正受院
東京都新宿区新宿二丁目にある浄土宗の寺 院
正受院の梵鐘は、昭和17年(1942年)に太平洋戦争による金属供出 のため失われたはずであった。しかし、戦後になってアメリカ合衆国のアイオワ州立大 学内海軍特別訓練隊が所有していることが判明し、昭和37年(1962年)には正受院へ返還された。このため、正受院の梵鐘は「平和の鐘」 と呼ばれており、現在でも大晦日には除夜の鐘を響かせている。
五百羅漢寺
東京都目黒区下目黒
境内は比較的狭く、大部分が近代的なビルになっている。公道に面して鉄 筋コンクリート3階建てのビルが建ち、この中に寺務所、書院、聖宝殿(しょうほうでん)などのほか、目黒霊廟(一般向けの屋内墓所)がある。聖宝殿には寺 宝や歴史資料が展示されている。屋上には安永3年(1774年)銘の梵鐘(平和の 鐘)がある。
鶴嶺八幡宮
神奈川県茅ヶ崎市浜之郷の神社
神仏習合の名残を留める宮鐘。延宝8年(1680年)に最初の鐘が納め られ、戦時中、鐘は兵器製造のため供出によって消失するが、戦後の1965年(昭和 40年)、「平和の鐘」として、再び鐘が奉納される
鉢伏山
富山県高岡市
曹洞宗の寺院である佛舎利山佛石寺があり、高さ20mの仏舎利塔のほ か、礼拝殿、祖堂がある。佛石寺から更に下った二上山万葉ライン沿いには、「平和の 鐘」と呼ばれる大きな梵鐘がある。これは1969年に高岡開町360年、高岡市制施行80年の記念に建立されたものである。「平和の鐘」の 周辺は駐車場やトイレが整備されている。「平和の鐘」は誰でも自由に撞くことができる(夜間は騒音防止のため禁止。
水島緑地福田公園
岡山県倉敷市
「昭和20年8月15日,太平洋戦争は,日本国民はもとより海外の多くの人々に言い知れぬ深い傷跡を残し,悲惨な戦いを終えた。あの日から40数年,私たちは苦難の中から立ち上がり,戦争放棄を国是として,今日の平和で豊かな社会を築きあげた。 本市は,昭和61年9月,世界の恒久平和と倉敷市民の幸せを願い「倉敷市平和都市宣言」を行い,平和への誓いを新たにした。 このたび,宣言の主旨に沿い,再びあの悲惨な戦争を繰り返すことのないよう祈念し,被災地水島の一角に「平和の鐘」を建立する。」倉敷市HPより)
広島平和記念公園
広島県広島市中区中島町
平和の鐘 (広島市): 広島市への原子爆弾投下後、反核と恒久平和を願って建設された広島平和記念公園内に設置されている。平和公園内には、毎年8月6日の広島平和記念式典で鳴 らされる鐘、平和公園の訪問客用に常設されている鐘、毎朝8時15分に鳴るチャイム、の3つの鐘がある。さらに隣の広島市中央公園内にもあり、爆心地近く に4つ平和の鐘が存在する。また、市内には他にも平和の鐘がある。日本の音風景100選
大寶寺
愛媛県上浮穴郡久万高原町にある真言宗豊山派の寺院
町 中にある総門をくぐり進むと左側に塔頭跡の境外駐車場があり、赤い欄干の勅使橋を渡り山中に差し掛かり左側の道を上がると仁王門がある。さらに石段を上る と境内で、左手に手水場があり、右に納経所がある。さらに石段を上がると両側に鐘楼がある。左が古いもので右は太平洋戦争でなくなった地元の英霊を供養す る平和の鐘である。正面に本堂が建ち、本堂の右側にブロンズの十一面観音立像が立ち、さらに右に大師堂がある。大師堂の右奥に興教大師堂がある。本堂の左 の奥に掘出観音堂がある。本坊の前にある池に石の船に乗った七福神がいる。
八所宮
福岡県宗像市に位置する神社
平和の洪鐘」 は約600年前に芦屋釜で造られた鐘で氏子が寄進したが、それを豊臣秀吉が持ち去り広島県の厳島神社に奉納、1984年(昭和59年)に氏子の再三の要望 で赤間に戻ってきたが、しかしもともと秀吉の戦利品で厳島に奉納し、既に広島県指定の文化財となっていたもので、あくまで「貸し出し」というものである。 しかし20年を超える長期貸出の文化財という異常状態であったため、2013年(平成25年)、文化庁、広島県及び厳島神社側の要請もあり、再び鐘は厳島 神社に戻された。
勝山公園 (北九州市)
福岡県北九州市小倉北区城内
(平和の鐘ではなく、長崎の鐘)勝山公園は旧小倉陸軍造兵廠敷地の一部 で、原爆投下の目標とされた(長崎市への原子爆弾投下参照)。そのような歴史的経緯から、公園内に「長崎の鐘」(1973年に長崎市より贈呈された鐘のレ プリカ)が設置され、毎年8月9日の長崎原爆の日には北九州市民による慰霊祭が行われている。北九州市は戦争の悲惨さと平和の大切さを後世に伝えるため、 「(仮称)平和資料館」の建設の概要を発表[1]、2019年度に着工、工事の進展を見極めながら開館時期を決定することとなった[2]。
長崎の鐘
長崎県長崎市松山町
(1)浦上天主堂の鐘楼: 「「アンジェラスの鐘」とも呼ばれる。原爆によって吹き飛ばされた天主堂の鐘楼の一部が、天主堂の北方約30mの地点に落下したものが現在でも現地で保存 されている。被爆当時の位置は小川の中であったが、現在は川を整備して流れをずらすことで陸地に保存されている。被爆時のままに保存されている旧天主堂本 体唯一の遺構であり、長崎市が定めた「被爆建造物等ランク付け」の最上位であるAランクとして分類されている[7]。」(2)1977年(被爆から33回 忌にあたる)につくられた、軍需工場で働いていた人々の慰霊のためのモニュメントである。被爆地となった浦上には当時いくつもの軍需工場があり、そこで働 いていた学生など多くの人々が原爆によって亡くなった。
沖縄戦跡国定公園
糸満市と島尻郡八重瀬町にまたがる
沖縄平和祈念堂は、恒久平和を祈念して平和祈念公園内に建造された高さ45m、七角形の堂塔である。内部には沖縄平和祈念像が置かれ、周囲には平和の鐘・美術館などが配されている(→沖縄県平和祈念資料館)。