田辺繁治によるハビトゥス論
On theory of "habitus"; Of My great master, Dr. Shigeharu Tanabe's
田辺繁治『生き方の人類学』講談社・現代新書[→文化人類学、はじめの一歩;人類学の最前線]第2 章 実践を生みだす母胎—ハビトゥス:2-SPractice_anthro_STanabe_2003-3.pdf
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[復習:再掲]
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本書の目的(p.8)
(1)「実践とは何かという問いに焦点をあてながら、実践と社会との関係を明らかに」す る。(2)「私たちが社会のなかで、いかに実践をとおして自己を統治し、自分の生き方を 探求することが可能かという課題」に答える。
■「実践」とは?(p.11)
実践(practice)とは「社会的に構成され、慣習的に行われている」行為や活動であ り、それらは「権力が作用する社会関係の網の目なかで形成されてきた慣習によって強く支配されている」。______________________
■文化についてのさまざまな考え方
文化=社会の人々の受け継がれる知 識のシステム
・「人類学の伝統的な考え方」(=文化や社会が、個人の実践や知識を包摂する、よい上位の 概念である)・ギアーツの文化概念
■この章(2章)での問題
・「人びとの実践は社会によっていかに制約され、また逆に、いかに社会的な構築をしている のか」(p.66)■個人の実践、という視覚の欠如
・アメリカの心理人類学:「社会化」・「儀礼という慣習的な行為と言語使用の制度が人びとの社会秩序を再生産してゆく」 (p.67)
1.ブルデューの実践理論【4-5】
■マルセル・モース1936「身体技法」論文
身体技法は学ばれること【7-8】
■ハビトゥス概念
・素質、知識、能力の一体概念(モースにおけるハビトゥス概念)・ブルデュ「ハビ トゥスとは、持続性をもち移調が可能な心的諸傾向のシステムであり、構 造化する構造として、つまり実践と表象の産出・組織[化]の原理と して機能する素性をもった構造化された構造である」(『実践感覚』)[ページ不詳](p.69に引用)
・田辺の祖述:「(a)生活の諸/条件を共有する人びとの間には、特有な知覚と価値 評価の傾向性がシステムとして形成され、それがハビトゥスと呼ばれる。ハビトゥスは、(b)その集団のなかで、持続的、かつ臨機応変に人びとの実践と表象 を生みだしていく原理である。したがって、それは(c)人びとの実践を特有な型として組織化してゆく構造である。しかし、この(d)ハビトゥスの構造は人 びとの実践に制約と限界を与える構造でもある」(pp.69-70)。
・『実践理論の素描』(1972)
《ゴシック大聖堂のなかのハビトゥス》→「パノフスキー『ゴシック建築とスコラ学』研究」
■modus operandi をとおしてゴシック建築が発展
・ゴシック建築が発展することは、スコラ哲学の成熟の単純な表象関係ではない。「スコラ哲 学者、建築家、および彫刻家、ガラス絵師、木彫師など職人の間に伝達され共有されたある種の心的な慣習があり、そこであの荘厳なゴシック大聖堂がつぎつぎ に建立されたのだと考える」(p.45)。[ref., p.45]スコラの学説ではなく、具体的にものをつくりあげてゆくやり方(modus operandi)が人々の間に浸透する。
■(閑話休題)ブルデュ(Pierre Bourdieu, 1930-2002)にとっての構造主義の系譜
1930 フランスのピレネー=アトランティック県ダンガン村(以下は、ウィキ日 本語の情報)
1951 名門リセ・ルイ=ル=グランを経て高等師範学校(ユルム校)で哲学を学 ぶ
1954 高等師範学校を卒業。哲学のアグレガシオンを取得。この年より、アル ジェリアで対フランス独立戦争。
1955 リセ教師を務めていたが、陸軍に徴兵されアルジェリアに出征。兵役期間 終了後もアルジェリアに留まり、教師を務める。傍ら、アルジェリア社会の社会人類学的なフィールドワークをおこなう。
1958 アルジェリア臨時独立政府発足。アルジェ大学に助手として着任
1964 フランス国立社会科学高等研究院 (ÉHÉSS) 教授。
1981 コレージュ・ド・フランス教授。
2002 肺癌にてサン・タントワーヌ病院にて死去
Espace des positions sociales et espace des styles de vie. Schéma simplifié extrait de Raisons pratiques, Seuil, coll. Points, 1996, p. 21.
・フェルナン・ド・ソシュール、ロマン・ヤコブソンの言語学が「達成した」構造主義的転換・ルイ・アルチュセールの構造マルクス主義への反発
・ウェーバー、マルクス、フッサール、G・H・ミードの読み直し
・〈命題〉=「ソ シュールの言語学とそこに血縁をもつ構造主義こそは、行為者とその実践 を〈構造〉の名のもとに破壊する」(p.72)。
・パロールのラングに対する従属。ラングはパロールのもつ社会的条件を捨象し、内的論理 をもつ特権的なものとして言語学モデルに還元されてゆく。つまりパ ロールは、ラングの分析の対象と堕落?してゆく。
・「ブルデュにとって、パロールという実際の行為をたんなる実行に還元し、客観的構造と してのラングから切断することは、ソシュールに端緒をもつ構造主義 のあらゆる前提とその難点をあらわにするものにほかならなかった」(p.73)。
■「家または転倒した世界」(1970)p.73, 【19-20】
『実践理論の素描(Esquisse d'une théorie de la pratique, précédé de trois études d'ethnologie kabyle, (1972), Eng. Outline of a Theory of Practice, Cambridge University Press 1977.)』『実践理論の概要』
『実践感覚』
・アルジェリア・カビル農民の住居の空間構造の分析:家屋内の上下、昼と夜、人、織機を 細かく記述:「カビルの家の内部構造が外/部空間の構成と正反対に なっており、戸口を軸として一方を半回転することによって他方がえられる」(p.74)。
・家屋の内部構造は、男性の世界(壁の外の世界)からみればすべて逆転している。カビル の男性からみれば、家はいる場所であるよりも、そこから出てゆく場 所。東から入る光とよきものへと向かって出てゆく。女性の空間である家屋の中は戸口と反対に織機がおかれ、朝日を受けて輝くが内部の光にすぎない。「家の 内部の空間は外部の男性の視点から定義された転倒した世界にほかならない」(p.74)。
Algeria 1960: The Disenchantment of the World: The Sense of Honour: The Kabyle House or the World Reversed: Essays, Cambridge University Press 1979.
それぞれの画像(カビルの家屋構造とその半回転図)をクリックすると拡大します。
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Esquisse d'une théorie de la pratique, précédé de trois études d'ethnologie kabyle, (1972), Eng. Outline of a Theory of Practice, Cambridge University Press 1977.
■ベアルンにおける親族と婚姻(1960)[まさに本物の自然を楽しめるバスク地方、ベア ルン地方(フランス観光局)]
・「公的に表明される親族関係、あるいは婚姻の規則は無意識的にただ従うものではなく、利 害と折り合いをつける限りで作用するにすぎない」(p.75)。・「行為者の実践状態から見れば、婚姻交換の原理は交換経済の一契機にしかすぎない」 (p.76)。
・アルチュセールにおける「主体」と同様、行為者を構造の担い手にすることに対する反発 がある。
■行為者の実践の理論化
《レヴィ=ストロースとの決別》【27】pp.76-77.(=構造主義批判)
・行為者と観察者:行為者=「結婚を決意したり、あるい雨乞い儀礼を行うような人び とは、 それぞれの利害や関心に従ってそれらに打ち込んで実践している」(p.77)のに対して観察者は、彼らの利害関心から離れて、それらについての理論モデル を構築している。他方、後者の観察者も、自分たちが実践する領域の中では、行為者とかわらぬ実践の世界を生きている。
・このようなモデルの最大の欠陥は「実践の論理についての実践的理解を科学的に記述する ことが妨げられる」ということである(p.77)。
・ではどうする?:「人類学者はそれを客観的に理/解するとともに、実践を客観化しよう とする自らの作業を同時に理論化する必要がある」、「これは客観化 する行為(人類学者の理論的実践)と客観化する主体(人類学者)を同時に客観化する、というフッサール現象学の〈超越論的還元〉を社会科学においてプログ ラム化する道」(pp.77-8)である。
主観主義(Subjectivism)への批判 (pp.78-79)
"Subjectivism is the doctrine that "our own mental activity is the only unquestionable fact of our experience.",[1] instead of shared or communal, and that there is no external or objective truth./ The success of this position is historically attributed to Descartes and his methodic doubt.[1] Subjectivism accords primacy to subjective experience as fundamental of all measure and law.[2] In extreme forms like Solipsism, it may hold that the nature and existence of every object depends solely on someone's subjective awareness of it. One may consider the qualified empiricism of George Berkeley in this context, given his reliance on God as the prime mover of human perception. Thus, subjectivism. " - Subjectivism.
■これまでの客観主義を批判し、かつ主観主義の限界を見抜く
・理論の客観化戦略は、結果的に、行為者の視点を欠き、外部から自動機械のように行為者を 〈構造〉の網の目の中に置いてそれを観察しようとする(そのどこが悪いのか?)。・行為者としての観察者の論理が無色透明の中立のままに置き去りにされる(ありえないも の存在者の視点をとる?、[神としての]理論的保証がとれないか ら?)。
・だから(構造主義的)人類学から脱却して(実践を説く)社会学者に生まれ変わる?
・主観主義で客観主義の諸問題を乗り越える視点の例:エスノメソドロジー、象徴的相互作 用論。
・主観主義の問題点:「これらの立場は、行為者たちが日常生活における相互作用をとおし て意味を付与し、秩序を構築してゆくと主張するが、他方で、社会の なかで彼らが構造的な関係のなかにおかれていることを忘れてしまう」。
・生きれられた経験の記述という目的そのものが、自らが自明(→ライルのデカルト批判) であることを可能にしている諸条件を考えることを放棄してしまう。
■相互行為論における隠蔽:何が隠蔽されるのか?
・「◎〈間人格的関係〉は、その外見をのぞいて、個人対個人の関係性ではけっしてなく、相 互行為の真実はけっして相互行為のなかに完全に含まれていないのだ。このことは、社 会心理学や相互行為論あるいはエスノメソドロジーが忘れているものである。それら は、集まっている人びとの間の関係の客観的構造を、その特定な場の状況と集団のなか にある彼らの相互行為のそのつどの偶然的出会いの構造に還元してしまうのである」『実践理論の概要』からの引用【36】
・「人びとの語りや目に見えるミクロの相互作用の出来事をあくことなく記述し録音し撮影 する。しかし、ブルデュによれば、そうした状況のなかで何が語られ るかは、目には見えない社会関係、あるいは客観的構造が影響している」。
■毛沢東の能動的反映 論
・「人間が認知過程と実践との往復をくりかえしながら理性に到達して、さらに革命的実践と 世界の改造にいたるという素朴な反映理論の圏内にとどまっている」(p.81)。
■フォイエルバッハ論の第一テーゼ(→「フォイエルバッハに関するテーゼ」)
・「(フォイエルバッハのも含めて)これまでの唯物論の主要な欠陥は、対象、現実、完成が ただの客体の、または観照の形式のもとでだけとらえられて、人間的な感性的活動、実践として、主体的にとらえられないことである」。
■実践の現場に身をおくだけでよい:なぜ?
・「(人びとの)現実的な活動そのもののなかに、つまり、世界への実践的な関わりのなかに 身をおくだけでよい」『実践感覚』(p.82に引用)。2.ハビトゥスと実践 感覚【43-】p.83
■なぜゴシック建築の時期の職人はスコラ哲学を具体化することができたのか?
・媒介としての身体
・したがって、「ハビトゥスはあらゆる思考や行為を無限に生みだしてゆく内面化された生 成文法である」(「生成文法としてのハビトゥス」)(p.83)。
■ハビトゥス概念は、(身体を媒介として具体化する)初期概念から深化する (p.84)。それは、スキーマ概念の導入にある。
・スキーマとは、図式 (scheme)のことであり、「過去の経験や反応の積みかさねに よって各個人のなかに形成される考え方、知覚の仕方、行為のやり方についての能動的な体制のことである」(p.84)。■フレデリック・バートレットの図式概念(pp.84-)
・どのようにして過去の経験を思い起こすのか?
・「過去におこったさまざなま反応や経験はつぎはぎ細工のなかの孤立化した要素となるの ではなく、類似した反応や経験がまとまって、ある種のアクティブに 体制化した〈図式〉を有機体のなかに作りあげる。この生き物のようなたえず発達していく〈構図〉(setting)が図式である」(p.85)。
■構造とハビトゥス【51】
・歴史性をおびたハビトゥス(p.86)
・しかし、ハビトゥスの効用の面ばかりが強調されて、その効能が具体的にどのように発揮され るのか、そしていったい何をしているのかが明らかにされていな い(pp.86-)。
■傾向性の概念(p.88-)→「構造は身体化する」
■身体技法とハビトゥ ス【59】
・「身体のなかに慣習化された行為のやり方」=身体的〈ヘクシス〉(p.89)・挨拶の行為の図式化と、その実際の習得は単なる逆の過程ではない。
■知恵ある無知
・技法に習熟ながらも言語化できない準理論的思考が、docta ignorantia である。知恵ある無知は、実践の習熟の全体像を彼ら自身の目から覆い隠す。習熟者が自分の実践を語りきれないという事実は、〈実践知〉の特徴(→兵法の極 意というイデオロギーの特徴?)。■ハビトゥスと集団の多様性がどのように共存するのか?
・ハビトゥスが集団に帰属するというデュルケーム流の解釈からの回避・ハビトゥス現象の内部の差異化と、それが完全な自由度をとらない理由は、ハビトゥスを 制約する〈構造化された構造〉があるからである(p.93)。
■ゲーム感覚(pp.94-)【73】
・構造のなかで生きる行為者をとらえる視座を、〈規則〉から〈戦略〉に切り替えること。つ まり、実践状態の行為者の視点への変換をとるということだ。・「ブルデュが戦略というとき、それは合理的な計算ではなく、また無意識的なプログラム でもない。個々の実践はある種の戦略を含みながら〈ゲーム〉のよう に行われる、このゲームを成立させている実践知は、相続や婚姻についての先祖代々の慣習、あるいは立法者によって成分化されたルールを意味しない。ゲーム とは、人びとがある種の規則性という内在的な論理に従ってその活動に参加している日常の社会的営みを指している」(p.95)。
・〈実践感覚〉(p.96)
■構造的恣意性【78】
・アバウトの論理に支配される知の形式・即興性
・ぼやけや曖昧と結束する
・ゴフマン的相互行為が保証される社会的前提:「ゴッフマンは、イギリスやアメリカの中 産階級の人びとがいかに自己を提示するかについて、言葉や非言語的 な身ぶり・姿勢などを綿密に分析する。彼らは言語と身体表現がもつ不確定性と「ぼやけ」の部分を操作することによって自己のイメージを提示しようとする。 /ゴッフマンによれば、相互行為というゲームに参加する個人は、パフォーマーとしての自分の利益になるように、また理想化された自己を提示するために、自 己の印象を管理し統制する戦略的な配慮や技法を駆使する」(p.97)。
■ハビトゥス概念批判:パート1【82】
・文化概念との類似性(p.98)「家はオウプス・オペラトゥム[完成された作品]であ る。子どもは世界の見方について本から学ぶが、そこでは子どもは身体でもって家を読む」(『概要』)(ブルデュからの引用)。■ハビトゥスはブラックボックスか?(ハビトゥス概念批判:パート2)
・「ブルデュのハビトゥ ス概念は〈身体化〉以外の心の哲学の主要な問題点である思考がいか に実践を生みだすのかという問題にはほとんど踏みこんでいない」(p.100)。・セルトーの指摘:「実践を無限に産出するハビトゥスとは仮説であって、観察された現象 ではな」く「ブルデュの実践理論は実践の再生産の法則を打ちたてる ために堂々巡りをしている。日常の実践とそのロジックが綿密に分析されてゆく果てに、その実践はある神秘的なブラックボックス、すなわちハビトゥスへと還 元されてしまうのである」(→『日常的実践のポイエティーク』)(p.101)。
■この章の末尾が、この章の結論?
・「実践の全体像は、ハビトゥスがこの外側の思考や反省の働きといかに関係しているかを射 程にいれない限り明らかにされないだろう。また、個人の実践が集団のハビトゥスに抵抗し、それに変更をせまるような場面は私たちの日常世界ではしばしば観 察されることである。そうしたハビトゥスの変動を説明する理論、あるいは個々の行為 者の実践が変動のなかでいかに生みだされるかについて説明できるような アプローチも必要だろう」(p.102)。
【参考文献】
田辺繁治、2002「再帰的人類学における実践の概念:ブルデュのハビトゥスをめぐり、その 彼方へ」『国立民族学博物館研究報告』26(4):533-573.