はじめによんでください

婚資と持参金

Bridewealth and dowry; A Graphic Guide 062

池田光穂

062
婚資、あるいは婚礼[契約]資金
62.    結婚契約にかかる支払い
62. 婚姻の契約にかかる支払い

婚姻の契約をすると、花嫁と花婿の家族あるいは親族集団間で2種類の支払いが行われる。

【台詞】学者(人類学者)「婚資(bridewealth)は、花婿とその集団から、花嫁の集団への支払いのことを言う」

【台詞】学者(人類学者)「持参金(dowry)は、花嫁の集団から、花嫁の集団ないし夫婦への支払いのことを言う」

世帯や家内の領域は、女たちの場所であると見なされていた。1930年代にオーストラリアのアボリジニの間でフィールドワークを行ったフィリス・ケイバ リー(1910-77)は、女性たちを「能動的な主体(active agent)」として描いた。彼女のオーストラリアと南アフリカでの調査結果は、ジェンダー研究に焦点をあてたフェミニスト人類学の台頭を成し遂げた。

【台詞】フィリス・ケイバリー「人類学者のあいだでの男性のバイアスを、女性の人類学者たちは、暴露することになったのよ」

【台詞】アボリジニの女性「この種の前提を考え直すことで、それまで人類学が扱っていた、世帯、ジェンダー、セックス、身体、人間関係、自己(セルフ)に ついての考え方への革命的な見直しがなされるようになったのよね」

★「婚資(bridewealth)」と「持参金(dowry)」の区別は、とりわけ、親族研究をする人には重要な概念です。

★婚資は、妻を手にするために支払われる対価なので、これは「人身売買だ」という論難があります。しかし、実際には持参金で相殺されることがあったり、い わゆる口語法ですが「玉の輿」(=花嫁側が経済的に貧しくて花婿側が裕福な婚姻)や「逆玉」(=玉の輿の反対で、花嫁側が裕福で花婿側が貧しい婚姻)など で、仮に婚姻の対価が支払われると「解釈」しても、《それだけではない=完全に経済に還元されない》ものもありますので、「人身売買」説には、多くの人類 学者が、異論を唱えることがあります。

★フェミニズム理論からクイア理論へ:人類学的解釈

■ 教科書(Cultural Anthropology Remix 協賛):今回の教科書は Merryl Wyn Davies (1949-2021) が著者、Piero がイラストレーターによる、その名も『人類学を紹介する(Introducing Anthropology)』出版社は Icon Books, 2002 です。8年後に改定されて、Merryl Wyn Davies and PIERO, Introducing Anthropology: A Graphic Guide, Icon Books Ltd., 2010.となりました。いわゆる啓蒙のためのイラスト・ブックです。カルスタもとい、カ ルチュラル・スタディーズのものは日本語に翻訳されているのでな いだろうか。とってもおもしろい本です。文化人類学の現代の問題系 にまでしっかり踏み込んでい ますが、そのことを 明確するために、人類学の歴史的ルーツに遡り考察するという姿 勢が貫かれています。つまり、骨太の人類学史の教科書ともいえるべきものです。それが、な、なんと邦訳されました!!! メリル・ウィン・デイビス『人類学』池田光穂+額田有美訳、現代書館、2021年10月 ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4768401095 [総合目次]

★ 著者紹介:Merryl Wyn Davies (1949-2021)

メ リル・ウィン・デービス(1949年6月23日 - 2021年2月1日)は、ウェールズのイスラム教徒の学者、作家、放送作家でした。イスラム教を専門とし、ジアウディン・サルダールと共同で書籍や記事を 執筆しました。イスラム人類学の権威であり、ロンドンのムスリム研究所の所長も務めた。メリル・ウィン・デービスは、1949 年 6 月 23 日、ウェールズのマーサー・ティドフィルで生まれた。サイファースファ・グラマースクールで A レベルを取得。ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジで人類学を学んだ後、放送局やジャーナリズムの分野でのキャリアをスタート。ウェールズの地方紙、 BBC ラジオを経て、BBC テレビの宗教番組で 10 年間働き、「Everyman」、「Heart of the Matter」、「Global Report」[4] などの受賞番組や、シリーズ番組「Encounters with Islam」に携わった。1981 年、31 歳でイスラム教に改宗。1985年にBBCを退職し、フリーライターとして、ロンドンを拠点とするイスラム教徒の雑誌「Inquiry」で働き始めた。 1990年代には、マレーシアの元副首相で、後に野党党首となったアンワル・イブラヒム氏の顧問およびスピーチライターを務め、マレーシアのテレビ局 TV3で「Faces of Islam」シリーズを制作した。イブラヒム氏が逮捕されると、ウィン・デイヴィスは逃亡し、シンガポールに移住した。1996年に英国に戻り、英国イス ラム教徒評議会のメディア担当官に就任した。2010年にロンドン・ムスリム研究所に入所し、所長に就任した。2018年に「第二の故郷」であるマレーシ アに戻ったメリル・ウィン・デーヴィスは、2021年2月1日、クアラルンプールのペタリンジャヤで、長年の病気のため心臓発作で71歳の生涯を閉じた。 英語ウィキペディア"Merryl Wyn Davies (1949-2021)"より

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