戦争[遂行]にとって人類学が役立つとはどういうことか?
Can anthropology contributre to performing warfare in general?
South African paratroops conduct a search and destroy operation against Namibian insurgents during the 1980s
このページは、人類学の社会的効用について批判的かつ反省的に考えるためにある。
まず清水昭俊さんの発言からはじめよう。
「私がこういうことを言いますのは、あるいはこういうことを考えますのは、やはり人類学の内側にいる人間として、過去にやすやすと時代 の要請に乗って自らを売り込み、各地にフィールドワークに行ったという事実に忸怩たるものがあるからです。人類学にとって戦争は非常に役立ったけれども、 戦争にとって人類学はほとんど役に立たなかったと思うんですが、その後の人類学がどういうものだったのかというと、……、戦争が終わったら、戦争に加担し たというそういう現実を回避し、現実とのつながりを切って純粋学問に閉じこもっていける、そういう一種の「花園」のようなところだったと言ってもよいで しょう」(清水 2009:82)。
戦争そのものや戦争遂行に人類学が役立つか役立たないかは、その戦争主体が人類学知識をどのように流用するのかというということにかかって いる。したがって清水さんの発言もまた、我が国の15年戦争期に関する国家と人類学の関係について限定するものだろう。ただし、「人類学にとって戦争は非常に役立ったけれども、 戦争にとって人類学はほとんど役に立たなかった」としても、それに対する研究倫理上の問題は、後から(post hoc)やってくるものであり、清水さんがいうように、すべての研究者に対して、反省にたる研究材料であることには変わりない。
私の経験では、グアテマラの内戦期(1961-1996)の後半部分で、ゲリラ勢力が先住民が多く居住する西部高地の山岳部を拠点とし、ま た先住民を「教育」しゲリラ兵士としてリクルートしたために、ゲリラ掃討の国軍も、またゲリラ勢力もまた、先住民に関する文化や情報と、人類学的知識—— もちろんその量質ともに貧弱なものではあったが——それなりの貢献をしたように思える。
私が覚えている印象的な写真は、グアテマラ国軍の兵士が先住民のウィピル(女性の貫頭衣の民族衣装)を兵士たちに見せつつ講義している情景 を映した写真である。ゲリラ掃討のために、民族的な識別(マーカー)特徴の把握に、民族衣装やその土地の先住民文化などについて講義されていたのである。
対ゲリラ戦における戦闘状況を、低強度紛争(low intensity conflict, LIC)とすると、戦争は、high intensity battle, HIB である。しかし戦争の作戦行動のなかに、低強度紛争は、必要なレパートリーとして組み込まれているために。これの二元論は相互排除的な属性として考えてはいけない。
●Wartime Japanese Anthropology in Asia and the
Pacific、の書評:Ballendorf, Dirk Anthony.Contemporary Pacific; Honolulu 巻
17, 号 2, (2005): 487-489. DOI:10.1353/cp.2005.0037
第1章「戦時人類学:グローバルな視点」ヤン・ファン・ブレーメン
第1章「戦時人類学:グローバルな視点」ヤン・ファン・ブレーメン ・戦争時における人類学は平(和)時における人類学と軌を同じくして出発するが、戦争の進展にとり(研究助成やフィールドワークの必要性から)戦時人類学に変化してゆく。 ・戦時人類学は、それをもとめる軍部や現地調査のインテリジェンスエージェントなどが提供する技術や情報により《より戦時色に特化した》人類学に洗練されてゆく。 ・すなわち、(結果的に)平和時の人類学と戦時の人類学には、著しい対比がでてくるものの 第2章「人類学と19305年、19405年の戦時情勢―岡正雄、平野議太郎、石田英一郎と情勢との交渉」清水昭俊 ・1930-1940年代の人類学者の動きに注目する ・この時期における、日米の人類学が「人類学」をどのように定義・理解・実践していたのかを「比較」する。 ・岡正雄、平野議太郎、石田英一郎が、敗戦前後にどのように態度を変容させたのか?を考察する(→鶴見俊輔流「転向」研究) 第3章 「中野清一と植民地民族学」ケビン・M・ドーク ・中野清一(小樽商科大学教授、社会学):1944、東亜に於ける民族原理の開顕(中野清一)『民族研究所紀要』(引用は「日本文化人類学史」より) ・「民族研究講座」満洲諸民族(中野清一) ・中野は大東亜共栄圏におけるナショナリズムや民族論を発展させて、自分自身の社会学理論を経験社会学からより(往時の)社会に適合した社会学に接続させる。 第4章「日本人類学における自己と他者」関本照夫 ・日本民族学会誌に掲載された文献分析→太平洋戦争以降のインパクトの大きさ(1941年暮以降の1942-1943年期の戦時期の状況が民族学研究を「実質的」に中断したことを指摘) 第5章「戦時中の日本における自然人類学」野林厚志 ・研究の中心は人口研究 第6章「石田英一郎の南サハリン島での研究」 第7章「韓国の民間伝承における秋葉隆のケース」 第8章「日本における韓国研究」 第9章「台湾の民間伝承」 第10章「日本の中国農民社会研究」 第11章「インドネシアの植民地研究」 第12章「ナショナリズムの再生:日本軍政権下のブルネイ、1941-1945」B A Hussainmiya ・ブルネイの日本占領下のナショナリズム ・英国の占領政策から日本の占領政策の転換のために、ブルネイの人々の政治的かつ文化的感受性が目覚めナショナリズムが進展した |
●Doing Anthropology in Wartime and War Zones: World War I and the Cultural Sciences in Europe, 2010.
"World War I marks a well-known turning point in anthropology,
and this volume is the first to examine the variety of forms it took in
Europe. Distinct national traditions emerged and institutes were
founded, partly due to collaborations with the military. Researchers in
the cultural sciences used war zones to gain access to informants: prisoner-of-war and refugee camps, occupied territories, even the front lines.
Anthropologists tailored their inquiries to aid the war effort,
contributed to interpretations of the war as a struggle between races,
and assessed the warlike nature of the Balkan region, whose crises were
key to the outbreak of the Great War." - https://amzn.to/3rGXeT2.
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