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帝国主義的ノスタルジー/帝国主義的ノスタルジア

imperialist nostalgia, "nostalgie" of imperialism

池田光穂

 ノスタルジア(英: nostalgia)またはノスタルジー(仏: nostalgie)は、 過去の故郷のように時間的/地理的遠隔地への憧憬のきもちを意味するものである。 ノスタルジアという言葉は、ホメロス語で「帰郷」を意味するνόστος(nóstos)と「悲しみ」「絶望」を意味するἄλγος(álgos) からなるギリシャ語の合成語で、17世紀の医学生が故郷を離れて戦うスイス傭兵に見られる不安を表すために作った造語であった。 近世にはメランコリーの一種である病状として記述され[、ロマン主義において重要な語法となった。

帝国主義的ノスタルジア(帝国主義的ノスタルジー) は、帝国主義あるいは植民地主義の文脈で、支配者や統治者が、現地の人たちや先住民に抱くノスタルジー感情のことを意味する。この場合、支配者や統治者 は、彼らにとっての時間的/民族的(あるいは人種的)遠隔地であるかのように振る舞い、かつ、彼/彼女らに、自分たちが行使している植民地的暴力を粉飾し たり忘却することで、無条件に現地の人たちや先住民に、ノスタルジックな気持ちを抱き、また称賛する。その名も「帝国主義的ノスタルジア」というタイトル の論文を書いた、レーナート・ロサルド(1989)は次のように表現する。

"Imperialist nostalgia thus revolves around a paradox: a person kills somebody and then mourns his or her victim. In more attenuated form, someone deliberately alters a form of life and then regrets that things have not remained as they were prior to his or her intervention. At one more remove, people destroy their environment and then worship nature. In any of its versions, imperialist nostalgia uses a pose of "innocent yearning" both to capture people's imaginations and to conceal its complicity with often brutal domination" (Rosaldo 1989:108). - Imperialist Nostalgia.
帝国主義者のノスタルジアは、このように、人が誰かを殺して、その犠牲者を追悼するというパラドックスを中心に展開する。もっと矮小化して言えば、誰かが意図的に生命の形を変え、その後、自分が介入する前の状態にならなかったことを後悔する。もう一歩踏み込んで言えば、人は環境を破壊しておいて、自然を崇拝する。いずれのバージョンにおいても、帝国主義的なノスタルジアは、人々の想像力を掻き立てるために、また、しばしば残忍な支配との共犯関係を隠すために、「無邪気な憧れ」というポーズをとる

支配者や統治者が、現地の人たちや先住民に接する態 度は、パターナリズム(父権主義)にもとづく「思いやり」であるが、それのような感情を抱けるのは、支配が完了した時点では、現地の人たちや先住民が、支 配者や統治者に対して決して反抗できないような支配や圧制(=しばしば「良き支配」という欺瞞的用語で表現される)がおこなわれている安心感からである。

支配が未だ完了していない時点では、支配者や統治者 は、現地の人たちや先住民を見下したり、(しばしば科学的知見を用いて)「人種的劣等性」をゆるぎない真理として確信し、現地の人たちや先住民への圧政、 監視、「教導」を自明のものとして受け入れている。

このような帝国主義的ノスタルジア(帝国主義的ノス タルジー)は、帝国主義や植民地支配が終わった「ポストコロニアル」の時代にも、温 存し、そのような表現は、しばしば植民地(元)宗主国や先進国の知識人の態度と認識の中に認めることが可能である。

レナート・ロサルドの言に耳を傾けてみよう。

「『熱砂の日』『インドへの道』『愛と哀しみの果 て』『ブッシュマン』 が大ヒットしたことを考えてほしい。これらの映画で描かれた白人の植民地社会は、まるで古 典的な民族誌の規範にそってつくられたかのように、趣味がよく秩序だってみえる。こうした社会 が崩壊しつつあることは、そうした社会にたいして倫理的な憤りがかきたてられる場面ではなく、 懐かしく思い出される周縁部に、ほんの少しほのめかされているだけである。北アメリカの政治的 に進歩的な観客でさえも、優雅な行犠作法で「人種」間の主従関係が統制されている様子を楽しん だのだった。ノスタルジアの雰囲気が、人種支配を無垢で純粋なものにみせていることは明らかだ」(ロサルド 1998:103)『文化と真実』椎名美智訳、日本エディタースクール刊。

ロ サルド、レナート「帝国主義的ノスタルジア」は、彼の著書『文化と真実 : 社会分析の再構築 』(原著1989)の第3章のタイトルとして登場する。この書物全体の構成は以下のとおりである。

序 首狩り族の苦脳と怒り

第1部 批判

 1.古典的規範の崩壊

 2.客観主義以降

 3.帝国主義的ノスタルジア

第2部 新たな方向づけ

 4.文化を発動する

 5.イロンゴット族の即興的な行動

 6.語りという分析

第3部 再生

 7.変わりゆくチカーノの語り

 8.社会分析における主体性

 9.境界線を超える

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池田光穂

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099


Sui Gushiku, October 31, 2019 by NHK television