エスノグラファー
Ethnographer,みんぞくしか,民族誌家
解説:池田光穂
エスノグラファー(Ethnographer,みんぞくしか,民族誌家)とは、エスノグラフィー(民族誌)の描き手という意味である。エスノグラフィーとは「エスノグラフィーとは、フィールドワークという経験的調査手法を通して、人々の社会生活について具体的 に書かれた「体系的体裁によって*」整えられた記述のことである」
オートエスノグラフィ(auto-ethography)とは、自叙伝や闘病記のように、自分自身が参与したことを、自分自身の語りを通して表 現した(広義の)エスノグラフィックなメディアのことである。したがって、オートエスノグラフィを描く人とはオートエスノグラファーということができる。
また、サイバースペースを生きる「ネットワークコンピュータと主体的にリンケージのした人間主体」である、サイバーパンクが、サイバースペースでの自分の生き様を描くことができれば、彼女/彼/それは、サイバーパンク・オートエスノグラファーである。
■マルチサイトエスノグラフィーと古典的エスノグラフィーの位相: Multi-Site
Ethnography means using dynamic approrch or Traveling Ethnographic
Approarch ("field
concept" in the Transnationality Studies in Japanese)
古典的エスノグラフィーは、ひとつのフィールドに入り深く調査する(左側の蟹のように)。他方、マルチサイトエスノグラフィーは、複数の
フィールドを広く見て回る手法である。(この図の出典は "Should We Think about Multicultural
Medical Systems?" にある)
■また、地域と研究テーマの関係については、次のような関係も描くことができます(→「学際研究を継続させる要因とは何か」を参照してください)。
◎余滴:エスノグラファーあるいは物語作家としてのマルコ(→「ベンヤミン「ニコライ・レスコフの作品についての考察」について」より)
「長老たちによれば、マルコはペトロの通訳になり、 ペトロの記憶していたことを忠実に記録したという。しかし、それは決してイエスの生涯における時間の流れに正確に沿ったものではなかった。マルコ自身はイ エスに会ったことはなく、ペトロからイエスについて聞いたのである。しかしペトロの言葉も聴く人々のその時々の必要に応じたものであって、決してイエスの 言葉を体系的にまとめることを意図していなかった。マルコ自身に関していうなら、彼はペトロから聞いたことを忠実に記録し、決して自ら加筆修正することは なかった」カイサリアのエウセビオス
物語は、長い時間的尺度のなかで「報酬」を得る。だから僕は君に物語るわけである。いや物語をして僕にその報酬をもたらしてくれるのだ——伝福音書家マルコ
リンク
文献
その他の情報
関連するリンク