月経
解説:池田光穂
月経ならび経血は生物的な所産である。にもかかわらず、月経が人々に与える象徴的な効果ゆえに、その理解は文化的に構築された社会現象である といえる。世界の諸民族において、月経や経血にまつわる、おびただしい事例が報告されている。たとえば、積極的には、月経が生殖力のメタファーであるゆえ に、初潮を契機とする儀礼が家族および社会で大きなイベントとなったり、農作物の豊穣を祈願する儀礼に経血が用いられたりする。消極的および否定的には、 身体の排泄物--血液を伴う点でその意味がさらに増強される--として忌避され、妻が月経のあいだ夫は狩猟や魚撈に出ることができない、あるいは女性が月 経小屋などに隔離される、経血に触れることが恐れられ、時に人に危害を加える呪術において経血が利用されることもあった。これをみても、月経が人々に対し て多様な感情を喚起することが理解される。
月経と経血に関する禁忌は、人々にとって月経の女性を「危険で攻撃的な」存在とみなしてきた表れと解することができる。民俗学者や人類学者は その見解についてさまざまな説明を試みてきた。代表的なものは、経血は人々が考える「汚れ・汚染」(pollution)とされる大きなまとまりの一部で あるという指摘である。日本の民俗社会ではこの「汚れ」をケガレといい、黒不浄(死の穢れ)、白不浄(出産の穢れ)、赤不浄(月経の穢れ)などと報告され てきた。すなわち、〝汚染の概念〟が月経への忌避を生むという説明である。また、人類学者M・ダグラスは、禁忌についてのさまざまな人類学上の理論を総合 して、社会における周縁的な存在--それは社会的秩序における境界領域のことを意味する--は、一般的にどの社会でも「危険で不浄なもの」とみなされてき た、と指摘する。
禁忌の心理学的なメカニズムという観点から月経を捉える説もある。それは、月経に対する忌避を女性に対する抑圧機構として捉える見方で、月経 や経血への態度を<女を抑圧する社会>の反映としてみる。フロイト的な「精神分析的アプローチ」では、その忌避を社会的な神経症として捉える。B・ベッテ ルハイムは、男性の成人式など(苦痛を伴う試練が課せられることが多い)イニシエーション儀礼は、男性からみたときの、出産や月経など<女性の生殖機能へ の羨望>の表れであると主張する。とくに男子の割礼は出血を伴うが、これは同じ出血を伴う月経への憧れを意味しているというのだ。
また月経への禁忌を「実用的な実践」として捉え、それには何か有用な裏づけがあるはずと仮定する立場がある。これには、「メノトキシン」とい う仮想の物質や月経の際の「臭い」が忌避されるという仮説など、生理学や動物行動学などの理論が動員されたが、それらのほとんどは〝疑似科学的な説明〟で あり説得力をもたない。
認識人類学的研究が行われ、月経に関していくつかの学問的成果が発表されている。しかし、この研究分野は生物学的な決定論を暗黙のうちに取り 入れて、現代の生物医学そのものの文化的な前提を安易に受け入れてしまいやすい。また、現代社会では生物学や医学などの「用語」によって月経を説明するこ とが社会的に公認されている。そして、そのことと現代女性の月経のあり方は当然のことながら、密接に関係している。その意味で、現代科学は身体と身体のイ メージに影響を与える文化的な<圧力>となる。たとえば、月経前に始まる多彩な不定愁訴である「月経前期症候群(PMS)」という疾病が知られるように なったが、それは工業化された西洋世界の女性にみられる特異的な現象なのである。
長年の研究の蓄積や人類学全体の新しい潮流を受けて、<文化としての月経>研究への再検討が八〇年代以降活発になった。繰り返すが、月経に対 する態度とは、それが理解され、解釈され、そして一定の行動の規範があてはめられていく点で文化的に構築されたものである。しかし誰がそれを構築したかと いうと、分析の資料となる調査研究の多くが男性の手によって、男性のインフォーマント(現地調査における現地人の情報提供者)から収集されてきたという歴 史的経緯がある。つまり、資料とその解釈が男性優位というフィルターを通して、我々の前に提示されているのではないか、ということが問われる。<穢れた月 経>という視点はそれを記述した男性中心主義を信奉する西洋社会の価値観のまさにその反映であると、T・バークリらは指摘している。
月経は、生物現象と文化現象の架け橋であり、男女の差異化のイデオロギーのあり方を知る好例であり、PMSや閉経などにみられるように<女性 のライフサイクル>が医療化されている現状の認識のための基礎資料となる。現代医療が行っている営為を把握するために、この分野の研究はより関心を向けら れてしかるべきであろう。
●日本の労働基準法(第68条)
(生理日の就業が著しく困難な女性に対する措置)「第六十八条 使用者は、生理日の就業が著しく困難な女性が休暇を請求したときは、その者を生理日に就業させてはならない」労働基準法)
●月経に関する現在の文化人類学的常識について
「『月経小屋』を、女性を保護するため、という機能主義は現在ではもう誰もとりませんね。ソシュール的な意味のシニフィエとしての「女性=不浄」という象徴論的禁忌が、社会排除メカニズム(こちらは社会機能です—今村仁司先生の議論を参照)として長く位置づけられた。月経小屋、産小屋への隔離を『不浄』と
いう考えが異常であり無意味(=ファンクショナルな意味で非科学的)というコンセンサスを権力をもつ男性(そしてそれに従う女性)が受け入れてはじめて、
ナンセンスなものになりました。したがって、現在でも、月経を不浄とみなす象徴的秩序を持っている人(=幼年期より刷り込まれたり青春期に因習的概念を会
得した不幸な男女)にとって月経は不浄のままで、忌避対象になっています。」——垂水源之介.
リンク
文献
その他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
高野参詣にはまず丹生都比売神社を詣でる、そしてこの神社の第弐神は狩場明神(左、丹生明神;右、狩場明神)出典:高野山霊宝館