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反資本主義人類学

Anti-Capitalist Anthropology; A Graphic Guide 085

池田光穂

085
反-資本主義人類学
85.    反-資本主義人類学
85. 反-資本主義人類学

マルクス主義に着想を得た人類学者は、資本主義と国家に対する植民地とポスト植民地の葛藤に関心を持ち、文化と政治とのもつれ合いを分析するための新たな 視点を生み出した。こうして、新たな概念と用語法が登場した。

中心——周辺論は、イマニュエル・ウォーラーステイン(1930-2019)の『近代世界システム論』(3巻、1974-89)で展開してきた概念であ る。

【台詞】学者(人類学者)「中心部は、力が行使される場所であり、周辺部は、中心で行われた判断によって影響を受ける場所じゃ」

従属理論は、アンドレ・グンダー=フランク(1929-2005)の『ラテンアメリカにおける資本主義と低開発』(1967)で展開された。

【台詞】グンダー=フランク「資本主義の発展は、植民地における収奪に依存するものであり、まさに従属と貧困と障害を創造※し、植民地の開発を阻害してい るのである」


幾ばくかの人類学者たちは、文化の用語のなかに、グローバルとローカルという考えを発展させてきた。従属集団の日常実践を研究するなかで、人類学者は、非 公式の構造——連帯、派閥、ネットワークなど——によって示される、組織内の、補足的で、並行する行動の形態に注目するようになってきた。

【台詞】アナザシ「ジェームズ(=ジム)・スコットは、『弱者の武器』において、日常的抵抗の様式としての政治に注目したんだよ」

【台詞】覆面をしたアナザシ「ここから、政治の暴力性と国家規則に対する抵抗に焦点を当てた、マイノリティ運動についての研究の流れが始まったのさ」

※ 訳注:ここでの「創造」は、従属理論における「低開発の開発(development of under-development)」という言い方で表現されるものであり、中心部が発展すればするほど、周辺部の富と労働はますます収奪される、とい う考え方である。

★脱植民地主義→「ポストコロニアル」

★イマニュエル・ウォーラーステイン(Immanuel Wallerstein, 1930-2019)

★世界システム論(World-systems theory)


★アンドレ・グンダー=フランク(Andre Gunder Frank, 1929-2005)

■ 教科書(Cultural Anthropology Remix 協賛):今回の教科書は Merryl Wyn Davies (1949-2021) が著者、Piero がイラストレーターによる、その名も『人類学を紹介する(Introducing Anthropology)』出版社は Icon Books, 2002 です。8年後に改定されて、Merryl Wyn Davies and PIERO, Introducing Anthropology: A Graphic Guide, Icon Books Ltd., 2010.となりました。いわゆる啓蒙のためのイラスト・ブックです。カルスタもとい、カ ルチュラル・スタディーズのものは日本語に翻訳されているのでな いだろうか。とってもおもしろい本です。文化人類学の現代の問題系 にまでしっかり踏み込んでい ますが、そのことを 明確するために、人類学の歴史的ルーツに遡り考察するという姿 勢が貫かれています。つまり、骨太の人類学史の教科書ともいえるべきものです。それが、な、なんと邦訳されました!!! メリル・ウィン・デイビス『人類学』池田光穂+額田有美訳、現代書館、2021年10月 ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4768401095 [総合目次]

★ 著者紹介:Merryl Wyn Davies (1949-2021)

メ リル・ウィン・デービス(1949年6月23日 - 2021年2月1日)は、ウェールズのイスラム教徒の学者、作家、放送作家でした。イスラム教を専門とし、ジアウディン・サルダールと共同で書籍や記事を 執筆しました。イスラム人類学の権威であり、ロンドンのムスリム研究所の所長も務めた。メリル・ウィン・デービスは、1949 年 6 月 23 日、ウェールズのマーサー・ティドフィルで生まれた。サイファースファ・グラマースクールで A レベルを取得。ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジで人類学を学んだ後、放送局やジャーナリズムの分野でのキャリアをスタート。ウェールズの地方紙、 BBC ラジオを経て、BBC テレビの宗教番組で 10 年間働き、「Everyman」、「Heart of the Matter」、「Global Report」[4] などの受賞番組や、シリーズ番組「Encounters with Islam」に携わった。1981 年、31 歳でイスラム教に改宗。1985年にBBCを退職し、フリーライターとして、ロンドンを拠点とするイスラム教徒の雑誌「Inquiry」で働き始めた。 1990年代には、マレーシアの元副首相で、後に野党党首となったアンワル・イブラヒム氏の顧問およびスピーチライターを務め、マレーシアのテレビ局 TV3で「Faces of Islam」シリーズを制作した。イブラヒム氏が逮捕されると、ウィン・デイヴィスは逃亡し、シンガポールに移住した。1996年に英国に戻り、英国イス ラム教徒評議会のメディア担当官に就任した。2010年にロンドン・ムスリム研究所に入所し、所長に就任した。2018年に「第二の故郷」であるマレーシ アに戻ったメリル・ウィン・デーヴィスは、2021年2月1日、クアラルンプールのペタリンジャヤで、長年の病気のため心臓発作で71歳の生涯を閉じた。 英語ウィキペディア"Merryl Wyn Davies (1949-2021)"より

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