モダニスト人類学
Modernist Anthropology
解説:池田光穂
1980年代以前・以降で文化人類学のパ ラダイムは大きく変化しました。この授業では、文化人類学の歴史的流れを社会の動きの中で動態的 に理解し、文化表象学(Cultural Studies)領域において多大な影響力を与えて続けている、文化人類学の方法論・思考法・学問の社会的責務について多角的に学びます。
ざっと整理しましょう。
1920年代に登場するブラニスラウ・マリノフスキー(1884-1942) の機能主義人類学は、現地調査にもとづくことを主張し、彼自身がそれを実践すること で、近代文化人類学の手法を確立しました。しかし、その理論は、人間が求める社会的ならびに(文化に水路づけられた)欲望の充足という観点から、大きく前 にすすめることはできませんでした。
構造機能主義者のラドクリフ=ブラウン(1881-1955)は、 1930-1950年代にかけて、イギリス社会人類学の基礎をつくることに成功し、親族組織、政 治組織に関する詳細な研究を通して、それらの制度の分類という作業にとりかかりました。
しかしながら、1950年代からは、それらの分類の有効性に疑問点が出されました。
1949年レヴィ=ストロース(1908-2009)の『親族の基本構造』の公刊は、ラドクリフ=ブラウン流の、社会制度の分類の限界を、 暗々裏に批判することに なりました。
1950-1960年代は、レヴィ=ストロースを中心とする構造主義の時代にになります。
他方、英国では、デュルケーム(1858-1917)流の 社会の統合理論の 延長上に、マルセル・モース(1872-1950)の交換理論を取り込もうとい うイギリスの社会人類学の若手の研究者たちは、エドマンド・リーチ(1910- 1989)やロドニー・ ニーダム(1923-2006)などがいました。
アダム・クーパーは、英国新構造主義と呼んでいる。英国新構造主義=British neo-structuralism (Kuper
1975:204)
他方、はやくから、マックス・グラックマン(1911-1975)が 率いるマンチェスター学派は、社会の動態論を準備していました。
しかしながら、構造機能主義者のラドクリフ=ブラウンに対して、より本質的な批判を投げかけたのは、エヴァンズ=プリチャード(1902-1974)であったように思われます。
人類学におけるモダニスト的自覚の誕生 は、文化について書く営為における表象性の危機から、記述の問題、とくにテクスト批評や記述法と いった問題に由来します。これに対して、テキスト批判に埋没することで忘れ去られてしまう、書く側/書かれる側の権利問題を発端とする、表象の政治性や操 作性にまつわる権力の問題は、エドワード・サイードのオリエンタリズム批判やスチュアー ト・ホールのヘゲモ ニーをめぐる一連の議論の影響を受けて、ポストモダン人類学(1999年度授業)に おける重要なテーマとして確立したと言えるでしょう。
この授業では1980年代以前の文化人類 学の理論上の発展、理論上の難問、隣接諸学問との影響関係などについて学びますが、訓古学的遡及 主義ではなく、ポストモダン人類学の確立以降の観点から、モダニストの最たる人類学者がどのようにその思想的・方法論的基盤を築いてきたかについてさまざ な文献を古典的な読解に抗しつつ対抗的解釈を交えて講ずるつもりです。さらに、後半では、学問のヘゲモニーにおいて圧倒的優位な状況にある欧米の人類学に 対して、日本という政治的空間において、文化人類学を学ぶ意味について根底から捉え直し、最近の日本の学界においてさまざな議論を呼んだ重要なテキストが 提示する問題(agenda)等も受講学生と共に議論したいと思います。
[授業目標] 授業のクレジットはこちら
(1)文化人類学についての理念と学問の方法論上の特色について把握する。
(2)1980年以前・以後の文化人類学の学問上の変化とその社会的意義について理解する。
(3)文化研究がなぜ英国において発生したのかについて歴史的文脈化することができる。
(4)なぜ日本において文化人類学や文化研究をおこなうのかについて、この受講を契機に議論することができるようになる。
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