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人類学的想像力

Anthropological imagination


池田光穂

マイケル・タウシグによると、人類学の主要 な関心事=興味=使命は西洋(特に資本主義)文化を批判 することであるというものだ。まず、世界資本主義経済の周辺部に暮らす人々は資本主義に対して批判的な視点を持っており、彼ら自身 の文化的慣用表現 を用いて資本主義に対する批判を明確に表現していると、タウシグは主張している。したがって、人類学者は世界資本主義経済の周辺部に暮らす人々を研究することで、自ら の文化に対する批判的な洞察力を得るべきであると結論づけている。つまり、この論争は人類学者の研究対象を他文化から自文化へと移行させ、 人類学の研究対 象であった先住民(indigenous peoples)を、価値ある批判的思考家(critical thinkers)として再定義するものである。——『南アメリカにおける悪魔と商品崇拝

コロンビアの半プロレタリア化した農民、ボリ ビアの錫鉱山労働者
サトウキビ刈りの労働者が悪魔と契約を結ぶ と、大金を手に入れることができるが、その金は軽薄な消費財にしか使えず、労働者は早死にして悲惨な最期を遂げるというものである。
【従来の解釈】初期の人類学者たちは、この信念は資本主義以前の文化の 名残であるか、あるいは平準化のメカニ ズム(個人が仲間よりも著しく裕福になることがないようにする)として機能している。
【タウシグ】悪魔を通 じて、農民たちは、資本主義が資本は生産的であるという呪術の信念に基づいているという認識を示していると主張している。だが、実際には、資本主義は貧 困、病気、死を招いている。
コロンビアの半プロレタリア化した農民 一部の人々が、赤ちゃんに洗礼するではなく、そうではなく貨幣(ペソ) に洗礼を施すことを企てているという信念である。
お金は(赤ちゃん同様)生きているので、どんなに使っても元の持ち主に 戻り、さらに多くの金を持って戻ってくる。つまり、金持ちたちは、通貨に洗礼を施す儀礼をおこなっているのである。



Believers pay tribute to Ekeko, the Andean God of prosperity, by burning incense and offering fake money, by AP archive.

◎文化人類学批判について

文化人類学者が、 自分の学問である文化人類学を批判することは、容易ではない。その理由は、多くの人 にとって、自分の勉強していたり、あるいはそれを生業(なりわい)にし ている人にとって自分の存立基盤がなくなるということを意味するからである。しかしながら、どのような学問でも、その分野のことを極めるためには、自分の 学問を虚心坦懐に追求することだけではなく、自分が依拠する学問について、つねに自己批判の姿勢をもつことが重要だからである。

さて、文化人類学という学問には、大きく分けて、2つの批判のジャンルの批判が可能だと思う。ま ず最初は、1)認識論的な批判、次に、2)存在論的な批判、これは前者よりより重い批判になろう。そして、最後は、3)文化人類学者の自己批判としての自 分にとっての文化人類学という学問批判である。

1)認識論的な批判

2)存在論的な批判

3)文化人類学者の自己批判

★旧クレジット:ビッグ・クエスチョン:文化人類学(Critique of Cultural Anthropology)

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Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

What is a Critically Elaborated Cultural Anthropology and/ora Crazily Celebrated Anthropologist ! / ?

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