みんなのための喰人_入門
Cannibalism of the People, by the people, for the people
Extermination of Evil, The God of Heavenly Punishment, from the
Chinese tradition of yin and yang. Late Heian period (12th-century
Japan).
この授業(2022年5月25日)は、東京理科大学葛飾キャンパス「教養講座」にて、食 をテーマにした教養概論のリレー講義の一コマである。今回の授業の課題は「喰人、あるいはカニバリズム」である。皆さんのなかで、人を食ったこと のある人は極めてまれだろう——「自分や他人の排泄物や血液を『食べた』こ とがある」からカニバリズム経験があるというのも、ちょっと屁理屈だ。食事として人間を食べるのであれば、その筋肉組織や、内臓などを、きちんと料理して 食べないと、つまり栄養物として摂取しないと、それはカニバリズムの定義に は入らないからだ。というわけで、喰人というのは、私たちの食の経験のなかで は、かなりレア(珍しい)、つまり食の極北経験とも言えるものだ。そして、極北と比喩的に表現するぐらい「血も凍る」おぞましい経験であると、多くの人は 感じるだろう。
いまや栄養たっぷりのジビエとして有名になった鹿肉 や熊肉よりも、犬肉食(こっ ちのほうが安全で栄養があると思うのだが) のほうが、私たちには抵抗があるし、飼っていたペットを食べる経験でも、鶏や家鴨よりかは、犬や猫のほうが、さらなる抵抗があるし、嫌悪や拒絶、すなわち 「考えることすら恐ろしい」ことだってあるだろう。なので、「喰人、あるいはカニバリズム」のことに、ついて考察するには、私たちには、心理的な抵抗があ るので、テーマとしては、なかなか容易ならざるを得ない。
▲▲▲▲
+++
1)命題01:「自分たちの民族で は、人を食べないが、遠くの野蛮な民族は人を食べる」。
2)命題02:「日本の狩猟者は、害獣駆除した獣の 肉を消費することが多いが、猿を狩猟したり、食べることには忌避の心理が働くらしい。その最大の理由が《猿は人に似る》からである」。
3)命題03:「アメリカの兵士と一緒に戦った南ベ トナム政府軍の将校は、戦闘で殺したばかりの南ベトナム国民解放戦線のゲリラ兵士の腹を裂き肝臓の一部を食べた。これは敵の呪力を調伏し、また敵の戦闘能 力を『自分の体内に取り込む』のだと、将校はアメリカの兵士に説明した」。
4)命題04:「生態学的な観察データによると、カ
マキリやセアカゴケグモの交尾(=セックス)をしているカップルのオスのほとんどはメスに食べられてしまう。もちろん、オスも喜んで食べられるつもりでは
なくて(=カミカゼセックスではない!)食べられることから回避する行動を取るが、長くセックスをしていると自分の遺伝子を含んだ精子をメスがうむ卵に注
入することができるので、『その誘惑に耐えきれず』不覚にもメスに食べられてしまう、らしい」。mantis, n., Etymology:
< post-classical Latin mantis (a1604) < Hellenistic Greek μάντις
, a specific application (see below) of the ancient Greek sense
‘prophet, diviner’ (see mantic adj.). Compare French mante (1734 in
form mente).
★おことわり:ファイルサイズがでかいので、いつ壊れるかもしれないので、バックアップサイトがあります。
【ある日の献立メニュー】 ・カニバリズムの定義(カニ バリズムの生物学と、カニバリズムの人類学の類似点と相違点)から ・カニバリズムの種類(フォ ルハルト経由の山田仁史解説:世俗的カニバリズム、司法的カニバリズム、呪術的カニバリズム、儀礼的カニバリズム) ・カニバリズムのレシピ (バーベキュー、煮物、蒸し料理、肉団子、塩漬け後にシチュー、人血饅頭) ・カニバリズムの意味や解釈 (ロマンチック喰人論、純粋儀礼説、機能主義仮説[薬→儀礼、タンパク質]、オリエンタリズム批判) ・今日のカニバリズム——イ ンセストのタブーとカニバリズムのタブー:「タブーづくしどっちが怖いか?」「知らぬが仏ならいいのか?(ソイレントグリーン問 題)」 ・セックスとカニバリズム ——他者とのセックスと、他者を取り込むこと ・結論:「人を食べる
という話は存在するが、その頻度は圧倒的に自分たちより他者たちのものの話のほうが多い」 |
★カニバル・リンク集:︎▶メディア・カニバリズム論︎▶︎︎中野美代子『カニバリズム論』の研究▶︎カニバリズム(食人)▶クールーとカニバリズムの謎︎︎▶︎狩猟と肉食とカニバリズムの民族誌としてグドール『野生チンパンジーの世界』を読む▶︎︎弘末雅士『人喰いの社会史:カンニバリズムの語りと異文化共存』▶︎老人遺棄と殺害▶イヌとニンゲンの〈共存〉についての覚え書き︎︎▶︎▶︎
◎サイドメニュー
1)かつてキリスト教徒は人肉食と言われた,と言っ ても2世紀の話です(McGowan, doi.org/10.1353/earl.0.0202)
2)CiNii Books で "cannibalism"の検索用語だけでも検索結果は400件に上る。
3)カニバリズム(cannibalism)を検索 をした人たちの世界分布
4)桑原隲蔵のクソ・オリエンタリズム「支那人 間に於ける食人肉の風習」(1924)、「支那人の 食人肉風習」(1927)は、利用しないと中野美代子先生は おっしゃるが、これなくして「カニバリズム論」はかけなかったので、その言及はちょっと公平さに欠ける。
5)アレンズ『人喰いの神話』の冒頭に、ある東洋学 者との談話のなかで、中国では朝鮮人が喰人嗜好をもっているが、朝鮮では中国人をカニバリストとみなしている資料の存在を、アレンズに示唆したという(出 典はあげられていない:p.vi)。
6)カニバル文献を調べてみると、カニバリズムがみ られる情景のなかでは、同時に、サディズムと、ネクロフィリアが見られることがしばしばある(アレンズ 1982:134)。
7)日本の文学作品で、カ ニバリズムに言及している 作品に小説では、野上弥生子『海神丸』、武田泰淳『ひかりごけ』、大岡昇平『野火』、筒井康隆「血と肉の愛情」『ベ トナム観光公社』 全集3巻、新潮社、1983年。ドキュメントとしては、コリン・ウィルソン〔ほか〕『狂気にあらず!? : 「パリ人肉事件」佐川一政の精神鑑定』第三書館、1995年。喰人当事者と漫画家の作品佐川一政・根本敬『パリ人肉事件:無法松の一政』河出書房新社、 1998年、唐十郎『佐 川君からの手紙 : 舞踏会の手帖』河出書房新社、1983年。
8)本日の結論の命題「人を食べるという話は存在す るが、その頻度は圧倒的に自分たちより他者たちのものの話のほうが多い」を、日本の人類学の泰斗はこう表現する「アレンズの命題で極めて示唆的なのは、い わゆる食人と言われる事例のうちで他の文化、他の部族による証言または偏見に基づくものが圧倒的多数を占めるという点である。この点でアレンズは食人とい う悪夢の神話学の分析に成功したようである」あるいは「食人という言説が、一文化の内側で妖術についてなされる型を他部族へ投影したもの」(山口 1982:258)。
9)経済機能主義である「文化唯物論」で説明する マービン・ハリスの弁明:(論争へのリンクは https://www.nybooks.com/contributors/marshall-sahlins/を 参照)
[T]he costs and
benefits of cultural materialism refer to the more or less efficacious
ways of satisfying the need for food, sex, rest, health, and
approbation. Although these costs and benefits cannot be measured with
precision, rough approximations can easily be obtained in terms of
rising or declining death rates, calorie and protein intake, incidence
of disease, ratio of labor input to output, energetic balances, amount
of infanticide, casualties in war, and many other “etic” and behavioral
indices. |
文化的唯物論の費用と便益とは、食物、性、休息、健康、賞
賛の欲求を満たすための多かれ少なかれ効果的な方法を指す。これらの費用と便益は正確に測定することはできないが、死亡率の上昇や低下、カロリーやたんぱ
く質の摂取量、病気の発生率、労働投入量と生産量の比率、エネルギー収支、幼児殺しの量、戦争での犠牲者、その他多くの「エティック」と行動指標から、お
およその目安を容易に得ることが可能だ。 |
https://www.nybooks.com/articles/1979/06/28/cannibals-and-kings-an-exchange/ |
https://www.deepl.com/ja/translator |
The New York Review of
books.において、マービン・ハリスの一般向け書籍『食人と王』に対する、マーシャル・サーリンズの文化唯物論の揶揄。ハリスの反論、そして、アレン
ズの「サーリンズはハリスの機能主義(ないしは進化論)的なカニバリズムを批判するが、サーリンズは儀礼的カニバリズムを擁護することになり、2人はカニ
バリスト支持者だ」と批判。
◎カニバリズム分類学——ウィリアム・アレンズは、 明らかにこのようなヲタ的な分類を(本質的な議論を外れるものとして)小馬鹿にしている。
1. フォルハルト(Volhard)『カニバリズ ム』 の4分類を紹介(pp.315-316)
2. 桑原隲蔵のカニバリズム分類
3. アレンズが、ヲタ的な分類を(本質的な議論を 外れるものとして)小馬鹿にしている理由は、もっともらしいことを言って自分たちの頭の中の秩序を押し付けることである(アレンズ 1982:20)
◎もっとも初期の喰人風景の木版画イラスト: Original 1557 Hans Staden woodcut of the Tupinambá portrayed in a cannibalistic feast; Staden is the naked bearded man at right labeled "H+S"
★ウィリアム・シーブルックによる「人を喰った話(→食わせ物というハッタリ)」
Cannibalism In the 1920s, Seabrook traveled to West Africa and came across a tribe who partook in the eating of human meat. Seabrook wrote about his experience of cannibalism in his travel book Jungle Ways; however, he later admitted that the tribe had not allowed him to join in on the ritualistic cannibalism. Instead, he had obtained samples of human flesh by persuading a medical intern at the Sorbonne University to give him a chunk of human meat from the body of a man who had died in an accident.[7] He reported: It was like good, fully developed veal, not young, but not yet beef. It was very definitely like that, and it was not like any other meat I had ever tasted. It was so nearly like good, fully developed veal that I think no person with a palate of ordinary, normal sensitiveness could distinguish it from veal. It was mild, good meat with no other sharply defined or highly characteristic taste such as for instance, goat, high game, and pork have. The [rump] steak was slightly tougher than prime veal, a little stringy, but not too tough or stringy to be agreeably edible. The [loin] roast, from which I cut and ate a central slice, was tender, and in color, texture, smell as well as taste, strengthened my certainty that of all the meats we habitually know, veal is the one meat to which this meat is accurately comparable.[8] Seabrook might have eaten human flesh also on another occasion. When his claim of having participating in ritualistic cannibalism turned out wrong (and he hadn't yet dared reveal the Sorbonne story), he was much mocked for it. According to his autobiography, the wealthy socialite Daisy Fellowes invited him to one of her garden parties, stating "I think you deserve to know what human flesh really tastes like". During the party, which was attended by about a dozen guests (some of them well-known), a piece of supposedly human flesh was grilled and eaten with much pomp. He comments that, while he never found out "the real truth" behind this meal, it "looked and tasted exactly" like the human flesh he had eaten before.[9] 7. "What does human meat taste like?". The Guardian. August 9, 2010. 8. Seabrook, William (1931). Jungle Ways. London: George G. Harrap. pp. 172–173. 9. Seabrook, William (1942). No Hiding Place: An Autobiography. Philadelphia: J. B. Lippincott. pp. 311–312. |
人喰い 1920年代、西アフリカを旅したシーブルックは、人肉を食べる部族に出くわした。シーブルックは旅行記『ジャングル・ウェイズ』にカニバリズムの体験を 記したが、後に彼は、その部族が儀式的なカニバリズムに参加させてくれなかったことを認めた。その代わり、彼はソルボンヌ大学の研修医を説得して、事故死 した男性の遺体から人肉の塊をもらい、人肉のサンプルを入手していた[7]: それは、若くはないが、まだ牛肉ではない、十分に成長した子牛のようだった。それは確かにそのようなもので、私がこれまでに味わったことのある他の肉とは 違っていた。普通の味覚の持ち主であれば、子牛肉と見分けがつかないと思う。ヤギ肉、ジビエ肉、豚肉に見られるような、はっきりとした特徴的な味はなく、 まろやかで良質な肉だった。ランプステーキは、プライム仔牛肉よりやや硬く、少し筋っぽいが、食べられないほど硬くもなく、筋っぽくもない。ロース]ロー ストは、中央のスライスを切って食べたが、柔らかく、色、食感、香り、味ともに、私たちが習慣的に知っているすべての肉の中で、この肉が正確に匹敵するの は仔牛肉であるという確信を強くした[8]。 シーブルックは別の機会にも人肉を食べたかもしれない。儀式的なカニバリズムに参加したという彼の主張が誤りであることが判明したとき(彼はまだソルボン ヌ大学の話を明かす勇気がなかった)、彼はそのことで大いに嘲笑された。彼の自伝によれば、裕福な社交界の名士デイジー・フェローズは、あるガーデンパー ティーに彼を招待し、「あなたには、人肉が本当はどんな味なのか知る資格があると思う」と言ったという。名ほどの招待客(その中には有名人もいた)が出席 したそのパーティーでは、人肉と思われる肉片が焼かれ、盛大に食べられた。彼はこの食事の「本当の真実」を知ることはなかったが、以前食べたことのある人 肉と「見た目も味もまったく同じ」だったとコメントしている[9]。 7. "What does human meat taste like?". The Guardian. August 9, 2010. 8. Seabrook, William (1931). Jungle Ways. London: George G. Harrap. pp. 172–173. 9. Seabrook, William (1942). No Hiding Place: An Autobiography. Philadelphia: J. B. Lippincott. pp. 311–312. |
https://en.wikipedia.org/wiki/William_Seabrook |
|
**
《事前課題の解説》 1)弘末雅士『人喰いの社会史:カンニバリズムの語りと異文化共存』の書評、フルコース メニュー. 2)池田光穂「テクストと方法につ いて:ショロイツクイントゥリを事例にして(pdf_direct)」Co*Design. 1 P.53-P.66, https://doi.org/10.18910/60554 |
《授業後の課題》 授業終了後に発表します!!! |
(再掲ですが、回答へのリンクが張ってある)
《授業後の課題》
い)カニバリズムを事例にして、エ スノセントリズム(=自 民族中心主義)という言葉について、簡単に説明してみよう。
ろ)なぜ、猿は人間に似ているから、他の動物を狩猟 するよりも、気が咎めるのか? 猟師(ハンター)の気持ちになって説明してみよう(→擬人化)。
は)カニバリズム(喰人)は、日常生活のルーティン (通常の作業)というよりも、なにか特殊な宗教的行為のように思える。文化人類学者は、このような行為に対して《ほにゃらら》だと言ってきた。《ほにゃら ら》行為とも呼ばれる、この《ほにゃらら》の中の言葉を埋めてみよう。
に)なぜ、カマキリのオスはメスに食べられてしまう 危険性を侵してまで交尾(セックス)を続けようとするのか?生物学的な「合理性」——説明することで意味が通り反論を受け付けなくなること——で説明して みよう。
+++
Links
リンク
文献(フルテキスト)
文献
その他の情報
ル ネ・マグリット「陵辱」(1934)とアルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer) との共作(右:垂水源之介)
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
☆☆