はじめによんでね

人 類学理論オンデマンド

Literacy:  Anthropological Theories, ♾

Mitzub'ixi Qu'q Ch'ij


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人類学とはなにか?


※ここには、みんなが、レクチャーを聞い て、メモをとるようにしよう(プリントアウトしてもいいし、またhtmlをダウンロードして自分なりに直接htmlに書き込むようにしても、いい ゾッ!!)
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「未開」とはなにか?(括弧でくくってい るところが味噌!)



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人類学とはなにか?
「未開」とはなにか?(括弧でくくってい るところが味噌!)
人間を研究する
1.    人類学とは何か?
2.    〈未開〉とは何か?
3.    人びとを研究する
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1. 人類学とは何か?
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〈アンソロポロジー〉という言葉は、ギリシャ語起源で、その字義どおりの意味は〈人(man)の研究〉ないし〈人の科学〉である。しかし、人類学(アンソ ロポロジー)の〈人〉は、特別な種類の〈人〉を指していた。

【台詞】学者(人類学者)「人類学は、歴史的にみれば〈未開人の研究〉だったんじゃ」

【台詞】アナザシ「俺はアナザシ。連中は俺のことを未開人と呼んだのさ」

人類学

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2. 〈未開〉とは何か?
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アメリカ文化人類学の創始者フランツ・ボアズ(1858-1942)は、『未開人の心性』(1938)において、まさに誰が未開人であるのかを私たちに伝 えた。

【台詞】フランツ・ボアズ「未開人とは、その生活の諸形態において単純で共通のものが多くみられ、彼らの内容や形態が示す文化というものは貧弱で知的には それほど一貫性がないものじゃ」

【台詞】学者(人類学者)(ブロニスロー・マリノフスキー著『未開人の性生活』を開きながら)「その研究対象について、よりまともな定義をすると〈女を抱 く男=マンの研究〉という人類学のお定まりのジョークで表現されるもんじゃよ」

・あなたが感じる未開[な]( primitive)や野蛮人(savage)を整理してみましょう
・〈未開〉とは何か
・フランツ・ボアズ
・ブロニスロー・マリノフスキー

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3. 人びとを研究する
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人類学者は人びとを研究する。人類学者は、人びとがどのように生活しているのかということ、つまり人間社会の現在と過去を研究する。人類学は、現在そして 過去において、人びとについて考える人びとを私たちがどのように考えるかについての研究でもある。ときに人類学は、人びと、民族、複数形の文化と社会の間 での力関係や、植民地主義、そしてグローバル化についての研究である。

【台詞】アナザシ「人類学とは、・生物学的、文化的そして社会的観点からの人の研究・人間の文化的差異についての研究・人間文化と人間の本性についての一 般理論の探求・複数形の文化間の、類似性と差異についての比較分析なのだそうだよ」

★【訳注】
アナザシの主張する人類学は、いわば「四分類人類学(総合人類学)」を指している

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人類学のビッグな問題!
4.    人類学の大きな課題 
 4. 人類学の大きな課題

人類学にとって最大の課題は、研究対象をどのように語るかということである。未開、野蛮あるいは単純は、価値判断を伴う言葉であり、差別的で至上主義的で ある。しかし、人類学者が特に研究したいと思う人びとや、なぜそれらの人びとを研究したいのかということの根拠は、これらの言葉によって定義されてきた。

【台詞】フランツ・ボアズ「人類学的探究の根本精神は、人間文化のすべての形態を研究することの必要性を称賛するところにあるのだ。人間文化の多様な形態 は、それだけで、人間の発展の歴史、過去そして未来に光を当てることができるからなのだ」

【台詞】アナザシ「人類学者が学び、人類学によって教えようと試みているのは、現実の人びとを未開で野蛮で単純だと考えるときに誤っているのは何なのかと いうことらしいよ」

・フランツ・ボアズ

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他者(別名「大文字の他者」)
5.    他者
5. 他者

今日の人類学は、他者についての体系的な学問であり、その他の社会科学はすべて、ある意味においては、自己についての学問であると定義されている。しか し、誰が他者で誰が自己なのだろうか?

【台詞】アナザシ「他者は、自身のアイデンティティとは異なる、〈相互定義〉のために利用される誰かだよ」

【台詞】アナザシ「他者は、非西洋文化の民族ということだね」

デル・ハイムズは『人類学の再創造』(1969)のなかで「他者についての研究を専門とする、自立した学問(ディシプリン)のまさにその存在が、いつも何 かしら問題を含むものであった」と書き残した。


「文化人類学の研究対象とは〈他者〉である?!  はたして、それは本当か?」

・文化人類学の研究対象とは〈他者〉である?!  はたして、それは本当か?

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変化する問題
6.    変化する課題
6. 変化する課題

人類学がその〈課題〉にどのように取り組むのかということが、今や人類学内部での加熱した論争の主題である。これ以外にも2つのことが変化した。1つは、 他者の変化である。非西洋社会は、急速な社会変化を経験した。

【台詞】アナザシ「俺は、消滅してゆく高貴な未開人になることを拒否するぞ。俺は、自分が持っている諸権利と、あんたたちと同等に扱われる権利を要求する ぞ」

【台詞】プラカード「俺たちはマンハッタンを取り戻す!!」
もう1つの変化は、人類学がホームに戻って来たことである。人類学はもはや非西洋社会の文化だけの研究ではなくなっている。人類学者は、今や西洋社会の周 縁的(マージナルな)文化や、法人企業や科学者集団あるいは警察といった制度的で組織的な文化も研究する。

人類学は、これらの変化にどのように対処するのか?人類学は、人類学そのものの歴史や、過去から現在までの人類学者たちの前提や、過去から現在までの人類 学者たちの反応を研究する。そして、他者よりも自己について、人類学がより多くを私たちに教えてくれるものなのかどうかを試案するのである。

【台詞】アナザシ「つまり、複雑になったということだね」
「まず、人類学が何についての研究であるのかを示すのは困難である。次に、人類学を学ぶために何をしなければならないかが少しも明らかではない。そして、 人類学を学ぶことと人類学を実際に行うこととの違いを説明する方法は、おそらく誰も持ち合わせてはいない。」
ティム・インゴルド(アバディーン大学人類学教授)

なになに人類学とは

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人類学の起源
7.    人類学の起源
7. 人類学の起源

「人類学を人類学たらしめるものは、具体的な探究の対象ではなく、学問(ディシプリン)と実践としてのその歴史である。」

ヘンリエッタ・ムーア(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス社会人類学教授)

【台詞】アナザシ「どの歴史、どのような実践なのかな?どのように人類学は始まったというのかな?」

【台詞】学者(人類学者)「近代的学問(モダンディシプリン)かつ専門的職業としての人類学は、人類学を教える大学学部の設立から始まるのじゃ」

アメリカ合衆国では、ボアズが1896年にコロンビア大学で教鞭を取り始めた。イギリスでは、1906年にオックスフォード大学において人類学という新し い学位が導入された。それと時を同じくして、人類学の実践が民族誌(エスノグラフィー)(人びとがどのようにどこで生活しているのかについての拡大研究) として確立された。


歴史を感じる瞬間について

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創設者たち(父なる創設者たち:The Founding Fathers)
8.    建学の父たち
8. 建学の父たち

アラン・バーナードは、著書『人類学の歴史と理論』(2000[2005])において、すべてのモダン人類学の共通の祖先として、フランスの哲学者シャル ル=ド・モンテスキュー(1689-1755)の名前を挙げる。つまり人類学は、1748年の『法の精神』の出版から始まるというのだ。『法の精神』は、 啓蒙運動の産物である。

左上→右上 シャルル=ド・モンテスキュー、ルイス=ヘンリー・モーガン、ブロニスロー・マリノフスキー

左下→右下 エドワード=バーネット・タイラー卿、ヘンリー・サムナー=メイン卿

その後、1860年代にダーウィン主義の展望が開け、ヘンリー・サムナー=メイン卿(1822-88)、ルイス=ヘンリー・モーガン(1818-81)、 エドワード=バーネット・タイラー卿(1832-1917)、そしてジェイムズ・フレイザー卿(1854-1941)といった名高い人類学者たちによっ て、モダン人類学へとつながる知的伝統の輪郭が示される。1871年には、ロンドンに王立人類学協会(RAI)が創設される。フランツ・ボアズ、ブロニス ロー・マリノフスキー(1884-1942)、そしてA.R.ラドクリフ=ブラウン(1881-1955)が民族誌の実践を確立するときには、モダン人類 学はすでに始動している。

・モンテスキュー(→「法の人類学入門」)

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隠された項目(要するに啓蒙主義的系譜の ことです)
9.    隠された項目
9. 隠された項目

マーヴィン・ハリスも同様に、著書『人類学理論の隆盛』(1968)において、人類学の起源は啓蒙主義であると主張する。ドゥニ・ディドロ(1713- 84)、ジャック・テュルゴー(1727-81)、そしてコンドルセ侯爵(1743-94)を含む多くの啓蒙主義者が、建学の父たちのリストに加えられ る。

さらにハリスは、1580年に出版された『食人種について』という小論の著者であるフランスの作家ミシェル=ド・モンテーニュ(1533-92)もそのリ ストに加えようとする。

【台詞】学者(人類学者)「しかし、ハリスは、本文ではないが脚注の中で、『啓蒙主義的思考』とそれに先行した『実際に起こった』については、どんなもの であっても無関係なものとして片付けておるのじゃ」

【台詞】学者(人類学者)「なるほど、ハリスはそうするじゃろうな。その理由を教えてしんぜよう」

☆人類学史(→「日本文化人類学史」)

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ルネサンス期(前項を引き継いで)
10.    リコナサンス(大航海)時代
10. 大探検の時代

モンテーニュは、フランスの博覧会でパフォーマンスするために連れて来られた何名かの南アメリカのインディアン(先住民)に出くわした。その後、モンテー ニュは有名な小論を執筆し、文明の決定的な特質を欠く存在として非西洋の民族をでっち上げた。

モンテーニュの着想は、〈経験〉ではなく推論によって形成されたものであった。彼の憶測は、いわゆる〈リコナサンス時代〉におけるクリストファー・コロン ブスのアメリカ大陸への漂着と、インドへ導かれたヴァスコ・ダ=ガマ以降に見出された〈新しい〉民についての膨大な文献の一部である。

【台詞】クリストバル・コロン(コロンブス)「この時代は、ヨーロッパ人がその地理的視野と知識を劇的に拡大した時代だった」※

【台詞】アメリカ大陸のインディアン(先住民)「そして俺らは大虐殺され、奴隷にされ、大幅な人口減少を強いられたんだ。俺らの存在と歴史なしに、人類学 は存在しえない。これが人類学者たちが認めたくないことなのさ!」

★「先住民性の表象過程のエスノグラフィーとしてのモンテーニュ「人食い人種について」」

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「古きものへの忠誠」 ("Fidelity to the Old")
11.    〈古き時代への忠誠〉
11. 〈古き時代への忠誠〉

ハリスが厳しく非難し除外しようとするのは、マーガレット・ハッジェンの主張である。ハッジェンは著書『16世紀から17世紀の初期人類学』(1964) において、手ごたえのある2つの点を指摘した。

まず第2に、人間の起源、生活様式や多様性についての推論は、古くからあるもので、相互作用し連続している。古代ギリシア、中世の作家、〈リコナサンス時 代〉、モンテーニュ、そしてそれ以外の多くの概念と着想が、啓蒙主義思想と19世紀の人類学の知的伝統に情報を与えこれらを構築している。

【台詞】マーガレット・ハッジェン「そして第2に、このような古臭い推測に折り重ねられた組織化の原理と理論的着想は、何度も蒸し返されて、モダン人類学 のなかで生き永らえているということね」

【台詞】アナザシ「ハッジェンは、これを〈人類学に今なお残る古代への忠誠心〉と呼んだのさ」

ハッジェンが人類学とのつながりを指摘する初期の作品の特徴は何だろうか?1つの要素は、ローマの作家プリニウスが『博物誌』(A.D.77)の1節でそ う呼んだ、〈プリニウスの野蛮人〉への信仰である。『博物誌』は、知られざる世界の縁に暮らす怪物のような人種(犬の頭をした民族や頭のない食人種)につ いての莫大なコレクションを記録したものである。これらの怪物のような人種は、古代そして中世の文学作品の標準的特徴であった。これ以外の要素は、聖書的 な説明の枠組みである。

【台詞】マーガレット・ホッゲン「怪物のような民族への期待は、認められている人類学の歴史が始まった19世紀にはまだ誰もが抱いていて、ベストセラーの 書籍を生み出していたのよ」

【台詞】学者(人類学者)「そして食人種は生き続けているのじゃ」

食人種という見出し(ヘッドライン)を生み出す人類学者の最後の1人が1980年代に確認されている。しかし、人類学者ウィリアム・アレンス(1979) は、互いの共通言語が存在しないときに西洋人が発見しようとしたものが食人種であったと示しつつ、それが西洋人による過度な想像の産物であると説得力を もって主張した。その存在が期待されていたので、どんなに不合理であっても、食人種に関する報告は受け入れられていたのだ。

(原著15ページ)

・Margaret T. Hodgen, Early Anthropology in the Sixteenth and Seventeenth Centuries, 2011.

Margaret Trabue Hodgen (1890–1977) was an American sociologist and author. Hodgen was a professor of sociology at the University of California, Berkeley. Hodgen wrote the highly influential Doctrine of the Survivals, first published as a book in 1936, but originally launched in the journal American Anthropology in 1931. Hodgen completed her doctoral thesis, Workers' Education in England and the United States in 1925.


12
人権の問題
12.    人権という問い
12. 人権という問い

スペイン人の〈新世界〉についての思想研究を専門とする、ケンブリッジ大学の歴史学者アンソニー・パグデンも、同様の議論をしている。
パグデンは、まず最初の重要点を指摘する。1550年にスペインのバリャドリードで開かれ、1570年代まで何度も繰り返された、アメリカインディアンが 人間か否かをめぐってのカトリック教会の公開討論が、人類学的思考と議論が作動するなかでの主要因(パラメーター)であるというのだ。

【台詞】征服者「その起訴案件は、スペイン王国の司祭兼公設史家であったフアン=ヒネス・デ・セプルベダによって示されたんだ」

【台詞】フアン=ヒネス・デ・セプルベダ「我は、古代ギリシアの哲学者アリストテレスを引き合いに出し、非西洋人は生来の野蛮人であるか、そうでなければ 自然奴隷であり幼児であると示したのである」


ドミニコ会の聖職者バルトロメ=デ・ラス=カサス(1474-1566)は、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』として、これと相反する主張を提 示した。ラス=カサスは自身の主張を身をもって知っていた。

【台詞】バルトロメ=デ・ラス=カサス「私は、1502年からアメリカ大陸に滞在しておった
私自身がインディアンの奴隷を有し、彼らを搾取することで富を得ていたのだ。これは、私の著書『インディアス史(1566)』に詳しく記述したとおりであ る」

【台詞】アナザシ「1515年以降、ラス=カサスはその人生をインディアンの権利を弁護するのために費やしたのさ。ラス=カサスの貢献は、専門的職業上の 人類学者たちが行った以上のものだし、これは1950年代や1960年代に人類学者がアドヴォカシーを話題にし始めてからにもいえることだね」 

Anthony Robin Dermer Pagden, 1945-
- The Maya: Diego de Landa's "Account of the affairs of Yucatan" (as editor and translator) 1975
- The Fall of Natural Man: the American Indian and the origins of comparative anthropology
- 染田秀藤『大航海時代における異文化理解と他者認識』溪水社、2017
- トドロフ『他者の記号学』(原題「アメリカの征服」)法政大学出版局. 1982
1 発見(新大陸の発見;解釈学者コロン;コロンとインディオ)
2 征服(勝利の理由;モクテスマと記号;コルテスと記号)
3 愛(理解、掠奪、殲滅;平等か不平等か;奴隷制、植民地主義、コミュニケーション)
4 認識(対他関係の類型学;ドラウンまたは文化の異種交配;サアグンの業績)
エピローグ ラス・カサスの予言

13
イエズス会関連文書
13.    『イエズス会リレーションズ』
13. 『イエズス会報告』

パッジェンは、人類学的フィールドワークの実際の起源は、祖先として認められているボアズとマリノフスキーではなく、イエズス会の宣教師であり、そのなか で も特にカナダで活動していた宣教師たちだと指摘する。つまり、ポール・ル=ジュヌ(1634)、ジャック・マルケット(1673)、そしてとりわけジョセ フ・ラフィット(1724)である。これらの宣教師の活動報告は、年報『イエズス会報告』のなかで発表された。

【台詞】イエズス会宣教師「この年報をとおして、長期間にわたっての先住民との接触と関わり合いから獲得された情報を提示したのです」

【台詞】トーテムポール「この年報をとおして、人間の本性を理解するためにこれらの情報が何を意味するものなのかも検討されたのさ。いわば、人類学そのも のである一般化と比較だね」

【台詞】アナザシ「征服者と宣教師とは…人類学者がそんな起源に口を閉ざすのも無理もないことだね!」

1534年イグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設

The Jesuit Relations, also known as Relations des Jésuites de la Nouvelle-France, are chronicles of the Jesuit missions in New France. The works were written annually and printed beginning in 1632 and ending in 1673. Written as reports for their Order and for helping raise funds for the mission, the Relations were so thorough in descriptions of First Nations and their cultures that these reports are considered among the first ethnographic documents./ Originally written in French, Latin, and Italian, The Jesuit Relations were reports from Jesuit missionaries in the field to their superiors to update them as to the missionaries’ progress in the conversion of various Native American tribes. Constructed as narratives, the original reports of the Jesuit missionaries were subsequently transcribed and altered several times before their publication, first by the Jesuit overseer in New France and then by the Jesuit governing body in France. The Jesuits began to shape The Relations for the general public, in order to attract new settlers to the colony and to raise enough capital to continue the missions in New France.



14
西洋思想の主潮
14.    西洋思考の主潮
14. 西洋思考の主潮

学問(ディシプリン)としての人類学の従来型の歴史を見事に修正したのは、ホッジェンとパジェンに共鳴する人類学者ウィリアム・Y・アダムス(1927- 2019)である。アダムスは、西洋思考の〈主潮〉、つまり〈意識されている理論の段階(レベル)のその下〉で作動する考えに目を向ける。

【台詞】アナザシ「これらの主潮は、人類学がどこからやって来たのか、人類学とは何なのかを説明するものなのさ」

●進歩主義
 どんな歴史の時点で取り上げようとも〈野卑で理性に欠く存在〉から西洋近代へという登りエスカレーターのように進歩するということと、人類の文化の歴史 を同定する思考であり、いつも頂点にあるのは西洋近代であるという思考。

●未開主義
 進歩主義と相反する思考で、未開の単純性へのノスタルジーと、文明によって救済される者がゼロではないとはいえ、人類はその始まりの時点から下降を続け ているとする退化の概念を含む思考。

●自然法
 何度も繰り返される行動ではなく、コードと行動の事前の書き込みと、すべての民族、自然の一部(たとえば起源の生物学的側面)ないし神(たとえば起源の道 徳的、文化的側面)の意図に共通する規制が存在するという思考。(→「自然権」)

●ドイツ観念論
 精神(歴史の実質)と身体(自然の実質)という二元論に基づく思考。

●〈インディアノロジー〉
 いずれも人気のある、アメリカインディアンについてのイデオロギー(特に高貴な未開人に関するさまざまなイデオロギー)と、他者の他者性を中心とする主要 な研究分野。

William Y. Adams, 1927-2019, "Adams's work in Nubia began in 1959 as part of the UNESCO archaeological salvage campaign to excavate sites threatened by the rising flood waters of Lake Nasser following the construction of the Aswan Dam.[William Y. Adams (December 31, 2009). The Road from Frijoles Canyon. University of New Mexico Press. p. 371] Over the course of the next seven years he excavated a number of medieval sites in northern Sudan, including the pottery factories at Faras. By analyzing the changing proportions of broken potsherds in the fill, Adams was able to establish a typology of Nubian pottery that could be used to date excavation levels.[William Y. Adams (February 1986). Ceramic Industries of Medieval Nubia. University Press of Kentucky. p. 663.]"

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伝統の連続性
15.    伝統の連続性
15. 伝統の連続性

哲学のこのような主潮は、連続する伝統であり、理性に関する西洋の歴史を結び合わせるものである。これらの動向は、古代の起源、中世からルネッサンス、啓 蒙運動、ヴィクトリア朝時代の想像力、そしてモダン、さらにはポストモダンの時代をずっとつなぐ関連性を提供している。

【台詞】聖職者→「19世紀おこなわれる議論そのものが、聖書のストーリーになぞらえて解釈されるという事態がおこったのじゃ。その聖書のストーリーは、 ぼんやりとあるいはそれ以外の形で、あるいはその反対の形で、世俗的で理論的な概念と用語をつかって繰り返し登場するのじゃ」

【台詞】人類学者→「新しい様相に再利用され、用語も一新されたとはいえ、哲学的なルーツは今もモダン人類学のなかで認識することができるのである」

・理性:Reason is the capacity of consciously making sense of things, applying logic, and adapting or justifying practices, institutions, and beliefs based on new or existing information. It is closely associated with such characteristically human activities as philosophy, science, language, mathematics, and art, and is normally considered to be a distinguishing ability possessed by humans. Reason is sometimes referred to as rationality.

・伝統:Tradition is a belief or behavior (folk custom) passed down within a group or society with symbolic meaning or special significance with origins in the past. A component of folklore, common examples include holidays or impractical but socially meaningful clothes (like lawyers' wigs or military officers' spurs), but the idea has also been applied to social norms such as greetings. Traditions can persist and evolve for thousands of years—the word tradition itself derives from the Latin tradere literally meaning to transmit, to hand over, to give for safekeeping. While it is commonly assumed that traditions have ancient history, many traditions have been invented on purpose, whether that be political or cultural, over short periods of time. Various academic disciplines also use the word in a variety of ways.

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派生したマイナーな風潮
16.    派生したマイナーな風潮
16. 派生したマイナーな風潮

アダムスは、〈マイナーな風潮〉も明らかにしている。これらは劣っている訳ではなく、主潮からの派生であり応用である。

●合理主義
 人間の理性に順応し、理性によって理解することのできる法によって、秩序ある世界が統治されているという考え。

●実証主義
経験主義つまり観察と帰納ないし演繹から成る方法論に対する広義の通称。

●マルクス主義あるいは弁証法的唯物主義
 明らかに進歩主義の一部である、自称のイデオロギーであり〈セクト〉。マルクスとエンゲルスは、イロコイインディアンの研究で最もよく知られるアメリカの 人類学者ルイス=ヘンリー・モーガン(1818-81)の業績を自らの思考の基盤とした。

●功利主義と社会主義
 イギリスの独特な改革主義の学派で、過去への関心よりも未来に焦点を当てた社会変革のためのアプローチ。

●構造主義
 観察者によって押しつけられたものではない、構造化された世界、あるいは自然の秩序における原初的で一貫した構造があるという考え。構造は、したがって世 界である。これは自然法の派生である

●ナショナリズム
 過去3世紀に支配的な西洋のイデオロギーであり、人類学とその他の社会科学の国ごとの伝統を方向付ける。

【台詞】アナザシ「大事なことを1つ言い残してしまったよ。大親分(大きなエンチラーダ)を!」

William Y. Adams,

big enchilada, la gran enchilada の意味はビッグイシューという意味(口語です)。スペイン語の用例をみてみましょう。


17
帝国主義
17.    帝国主義
17. 帝国主義

帝国主義は、搾取のための実践的戦略つまり理論よりも実践の分野であり、西洋思考が作動するイデオロギーの枠組みである、と言い表すのが最も適切だろう。 人類学者にとって対象となる植民地の民族は、研究のための、比類なき〈彼らの民族〉である。イギリスの人類学者アーネスト・ゲルナー(1925-95)に よると、植民地とは人類学が研究のために独占した〈予約済みの実験室〉である。

【台詞】アーネスト・ゲルナー「アメリカ合衆国では、実験室がすぐに手の届くところにあったのだ」

【台詞】アーネスト・ゲルナー「人類学者が夏の間に訪問することができるよう、ネイティブアメリカンを都合よく閉じ込めた保留地さ」

★「帝国主義的ノスタルジー

「人類学者や支配的な民族や統治者だけが、先 住民や研究対象を名指すだけでなく、「被支配者の側にも支配者をエスニシティや人種 として名指す行為」がある。なぜ、被支配者の側にも、それがあるのか? その多くは対抗的行為と言われ、また両者の間にはコロニアルな構造がいまだ継続中 であるからだ。太田好信(2017:20)はこのことを 指して、人種やエスニシティとは、自然界や社会的な違いによる客観的な分類とは言えず、それらは「政治的分類」であると指摘する。ジュディス・バトラーら のフェミニズムの議論に 引きつけて言うと、セックスやジェンダーもまた、自然や社会的な違いによる客観的分類ではなく、セックスやジェンダーは政治的分類概念なのである」名指す人類学から「名指しから反省する」文化人類学

18
人類学の複雑性
18.    人類学の加担
18. 人類学の加担

人類学者は、植民地執行官を訓練した。役に立つ情報は何も得られなかったと執行官からは批判されたとはいえ、人類学者は彼らに報告も行った。

【台詞】植民地執行官「人類学者が我々に役に立つことを伝えたことは、これまで一度もなかったんだがね。だとすれば、何が新しいというのかね」

【台詞】アナザシ「人類学者がどれほど積極的に植民地主義に加担したかについては、多くの論争があるんだよ」

タラル・アサドは、彼の有名な編著『人類学と植民地的出会い』(1973)において、人類学が〈植民地主義の下働き〉という役割を果たしていたと指摘し た。帝国主義のイデオロギーは、人類学を生んだ知的かつ哲学的なルーツと同じものによって支えられており、これらを共同の仲間としたのである。人類学が植 民地主義をつくり出したわけではないものの、人類学の起源は確かに植民地主義と一緒におこった現象である。

★タラル・アサドの宗教人類学

「ポストコロニアルとは、ポスト(後の、という時間的 概念)、コロニアル (植民地的、という空間的ならびに精神的概念)という造語法によるできた言葉で、植民地主義以降の、あるいは脱植民地状態(コロニアルな状況の後に/終焉 後の)という意味がある」ポストコロニアル)

19
倫理の違反
19.    倫理の冒涜
19. 倫理の冒涜

より近年では、東南アジアでのアメリカ合衆国の新帝国主義的な紛争に関する軍務のなかで、人類学者は詳細な情報を収集した。すなわち、人類学内部での倫理 の再検討を必要とするスキャンダルであった。

【台詞】植民地執行官「人類学者たちは、企業の帝国主義的な業務にも貢献しているぞ」

【台詞】植民地執行官「あいつらは、マクドナルドのようなグローバル企業に対して、現地の人びとについての〈民族誌的報告〉を提供しているんだ」

★フィールドワーク研究の倫理
★ 植民地的想像力

「1970 年代初頭におこなわれた、山口昌男と本多勝一の論争ほど、私にとって当時も今も虚しいものはない。私は、大学に入学して山口昌男の論集 『人類学的思考』(筑摩書房版)に魅了され、『知の遠近法』『文化と両義性』さらには『本の神話学』に魅了されていった。しかし、私は高校生か大学予備校 時代に『思想の科学』において本多勝一の人類学批判を先に読んでおり、山口昌男の反論(=あえてて単純化すれば、自分は調査される側の迷惑や困惑を乗り越 えてあえて文化相対主義の立場に立つのだ)は、どう考えても分が悪く、あげく本多が属している朝日新聞を所詮体制側の大新聞(これは全共闘用語で「ブル新 [=ブルジョア新聞])と言いすてるやり方には、非常に違和感を覚えた(ことを覚えている)」山口昌男と本多勝一 論争の〈深層〉について)

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ルーツに戻ると・・
20.    ルーツへの回帰
20. ルーツへの回帰

ここまでのところで、人類学の従来型の歴史を支える哲学的ルーツを見てきた。これらは、人類学が依拠し、どのように作動するのかを方向付けた基盤である。 これらのルーツと、モダン人類学の系譜、そして4つの学術的ディシプリンの分派とを結び合わせるために必要なのは、以下のものである。

1つの特徴:〈未開〉

2つの理論:進化主義と伝播主義

1つのイデオロギー:人種

アナザシ「つまり、俺に戻って来るんだよ!」

★人種
★イデオロギー

「文化人類学とは、人間につい て、「文 化」という概念を中心に、経験的な調査法(=おもにインタビューと参与観察)を動員して、〈他者〉と〈他者がおりなす社会〉を観察し、そのことを 具体的に考察する学問分野です。人類学者が考える文化の概念がきわめて多義的であるとともに、人間の生活一般におけるもろもろの 現象を包摂するものであったために、文化人類学はきわめて学際的な学問であることが特徴です」文化人類学とは?)

21
必要不可欠な未開
21.    必要不可欠な未開性


21
22
必要不可欠な未開
発明創発/でっち上げを思い描いて
21. なくてはならない未開性
22.    創造についての推論
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21. なくてはならない未開性
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人類学の知的伝統は、イギリスの人類学者アダム・クーパーが『未開社会の発明:幻想の変容』(1988)と呼んだものとともに1860年代に具体化する。 〈未開人〉は、合法的かつ決定的な研究の目的であり、そのために専門的職業としての人類学がつくり出された。

【台詞】学者(人類学者)「要するに、未開人なしに人類学を理解することは不可能ということじゃ」

【台詞】アナザシ「今や連中は、俺のことを何と呼べばいいのか、俺無しでどうすればいいのかがわからず、苦境に立たされ、無駄な努力を試みているんだよ」

【課題】あなたが感じる未開[な]( primitive)や野蛮人(savage)を整理してみましょう

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22. 未開概念の発明についての推論
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未開概念の発明は、意識された構築的な行為である。それは、未開と文明を生得的地位と獲得的地位として区別し特徴付けたヘンリー・サムナー=メイン卿 (1822-88)に始まる。

【台詞】ヘンリー・サムナー=メイン卿「社会は、〈社会契約〉ではなく、家族と、家族を中心とする親族集団にその起源を持つのである」

親族の起源と未開状態の思想は次のような人たちにより考えられそして展開された;すなわちチャールズ・ダーウィン(1809-82)の隣人であり友人であ り、かつ支援者でもあったジョン・ラボック(1834-1913)、スコットランドの法律家ジョン・マクレナン(1827-81)、アメリカ合衆国のルイ ス=ヘンリー・モーガン(1818-81)、以上は、彼全員、政治家であり安楽椅子の人類学者だった、そして、スイスの判事だったJ.J.バッハオーフェ ン(1815-87)である。

・社会契約とはなにか?説明してみましょう。
・参照「社会契約論」

23
何が最初に人類に到来したか?
23.    何が最初にあったのか?
23. 何が最初にあったのか?

マクレナンとモーガンとは宿敵であった。彼らは活発に議論した。

【台詞】マクレナン「食糧不足が、女性殺しの原因となったのだ。女性不足が、一妻多夫制と妻を確保するための男性による女性狩りの原因をつくったのであ る」

【台詞】モーガン「ばかばかしい!妻狩りが先に行われており、私が研究する現存のインディアン社会の親族用語のなかでも、この〈男の歴史〉が存在し続けて いるのだ」

【台詞】アナザシ「こいつらはどのようにしてそれを知っているのかな?もっと端的に言うと、19世紀のこれらの特権階級の男の人類学者たちの着想が、なぜ 今日のフェミニスト人類学のなかで思い出されているのかな?」

・なぜ初期の進化主義人類学者たちは、未開人には社会契約がなくて、社会のなりたちの基本は、その《家族》にあると考えたのでしょうか?
・参照:「婚姻・家族・親族」「親族名称」

24
生きている残存物=遺風(Living Relics)
24.    現存する遺風
24. 現存する遺風(生きている化石)

原始的乱婚、父系制に対する母系制の優位性、父権制に対する母権制の優位性によって、未開人は定義された。これらの特徴は、現代の未開社会において現存す る親族実践にも見出すことができる。未開人の特徴(現存する諸民族との同一性)と人類学という専門分野は、この推論による構築に始まる。
未開概念は、エドワード=バーネット・タイラー卿(1832-1917)によって展開された。

【台詞】エドワード=バーネット・タイラー卿「私が収集し分類した活動とは、〈残存〉と〈過去の遺物〉という考えに基づくものだ」

【台詞】古代ブリトン人「これは古い考えで、古代ブリトン人を説明するモデルとしてアメリカインディアンが利用された1580年代に初めて表面化したもの だったのじゃ」

タイラーもまた、現存する〈未開人〉を人類という存在の初期ステージの遺風であると捉えた。

・なぜ初期の進化主義人類学者たちは、未開人には社会契約がなくて、社会のなりたちの基本は、その《家族》にあると考えたのでしょうか?(承前)
・参照:「エドワード・タイラー」

25
肘掛け椅子からの眺め
25.    肘掛け椅子からの眺め
25. 安楽椅子からの眺め

『金枝篇:呪術と宗教の研究』(1890; 1907-15に加筆)の著者ジェイムズ・フレイザー卿(1854-1941)は、未開人の精神、宗教、呪術そして神話を構成する要素を立証した。

【台詞】ジェイムズ・フレイザー卿「私は、名誉職に過ぎなかったとはいえ、1907年にイギリスにおいて最初に〈社会人類学教授〉という肩書を持った者 だ」

・ジェイムズ・フレイザーに代表されるアームチェア人類学者とは、今日でいうところの「座学の文化人類学者」といえますが、これに対抗する概念や表現とは何でしょうか?
・参照:「ジェイムズ・フレイザー」

26
進化主義の諸理論
26.    進化主義の諸理論
26. 進化主義の諸理論

西洋の知的伝統における社会思想は、常に進化主義的であった。社会進化の階層は、黄金→青銅→鉄という3つの時代についてのギリシア思想に由来する。

【台詞】古代ギリシア人「我々にとって、これは退化と堕落の図式だったのじゃ」

【台詞】クリスチャン・ユルゲンセン・トムセン「(古代ギリシアの図式とは異なり)反対に、これは、石器、青銅器、鉄器という、〈三時代区分法〉による進 歩の図式なのである」

【台詞】人類学者「1836年頃のデンマークの考古学者クリスチャン・ユルゲンセン・トムセン(1788-1865)がこの進歩主義的な考えを提案したの じゃ」

 啓蒙主義の伝統によって、特にスコットランドの作家アダム・ファーガソン(1723-1816)の作品のなかで、現存する社会と消滅した社会、その両方 の社会的かつ政治的な構造と上述の段階とが同定された。それは野生・野蛮・文明の3部から成る階層をつくるためであった。未開の特徴は、この広く受け入れ られていた図式にただただ当てはめられた。

・学説的にみると生物進化論よりも社会進化論のほうが先に出てきたと言えます。つまり、ダーウィンは進化論を「科学」にしたと評価されています。
・さて生物進化ではないほうの「社会進化主義」とはどのようなものでしょうか?説明してみましょう
・参照:「バンド・部族(トライブ)・首長制・国家」「文化進化論に関する議論」

27
生物なるものと社会なるものを統合する
27.    生物学的理論と社会的理論の統合
27. 生物学的なるものと社会(学)的なるのものの統合

ダーウィンは、進化論を発明したわけではない。彼は、生物学的進化という限定的な理論を紹介したにすぎない。生物学的進化論は、生物学的な考えと社会的な 考えとを統合することで、すぐに支配的なパラダイムとなり、進化論という概念の威力を生み出した。
熱烈な社会進化主義者であったハーバート・スペンサー(1820-1903)は、ダーウィンよりも以前に人類の生物学的理論を探求した人物であった。スペ ンサーは、人類学の正統な祖先とみてよいだろう。

【台詞】ハーバート・スペンサー「なぜならダーウィンの関心は、生物学的なものと社会的なものとを一つの理論的分野に統合することにあったたからだ」

【台詞】学者(人類学者)「〈適者生存〉という用語はスペンサーによってつくられ、ダーウィンによって応用されたのじゃ」

すべてのモダン人類学は、多かれ少なかれ進化論的である。一般化、分類、類型化はいずれも、進化論的な考えと階層的な関係を暗示的ないし明示的に思い起こ させるものだ。

【台詞】学者(人類学者)「社会変化、変容、発展もまた、進化論的概念を伴う考えじゃな」

・チャールズ・ダーウィンは、現代社会のなかで重要な人物だと言われています。私(イケダ )の青年時代には、ダーウィン・マルクス・フロイトという3人の「偉大な思想家」について標語のように論じることが「常識」だったこともあるのです。
・皆様にとって、ダーウィン、マルクス、フロイトは、どんな人でしょうか?自由に話し合ってください。
・参照:「若き日のチャールズ・ダーウィン」「チャールズ・ダーウィン, 1809-1882」「ブルーノ・バウアーを批判するカール・マルクス」「心理人類学の流れ」「モダン人類学」

28
伝播主義の理論
28.    伝播主義理論
28. 伝播主義の理論

伝播とは、1つの文化、人びとないしは場所の、あるところから、別のところへの伝達のことである。伝播の本質は、接触(コンタクト)と相互作用(インタラ クション)である。これはとても古い考え方である。聖書の説明で、16世紀から17世紀にかけて、盛んに発達した説明の方法の多くは、伝播主義的である。

【台詞】学者(人類学者)「バベルの塔の崩壊と共に人類が分散したことが、すべての民族間の遺伝的(つまりは生物学的かつ社会的伝播)つながりを提供する のじゃ」

【台詞】学者(人類学者)「伝播は、言語研究の発展も下の方から支えておるな」

オリエンタリスト(東方学者)のウィリアム・ジョーンズ卿(1746-94)によるインド・ヨーロッパ語族についての研究と、イギリスに定住したドイツの マックス・ミュラー(1823-1900)の研究に特にこの伝播主義は顕著である。ミュラーは、歴史比較言語学を進めただけでなく、すべての人間性は同じ 精神構造(メンタリティ)を共有するという考えの支持者でもあった。言語学は、社会理論とりわけ人類学に重要な影響を及ぼしてきた。

伝播主義は、ミュラー以外のドイツの学者たちの最も重要な論題でもある。フリードリヒ・ラッツェル(1844-1904)は、世界を2つの文化圏に分けた 最初の人物である。彼の研究はタイラーに影響を与えた。レオ・フロベニウス(1873-1938)とフリッツ・グレーブナー(1877-1934)のクル トゥールカイゼ(Kulturkreise)あるいは〈文化圏〉という概念は、ボアズに重要な影響を及ぼした。
英国では、グラフトン=エリオット・スミス卿(1871-1937)とウィリアム・ペリー(1887-1949)の著書『太陽の子どもたち』(1923) のなかで、高度な伝播主義として定式化されている。彼らは、太陽崇拝の古代エジプト人がすべての文明の起源であるという理論を前面に出した。また、スミス とペリーは、独自性の信用の証として、聖書に書かれているヘブライの家父長制をエジプトのそれに置き換えた。そして、それまで優勢だった社会進化論に対抗 する後衛の活動としてより伝播主義をさらに推し進めたのだった。

・文化がとなりの民族集団に伝わり、さらにまた隣の民族集団につたわり、広域的=鳥の眼でみると、ある地域的広がりのなかで文化的要素は共通しているとい う見方である伝播主義とは、とても「わかりやすい理論」ですが、逆に専門家でも、この伝播主義がドグマになり、自分たちが研究している文化には、どこかに 「起源」があると妄想するようになり、その起源探しに専念します。
・このような妄想的科学の議論に2つあります:ひとつは「日本国の起源」論もうひとつは「日本人の起源」論。このような疑似科学の何が誤りなのか、ひとつ づつ、この妄想を抱く連中がもっている「論証したという論理」を論破して、この2つの論は「なぜ慎重に議論しなればならないか?」について論じてくださ い。
・参照:「オリエンタリズム」「ミッシェル・フーコーの権力論」

・ラッツエルの2つの文化圏説とは、(1)文化が広がる地域と、(2)文化そ のもの、つまり抽象的な文化の域圏を区分した。例えば(1)は「琉球文化」のように琉球語が話される島嶼で区切られている領域のことを、(2)は「照葉樹 林文化」説のようにヒマラヤ、東南アジア北部、雲南から江南さらに東進して西日本まで広がるが、焼畑、陸稲、餅、納豆などの食物利用や漆器や鵜飼など生活 技法がそのまとまりのなかで見られる領域である。

29
人種の詐欺(The Race Spindle, 人種という名の詐欺、てな意味で しょうか?)
29.    人種というペテン
29. 人種というでっちあげ

未開人は、他の人種から区別することができなかった。「他の人種」(という概念)は、未開人の概念を定義し、〈未開状態〉の研究手段を提供した。文明は、 白い人種が優越するように発達した唯一の「環境(メディウム)」を表す用語であったが、他のすべての人種は、社会進化論と人種的な階層における野生的で野 蛮に満ちた初期のレベルに留まっていた。

【台詞】アナザシ「つまり、ある時点で俺自身の歴史や創造する力、変化のための能力を俺は失なわれたんだな。すべてが基本的にでっちあげられた《私たち- -彼らたち》だったんだよ」

【台詞】アナザシ「19世紀の未開の発明(インベンション)は、人種主義で溢れていたのさ。人種主義は、帝国主義を正当化し、それを支えるものだったんだ よ」



Civilization was a singular term for the unitary medium through which the white race had risen to prominence, while all other races were left stalled at earlier levels of the evolutionary and racist hierarchy of savagery and barbarism.


現代人類学は、人種概念との争いから始まる。それは、人種主義をその知的起源のなかで糾弾し、人種主義の数々の起源を提供した圧倒的多数の人種主義者の作 品を疑問視する。

【台詞】現代人類学者「しかし、私は、未開という過去の人類学者たちによる発明の重荷というものを、まぁ何があっても、背負わされているのだ」

【台詞】アナザシ「存在しなかったということを装っても、消えてなくなりはしないよね。現代人類学者は、祖先が誰であるのかをただ忘れ去りたいんだろう ね」



Modern anthropology begins in contention with the concept of race. It denounces the racism in its intellectual origins and discounts the overwhelming mass of racist writing that informed these origins.

・参照:「人種」「人種差別」

30
フィールド研究
30.    フィールド研究
30. フィールド研究

歴史の時代と専門的職業としての現代人類学を切り分ける境界線は、憶測から経験科学への移行である。

【台詞】ブロニスロー・マリノフスキー「人類学のあらゆる学派にとっての実質的な共通基盤は、文化の科学的研究だ」

これは人類学をどこで行うか違いなのだ。つまり、アームチェア、哲学者の象牙の塔、植民地のベランダから離れ、〈未開〉の人びとが暮らすフィールドへと足 を踏み入れるのである。

フィールドでは、経験主義的な探究によって、新たな経験的証拠がもたらされることがある。このことが、異なる文化を説明し、単なる憶測ではない人間の類似 性と差異の比較を可能にすることになる。

【台詞】アナザシ「ある1点を除いて、連中が俺らに信じて欲しいのはこのことさ。その1点とは何か、説明してみてよ!」

人類学者をフィールドまで連れていった、理論と体系化の原理は、その人類学者の祖先たち——よく知られているものもそうでない祖先の両方——から受け継が れているものである。

・文化人類学のフィールドワークにおける「フィールド」とは何か?そして「ワーク」とはなにか?
・参照:「フィールドワーク」「文化人類学者とは何をしているのか」

31
人類学の樹
31.    人類学の樹
31. 人類学の樹

人類学を形づくる研究分野は4つある。

【台詞】学者(人類学者)「アメリカ合衆国のほとんどの大学では、これらすべてを学生に紹介するのである。だがイギリスではそのようにする大学はほとんど なく、その代わりに社会人類学だけに集中させるのだがな」

かなり多くの人類学者は、社会人類学の分野で仕事をしている。アメリカ合衆国では、人類学を文化人類学ないし民族学(ethnology)と呼ぶ。民族学 は、イギリスの人類学者が人類学が大学での学問(ディシプリン)になる以前に用いていた名称である。
社会人類学か文化人類学かという下位の領域の名付け(naming of parts)は、イギリスとアメリカ合衆国それぞれの国の伝統(national tradition)の具体的な成り立ちによるものなので、それは歴史的遺産と言える。各国の人類学は、それらの国々の独自の強調の違いとそれぞれ異なっ た命名法があるのだ。

★人類学のすすめ

★先住民と四分類人類学

・ フランツ・ボアズが考えたと言われる「四分類人類学」は、最初から人類学のアルファーでありオメガであると考えていたというわけでなく、ボアズのフィール ドワーク経験がそれを培ったと言えます。初期のアメリカのフィールードワークを重要視した人類学者が、この4つの分類にどうしてこだわったのか、考えてみ ましょう。
・参考:「人類学のすすめ」「先住民と四分類人類学」

32
自然人類学(Physicalであって Naturalぢゃないよ〜)
32.    形質人類学
32. 自然人類学

自然人類学(形質人類学ともいう)は、人の人種の研究から始まった。測径器を手にした人体計測学者は、頭のサイズを測り、これを分類するという、彼ら好み の仕事に着手した。

【台詞】自然人類学者「そして墓場から頭骨を盗んだのじゃ。そこのところお忘れなく!」

その目的は、形質的が示す人種の違いを証明し、人間の起源と文化的多様性についての人種主義的理論を擁護することだった。

★人類学

・参照:「自然人類学」

33
多元発生説《対》単元発生説
33.    多元発生説vs単一起源説
33. 多元説〈対〉単元説

形質人類学の大きな論争は、多元説論者と単元説論者との間のものであった。多元説は、異なる「人種」の起源をそれぞれ異なる祖先に求める。これは、アメリ カ先住民の起源を説明するために考案発達したものであり[アメリカ先住民と白人が同じ祖先から由来したことを嫌う]アイザック・ラ=ペイレール(1594 -1676)によって最初に着想されたものである。

【台詞】未開人の奴隷「この論争は、19世紀に、特にアメリカ大陸での奴隷制をめぐる論争のなかで激しく再燃したんだよ」

【台詞】未開人の奴隷「聖書の説明は単元説だね」

【台詞】聖職者「アダムとイブは、すべての人類の祖先なのじゃ」

ダーウィン主義の(自然淘汰による組み換えを伴う出自仮説である)人間進化モデルは単元説である。理論としてのダーウィン主義の成功により、自然人類学は 人間の進化についての研究に変わっていった。

・参照:「人種単元論と人種多元論」

34
人間生態学と遺伝学
34.    人間生態学と遺伝学
34. 人間生態学と遺伝学

自然人類学には分類研究が含まれる。つまり、それは霊長類(猿)と現代人の歯列の違いから比較解剖学と比較生理学までにおよぶ。人間生態学と遺伝学は、ど ちらも自然人類学の分野に含まれる。

【台詞】学者(人類学者)「人間生態学は、異なる環境条件下でのホモ・サピエンスの適応反応を研究するのじゃ」——そして——「疾病生態学、栄養学、人口 学の研究もするのじゃ」

人類学における遺伝学は、異なる「人種」※集団の遺伝的多様性に関わっていたが、やがて、この研究は生物遺伝学(biological genetics)の成長によって人気を失っていく。

※訳注:人種の概念は学問的に否定されているので、ここでの「人種」は、人の集団の表面的な違いのことを指している。

・参照:「生態人類学」「人間生態学」「医療人類学徒のための生物学入門」「エピジェネシス」

35
社会生物学の隆盛
35.    社会生物学の隆盛
35. 社会生物学の隆盛

自然人類学は、人種主義との関連性が指摘され、そして現代生物科学の台頭もあり、やがて時代遅れとなった。しかし、1970年代から1980年代にかけ て、人間行動の遺伝的基盤の研究である社会生物学の発展をとおしてに再び大流行した。

【台詞】アフリカの男性「人類学における社会生物学の関わりと意味は、主要な現代論争の主題となっているんだね」——そして—— 「つまり、それは望んで いない歴史のすべてが自らにはね返ってきてるんだな」

・参照:「社会人類学」

・「いわゆる「氏か?育ちか?論争」と言って、社会生物学は人間の本性が遺伝子によって決まると主張するのに対して、迎え撃つ人類学は文化の学習という後天的要素を考えるべきかと反論する。」

36
遺伝子理論における人種の再焦点化
36.    遺伝子理論のなかで再焦点化される人種
36. 遺伝子理論により再び注目される人種

遺伝子中心理論は、19世紀の未開思考の多くを呼び起こす。それは人種の新たな再編成をうながす行動決定遺伝子という理論を伴って登場したからだ。初期人 類の行動モデルは、動物行動のひとつだとみなされているからだ。

【台詞】学者(人類学者)「アフリカの砂漠において発生する〈進化的適応の環境(EEA)〉に関心が持たれているからじゃ」——そして——「伝播主義を色 濃く影響を受けた人類の進化についての研究に〈アフリカ起源〉論がある」

・参照:”What is a gene?” - MedlinePlus- Help Me Understand Genetics.
- What is a cell?
- What is DNA?
- What is a chromosome?
- How many chromosomes do people have?
- What is noncoding DNA?
オリジナルリンクがあるページは下線でリンクします。

37
初期の人類学との別の関連性(リンク)
37.    初期人類学との他のつながり
37. それ以外の初期人類学との繋がり

遺伝子は集団(個体群)のなかで研究される。人口集団の最重要課題は、交配と生殖のコントロールである。「未開社会」概念と未開の特徴を構築するために最 初に利用されたのが、家族であり親族であったのはまさにこのためなのだ。

【台詞】アナザシ 「どうりですべて親しみやすく聞こえるよね!」

【台詞】アナザシ 「でもそれだけじゃない…」

これ以外の類似性は、進化論的適応の環境が、先史時代に起こっているということにある(もっとも、それは自由に想像する便利な領域なのであるが)

・参照:「人類の進化[※科学人類学的な検証が必要なので現時点では無責任にリンクを張っています](Human evolution)」ウィキペディア)

38
考古学と物質文化
38.    考古学と物質文化
38. 考古学と物質文化

考古学と人類学では、文化と社会の起源、そして文明の発達を説明するという共通の関心をもっている。物質文化は、それぞれの社会の財の生産技術や生産手段 について人類学者が研究する分野である。この分野は、陶器をつくる技術からラクダを去勢する50の方法までのあらゆる技術に関する研究である。

【台詞】学者(人類学者)「物質文化研究は、民族誌的平行性(ethnographic parallel)によって考古学へ大きな影響を与えているのじゃ」——そして——「今は亡き社会の物質的残存物についての有意義な解釈を提示するため に、現存する社会における社会行動を利用するということじゃ」

【台詞】牧畜民の男性「その社会生活を再構築するためのモデルを創造するんだね。聞き覚えがある馴染みのあることなぁ!」

・参照:「考古学(まだ未製作)」「さまざまな〈ブンカ〉」

39
人類学的言語学
39.    人類学的言語学
39. 人類学的言語学

19世紀から20世紀のほとんどの間、言語学と人類学は、人類学と考古学と同じような関係を結んでいた。つまり、言語とその歴史的発展との関連性を解明す べく、馴染みのない外来の言語を研究するという共通の関心を共有していた。

【台詞】ノーム・チョムスキー「当時の言語学は、変形と生成の諸理論(transformational and generative theories)により大きな革命を経験したのだ」

【台詞】学者(人類学者)「とりわけノーム・チョムスキー(1928-)は、すべての言語の根幹をなす基礎つまり〈普遍的文法〉の発見を目標としたの じゃ」

そこでは、人類学者は言語学の概念と理論を使っている。このような言語学モデルは、社会をコミュニケーションの体系と見なす構造主義者たちや、言語を思考 様式の基盤だと考える認知社会人類学者によって、文化・社会行動のモデルとして使われている。

・参照:「言語人類学」

40
社会/文化人類学
40.    社会/文化人類学
40. 社会人類学あるいは文化人類学

「社会」人類学であろうと「文化」人類学であろうと、それらは(どんなものでも理論化する)グランドセオリーの中の学問分野の諸領域である。そこには、文 化的多様性の研究、文化的普遍性の探究、機能する全体としての複数の社会の研究、社会構造の研究、象徴(symbolism)の解釈、その他多くの研究が 含まれる。

【台詞】【文化】を手に持つ学者(人類学者)「社会ないし文化人類学にとって、唯一無二の最も重要な概念は、もちろん、文化じゃ」

・参照:「社会人類学」「民族学」「民俗学」「文化人類学」「記号・表象・象徴」

41
文化とは何か?
41.    文化とは何か?


41

42
文化とは何か?

専門領域への細分化 (Increasing Specialization)
41.    文化とは何か?

42.    専門領域の増加
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41.    文化とは何か?
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アメリカ合衆国の文化人類学とイギリスの社会人類学との主なちがいは、人類学者の研究対象である「全体」としての文化に焦点を当てているのか、あるいは文 化がそのなかではたらく「全体」としての社会、その構造や組織に焦点を当てているのかの違いである。大西洋の両側で、文化についての莫大な定義が存在す る。1952年にアメリカ合衆国の優れた人類学者アルフレッド.L.クローバー(1876-1960)とクライド・クラックホーン(1905-60)が (それまでの学者が使ってきた)100を超える定義を引用している。

【台詞】学者(人類学者)(E.B.タイラー著『未開文化』を開きながら)「とはいえ、すべての人類学者に馴染み深いのは、『未開文化』(1871)のな かでのE.B.タイラーによるものは、正典となる定義であろうな」

【台詞】エドワード=バーネット・タイラー卿「文化とは、人が社会の構成員として獲得する知識、信念、芸術、法、道徳、慣習、あらゆる能力や習慣を含む、 すべての複合的全体なのである」

タイラーにとって、文化は単数形の用語である。つまり文化は、単純なものから複雑なものへという進化論的進歩において、すべての人間社会がそのなかで発展 する領域であった。

専門的職業学問としての現代人類学は、複数形の文化(それぞれの独自の言葉で、理解されなければならない複数形の生のあり方)という思考から始める。

【台詞】アナザシ「今日、文化という概念は、ヘンリエッタ・ムーア(1957-)がそう言うように…」

【台詞】ヘンリエッタ・ムーア「権力のフィールドのなかにある、異議を唱えられる表象と抵抗からなる一連の場所ね」

アメリカ合衆国の人類学者ロイ・ワグナーは、「文化の核は……精神から精神へと直接的に伝達することはできないが、引き出され、輪郭を示し、描写すること はできる心象と類似性の、首尾一貫した流れである」と主張する。さらに、文化的意味は、集合的な表象の不変的システムであるというよりもむしろ、「絶えず 続く、絶え間ない再=創造からなる流れの中に生きている」という。

・文化の定義にまつわる役に立つ知識のティプス

1)文化人類学者の文化の定義は、E.B.タイラーのもの(左参照)が使われやすいです。しかし、タイラーそのものは人類学の創始者の一人だがその学説は 進化主義人類学というパラダイムでもはや時代遅れと言われることが多い。つまり、文化の定義だけが残り、他のタイラーの学問上の貢献は軽んじられる傾向が あります(また、そのような理由も明確です)

2)文化の語源は、17世紀ぐらいにラテン語から導入された「栽培」「つくりあげるもの」ですが、啓蒙思想の陶冶(とうや)の概念とよく似ており、タイラーも文化相対主義的に、その思想を引き継いでいる可能性があります。

3)文化を区分する専門家の間には、人類文化の共通普遍性を強調する単数形の文化(culture)と、複数形の文化(cultures)の文化を使い分 けるやり方があります。後者の複数形の概念は、多文化主義(multiculturalism)という政治思潮のなかに息づいています。

4)文化を含めて「ある概念の使用には、その言語にまつわる政治権力的ニュアンスを脱色することができない=政治権力な意味を考えざるをえない」という、ヘンリエッタ・ムーアの主張に類似するものが、文化以外にあるでしょうか? あれば具体的にあげて論じてください。

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42. 専門領域の増加
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(なんでもかんでも記してしまう)文化の特徴についてのタイラーの「買い物リスト」は、社会人類学あるいは文化人類学のもとに集められた専門下位領域につ いて説明する時には今でも役に立つ;つまり社会組織、経済人類学、政治人類学、芸術人類学、宗教、法、親族研究などが入っているからだ。

【台詞】アナザシ「ここ10年間にハイフン=連辞符付きの人類学(なになに人類学のような細かい分野)が激増したのさ」

まずは、応用人類学、行動人類学、認知人類学、批判人類学、開発人類学——それにフェミニスト人類学、マルクス主義人類学、医療人類学を経由して——象徴 人類学、ビジュアル人類学までという具合にである。これらの境界は、下位の分野、トピック、あるいは理論的なものとして区分けされる。

・なになに人類学とは?
・私の本業の医療人類学をはじめ、文化人類学という大きな分野には、しばしば「何々(なになに)」人類学と形容する下位分野があります。多くの西 欧語では、形容詞が人類学を修飾し、日本語では名詞の形容詞的用法で人類学という学問の領域について限定をしています。これらを、ハイ フンつき人類学あるいは連辞符人類学というふうにも表現するすることができます。
・「[なになに]人類学入門」の他に、まだなにか追加する「なになに人類学」はあるでしょうか?——ぜひご提案ください。
・ただし、文化人類学をもじった文化麺類学は、除きます ww

43
民族誌の岩盤=基盤
43.    民族誌(エスノグラフィ)の根幹
43. エスノグラフィーの根底にあるもの

文字どおり文化を書くことつまりエスノグラフィー(民族誌)は、すべての社会人類学/文化人類学の基本的な実践であり、そこにはフィールドワークと、真偽 のほどは保証できないが「客観的で科学的な観察」が含まれている。エスノグラフィーは、人類学に対して生(なま)の研究素材を提供する。それこそが人類学 の存在理由であり、この学問の主要な概念的かつ方法論的に自慢できる「参与観察」なのである。それは、文化比較、一般化、そして人類学理論の根底にあるも のなのだ。

【台詞】学者(人類学者)「もし人類学がその歴史と実践から上手に定義されるのなら、いずれもエスノグラフィーに要約されるのじゃろうな」

【台詞】アナザシ「要するに、人類学者どもは、どこかに出かけ、そこに居ることが、単に好きなだけなのさ」

・エスノグラフィーを定義しましょう。
・エスノグラファーを定義しましょう。
★答えは、下線にあります。エスノグラフィーエスノグラファー

44
異国人を書く(Writing the Exotic)
44.    エキゾチックを書く
44. エキゾチックなもの※を書く

特定の地域やそこに暮らす住民についてのエスノグラフィーは、人類学でのより下位のあるい細かい専門化された領域とされている。メラネシア、西アフリカ、 オーストラリアのアボリジニ、アマゾンの先住民がよく知られている。「エキゾチックな」人びとについて書くことは、人類学の一種の言葉をつくったともいえ る。エスノグラフィーのかたち、内容、問いや関心は、人類学における長年の論争と変化を記録するものとも言える。

【台詞】アナザシ「古い民族誌が、自然に消えてなくなることはないよね。それらは思い出され、他の人類学者の思考と行動を豊かにするのさ」

エスノグラフィーの重要性は、現代人類学の2人のお偉方、すなわちフランツ・ボアズとブロニスロー・マリノフスキーの両名より強調されたとも言える。


※訳注:エキゾチックは「異郷趣味」とも訳されて、自分たちの文化と異なる外国の風物や人間に興味をもつこと、それ自体のことをさす。ここでは形容詞のエ キゾチックが定冠詞のtheを伴って「エキゾチックなもの」という意味である。エキゾチズムは文化人類学者がフィールドに出かけるための原動力だったが、 なぜ自分がそこに行けて、相手が我々の国にやってこない/これないのかということに無反省である。そのため1970年代以降の人類学の中ではこの「異郷趣 味」は批判にさらされている。

・エキゾチックはかつては「異郷趣味」と呼ばれていました。

・他者をエキゾチックな対象「だけ」にしてしまうことに、どのような社会的弊害があるでしょうか?

・フランツ・ボアズについて調べましょう(復習と復習)

・ブロニスロー(ブロニスラフ)・マリノフスキーついて調べましょう(復習と復習)

45
フランツ・ボアズ
45.    フランツ・ボアズ 
45. フランツ・ボアズ

アメリカ人類学の創始者フランツ・ボアズ(1858-1941)は、ドイツのミンデンに生まれ、最初は物理学と地理学を学んだ。1883年に彼はバフィン 島への探検旅行に参加し、イヌイット※(かつてのエスキモー)のなかでフィールドワークを開始した。

【台詞】フランツ・ボアズ「3年後、私はブリティシュコロンビアのクワキウトルについての調査を始めたのだ」

1896年にボアズはニューヨーク州のコロンビア大学に関わり、3年後の1899年に同大学の最初の人類学教授となった。その後37年間にわたって彼はこ の職を務めることとなった。ボアズは、アメリカの次の世代の人類学者の大部分を教育したことになる。


※訳注:カナダにおける北方先住民はファーストネーションと呼ばれ、イヌイットはその民族集団の一つである。イヌイットはカナダ以外にも居住地(テリト リー)をもつが、アメリカ合衆国の北方先住民は今でも(カナダでの旧名称である)エスキモーと公的に言われる。

・フランツ・ボアズについて調べましょう(復習と復習)

・四分類人類学とはなんでしょうか?

・クワキウトルは、現在ではクワクワカワクと呼ぶほうが多くなりました

46
ブロニスラウ・マリノフスキー
46.    ブロニスロー・マリノフスキー
46.ブロニスロー・マリノフスキー

ブロニスロー・マリノフスキー(1884-1942)は、英国人類学の創始者だと見なされている。彼はポーランドのクラフクに生まれ、イギリスに人類学を 学ぶ前は、母国で数学と物理学を学んでいた。彼は、ジェイムズ・フレイザー卿著『金枝編』を読んだこと人類学への興味を運命のように感じたのだ。

【台詞】ブロニスロー・マリノフスキー「1915年から1918年のあいだ、第一次世界大戦中の敵国外国人として文字通り「抑留」されていたときに、南太 平洋のトロブリアンド諸島の研究のために30か月の間に3回のフィールドワークのために費やしたんだよ」

イングランドへ戻ると、マリノフスキーはロンドン政治経済院(LSE)での職を得て、1927年にLSEの初代人類学教授として任命された。

マリノフスキーは、英国の第一世代の人類学者の多くを教育した。

【台詞】フランツ・ボアズ「マリノフスキーと私は、次の3つの点で意見が一致していた」

1)参与観察を重視すること
2)研究対象の社会に長期間身を置くこと
3)現地人の言語を使用すること

【台詞】ブラニスロー・マリノフスキー「しかし、ボアズが文化の些細なディテールを強調するのに対し、私は、個人が関わる社会組織の機能を強調したのだ」

・ブロニスロー(ブロニスラフ)・マリノフスキーついて調べましょう(復習と復習)

・『金枝篇』とは、どのような書物でしょうか?

・『闇の奥』

47
フィールドワーク
47.    フィールドワーク
47. フィールドワーク

エスノグラフィーを生み出すために人類学者はフィールドワークを行う。フィールドワークは、ひとりの人類学者をつくりだす通過儀礼なのだ。フィールドワー クのもっとも古い入門書は、1874年に初版『人類学におけるノートと質問(通称:ノート質問)』である。NQAは英国科学振興協会が出版した。その書の 文化についての部分は、E.B.タイラーによって執筆された。

【台詞】学者(人類学者)「この本の目的は、人類学者のみならず、人類学に興味を持つ旅行者や政府執行官、宣教師、フィールドでどのような質問をし、どの ような資料を記録するのかについて指導することだったんじゃ」

【台詞】学者(人類学者)「『ノートと質問』ページにある冒頭の表題と質問項目は、かつての人類学がたどるべき行程を記した地図だったのじゃ」

『ノートと質問』は、英国王立人類学協会(RAI)によって1951年に改訂し編集された。

・フィールドワークとはなにか?

・文化人類学者の情報収集︎▶︎参与観察▶︎︎フィールドワークについてのお悩みにお答えします!▶︎フィールドのノートの記述の長さについて▶イン フォーマント︎︎▶︎若いフィールドワーカーに 贈る言葉▶︎︎フィールドワークの現象学▶︎フィールドワークに関するエッセイ▶アクションリサーチ︎︎▶︎フィールドワーク研究の倫理▶︎

48
フィールドワークにおける人間生態学
48.    フィールドワークの人間生態学
48. フィールドワークにおける人類生態学

フィールドワークへ出かける際、最初に知っておかなければならないことは、ある民族がどこに暮らし、その居住環境がどのようなものなのか、そしてどのよう な生業基盤と経済が営まれているのかということである。

狩猟採集:南アフリカのクンやサン(ブッシュマン)、中央アフリカのネグリト(ピグミー)、東アフリカのハッザ、オーストラリアのアボリジニ、アンダマン 諸島民、イヌイット(エスキモー)、アルゴンキン語派(クリーなど)やカナダのその他の集団がこれに類別される。

漁労:クワクワカワク(クワキウトル)や北アメリカの北西岸のそのほかの集団においてそうであるように、おそらく狩猟採集社会の基礎となる。

牧畜民あるいは遊牧民:家畜に依存する人びと。具体的には、西アフリカのトゥアレグとフラニ、ヌエルとマサイ、また西アフリカのその他の集団、中東のベド ウィン、北ヨーロッパのサーミ(あるいはラップ)などがこれに類別される。

定住農耕民あるいは栽培農耕民:アフリカの大部分、南アジア、東南アジア、ニューギニア、アマゾンの大多数の民族、オジブワと北アメリカのその他の北東集 団、ホピ、ナヴァホ、プエブロ、またその他の南西アメリカの集団、南ヨーロッパの農民共同体(コミュニティ)がこれに類別される。

社会がどのように環境を開発するのかを理解するということは、季節の周期を調べ、その社会において環境がどのように理解されているのか、共同体(コミュニ ティ)の構成員間でどのように分業がなされているのかを問うことを意味する。また、生計を立てること、つまり仕事に関係する儀礼や儀式にまつわる信念と実 践は何かということを見つけ出すことを意味する。

狩猟採集民は、農耕民よりも余暇時間がある。

【台詞】イヌイット「俺たちは自分たちの環境を〈贈り物〉だと考えるんだよ」

【台詞】学者(人類学者)「イヌイットには40以上の雪を分けて理解するのじゃ」

【台詞】学者(人類学者)「ヌエルは、さまざまな種類の牛を指し示す100種類以上もの用語をもっているのじゃ」

【台詞】アフリカ農耕民の女性「アフリカでは、農作物のための田畑を整えるのは多くの場合は男だけど、田畑を耕すのは女なのよ」

【台詞】アフリカ農耕民の別の女性「男は狩猟者なんだが、私たち女たちがほとんどの食べ物を集め、食生活の頼みの綱を提供するのよ」

物質文化と技術は、その環境の開発と、生業や経済の独自の形の実践にとって、極めて重要な要素である。

【台詞】ベドウィン「ここは、睾丸をかみ切ることを含め、ラクダを去勢するための50の方法が存在する場所だぜ。さあさあテントの中に入りなさい」

【台詞】学者(人類学者)「しかし、それ以外にもたくさんあるんじゃ。たとえば、鉄と鋼鉄の道具と比較した際の、石器の相対的な利便性と生産性などな」

【作画のなか】
モノをつくり出す技術、たとえばボートの建造などは、それ自身の信念や儀式、儀礼や規制を持っていることがある。

・生態人類学

・エドワード・サピア

49
生態人類学
49.    生態人類学
49. 生態人類学

ジュリアン.H.スチュワード(1902-72)は、『文化変化の理論』(1955)のなかで生態人類学を提唱した。彼は、環境と技術が、文化の社会組織 を決定する際の重要な役割を果たしていること、そしてこの2つが進化論的枠組みと相互関係を築いていることを指摘した。

【台詞】ジュリアン.H.スチュワード「生態人類学の主要な概念は…」

適応:環境的ストレスに対応する能力

生業手段:漁業、狩猟、採取、遊牧あるいは農業などの、環境を開発する方法(メソッド)

生態学的ニッチ(地位):特定の環境において利用される資源一式。異なる人びとが同じ環境において異なる生態的ニッチを開発する可能性あり

環境収容力:特定の環境下で存在できる、特定の生業手段に従う人びとの最大数のこと。

・Theory of culture change : the methodology of multilinear evolution,

・文化変化の理論 : 多系進化の方法論 / J.H.スチュワード著 ; 米山俊直, 石田紝子訳

50
経済の問題
50.    経済という問い
50. 経済という問題

食糧と財がどのくらい生み出されるのかは、経済がどのように組織されるのか、余剰が生まれるのかどうか、そしてその余剰はどうなるのかといった問いにつな がる。経済資源へのアクセスおよびその分配は、まったく異なる原則によって決定され、儀礼や儀式にまつわる関係と関わっていることが多い。

【台詞】J.H.スチュワード「土地へのアクセスを有するということは、親族、家族のメンバーシップあるいはその集団のあり方に依存する場合が多いという ことなのだ」

【台詞】J.H.スチュワード「モノとサービスの生産も、親族や生まれに基づいていることが多いのである」

【台詞】J.H.スチュワード「モノの交換は、社会における力と影響力の獲得に関係している場合が多いのだ」

「ポトラッチ」、「ビッグマン」、クラは、前資本主義社会において経済概念がどのように働くのかということを示す3つの事例である。

・ジュリアン・スチュワードと地域研究

51
ポトラッチ儀礼
51.    ポトラッチ儀式
51. ポトラッチ儀礼

カナダ西海岸のクワクワカワク(クワキウトル)社会は余剰を生み出すが、これは大きな儀礼を開催するために利用され、ある親族集団によって生み出された余 剰が儀式の場で他の親族集団に分配される。生産物の分配を同等にし、与える側に名声を与えるのである。

【台詞】クワクワカワク「受け取った側には互恵的な義務が付与されるのさ」

【台詞】クワクワカワク「私たちは、将来のある時点で、ポトラッチを開催する義務を負うんだ」

儀式の名称になっている〈ポトラッチ〉は、儀式の一部として儀式用の他のモノと一緒に破壊されることになる真鍮製の皿のことである。

・ポトラッチ(potlatch)
A potlatch is a gift-giving feast practiced by Indigenous Peoples of the Pacific Northwest Coast of Canada and the United States,[1] among whom it is traditionally the primary governmental institution, legislative body, and economic system.[2] This includes the Heiltsuk, Haida, Nuxalk, Tlingit, Makah, Tsimshian,[3] Nuu-chah-nulth,[4] Kwakwaka'wakw,[2] and Coast Salish cultures.[5] Potlatches are also a common feature of the peoples of the Interior and of the Subarctic adjoining the Northwest Coast, although mostly without the elaborate ritual and gift-giving economy of the coastal peoples (see Athabaskan potlatch).

52
ニューギニアの「ビッグ・メン」
52.    ニューギニアの〈ビッグマン〉たち
52. ニューギニアの「ビッグマン」たち

ニューギニアでは、余剰の経済資源(特に豚)は、蓄財され、贈り物として分配される。

【台詞】ニューギニアの男性「豚を贈ることで、贈る側つまりビッグマンの個人的名声と政治的影響力を増大させるんだ」

【台詞】ニューギニアの男性「そして、クワクワカワク同様、受け取った側には義務が生じるんだよ」

53
クラ交換
53.    クラ交換
53. クラ交換

西太平洋のトロブリアンド諸島の島民たちは、交換の範囲をひろげて、その範囲の内側で腕輪(ムワリ)を首飾り(ソラヴァ)と交換する。交換は、首長とそれ 以外の有力者によって行われ、交換が行われるごとに地位が授与される。

【台詞】学者(人類学者)「規則的な交換の周期があり、財は、島々の集まりの周りを特定の方向に旅することになるんじゃな」そして「そのときには、それ以 外の生産物もまた交換されることになる」

クラ交換(→「クラ交易/クラの輪(Kula, Kula ring)」)

54
経済人類学
54.    経済人類学
54. 経済人類学

フランスの人類学者マルセル・モース(1872-1950)によって1925年に出版された『贈与論』は、経済人類学の土台を築いた。モースは、贈与は決 してタダ(無償)ではないこと、つまり贈与は、(i)与えねばらない、(ii)受け取らねばならない、(iii)お返しせねばならないという3つの義務を 生むことを指摘した。

【台詞】マルセル・モース「返礼は、すぐに行われる場合と、後で(遅れて)行われる場合とがあるのだ」

【台詞】学者(人類学者)「ここでのひきおこされる義務とは、モノ(の返礼)でなされることも、またそれとは異なり、贈与側の有り難さを感謝として表すこ ともある」

55
交換と交易のネットワーク
55.    交換と交易のネットワーク


56
形式主義《対》実体主義論争
56.    形式主義者と実存主義者の論争


57
マルクス主義人類学
57.    マルクス主義人類学


58
マルクスの進化論的見解
58.    マルクス主義的進化論の見方


59
世帯単位(The Househould Unit)
59.    世帯単位


60
家族の形態
60.    家族の形態


61
婚姻紐帯(The Marriage Links)
61.    結婚紐帯


62
婚資、あるいは婚礼[契約]資金
62.    結婚契約にかかる支払い


63
親族の研究
63.    親族研究


64
親族記号
64.    親族コード


65
類別的親族 (Classificatory kinship)
65.    類別的親族


66
擬制的親族(fictive kinship)
66.    疑似的親族


67
出自理論(descent theory)
67.    出自理論


68
結婚と居住の規則
68.    結婚と居住の規則


69
親族用語
69.    親族の表現方法(イディオム)


70
親族の「効用(use)」とは何か?
70.    親族の〈効用〉とは何か?


71
連帯理論と近親相姦の禁止
71.    縁組理論とインセストタブー


72
心のなかの構造
72.    心(マインド)のなかの構造


73
基本的構造の形態
73.    基本構造の形態


74
縁組理論は本当にうまくいっているのか?
74.    縁組理論は役に立つのか?


75
政治と法律
75.    政治と法


76
オマケの例
76.    その他の事例


77
用語法的研究
77.    用語法(ターミノロジー)的アプローチ


78
政治人類学
78.    政治人類学


79
年齢階梯社会
79.    年齢階梯社会


80
共時的《対》通時的見解
80.    共時的視点vs通時的視点


81
他の社会階層化
81.    その他の社会階層


82
交渉するアイデンティティ
82.    交渉するアイデンティティ
人類学理論:エスニシティ、植民地主義、 法の人類学、宗教と儀礼、象徴の機能など
83
エスニシティ(民族性)の諸問題
83.    エスニシティの諸問題


84
植民地主義
84.    植民地主義


85
反ー資本主義的人類学
85.    反-資本主義人類学


86
法の人類学
86.    法人類学


87
口論解決のメカニズム
87.    係争処理のメカニズム


88
宗教
88.    宗教


89
シャーマニズムとカーゴ・カルト(積荷崇 拝)
89.    シャーマニズムとカーゴカルト


90
聖と俗
90.    聖と俗


91
魔術/呪術の人類学
91.    呪術の人類学


92
信念をめぐる論争
92.    信念についての論争


93
儀礼の検討
93.    儀礼の検証


94
通過儀礼
94.    通過儀礼


95
神話の研究
95.    神話研究


96
クロード・レヴィ=ストロース
96.    クロード・レヴィ=ストロース


97
二項対立と構造
97.    二項対立と構造


98
象徴とコミュニケーション
98.    象徴(シンボル)とコミュニケーション


99
象徴と社会過程
99.    象徴(シンボル)と社会プロセス


100
アクター、メッセージ、コード(行為者/ 伝達内容/暗号)
100.    主体(アクター)、メッセージ、コード
+

101
シンボリズムと新しい見解
101.    象徴主義と新たな視点

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
101. シンボリズムと新たな視点

シンボリズムの研究は、人類学の近年の展開において重要である。
■デビッド・シュナイダー(1918-95)の象徴人類学(symbolic anthropology)は、文化を意味とシンボル(象徴)の全体的体系だと考える。シンボル(象徴)体系は、細々とした二項対立の部分に分割されるべ きではなく、経済、政治、親族、宗教といった社会組織の具体的な側面とつながっている。したがって、それは全体として研究されなければならない。
■認知人類学は、2つの音を峻別する、つまり音声学(phonetics)と音素論(phonemic)を区別する考え方を言語学から借用している。言語 学のこの考え方が、普遍的要素を強調するエティックと、ある固有の文化で意味を持つ要素であるエミックと区別することになった。エティックが、〈客観的 な〉観察者にとって明らかな普遍的基準である一方、エミックは、特定の言語ないし文化のなかで意味を持つ対照基準である。このように考えると、文化は、概 念化の体系、つまり知識と概念の体系とされる。
■解釈人類学は、エヴァンズ=プリチャードによるアザンデの妖術とヌアーの宗教についての研究から始まり、アメリカ合衆国の人類学者クリフォード・ギアー ツ(1926-2006)の研究と最も関連する。ギアーツは、テキストないしは為された文書としての文化体系の研究を提唱した。この研究は、エスノグラ フィーを実践する方法論である厚い記述として文化生活を細部にまでつくり上げることによって研究しようとするものである。
■ギアーツは、レヴィ=ストロースの(「野生の思考」を批判しつつ)「頭でっかちの野蛮人」だとみなして、シンボル(象徴)を、社会的素材からつくられた テキストとしてではなく、むしろ閉じた構造として分析するレヴィ=ストロースのやり 方を「解読的」アプローチとして批判した

【台詞】(学者)「意味は、目的から生じるのであり、公式の構造から生まれるのではないのじゃ。レヴィ=ストロースがシンボル的要素の内的な関係へ焦点を 当てたことで、実際の生活の非公式な論理が見過ごされているのじゃ」

1966年の論文「文化システムとしての宗教」において、ギアーツは、宗教を次のように定義した:「シンボルの体系であり、人間の中に強力な、広くゆきわ たった、永続する情緒と動機づけを打ち立てる。それは、一般的な存在の秩序の概念を形成し、そしてこれらの概念を事実性の層をもっておおい、そのために動 機づけが、独特な形で現実であるようにみえる」とした※。

【台詞】アナザシ「私にはギアーツが〈厚い記述〉をもって何を言わんとしているのかがわかるよ!」

※“Religion as a Cultural System”, Geertz defined religion as: “a system of symbols which acts to establish powerful, pervasive and long-lasting moods and motivations in men by formulating conceptions of a general order of existence and clothing these conceptions with such an aura of factuality that the moods and motivations seem uniquely realistic.” 吉田禎吾ほか訳『文化の解釈学 I』Pp.150-151、岩波書店、1987年

・「象徴人類学」→「文化要素を比較したり、象徴で置き換えたり、現地人の視点 を強調することの意味につ いて」→「クリフォード・ギアーツ」→「記号・表象・象徴

・「解釈人類学」→「意味のパターンと意味ある象徴の体系」→「捉え難い真理への探求と、人類学の研究倫理」→「クリフォード・ギアツの 文化人類学

・「エヴァンズ=プリチャード」→「エドワード・エヴァン・エヴァンズ=プリチャード」→「エヴァンズ=プリチャードのマレット講演(1950)」→「妖術を信じなくても妖術を理解することは可能である

・「人類学リテラシー

・「野生の思考」→「ブリコラージュという概念について」→「自然と文化とそれらのハイブリッド」→「クロード・レヴィ=ストロース」

・「文化システム(体系)としての宗教

・「厚い記述」→「ギアーツの「厚い記述」のメタファー」→「火掻き棒事件をめぐる〈熱い〉記述

・「《厚い記述》とは、さまざまな情報の積み重ねを多角的に検討すること で、エスノグラフィーの解釈をより正確にしていこうという挑戦のことをさす。決定的な記述などはなく、複雑な権力関係の中で記述が成立することから後のポ ストモダン人類学にも大きな影響を与えた。」

▷ギアーツは、『野生の思考』を書いたレヴィ=ストロースを「頭でっかちの野蛮人」だと批判した。なぜなら、レヴィ=ストロースの方法が、現実の社会的事 実から理論を構築するのではなく、彼の頭の中だけで「暗号解きゲーム」をしているにすぎないからだと彼は論じた。


【設問:01】
「なになに人類学」という分野が鬼のようにあるのは、1)その学問が歴 史的に厚みをましてきたこと、2)専門家同士がさらに細かい下位分野を競ってつくり「偉そうに第一人者になりたがる」という2つの側面がある。どうして、 学問の専門家たちは、「偉そうに第一人者になりたがる」のだろうか?みんなで考えてみよう。

102
芸術の人類学
102.    芸術人類学
102. 芸術人類学

宗教、信念、儀礼、シンボリズム(象徴論)は、もうひとつの主要な人類学者の関心すなわち芸術と関連している。芸術人類学は、彫刻や仮面、絵画、織物、か ご、つぼ、武器、そして人間の身体そのもののような有形物へ大きな関心を寄せてきた。これらの有形物は、単にその美しさによって賛美される美的対象 (aesthetic object)ではなく、人びとの生活のなかでより広範な役割を果たすものである。

【台詞】男性A「芸術の人類学的研究には、このような有形物に記号化された象徴的意味が含まれるね」

【台詞】男性B「同様に芸術作品における材料や技法なども含まれるんじゃ」

多くの社会では、芸術家は「創作者個人」としても、その作品も独立した高尚な文化として際立った作品としても認められているわけではない。芸術的生産は、 しばしば、より多くの人びとに対して開かれたものであり、個的というよりはむしろ集合的なものとみなされている。

【台詞】女性「機能と美を区別することは、おそらく無意味ですわね」——
「芸術と工芸の違いは、おそらく重要性を持ちませんわ」——そして——「クリエイティビティとイノベーションという概念は、文化が異なれば、その意味も大 いに異なりますことよ」

・「芸術人類学」→「芸術人類学への招待[本文]」→「アートとコミュニケーション:芸術人類学のもうひとつの入り口」→「人類にとって〈いわゆる芸術作品〉とは?

・「文化人類学とその認識論的ツール


103
映像人類学
103.    映像人類学
103. 映像人類学

もうひとつの最新の展開は、映像人類学である。視覚体系の研究は、ローカルな写真撮影活動や地元でのテレビ撮影や映画製作を含むまでに拡大した。

この分野でもっともよく知られているのは民族誌映画であるが、人類学者によって研究されこれまで書かれてきた出来事、儀礼、活動、そして背景に関する視覚 的記録である。ここには、人類学者がフィールドワークのなかで記録され作られてきた従来の写真などの視覚的資料も含まれる。

【台詞】学者(人類学者)「だがな、映像人類学には、人類学者とプロのテレビ会社や映画製作会社との共同制作も含まれるんじゃ」

【台詞】アナザシ「そうやって人類学者は有名になるんだわさ」

・「映像人類学」→「映像によ る文化人 類学入門

104
消失してゆく世界
104.    消えゆく世界
104. 消えゆく世界

テレビシリーズ『消えゆく世界』(1970-)は、いまや古典となった民族誌映画の一例である。いくつかの作品は、ベネズエラの密林地帯のヤノマミイン ディアンについてのナポレオン・シャニョン※とティモシー・アッシュ製作の『祝宴』のように、酷評を得ることとなった。

【台詞】俳優としてのヤノマミ 「165~167ベージを参照し、シャニョンが本当は何をしようとしていたのかを調べてごらんよ」

フィルム作品は次のような多くの問いを生じさせる。その出来事は演出されたものなのか?映画製作スタッフの存在は、記録されている出来事に対してどのよう な影響や効果をもたらしたのか?映像作品は、分析よりも、視聴者の視覚的想像力へ感情的なインパクトを特権的に与えるのか?

※以前の邦訳ではChagnonをローマ字読みしてシャグノンと記していたが、近年はシャニョンは原音にちかく記すほうが正確である。

・「文化相対主義をめぐる質疑応答」→「文化人類学者とは何をしているのか

105
新しい枝か?古い根っこか?
105.    新たな枝派か?あるいは古根か?
105.新しい枝か?あるいは古い根っこ か?

応用人類学とそれに関連する開発人類学の分野では、人類学の新しい分枝として認められるべきだと主張する人類学者がいる。この論争は、「開発」が植民地的 関係の再現にすぎないのかどうかというものである。つまり、「低開発/開発」が、〈野蛮/文明〉という関係の再形成にすぎないのかどうかという論争であ る。

【台詞】学者(人類学者)「人類学は、開発機関の実践と理論の一部となったのじゃ」——そして「あるいは、ボランティア組織、国際機関や政府の実践と理論 の一部ともなったんじゃ。」

人類学は、統治術の実践の一部となった。ヘンリエッタ・ムーアは「人類学は、政府にとって役立つ学問になりたいと願う長い歴史を持ってきた」と述べる。

・「応用人類学」→「応 用医療 人類学ができあがるまで」→「実践人類学の構築


106
フィールド経験を書きたてる (Writing up the field)
106.    フィールドを書き上げる
106. フィールドを書き上げること

フィールドでひとたびデータが収集されると、そのデータを書き上げなければならない。各自がフィールドワークを発表する一般的な方法は、民族誌的モノグラ フである。古典的な民族誌は、さまざまな形態をとっている。

途切れのない語り
詳細で、多くの場合、かなりの分量があり、個別のテーマごと(トピックエリア)に整理されることなく、社会生活の一点一点が(ディテール)すべて紡ぎ合わ されている。
 
ライフサイクルエスノグラフィー
幼少期から老年期までの成長にもとづいて構造化されている。ライフサイクルの各局面は、社会生活、儀礼、信念といった側面を提示するために整理されてい る。

社会体系によって構造化されたもの(Structured by social systems)
背景情報、経済、政治、法そして社会統制、親族、儀礼、信念といった見出しごとに資料が整理されている。通常は、社会変化についての章で結ばれる。

・「5分でわかる民族誌研究の現状」→「民族誌は果たして本質主義の根源的表象なのか?

107
現在において書く
107.    現在において書く
107. 現在において書く

古典的な民族誌的モノグラフにおいてよくある隠し技は、エスノグラフィーを現在形で書くことすなわち民族誌的現在(ethnographic present)である。これは単に現在形で書くということ以上の意味をもっている。(時間経過という)歴史に無関係に書くということでもある。つまり、 人びとの文化と生活様式についての視座を時間と変化が存在しないかのように、あるいはそれらの影響外にあるかのように書くということなのだ。

【台詞】人類学者「民族誌的現在は、人びとを、離れて孤立した別個の存在として描写のなかに閉じ込めることじゃ。」

【台詞】書かれる対象の男性「民族誌的現在は、社会内部の逸脱や変種(ヴァリエーション)を考慮することよりも、規範的な規則との整合性に焦点を当てるん だよ。」

民族誌的現在は、いわば凍った描写である。それは、文化のなかのすべてのものを〈停滞した状態〉にはめ込み機能させるという結論をもたらすものである。つ まり、永続的に同じパターンを再生産する、不変的で持続的な均衡状態を伝達するのである。

民族誌的モノグラフは、人類学の理論的諸問題についての議論を進めるとともに、同時にある特定の文化を描いているかもしれない。ある特定の理論的関心に とって適切な素材ゆえにフィールドワークの場所が選ばれるのかということは、特定の理論的問いに答えるための証拠を提供してくれるであろう場所に応じてな される。

【台詞】アナザシ「あるいは、君のペットの創り出し、その存在を証明した都合のよい場所だかかもしれないぞっ!」


・「エスノグラフィー」→「民 族誌的近代・民族誌的モダニティ

・「民族誌的現在」→「文化の窮状

108
自己[回帰の]人類学(Auto- Anthropology)
108.    自己回帰の人類学
108自己回帰の人類学

より昔になるほど民族誌は、しばしば読みやすく、魅力的で面白いものである。より最近になれば民族誌は、膨れ上がり、ジャーゴンに溢れ、「用語学的に言っ て野心的」であり、自己陶酔的で、不可解なものになる傾向がある。

【台詞】学者(人類学者)「(人類学者の自伝であることがほとんどの民族誌である)自己回帰の人類学に近づくとき、君はより現在という時代にいるのだ」

モダン人類学は、最初の50年間、進んで民族誌を行い、古い根っこを削り取ってきた。そして、人類学を様変わりさせた一連の論争が始まった。最初の論争 は、メキシコの村テポストランについてのものであった。



109
二重のテポストラン、闘争的テポストラン
109.    テポツォトラン論争/テポツォトランの2つの顔
109.2つのテポストラン、あるいはテ ポストランでの決闘

ロバート・レッドフィールド(1897-1958)は、1930年に『テポストラン:あるメキシコの村』を出版した。レッドフィールドは、進化主義を加味 したボアズの機能主義とドイツ社会学伝統とに組み合わせ、社会行動を統御している規範的ルールに焦点をあてた。その結果レッドフィールドは、人びとが平和 的な調和のなかに暮らす村の理想主義的な表象を作りだしてしまった

【台詞】不詳の人物(ミードっぽい人)「レッドフィールドは農村社会の理論家になる」

【台詞】レッドフィールド 「私は大伝統と小伝統を発展させて『都市-農村連続体』(urban-folk continuum)という概念を発展させた

レッドフィールドは、エリートの都市部の〈大きな〉——識字——文化と、農村共同体の、その多くは口承で伝わるインフォーマルな〈小さな〉伝統とを区別し た。小伝統からの要素は、常に大伝統によって吸い上げられ、つくり変えられている。これらは、フィルターにかけられたように地方の慣習と価値観に適合的し て、民俗伝統において再解釈あるいは再編用されるのだ。

・「エンゲージメントパラダイムにおける人類学理論


110
テポストラン再訪
110.    テポツォトラン再訪
110.テポストラン再訪

テポストランは、オスカー・ルイス(1914-70)によって再調査された。『メキシコのある村の生活:テポストラン再調査』(1951)において、ルイ スは、行動そのものに焦点を当てるプロセス的アプローチを用い、レッドフィールドが定式化とは合致しない主張を展開する。

【台詞】オスカー・ルイス「私は、村には派閥争いや個人的敵対、酩酊状態、喧嘩が溢れていることを発見したのである」

【台詞】酔漢テポストランの男性「ルイスは、貧困の文化という概念を発展させることとなったんや」——そして——「テポストランについてのルイスの本は、 古典になり、読んでおもろいし、人気があるねんでぇ、ウィッ!!」

問題:この2人のほとんど正反対の主張の違いをどのように説明することができるか? 2人の人類学者の間には修復不能な溝がある。村に対する彼らの見解は、単に〈依拠する理論〉のみならず、2人の根本的に異なる姿勢にも関係している。


・「中央アメリカの民族誌と人類学(1)


※ここでの議論のポイントは学問界における「論争」や「パラダイム概念の相違」によるものだと思われる。後者についてはトマス・クーン「科学革命の構造」を参照のこと。

111
人類学とは科学なのか?
111.    人類学は科学なのか?
111.人類学は科学なのか?
 
後に『社会人類学』(1951)として出版された一連のラジオ講義において、エヴァンズ=プリチャードは、人類学が科学であるという想定を問題視した。

【台詞】ラジオ「人類学の研究目的は、道徳と象徴の体系です。しかしそれは、自然におけるいかなる体系とも似てはいません」——そして——「人類学者は、 歴史家により近く、人類学は人文学により近いものです」

ポストモダニズムよりももっと以前に、エヴァンズ=プリチャードは文化の翻訳という考えを発達させた。彼は、研究している人びとの集団的精神と考え方に可 能な限り近づくこと、そうすることでその文化のなかの異質な考えを西洋文化のなかの同値の考えに翻訳することを意図した。これは、歴史家が過去について研 究する際におこなっていることである。

もし人類学は科学ではなく人間科学の分派なであれば、その権威は何からできているのだろうか?

・「エヴァンズ=プリチャードのマレット講演(1950)

112
科学のふりをすること
112.    見せかけの科学
112見せかけ科学(なんちゃって科学と しての人類学)

科学は、おそらく客観的で、価値中立的で、経験論的な探求である。それゆえに、科学というものは西洋社会における権威の裁定者なのである。権威のあるこの 領域のなかに加わろうとする人類学上の主張は、エヴァンズ=プリチャードによって問題視されたものの根底から揺り動かされたわけではなかった。

【台詞】先住民「でも科学は客観的という主張は、後世の者たちによってはっきりと拒否されたんだね」


「我々は、明確なデータを集めている中立的な科学者であると偽り、彼らにはなんの手がかりもなく、唯一の解決策は我々にあるというふうな決定的な権力の無 意識のシステムのまっただ中に、我々が研究している人びといると、いうふうに偽装する。だが、それは本当に偽装に過ぎないんだ」

ポール・ラビノー(1977年、モロッコ※のフィールドワークにおけるリフレクション)邦題『異文化の理解:モロッコのフィールドワークから』


“We can pretend that we are natural scientists collecting unambiguous data and that the people we are studying are living amid various unconscious systems of determining forces of which they have no clue and to which only we have the key. But it is only pretence.” Paul Rainbow (Reflections on Fieldwork in Morocco, 1977)


・「文化批判としての人類学

113
インディアンは居留地を出る
113.    保留地の外へ出たインディアンたち 113.保留地の外へ出たインディアンた ち

ラコタ(スー)先住民の弁護士であるヴァイン・デロリア(Jr.)は、1964年にアメリカインディアン国民会議議長に主任した。5年後、デロリアは、い くらかの根本的な問いを提起する『カスター将軍は君たち白人の罪ゆえに死んだ※:インディアン宣言』を出版した。

「私たちは、なぜ人類学者にとっての私的な動物園であり続けなければならないのか?学術的な生産が実際の生活には全く役に立たない見当違いなものであると きに、なぜ部族は基金を求めて学者と競争しなければならないのか?」(Deloria 1969:95)

〈おそらく私たちは、学界という共同体の実際の動機を疑うべきである。彼らは明確に定義され支配下にあるインディアンを対象とするフィールドをもってい る。彼らの関心は、インディアンの人びとに影響を与える決定的な政策にあるのではなく、単に彼らが「大学のトーテムポール」※※を登ることができるような 新しいスローガンや教説を創造することにあるのだ〉

1972年のアメリカ人類学会(AAA)年次大会において、デロリアは学会のメンバーたちに彼は訴えたのだ。

※原文は Custer died for your sins: an Indian manifesto, 1969 だが、この表題は「キリストは私たちの罪を贖うために死んだ(Christ Died for Our Sins)」を捩ったもの。カスターは南北戦争ならびに戦後における北米先住民虐殺においてもっとも有名な将軍であるので、「君たちの罪(your sins)」は非先住民すなわち白人の罪=責任のことを語っている。
※※「大学のトーテムポール」とは、大学で教鞭をとる教授陣もまた未開社会の人間で、研究や学位などの〈崇拝対象〉のことを皮肉って表現している。

ヴァイン・デロリアVine Deloria Jr., 1933-2005)

・「文化人類学者が米国の先住民ならびにマイノリティの訴訟に関わったケース


114
誰がインディアンのための語るのか? 114.    誰がインディアンのために語るのか? 114.誰がインディアンのために語るの か?

20年後、AAA(アメリカ人類学連合)は、回顧的な作品として『インディアンと人類学者』(1997)を出版した。この本の結論部分はデロリアの寄稿で あり、そこでは、過去28年間の人類学に対してデロリアの問題提起がもたらした影響が評価されている。

「人類学は、今も根強く植民地学問であり続けている。そこでは、学問的営みの配置を変えたり、より有意義な企てのほうに動かすよりも、今でもなお、アング ロ(=白人)の連中がまたべつのアングロの連中にそれを伝えて、よく勉強したぞと証明することのほうが価値があると私たちは考えていることを見出した」※

【台詞】学者「これは、誰が先住民(インディアン)のために語ることができるのか?という権威に関する問題じゃ」

【台詞】アナザシ「先住民でないことは確かだよね」

【台詞】デロリア=ジュニア 「人類学のお偉方は、人類学の主要領域を教える有用なスタッフとして先住民の教師を認めるということに、甚だ乗り気ではない のです」

※“Anthropology continues to be a deeply colonial discipline. We still find it more valuable to have an Anglo know these things and be certified to teach them to other Anglos in an almost infinite chain of generations than to change the configuration of the academic enterprise and move on to more significant endeavours.”

ヴァイン・デロリアVine Deloria Jr., 1933-2005)

・コロニアリズムの復習 →「ポストコロニアル


115
神としての白人
115.    神としての白人 115神としての白人

権威に関する類似の問題が「キャプテン・クック」論争である。それは、アメリカ合衆国の指導的人類学者マーシャル・サーリンズ(1930-)とシンハラ人 の人類学者ガナナート・オベーセーカラ(1930-)の間でおこった。この論争で生まれた文書は、それだけで小さな図書館をなすぐらいの分量だったとい う。

【台詞】クック「この問題は、1779年にネイティブハワイアンが私のことを彼らのロノ神の帰還と勘違いしたのかどうか、また儀礼的に適切に供儀にしたの かどうかについての論争なのだ」

【台詞】ハワイ先住民「むしろ「神としての白人」という神話が、西洋社会によって構築されたものであるかどうかの論争なのだ」

この神話は、ハワイの人びとについての研究の際に人類学によって繰り返し参照され、維持されてきた。オベーセーカラが指摘するように、非合理的かつ先論理 的で迷信的なものとしての、未開の志向と精神性という概念をとおして、そうなされてきたのである。

・「「人類学」以前のフィールドワーク

「ハワイ研究では「白人(=キャプテン・クック)は外来神である」という《神話》は、人類学者によって繰り返し言われてきた。だが、オベーセーカラが(怒 りをもって)指摘するように、この人類学者の《神話》により、(ハワイは)いつまでも未開であり、人びとの精神性は、非合理的かつ前論理的で迷信的なのだ という《言説》が強化されてきたのだ。


116
権威の神話
116.    権威神話 116.権威の神話

神としての白人という考えは西洋思考の土台となるものである。「白色の神」は、メキシコでのコルテスであり、ペルーでのピサロである。これは、1607年 のヴァージニア会社の指示書に明らかである。この勅許植民会社の指示書には、白人も傷をしたり死亡したりするということを、ネイティブの人びとに気が付か れないようにするよう書かれている。死を免れないことと神格性は、相容れないためである。サーリンズは、オベーセーカラがハワイ人たちを「啓蒙的合理主義 者」にすぎない存在にしてしまったことに激怒した。一見するとサーリンズがハワイの情報源に精通しているらしいことは、客観的で特権的な知識としての人類 学の権威を使った議論しているのだ。

【台詞】コルテス「オベーセーカラはハワイ研究の専門家ではないぞ」

【台詞】南太平洋の女性「でも、植民地化された人びとについての作品として、人類学と西洋的構築物を批判する有利な点と権威が、オベーセーカラには持たさ れていたかしら?」

【台詞】アナザシ「2人が議論しているとき、平等と賠償を求めていたハワイの人びとの政治や社会運動に注意を払った者は誰もいないんだな」

G・オベーセーカラ『キャプテン・クックの列聖』(み すず書房のサイトより)



117
出来事の位相
117.    出来事の地平線
117出来事の地平線

ヴァイン・デロリアが人類学を激しく非難する一方で、アメリカ合衆国のラディカルな人類学者は、自分自身たちの領域への攻撃を開始しようとしていた。『人 類学の再創造』(1969)は、デル・ハイムズ編集になる論集であり、これは、ヴェトナム戦争、アメリカ合衆国における市民権の問題やホーム(=北米市民 社会の領域)での抗議といった、1960年代の一般的な政治的風潮に刺激されたものである。

【台詞】反核ヘルメットをかぶったアナザシ「それは人類学における一連の改革を必要としたのさ。でもそれは受け止められなかったんだ」——そして——「人 類学への彼らの批判は、現代の人類学的言説(ディスコース)の一部となったんだよ」

・ヴァイン・デロリアVine Deloria Jr., 1933-2005)

118
自己批判的人類学
118.    自己批判の人類学
118自己批判の人類学

『人類学の再創造』の改革の要素は、複数の解釈とアプローチを拓くことになった。

事後的な記載(Reporting back)
事後的な記載とは、他者についての植民地主義というインパクトのみならず、西洋世界の中で植民地主義の帰結について研究することを意味する。それは西洋社 会において型どおりやってきた人類学のアプローチとは異なる。

再帰的人類学(Reflexive anthropology)
研究対象者の声が聞こえるように、また彼らが自身を語ることができるように、フィールドでの資料を記録したり書いたりする方法論を変えることで、研究のプ ロセスを可視化すること。これは、人類学者による自己吟味にもなる。

擁護のための人類学(Advocacy anthropology)
非関与から関与する研究への転換であり、関与する研究とは、人類学者に研究される人びとの、経済的、政治的、人権そして土地の権利の窮状へ関与すること。 しかしこれは、論争として存続している。

学者(人類学者)——【台詞】——「人類学者は、元からあった〈現地人の伝統〉をそのまま〈保存〉したいのかね」

アナザシ——【台詞】——「それとも、人類学者らは、自己決定のための実際の力や資源を譲渡することを望んでいるのかな?それが何を引き起こすかに関係な くね」

・「文化人類学批判について」→「批判的応用人類学入門」→「文化批判としての人類学」→「モダニスト人類学

【審問:02】
・人類学をはじめとするフィールドワーカーはなぜ、倫理的逸脱(=研究 不正)を起こすのだろうか?みんなで考えてみよう。そのための例題を「フィールド ワーク研究の倫理」からとってみよう。
「(出発点)皆さんは、これからチームを組んでハナモゲラ共和国のラン ゲルハンス諸島の住民に対してフィードワークをおこなおうとしてます。この住民の なかに成人後に常染色体〈異常〉により「未来の予知能力」を得ることができる人たちが含まれることが明らかになったからです。この予知能力遺伝子のDNA サンプルは口腔内の粘膜を取ることで分かりますが、正確に同定するためには、資料をすべて日本に持ち帰る必要があります。(対外的文脈)ナモゲラ国立大学 の研究チームも、どうもこのことに気付き我々の研究に大いなる関心をもっているようです。もちろんこの遺伝子異常は 軍事 技術にも応用可能ですので、世界の国防省や軍事産業も関心をもっています。(課題)あなたは、日本を出発する前から帰国するまでに、どのような倫理上の課 題を抱えることになるでしょう。1.出発前、2.出発後 現地 到着後、3.住民への調査中、4.調査終了後の出国前、5.帰国後、という5つの研究のフェーズにわけて、課題を列挙し、それに対する適切な対処法を創案 してください。」

119
人類学のヒーロー
119.    人類学の英雄
119.人類学の英雄

アメリカ合衆国のマーガレット・ミード(1901-78)は、最も有名で広く読まれている人類学者のうちの1人である。彼女の著書『サモアの青春』 (1928[1976])と『ニューギニアで育つ』(1930)は、人類学や他の社会科学の学問の基礎的入門書であり続けている。ミード自身は、影響力を もった普及者であり、解説者であり、ヨーロッパと北米ににおいて優れた業績を挙げた。

マーガレット・ミード——【台詞】——「私はボアズの学生であり(私とは違った意味で)影響力のある人類学者であるグレゴリー・ベイトソンと結婚したの よ」

グレゴリー・ベイトソン——【台詞】——「ニューギニアの子どもたちの体験は研究のための基礎をなしたんだ」

2人の人類学者のアイディアは、ベンジャミン・スポック博士の育児理論に決定的な影響を及ぼした。スポックの理論は、1960年代から70年代の親たちの 必要不可欠なハンドブックとなった。

・「マーガレット・ミード

・「グレゴリー・ベイトソン


120
ミード神話の没落
120.    ミード神話の崩壊
120.ミード神話の崩壊

デレク・フリーマンは1983年に『マーガレット・ミードとサモア』を出版し、ミードのサモアでの研究に対する多くの批判を行った。ミードによるサモアの 調査は、理論が先にありきのものだった。ミードは、彼女の先生であったボアズの、〈氏〉(生物学)よりも〈育ち〉(文化)の方が重要であるという理論を証 明するために旅立ったのだ。ミードのサモアでの調査は、彼女の先生のエスノグラフィー実践を冒涜するものだった。ミードのサモアでの調査は、宣教師邸のベ ランダに座り4名のやってきたサモアの少女から得られることから構成されていた。

サモアの女性——【台詞】——「これらのインタビューの中でミードが思い描く性的幻想を私たちは共有したわけなの」

マーガレット・ミ―ド——【台詞】——「彼女たちは「リアルな存在」で、サモア社会に関する私の分析の基盤を作ったと信じているわ」

人類学の偉大な英雄は、情け容赦なく晒されることとなった。ミードの擁護者は、フリーマンによってミードのサモアの表象が偽物として捏造されたのだと主張 する。

ミスタースポック——【台詞】——「しかしながら我々は、それでもなお、ミードがその研究をとおしてアメリカの文化への洞察を深めたんだと、議論していま す」

マーガレット・ミード—【台詞】——「さらに「文化とパーソナリティ」学派の主要メンバーとして、私しゃ心理人類学を今日知らているようなかたちにまで確 立することに寄与したわけよ」

アナザシ—【台詞】——「ミードの創造行為は、人類学を前進させるための障害には決してなりはしなかった」



・「マーガレット・ミード」→「サモアの 思春期」→「マーガレット・ミードとサモア」→「デレク・フリー マンによる「検証」
121
観察される観察者
121.    『観察される観察者』

121.『観察される観察者』

マーガレット・ミードの失墜は、人類学のもう1つの出来事の地平線にも寄って立っている。同じ年である1983年にジョージ・ストッキング=ジュニア編集 の『観察される観察者:民族誌的フィールドワークについての論文集』が出版された。それは、その後も続く『人類学の歴史』シリーズの最初の巻だった。『観 察される観察者』は、人類学者による建設的な行為としての民族誌的実践を分析するものだった。ストッキング自身の論文は、1967年に初版になったマリノ フスキーのフィールド日記を発見したことの衝撃をより一般的な批判のなかに位置づけるものだった。マリノフスキーは、フィールドにおける白人文明社会への 切望を日記の中に記録していたのである。

ブロニスロー・マリノフスキー——【台詞】——「私が研究する人びとへの恐怖と、白人女性への欲望を打ち明けよう」——そして——「私は「ニガー」に対す る怒りの流出でもって私の欲求不満を和らげているのだ」

122
粘土の足
122.    もろい基礎
122.粘土の足元(もろい土台)

ストッキングが示唆するように、「歴史的な経験と文化的な前提は、それを引き起こし、阻止し、そうすることによって条件付けているのだが」それらは、人類 学の歴史と密接につながっている。

「英雄としての人類学者」は、アメリカ合衆国の批評家であり作家であるスーザン・ソンタグ(1966)によって造り出された表現である。「英雄」のもろい 基礎が明らかになるよう(人類学者に対して)研究されなければならないということだ。

 アナザシ 「人類学と「参加型エキゾチズム」というヨーロッパの広範な伝統とのつながりについて調査が必要とされるのだ」

123
自己投射の議論
123.    自己投射の問題
123.自己投影の問題

「恐れを知らない人類学者」神話は、イギリス人類学の最長老で主要な研究者の1人であったエドマンド・リーチ卿(1910-1989)より、また別の打撃 を受けた。リーチは、『イギリス社会人類学史における言及されぬ事への一瞥』(1984)においてリーチ卿は次のように認めている:人類学者は誰でも、 フィールドにおいて、彼または彼女の投影を除いて見るものなどいないということだ。

「人類学的報告は、著者のパーソナリティの側面から生み出される。それ以外の何であるというのだろうか?マリノフスキーがトロブリアンド諸島民について書 いているとき、彼は彼自身について書いている。エヴァンズ=プリチャードがヌアーについて書くとき、彼は彼自身について書いているのだ」

マリノフスキー——【台詞】——「文化的差異てのは、しばしばその方が都合がいいのだが、一時的な虚構なのである」

124
文化を書くこととポストモダニズム
124.    文化を書くこととポストモダン
125.文化を書くこととポストモダン

『人類学の歴史』の編集委員会には、後に『文化を書く』(1986)に収載される、ニューメキシコ州で開催された「民族誌のテキストをつくる」というセミ ナーに参加した人類学者たちが多く含まれている。『文化を書く』は、人類学における劇的な転換を生み出した。それ以降、モダン人類学から区別されてポスト モダン人類学登場するようになる。ポストモダン人類学は、いかなる誇大理論※も拒絶する。

学者(人類学者)——【台詞】——「それゆえ人類学者は、民族誌的真実の「理論的真実」と「全体性」を拒否してはどうかと考えるようになったんじゃ」—— 「文化についての真実のどのような可能性も、文化についての完全な言及の可能性も、さらには推論の可能性までもが無くなったんじゃ」

リーチの「一時的な」虚構は、『文化を書く』のなかでジェイムズ・クリフォードが述べる「文化的表象のナラティブな特徴」になった。人類学は、〈書くこと のなかで〉つまり読まれるべき存在になり、分析され、小説のように吟味されるテキストのなかだけに存在し、著者のパーソナリティは、民族誌を作り上げるこ との中確固としたものとされた。


※グランド・セオリーのことで、その学問分野の主要な語り(マスター・ナラティブ)すなわち著名な議論のことをいう。ライト・ミルズ『社会学的想像力』を 初めて邦訳した鈴木広(1965)は、タルコット・パーソンズの理論を揶揄するミルズの心情を汲み「誇大理論」と巧みに翻訳している。

125
ポストモダンの麻痺
125.    ポストモダンの無気力感
125. ポストモダン的痙攣(けいれん)

しかし、人類学者の全員がこの事態を快く思った訳ではない。クリフォード・ギアーツの解釈主義は、人類学における革命である『文化を書く』よりも以前にそ の形を前もって示したものであり、ギアーツはポストモダン人類学の擁護者の筆頭となった。イギリスの人類学者アーネスト・ゲルナーは、次のようにギアーツ を批判した。

 ギアーツは「全世代の人類学者に対して、極度の難解さと主観主義の正当化としての認識論的な懐疑と束縛された状態を利用することで、実際の、ないしは捏 造した内面の不安や無気力感を見せびらかすように奨励した。彼らは、退行のどのレベルにおいても、自身そして他者について知ろうとする際の自らの無能力に あまりにも苦悩しているため、他者についてもうこれ以上思い悩む必要はないと考えてしまうほどである。もし世界のすべてが分節化し、多様な形をとり、実際 にはそのもの以外の何にも類似しておらず、もし誰も他者(あるいは自分自身)について知ることはできず、もし誰ともコミュニケーションをとることができな いのであれば、立ち入り不可能な散文のなかにある今のこの状況によって生まれている苦悶を表現する以外にここで何ができるというのだろうか?」
『ポストモダニズム、理性、宗教』1992より。

アナザシ——【台詞】——「だから人類学は、人類学者についての学問だとなるんだよ。それなのに、なぜ連中は俺たち(先住民)を困らせ続けているんだ?」

126
人類学における女性
126.    人類学の女性たち
126.人類学の女性たち

人類学はひとり男性によってつくられたのだろうか? 専門的職業、また今世紀の後半まではずっと規模が小さく、周縁的な、どちらかという奇妙な仕事だと考 えられてきた学問として、この問いに答えるのは簡単ではない。学者の数の比率から見れば、人類学の主要な地位に西洋の学術界のうちでは他の分野に比べてよ り多くの女性がいた。

マーガレット・ミード 「私は、イギリスの大学システムが女子の入学を認め始めたときには、すでにフィールドワークを行っていたのよ」

同じことが、オーストラリア生まれのフィリス・ケイバリーにもいえる。初期の世代の主要人物として次のような名前を挙げることができる。

ルース・ベネディクト、ルース・バンツェル、ルーシー・メイア、エリザベス・コルソン、オードリー・リチャーズ、モニカ・ウィルソン

ヒルダ・クーパー、メアリー・ダグラス、キャサリン・ゴー、ローズマリー・ハリス、ローラ・ネイダー

・フェミニズム

・ルース・バンツェル(Ruth Leah Bunzel, 1898-1990)

・ルーシー・メイア(Lucy Mair, 1901-1986)

エリザベス・コルソン(Elizabeth Colson, 1907-2016)

オードリー・リチャーズ(Audrey Richards, 1899-1984)

モニカ・ウィルソン(Monica Wilson, 1908-1982)

ヒルダ・クーパー(Hilda Kuper, 1911-1992)

メアリー・ダグラス(Mary Douglas, 1921-2007)

キャサリン・ゴー(Kathleen Gough, 1925-1990)

ローズマリー・ハリス(Rosemary Harris, 1930-2015)

ローラ・ネイダー(Laura Nader, 1930- )

ナンシー・シェーパー=ヒューズ(Nancy Scheper-Hughes, 1944- )

※リンク集は「旧ページにあります

127
人類学者たちの親族紐帯
127.    人類学者の親族紐帯
127.人類学者の親族紐帯

人類学において女性は顕著な存在で、個人としてだけではなく、以下の2つの際立つやり方でも足跡を残してきた。最初のインパクトは、「結婚をして権力をつ ける(=power marriage)」ものである。〈マーガレット・ミードは、グレゴリー・ベイトソンと結婚し、モニカとゴドフレイ・ウィルソンは夫婦であり、ヒルダとレ オのクーパー夫妻(ジェシカ・クーパーの配偶者であるアダム・クーパーのおじおばにあたる)もいる。その他にも、ロバートとエリザベスのフェルニー夫妻、 サイモンとフィービーのオッテンバーグ夫妻、グッディ夫妻、アレンツ夫妻、マーシャル夫妻、ペルトー夫妻、ストラザーン夫妻など多数の人類学者同士の夫婦 がいる〉。

イブとしてミード——【台詞】——「このような結婚は、訓練を受けた現役の人類学者である2人をつなげ、それぞれ彼または彼女自身の力となったのよ」

アダムとしてのベイトソン——【台詞】——「フィールドワークにおいて互いが協力するとき、研究対象の人びとのうちの、女性の家庭内の世界が、男性の相方 に対しても開かれるのさ」

128
フィールドの協力者
128.    フィールドの協力者
128フィールドの協力者

もう1つのインパクトは「人類学的な妻」としてのものである。訓練を受けた人類学者である場合でなくとも、女性たちはフィールドにいる男性の人類学者たち の同伴であり協力者であった。《従うべきは女だ》というほどではなくても、彼女たちは寡黙な相方として過小評価され見過ごされるはずの誰かでは決してな かった。もっとも男の人類学者は、女たちを過小評価しその存在を見過ごしていたのだが。

イブとしてミード——【台詞】——「人類学的な妻は「女性たちの世界」に関与することを通して、「真の」人類学者である夫の研究助手になる」

アダムとしてのベイトソン——「でも妻たちは報復する。私たちこそがが理性的で人気のある本を執筆するのよ、とね」

人類学者ポール・ボハナンの妻ローラ・ボハナンは、『笑いへの回帰』を執筆した。メアリー・スミスは、人類学者M.G.スミスの妻で、イスラム教徒のハウ サの女性の伝記『カロのバーバ』を執筆した。このことは、女性のエージェンシーという概念に性的な意味合いのことも含めたニュアンスのある両義性を与え た。

129
フェミニスト人類学
129.    フェミニスト人類学
129.フェミニスト人類学

オックスフォード大学の教授エドウィン・アーデナー(1927-87)は、人類学そのものが男性によって支配されており、単に男性の人類学者が優先的に採 用されるということだけでなく、人類学の理論、概念、方法論、そして実践が男性文化の所産であると指摘する。さらにそれは、女性が人類学を実践している場 合にも当てはまるという。

アナザシ——【台詞】——「君は白人男性がつくり出すものに何を期待するのかな?」

フェミニスト人類学は、フェミニズム同様、複雑で多様である。フェミニスト人類学は「女性と男性の関係は、自然と文化の関係か?」というシェリー・オト ナーの問いのようなものも含む。

エドウィン・アーデナー(Edwin Ardener, 1927-87): " Within anthropology, some of his most important contributions were to the study of gender, as in his 1975 work in which he described women as "muted" in social discourse"
- Shirley Ardener, Shirley G. Ardener is a pioneer of research on women (doing women’s studies more-or-less avant la lettre) and a committed anthropological researcher working with Bakweri people in Cameroon since the 1950s, initially with her husband Edwin Ardener (1927–1987).

-Muted group theory
"The term mutedness refers to a group's inability to express themselves due to this inequity.[1] The theory describes the relationship between a dominant group and its subordinate group(s) as being as follows: 1) the dominant group contributes mostly to the formulation of the language system, including the social norms and vocabulary, and 2) members from the subordinate group have to learn and use the dominant language to express themselves. However, this translation process may result in the loss and distortion of information as the people from subordinate groups cannot articulate their ideas clearly.[1] The dominant group may also ignore the voice of the marginalized group. All these may eventually lead to the mutedness of the subordinate group. Although this theory was initially developed to study the different situations faced by women and men, it can also be applied to any marginalized group that is muted by the inadequacies of their languages.[1]"

130
フェミニスト人類学の位置づけ
130.    フェミニスト人類学の位置付け
130.フェミニスト人類学を位置付ける

一方に偏らないフェミニスト人類学を提唱し、擁護するのは、ヘンリエッタ・ムーアである。

〈フェミニスト人類学は……ジェンダーが文化をとおしてどのように経験され構築されるのかを問うよりもむしろ、経済、親族そして儀礼がジェンダーをとおし てどのように経験され構築されるのかという理論的問いを形成する〉。

「普遍的な女たち」という概念に対して、ムーアは異議を唱える。

ムーア——【台詞】——「女はどこの女であってもよく似ているというのは、男性の人類学者さえもが明らかにした間違った考えだったわね」

女性たちの声を聞こえるものとし、彼女たちのエージェンシーや役割を明らかにするとき、女性の人類学者は、男性の人類学者のそれ以上でもそれ以下でもなく なる必要がある。

・シェリー・オートナー(Sherry Ortner, 1941- )

・ヘンリエッタ・ムーア(Henrietta Moore, 1957- )Space, text and gender: an anthropological study of the Marakwet of Kenya. 1986.
Feminism and anthropology.,

131
未接触の人々
131.    穢れなき民
131.非接触の民

ベネズエラのアマゾン熱帯雨林地域に暮らすヤノマミは、世界で最も有名な先住民である。ヤノマミは、ありとあらゆる人類学にとっての最も重要な戦利品—— つまり誰も訪れていないという意味で「非接触の民」——と表現されている。つまり、こういうことだ。その主張によると、地理的に離れた熱帯雨林の飛び地に 暮らしていることから、白人社会と接触しておらず、かつては皆がそうであっただろう最後の遺物であり、消滅していく最後の民族である。

ヤノマミ——【台詞】——「本当かい?スペインの征服者やゴムの木の樹液採取労働者、そして金鉱地で金を掘る労働者たちがアマゾンにいたことを誰も知らな いと言えるのか?」————「俺たちは、〈生存を救えキャンペーン〉や〈熱帯雨林を救え〉、そしてエコロジー運動のポスターのモデルにもなった、最も有名 な民なんだぜ」

別のヤノマミ——【台詞】——「人気のあるアイドルのスティング※が俺たちのところへやって来て、一緒に写真を撮りさえしたんだから」

当然のことながら、ヤノマミは何十年にもわたり人類学者たちによって研究されてきた。


※スティングはシンガーソングライター。本名は、ゴードン・マシュー・ホワイト・サムナー(1951- )

・Yanomami, by Wiki.

"Ethical controversy has arisen about Yanomami blood taken for study by scientists such as Napoleon Chagnon (1938-2019) and his associate James Neel (1915-2000). Although Yanomami religious tradition prohibits the keeping of any bodily matter after the death of that person, the donors were not warned that blood samples would be kept indefinitely for experimentation. Several prominent Yanomami delegations have sent letters to the scientists who are studying them, demanding the return of their blood samples. As of June 2010 these samples were in the process of being removed from storage for shipping to the Amazon, pending the decision as to whom to deliver them to and how to prevent any potential health risks in doing so.[39]" - Controversies.

132
ヤノマモ・スキャンダル
132.    ヤノマミ騒動(スキャンダル)
132.ヤノマミ・スキャンダル

ヤノマミの人びとの間でフィールドワークを行った最も有名な、あるいは最も悪名高い2人の人類学者は、ナポレオン・シャニョンとジャック・リゾーである。 前者は、アメリカ合衆国の、最もよく知られた現代の人類学者の1人であり、後者は、レヴィ=ストロースの学生だったフランスの人類学者である。

パトリック・ティアニーは、その著書『エル・ドラードの闇:科学者とジャーナリストがいかにアマゾンを荒廃させたか』(2000)において、2人に対する 次のようなを申し立て(ケース)を行う。

ティアニーのシャニョンに対する批判は、シャニョンが……
■アメリカ原子力委員会によって資金援助を受けた調査チームのメンバーであったこと。資金は、ヤノマミの人びとの血液サンプル収集に対するものであり、そ の目的は、自然界の天然放射線量(バックグラウンドの線量)の影響についての比較することだった。それもヤノマミの人びとにとって何の役にも立たない調査 であり、インフォームド・コンセントの許容範囲を超えていた。それどころか、ヤノマミの人びとを感染症に晒すという潜在的危険をもたらした。
■はしかの生ワクチンを使用した。そのことで、はしかの集団感染への治癒どころか、むしろその原因をつくり、ヤノマミの村々で大量の死者を出した。
※Napoleon Chagnon (1938-2019)は、かつての訳書では、ナポレオン・シャグノンと記されていたが、近年は実際の発音にちかいナポレオン・シャニョンと呼ばれるよう になってきた。

ティアニーによるシャニョンへの告発は、まだ続く。

■シャニョンは、民族誌的情報を集めるため、ヤノマミの情報提供者(インフォーマント)に対して、交換財や価値のある鉄鋼の斧や銃で支払いを行った。彼 は、亡き親族の「秘密の」名前を集める目的でこの方法を使うことで、ヤノマミの人びとを蹂躙した。交換財の流入により村は動揺し、村の内部ないし村と村の 間で紛争が起こった。

■効果的に演出され特別にリハーサルされた=つまりヤラセの民族誌的な映像作品(フィルム)をつくるために交換財を利用した。これらの作品としては、『斧 の争い』と『祝宴(ザ・フィースト)』があり、これらは最もよく知られた民族誌的「ドキュメンタリー」である。

■映像作家やジャーナリストをヤノマミの居住地区に連れて来るという、非倫理的で潜在的に大量虐殺に等しい無責任な行為を実行した。このとき彼は、西洋の 疾病に対するヤノマミの人びとの感受性をほとんど考慮しなかった。

ヤノマミ——【台詞】——「だからこれらの映像作品は詐欺行為であり、人類学者が西洋の視聴者に対して紹介する民族を誤表象するものだよ」————「でも それだけじゃないんだ」

・弁明不可能な解釈を立証する調査資を分かりにくくした。特に、より大勢を殺害した男がより多くの妻を有し、それによって遺伝子プールを支配するという命 題(=主張)である。この証拠は、種としての人類がどのように誕生し、どのように発展したのかについての社会生物学の理論的予測を実証するための核となっ ている。

■実際には何人が亡くなったのか、誰が殺したのかという点を偽証し、〈殺人〉を捏造した。

■病気で死んでいくヤノマミの人びとへの治療を行わなかった。

■ヤノマミの人びとを擁護しなかった。

 ヤノマミ——【台詞】——「告発のリストはまだ終わらないよ」

■ヤノマミの土地を徹底的に破壊する鉱山採掘ラッシュの先頭に立つ受益者と協力し、ヤノマミの人びとへの権限と、独占的にこれらの人びとに接近する権利を 確立しようとした。

■スペイン人とポルトガル人の到着以降、すべての地域がすでに植民地主義からの略奪行為の影響と衝撃のもとにあるにも関わらず、穢れなき人びととしてのヤ ノマミを構築した。

そしてリゾーは、
■自身の性的幻想を満足させるためにヤノマミの少年たちを性的に暴行した。

・The Yanomami Scandal  by David Maybury-Lewis. (pdf with password)

"Darkness in El Dorado In 2000, Patrick Tierney, in his book Darkness in El Dorado, accused Chagnon and his colleague James V. Neel, among other things, of exacerbating a measles epidemic among the Yanomamö people. Groups of historians, epidemiologists, anthropologists, and filmmakers, who had direct knowledge of the events, investigated Tierney's claims. These groups ultimately rejected the worst allegations concerning the measles epidemic. In its report, which was later rescinded, a task force of the American Anthropological Association (AAA) was critical of certain aspects of Chagnon's work, such as his portrayal of the Yanomamö and his relationships with Venezuelan government officials. The AAA convened the task force in February 2001 to investigate some of the allegations made in Tierney's book. Their report, which was issued by the AAA in May 2002, held that Chagnon had both represented the Yanomamö in harmful ways and failed in some instances to obtain proper consent from both the government and the groups he studied. However, the Task Force stated that there was no support to the claim that Chagnon and Neel began a measles epidemic.[18] In June 2005, however, the AAA voted over two-to-one to rescind the acceptance of the 2002 report,[19] noting that "although the Executive Board's action will not, in all likelihood, end debate on ethical standards for anthropologists, it does seek to repair damage done to the integrity of the discipline in the El Dorado case". Most of the allegations made in Darkness in El Dorado were publicly rejected by the Provost's office of the University of Michigan in November 2000.[20] For example, the interviews upon which the book was based all came from members of the Salesians of Don Bosco, an official society of the Catholic Church, which Chagnon had criticized and angered.[12] Alice Dreger, an historian of medicine and science concluded after a year of research that Tierney's claims were false and the American Anthropological Association was complicit and irresponsible in helping spread these falsehoods and not protecting "scholars from baseless and sensationalistic charges".[21]"- Napoleon Chagnon (1938-2019)

・Lizot, Jacques (1982- ), Le cercle des feux : faits et dits des Indiens yanomami, 1976.

・リゾーのスキャンダルは以下の記述(ウィキペディアのスペイン語に記載あり)
"En 1993 decidió volver a su país natal; Lizot sufrió la consecuencias de un viaje a la inversa, sintiéndose un extranjero en su tierra de origen. Aún sigue con vida y continúa sus investigaciones como apasionado lingüista volviendo a sus orígenes de antropólogo oriental estudiando la lengua árabe. Se vio involucrado en el escándalo causado por la publicación de "Darkness in El Dorado",2​ del periodista Patrick Tierney; acusaciones que fueron repetidas sin agregar nuevos datos por otros.3​4​ En 2004, la American Anthropological Association (AAA), pasó una resolución desacreditando las afirmaciones de Tierney, que originalmente había respaldado. Una investigación detallada de la Universidad de Míchigan encontró que la mayoría de las acusaciones de Tierney no tenían fundamento, y otras habían sido exageradas. Otras investigaciones coincidieron con esta evaluación.5​ La AAA admitió luego el comportamiento fraudulento, impropio y falto a la ética de Tierney. Pese a esto, las acusaciones de Tierney hicieron mella en la reputación y el ánimo de Lizot, quien decidió no volver a trabajar en territorio yanomami y se enfocó en el mundo árabe. Sin embargo, publicó el Diccionario enciclopédico yanomami (2004), una obra cumbre de la lengua yanomami." - Jacques Lizot, 1938- 存命中
・性的虐待についてはAAAの報告書にある。"Son travail auprès des Yanomamis a été controversé en raison d'abus sexuels allégués envers les jeunes de la communauté1."

 ・El Dorado Task Force Papers, Volume I

・El Dorado Task Force Papers, Volume II

133
内戦を創り出す
133.    生み出される内乱
133.生み出される内戦

人類学者として、シャニョンとリゾーは、ヤノマミについての異なる2つのヴァージョンの表現をした。しかしティアニーは、今やもう馴染み深いこの告発がそ れだけには収まらないと主張する。というのも、村と村の間に激しい紛争をもたらしたのだ。交換財を得るためそれぞれの人類学者に依存していたそれらの村々 は、依頼人とそれに従属する関係にまで発展してしまっていた。

ヤノマミ——【台詞】——「これらの村出身の俺たちは、お互いをシャニョンとリゾーの「民」と呼び合うのさ」————「俺たちの村とは、お互いに戦争状態 にあるんだ」

人類学者たちは、研究対象の人びとの政治を、倒錯的に作り上げてしまったのだ。

これらのすべてに関して熱心な支援者だったのは、西洋のマスメディアである。「石器時代」の社会についての見出しを要求したり、マスメディアは、シャグノ ンを裕福かつ有名にし、彼の「どう猛な民」説を熱心に普及した。殺人が人間社会の最初の規則であるがゆえに、「どう猛な民」説は論理的には殺人と同起源の ものであるので、大量虐殺(ジェノサイド)も人間性にとって原初的なものである、という社会生物学的な説明を補完し、未開概念に関する最初から持たれてい た特徴を再利用するという形でおこなわれた。

アナザシ——【台詞】——「言い換えると、中世の民族誌が元気に生きながらえているということだね。ここが俺たちが生まれたところさ!」

[シャニョンに対するありとあらゆるすべての告発に関して、シャニョンはまったくの無実だとする完全擁護派の主張は、カルフォルニア大学サンタバーバラ大 学のホームページ上でかつては見ることができたが【訳注】今は見れない。]

※のちにアメリカ人類学連合の調査報告によるとシャニョンとニールに関する麻疹ウィルスの拡散に関してはシロ、採集された血液サンプルは一部返還されて、 これらの遺伝情報の採集に関してインフォームドコンセントがない点は報告書のなかで問題視された。右のカラム参照

(再掲)"The AAA convened the task force in February 2001 to investigate some of the allegations made in Tierney's book. Their report, which was issued by the AAA in May 2002, held that Chagnon had both represented the Yanomamö in harmful ways and failed in some instances to obtain proper consent from both the government and the groups he studied. However, the Task Force stated that there was no support to the claim that Chagnon and Neel began a measles epidemic.[18] In June 2005, however, the AAA voted over two-to-one to rescind the acceptance of the 2002 report,[19] noting that "although the Executive Board's action will not, in all likelihood, end debate on ethical standards for anthropologists, it does seek to repair damage done to the integrity of the discipline in the El Dorado case". Most of the allegations made in Darkness in El Dorado were publicly rejected by the Provost's office of the University of Michigan in November 2000.[20] For example, the interviews upon which the book was based all came from members of the Salesians of Don Bosco, an official society of the Catholic Church, which Chagnon had criticized and angered.[12] Alice Dreger, an historian of medicine and science concluded after a year of research that Tierney's claims were false and the American Anthropological Association was complicit and irresponsible in helping spread these falsehoods and not protecting "scholars from baseless and sensationalistic charges".[21]"- Napoleon Chagnon (1938-2019)

134
人類学はどこへゆく?
134.    人類学はどこへ行く?
134.人類学はどこへ行く?

専門的職業としての人類学の歴史は、わずか1世紀ほどにすぎない。その後半の半世紀は、前半の半世紀を改革する歴史であった。人類学は、袋小路の危機に 入っている学問であり、差し迫った己の終焉を絶え間なく思考してきた。

アナザシ——【台詞】——「でも、人類学をすることは、果たして変化したのかな?」

アナザシ 「人類学は、折衷主義的な学問だったけど、ますますそうなっているね」

ロイ・ダンドラーデ(1995)は、アーネスト・ゲルナーの主張にこだまして、人類学が「議論のテーマをぴょんぴょん変えること」はいかに作動するのかに ついて整理する。調査・研究によって明らかになるのは、何か新しいことを生み出すためにますますの努力を要するような複雑性だけではない。何が発見されよ うと、それはますます興味深さを欠くようになっているということも明らかにするのだ。——「こうなると、多くの実践者は、他の項目にくら替えする。つま り、何か本当に興味深いものを発見できるだろうという、いくらか希望がある新しい仕事の方向へと乗り換えるのだ」。

人類学は、他者との対話というよりも、〈他者についての研究〉であり続けている。人類学は、他者の生活様式を普及させ、それは裕福な西洋消費主義のデザイ ナー装飾と化してしまった。エコツーリズムは、今や裕福な人びとが〈風変わりで趣のあるエキゾチックな人びと〉を訪問することを可能にし、人類学とは何か ということを彼らに示す見本となっている。人類学は、西洋と他者との間で、富の力や格差を対等にするためには役立ってこなかった。人類学者のなかには、そ うすべきだと個人的に強く考える者がいるにも関わらずである。

【台詞】バルトロメ=デ・ラス=カサス「これらの問いと不確かさはすべて、16世紀の我にとってもすでに馴染みがあるものだ」

【台詞】アナザシ「俺たちにとっても馴染み深いものだよ。まさにそれが連中が未だに拒んでいる点だよね」



【おしまい】にはならない文化人類学

・ロイ・ゴールドウィン・ダンドラーデ(Roy Goodwin D'Andrade, 1931-2016)
・"Within American anthropology in the 1990s, D'Andrade was known for expressing reservations about mixing moral and scientific aims:[4] "our moral models about the anthropologist's responsibilities should be kept separate from our models about the world...Otherwise the result will be very bad science and very confused morality." [5]"- Roy D'Andrade.

・アーネスト・ゲルナー(Ernest  André Gellner, 1925-1995)

Roy D’Andrade (1995), echoing Ernest Gellner, sums up how anthropology operates as “agenda hopping”. Investigation reveals not only complexity, requiring more and more effort to generate anything new, but whatever is found seems less and less interesting. “When this happens, a number of practitioners may defect to another agenda – a new direction of work in which there is some hope of finding something really interesting.”


Anthropology remains the “study of the Other” rather than a dialogue with the Other. Anthropology has popularized Other lifestyles that have become designer accessories of affluent Western consumerism. Eco-tourism now permits the affluent to visit the “quaint exotics” and sample for themselves what anthropology is all about. Anthropology has not assisted in equalizing power or disparities in wealth between the West and the Other, even if some anthropologists privately believe this should happen.

【続く】

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Wyn-Davis, Merryl. Introducing Anthropology (Introducing...) . Icon Books Ltd.


























Mitzub'ixi Qu'q Ch'ij


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