臨床コミュニケーションはパーソン・センタード・ケアである
Clinical
Communication as Parson-Centered-Care
臨床コミュニケーション教育は、決してマニュアルをつくりさまざまな行動実践を 指示し、私たちの生活の外側にある価値観を、参加者のそれとは無関係に導入するたぐいのコミュ ニケーション教育ではありません。
臨床コミュニケーション教育は、参加者のひとりひとりの参加や発言を尊重し大切にするだけでなく、決してひとりでは達成できないような現場力を陶冶する民主[主義]的なものをめざします。
また討議において、多様な意見を安易にまとめることよりも、議論の多様性や意見の豊かさが、なぜ対話的手法を通して可能になるのかについて、自 覚的であるよう参加者に求めることもやぶさかではありません。
なんのための対話、なんのための討議、そしてなんのための協働実践かという問いかけを、議論の最後まで大切にします。
また、きちんとした説明や論理展開、またそれをささえる対話に関する理論的成果との符合についても、目配せすることを忘れません。対話がうまく いったという「感覚」にきちんとした(少なくともその時点における最適な)論理的説明を付す必要性を強調します[→対話論理]。
これらの要件を満たす時、対話という実践のなかでは、教える者と教えられる者の間の差異は極小化され、理想的とは言えないまでも参加にストレス のない発話共同体(speech community)――実践共同体の一変形と考えられる――の一時的実現が可能になると、私 たちは考えます。
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