾が著しく表面化する黒田 浩一郎氏の報告は興味深い)。このことは、現実の看護における相互作用や従来の看護モデルが、<治 療者−患者>関係を軸に形成されてきた事実と無縁ではな い。私の提案は、社会文化的な脈絡を重視しない<治療者−患者>モデルという「理論的 に精緻な研究」の手を一旦休めて、<医療という文化>をみつめる看護 者という捉え方をしてみようということである。 そのために使えそうな人類学や社会学の理論や方法は充分に用意されている。要は看護にまつわる身近な疑問を問うてみること、なぜ医師のほかに看護者が必要 となるのか、なぜ医師は男が多く看護者は女が多いのか、医師が白衣や聴診器で象徴されるが、なぜ看護婦はナースキャップなのか、など意外と答えられないこ とがたくさんある。いろいろな人たちがこの問いに答えを出そうと試みているが、誰もが納得した見解は少ない。それは外部の研究者だけの観察や批評だけでは なく、内部の人たちの自発的な問いかけや、その両者の共同という作業によって、より明確に把握されるようになることであろう。(そうしてくると<異文化概 念><文化相対主義><参与観察><フィールド ワーク>などの、わけの解らない人類学の業界用語も恐れずに足らないものとなるだろう)。
(3)そして第三世界(開発途上国)へ
敢えて言うまでもないが、看護は行為である。そして人間的な行為のなかに は、必ずと言っていいほど社会的・文化的な価値観が投影されている。顔 の無い抽象的な「看護」というのは、理論家の頭のなかで構築されたものであって、現実の看護は具体的な作業のなかに現われた行為そのものである。そして 「看護」は、医師集団がおこなう狭い意味での「医療」と患者や社会という「文化」の間をインターフェース(取り持つ)する存在である。従って世界の様々 な、医療−看護−文化を観察することは、我々の社会における看護とはどういうものであるかを知る為のよい契機になるだろう。
世界の低開発地域、いわゆる第三世界とよばれる地域の医療は、われわれ開発地域からの影響を受け様々な展開をしている。第三世界の医療をみる我 々の眼 は、(a)開発国という立場から対象を<遅れた>ものとして捉え、(b)社会経済的な脈絡抜きの西洋近代医学の有効性を信じるという立場にたち、(c)自 分の生活空間から切り放されたものとして見る、といった偏見によって曇らされている。しかしその偏見を自覚し、より公平な見地を持とうと努力することは無 駄ではない。そこには医療者がいて、患者がいる。それが我々の社会の医療者と同じではないにせよ、連帯ということを妨げる要因にはならない。大切なことは お互いの差異を認めあい、自分たちのいる状況を批判的に知ることである。
●異文化の理解と看護(望月由紀先生との共著)『国際看護:国際社会の中での看護の力を発揮するために』森淑江ほか編、Pp.34-41、南江
堂, 2019
学習目標
1.異文化理解の基礎となる文化の概念がわかる
2.異文化を把握する方法や概念を理解する
3.異文化に違和感を感じる人間の本性と、それを克服するための多文化間看護について理解する
4.マイノリティ・カルチャーについて理解する
練習問題
1.文化の定義を自分なりに簡潔にまとめてみよう、
2.異文化を理解するフィールドワークとはどのようなものか考えてみよう、
3.ある人が異文化に違和感を覚えた時に、人が属する文化は、その人にどのような影響を与えているか考えてみよう、
4.異文化という社会環境に赴任する看護職者は、どのようなことを身につけるべきか、具体的に考えてみよう、
5.国内のマイノリティ・カルチャーについて考えることが、なぜ国際看護の実践にとって重要になるか、説明してみよう。
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