か ならず読んでください

狂気を装う

On Disguising Crazy: A Prolegomena to civil right to become insane


池田光穂

1. ヘルダーリンの狂気偽装問題 ・ ヘルダーリンの発狂の偽装疑惑に関するピエール・ベルトーの所説[1981]を紹介する木村敏(『分裂病の詩と真実』1998)。しかしこの議論のなか で、敏(びん)先生は枕=エピソードにして、自己および自己意識の哲学の議論をはじめる。そこには、なぜベルトーが、病跡学をふくめた、敏先生からみたと ころのナイーブな連中が、このことについて熱中したのか、どうも興味がないようだ。
・D.L.ローゼンハーンの実験(Science 179:250, 1973)の結果一般化すれば、狂気の診断が社会的意味をもつのは、その診断の中身ではなく、診断がもつ社会的な効果をもつからに他ならない。→〈こころ〉と社会(080430kokoro.html)
2.正常中心主義の社会のなかで〈狂気〉を装うことのパラドクス
・正常中心主義を定義する。
・正常中心主義の社会では、狂人(=野生の狂気)は精神病患者(=飼い慣らされた狂気)として分類処理される。
・この病人役割のうち——存在論的にはあり得ない定義だが——慢性的・固定的なものは、いわゆるタルコット・パーソンズの病人役割には準拠できるような取り扱いとそうではないような、2種類の相反する取り扱いをうける。
・準拠可能なもののひとつは、常人の社会行動の義務免除。そうでないものは、理性の圏外者としての〈責任能力〉の剥奪およびスティグマ。
・宅間守(1963-2004)の汚辱に満ちた人生:想起することも嫌悪された人間の生の意味
3.ミートホープの牛肉偽装問題
偽りのコミュニケーションデザイン(080617mio.html)

ゴッフマンと情報公開とミートホープ事件(070712disco.html)
4.俺たちは本当に〈コミュニケーション〉しているのか?(ルー大柴風に……)
イライザの「偽装」問題

イライザあるいはヴァーチャル・オードリー物語(070517eliza.html)

イライザの父の怒り(070517elizasPadre.html)
5.〈狂気〉はフィクションですよね、と言うときのリスク
極端な認識論的相対主義者と思われる(=「こいつには誠実な知的探求心がない」)。

極端な倫理的相対主義者と思われる(=「こいつは目的を達成するためなら阿漕な手段も使えると思う危ない奴」)。

怠惰な奴あるいは理性を逸脱した奴だと思われる:

「キチガイは自分がキチガイとは言わない奴のことである」(=病識がないという口語的表現)(派生問題:このことは「アホ言う奴がアホ や」という呪詛の論理を説明できるか?)
6.〈狂気〉とくに野生の狂気の定義不能性
記号学者のU・エーコによる存在(essere)の定義不能に関する議論を参照(『カントとカモノハシ』上)

正常が異常からしか定義できない(正常とは、異常がネガティブ——この時点で同語反復という文法違反——のことである)という社会的習慣 (ハビトゥス)は、狂気や異常の実在を信じ続ける以外に維持することができない。

我々は、異常がどこかに存在するという〈生活習慣病〉に罹患している。

Okey! でもそれだったら、我々は木村敏先生と同じ議論をしていることになるのでは?

びん先生の腹話術で:

狂気のふりについて本当にあるとか、ないとかという次元の話をしている場合ではない。(意識にあらわれた知覚をもとに志向的意味を与え る存在者のはたらきである)「ノエシスがノエシス自身を、見ることが見ること自身を見うるための方法論(=メタノエシス:引用者)を模索しなければならな い」(『分裂病の詩と真実』42ページ)。
7.狂人にスティグマされない処世術(個人への処方を構成)
(狂気が隠蔽できるものだと仮定して)スティグマを隠し、〈常人〉を演じつづける。これを狂気のコントロールあるいは、緩解という。

事実しばしば「あんたそんなことしてたらアホ(苛烈な場合はキチガイ)と思われますよ」と諭すことがあり、それは周囲の人たちは患者に治療 (=社会生活ができるように介入する)をおこなっていることになる。
8.社会側の対策(社会の処方)
反精神医学的な「社会的治療」としての医学の廃絶

ただしそれは禁じ手:ピュアーな方法として全体主義への道を開いてしまうので選択肢としては使わないほうがよい。

バイオダイバーシティで行こう!:〈ココロ〉と〈カラダ〉の存在様式の多様性を極度に容認する立場

ただしそのうち新自由主義手法にはジレンマもある。すなわち、生存競争を容認したり、生物多様性のみならず生存競争原理を外部から管理 できるという妄想(「DNAとったのでこの種は絶滅しても大丈夫。俺たちにはiPS*細胞がついている!」)にとりつかれる

「キチガイが排除されたのは、それが社会の役にたったからである」という歴史修正主義あるいは「悪い遺伝子を次世代に残すという罪悪感 を感じないのですか?」という優生学的誹謗の復活——遺伝子診断に関する議論をするとこの種のデータが豊富に収集できるが、分析には気が滅入るはず。
9.やっぱりマイルドな思想統制(マインド・コントロール)しかありませんなぁ〜!
完璧な社会を求める暑苦しい態度の放棄(バルタサール的反省)

人類の知識と実践の限界性についてつねに観想する修道(尼)僧的態度

邪悪な想念は実行しないかぎり自己にむち打つ必要はなし

啓蒙の理性は(カラダに害のある防腐剤を使わないかぎり)内部から腐ってしまうという現実の直視

つまらないことに楽しみを見いだすオタク的好奇心の擁護

落胆する必要はない。どんなシステムでもほどけた部分があり、そこから変なものが飛び出し、世の中がぐちゃぐちゃになることがある。それま で And keep your powder dry ....(あんたの火薬を準備万端にしておけ)ということでしょうか

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

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