反証可能性
Falsifiability
解説:池田光穂
カール・ポパー(Karl Raimund Poppr, 1902-1994)の科学論におけるもっとも重要なテーゼ。科学理論の客観性を保証するためには、その仮説が実験や観察によって反証される可能性がなけ ればならないというもの。つまり、ポパーによれば、科学理論は反証される潜在性をもつ仮説のあつまりであり、反証に対して抵抗力のある(=反証に対してき ちんと反論できる)ものが信頼性の高い科学理論である。
フロイトの精神分析は、反証ができない解釈のために、ポパーに言わせれば科学理論とはいえない。また、帰納法に関してもポパーは否定的立場維持 する(→ドイツで戦後おきた「社会学実証主義論争」では、ヘーゲル主義のアドルノとともに、データにもとづく社会調査に対して「誤った自然主義」と批判し たので、反実証主義と思われているが、この彼の反証主義からみれば、反証を保証する点では実証主義者そのものである)。
反証の潜在的可能性を担保として客観性を保証するということは、科学的議論が開かれたものではならないし、また科学の真理とは無謬(=間違いが ないこと)ではないことを主張した点で、ポパーは、科学と科学的理解の相対性について道を開いた。この点では、ポパーの科学論は啓蒙主義の延長上にあるこ とがわかる。
しかし、科学的真理が、科学者集団の認識論やひいては社会(宇宙)全体の脈絡のなかで決定されるという社会学主義や(ポパーが嫌う)歴史主義 (ポパーの用語ではhistrism ではなく、historicismで富永健一(1984)は「歴史法則主義」と翻訳している)の立場からみれば、より強い客観主義の立場を保持している [→『歴史主義の貧困』1957]。
したがって、ポパーによると(ポパーの権威に従うと)世の中の科学には、間違ったもの(=非科学、反科学)か、不完全な科学(=反証可能性, falsifiability)の2種類のものしかない。
(日本の訳知り顔の)生物医学者が時に素人に面した時にしばしば振り回す「科学的真理観」とはポパーの反証可能性についての洗練さすら持ち合わ せていないので、比較的論破は可能である。なぜなら、そのような議論では、反証可能性を保証せず(素人の思いこみを)無謬性と非難しているからだ。
以下補足説明:
イムレ・ラカトッシュによると、ポパーの反証主義には、当初は独断的反証主義から出発して、最終的にここでみられるような方法論的反証主義に鞍 替えして、『科学的発見の論理』の公刊に至ったのだという。また、このことを踏まえて、ポパーの科学論における有効性は、(科学は)(i)「批判的であ る」と同時に(ii)「可謬的である」という主張のなかの対立にあるという(ラカトッシュ 1976:139)。
「理性の最後の歩みは、自らを越えるものが無限にあることを認めることだ。それを知るところまでたどり着かなければ、理性は弱いものにすぎな
い。/自然の事物で理性を越えるものがあるとしたら、超自然の事柄については、なおさらそうではあるまいか」(パスカル『パンセ』188)(塩川徹也訳、
岩波文庫上巻、p.228 )
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文献
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099