文化人類学を勉強する意義について教えて!
大学生のXクンからの質問に 答える
回答:垂水源之介=池田光穂センセイ(〈珍〉 と表記)
【珍】Xさんへ
――池田光穂です。グ アテマラに出張に行っておりました。お返事がおくれましたが、下記の質問にお答えします。
質問が4つあります。
(1)なぜ、文化人類学者は わざわざ多大な時間をかけ現地語や英語を学び、 海外調査を行うのですか? 日本にも知らない文化がたくさんあります。
【珍】文化人類学者も、 海外での調査と同時に、日本の知らない文化を調査します。 日本語を上手に話すのが難しいのと同様に、言葉や文化の理解にも限界がありません。言語や文化を勉強すればするほど、それらの難しさに直面すると同時 に、それを学ぶ喜びもあります。人間の直感が、それまでの経験的知識の積み重ねと無関係ではないように、それまで全く関係のなかった文化の事象が、突如と して繋がり、スラスラと見えてくる瞬間があるのです。
日本語で調査したがらないのは、調査をする前から日本のことがわかっているような気に なっていることを、どのようにうまく相対化する(もっと謙虚になる)方法にとまどう傾向があるからです。このことを克服すれば、同じ文化を相対化して調査 することは可能です。
こんな苦痛と快楽のために「わ ざわざ多大な時間をかけ現地語や英語を」勉強するのですから、マゾと言えばそうなりますが、 そのような快楽を文化人類学は事実提供してくれます。(マゾになる理由は下記の4番目に質問 関連する文化人類学者の社会的使命にも関連するようです)
(2)文化人類学という学問の名称にこだわる必要はあるのですか? というのは、文化人類学と社会学の境界線が分からないからです。 文化人類学はフィールドワークが 売りですが、社会学を学ぶ人も長期フィールドワークを行う人がいます。また、人類学は未開社会を出発点にしているのに 対し、社会学は文明社会を出発点にしています。グローバル化が進む現在では、文明社会から出発している社会学の方が適当ではないかと思っています。
【珍】私は、文化人類学と社会学においては、文化の概念の取り扱い方と方法論において根本的に異なると思います。よく勉強されて、まわりの文化人 類学者や社会学者と議論 してください。皆さん、いろんな見解や見解の相違に基づく様々な議論があると思いますよ。
(3)レヴィ=ストロー スは『悲しき熱帯』の中で、「文化が急速に消滅しつつある現在、文化 人類学者はその文化を正確に記録せねばならぬ。」と言っていま す。 さらに、「彼ら」のおかげで、文化人類学者は、大理論を生み出してきた。 その一方で、「彼ら」は次々と他の文化と同化消滅したり、ある慣習が消滅しています。 記録を残したり、大理論を生み出す前にもっと出来ることがあるのではないでしょうか?
【珍】「文化を正確に記録する」ことが「文化が急速に消滅する」社会状況に支えられてき たのは、1950年代まででしょう。文化人類学の理論を勉強されれば、そ のようなレヴィ=ストロースの議論が時代遅れのものになってきたのは事実です。その点では君の指摘はある程度あたっています。ただし、彼の議論を歴史的に きちんと評価すれば、彼の叫びに似た主張と (特に少数民の)文化の保護に貢献する文化人類学の伝統――カルチュラル・サヴァイバル・イ ンターナショナルの活動など――は現在でも生きています。文 化を保全する権利は、他ならぬ文化の継承者の一人一人にあるからです。また言わずもがなですが、彼はまたユネスコなどの活動に多大に貢献しています。そ のようなことを知れば、文化人類学が少数民を単なる研究のだしに使っているとは言えないはずです。
長い質問で申し訳ありませんでした。
【珍】いえ、よい質問でした。(質問の文章を少し変えて、質問者を匿名にして)私のホームページに採用したいと思いますが、よろしいですか?
はい、かまいません! 私の質問の先生 の回答が、他の人の疑問への解答に役立つのであれば、喜んで!