5分でわかる民族誌研究の現状
Explaining ethnography in five minutes!
解説:池田光穂
民族誌と
は、 ethnos + -graphy つまりある特定の「民族集団(ethnos)」の「記述(-graphy)」のことをさし
ます。
しかし、この論理的前提には「民族」と「文化」と「言語」を同一のカテゴリーに包摂したうえで、その〈社会の全体的表象〉が民族誌である、操作的理解が欠
かせません。
(第1段階)かつて、E.B. タイラーによる、文化の定義は、人間が後天的にもつ 文化項目の枚挙すればよいという話がありました。民族誌には、たしかにいろいろなことが書いてあります。でもこれはとても無謀な試みすぎませんでした。な ぜなら、それらには歴史的があり、絶対に枚挙が終わることがあり得ないからです。
(第2段階)文化のテーマによる民族誌的細部の整合性が試みられるようになり まし た。1922年のマリノフスキー『西 太平洋の遠洋航海者』やラドクリフ=ブラウン『アンダマン島民』は その最たるものでした。
(第3段階)表象記述の政治性 Writing Culture, 1985、ということで、民族誌は、人類学者と対象となった「民族」と、それらを支えているさまざまな外部の大きな勢力や文脈(例:植民地状況)の結果で あるという批判が浮上します。また、民族誌という記述体系における「修辞」ひらた く言えば表現の細部の戦術についても議論がおこるようになりました。
(第4段階)民族誌記述の細分化(連辞符人類学)が、その後ますます進むようになり、現在に至っています。
そこで検討されているのが、民族誌事実とはなにか?ということについてです。
でも、民族誌記述の古典的スタイルは、現在においてなお受け継がれているところが あります。
最初に、調査対象の集団的特性(民族、言語、生業等)が書かれます。
次に、先行研究とテーマの理論的素描がおこなわれます。
そして〈民族誌記述の本体部分〉です。具体的には、人類学者のスケッチ、観察、研 究対象の語り、観測可能なデータ、解釈のためのデータ、解釈(理論的抽象化)などが提示されます。
そして、最後に、地図、語彙、一日の生活、クロノロジー、注釈、文献、索引などで す。
関連するリンク
【民族誌】その辞書的説明
民族誌とは、フィールドワークという経験
的調査手法を通して、人々の社会生活について具体的に書かれた体系的体裁によって整えられた記述のことである。民族誌(ethno-graphy)は文字
どおり、民族(ethnos)について書かれたもの(graphy,
document[下記参照])という意味である。ただし、すでにマリノフスキーらの近代民族誌の確立時期[1920年代]にもあったように、写真やス
ケッチなどの映像資料、さらにはメディア技術の発展を通して動画(フィルムやビデオ映像)による映像記録なども、民族誌に含まれる。(なお、その場合は
ethnographic film
のようにメディア形式に形容詞をつけて表現する)。民族誌(古い英語の辞書では民俗誌と表現された)は、文化人類学や民族学(あるいは民俗学)研究にとっ
て、重要な基礎資料となる。それに対して、ドキュメント(document,
記述された文書や記録)に基づく記録物——今日ではスクリプトで構成された映像作品——をドキュメンタリー(documentary)という。ドキュメン
トのラテン語の語源は「証拠」であり、記録されたものが「真実」であると証明し、それを利用する人に伝えるという「使命」を担わされていると考えることが
できる。もちろんドキュメントは、証言を語る人、証言を記録する人、証言を利用する人たちによって、その「真理」の処遇がことなり、真理の多元性を産むと
いう社会的特徴を持っている。民族誌という言葉を定義する際につきまとうややこしい問題は、この用語が2つの言葉「民族」と「記述(ドキュメント)」に分
解され、それぞれの用語とは何か、という議論を内包することである。したがって、民族誌学(ethnography)とは、今を生きる世界のさまざまな人
びとの生活をおもに記述したり記録することを通して、人間の文化の個別性と普遍性について考える学問分野をさす.
[→民族誌学とは?]。