言語について考える
On thought that is
transmissioned by language
以下の文章は、入院しているファニア・パスカルを訪問したルードヴィッヒ・ウィトゲンシュタインとのやりとりを、後になりパスカルが回想したも のである。 「扁桃腺を摘出して、きわめて惨めな気分でイブリン療養所に入院しておりました。ウィトゲンシュタインが訪ねて参りましたので、わたしはこうう めきました。『まるで車にひかれた犬みたいな気分だわ』。するとかれは露骨にいやな顔をしました。『きみは車にひかれた犬の気分なんか知らないだろ う』。」(フランクファート=山形訳 2006:21より引用). I had my tonsils out and was in the Evelyn Nursing Home feeling
sorry for myself. Wittgenstein called. I croaked: "I feel just like a
dog that has been run over." He was disgusted: "You don’t know what a
dog that has been run over feels like." (Fania Pascal 1981:42) [問題]
2.ウィトゲンシュタインによる、この経験的には限りなく正しい推論に基づくものであるが、入院している友人には完全に思いやりに欠 けるこの発言の真意はなんだろうか? 3.歴史的事実としてこの2人の会話を私たちが受け止めるとするならば、私たちはこの2人の会話からどのような教訓(=後の我々の生 活に何か役立つこと)を引き出すことができるのか? |
今日は、言語を媒介にしたコミュニケーションの臨界点について考える。
霊能力者の主張を除けば、同一言語の話者間におけるコミュニケーションの失敗(=障害)には次のようなものが考えられる。
1.言葉のシンボル機能の取り違え(例:妻を帽子と取り違える)
2.統語機能の障害(例:電報文のように助詞がなく単語が羅列されており語順も非正統的である)
この言語的コミュニケーションの障害のうち、1.は、音はきちんと聞き取れ、かつ文法的には間違っていないのに、相手のメッセージを再構成する と何かおかしい。こういうメッセージは文法上は間違っていないため、発信者のプライドに対して配慮するということにより意味の修復を怠ってしまうことが多 い。受信者がそれに対して適切な修復措置を怠り、自らの恣意的な解釈をもって発信者にメッセージを投げ返すことで、コミュニケーションが破局的になる(= 意味がまったく通らない)ことがあることを我々はしばしば経験する。同音異義語では、この種のエラーがしばしば起こりやすい。
2.のケースに受信者が直面すると、受信者は逆に適切な修復措置を試みやすい。相手が母語話者でない時、子供の時、偏見にもとづき知的障害や認 知症であると相手を勘ぐってしまう場合であるが、自分がもつ統語規則に対して自己中心的になり、そのことが相手のエラーを確認しようとすることに積極的 (プラス)に働くからである。相手のプライドよりもコミュニケーションの有用性が優先されるからである(もちろん相手に対して見下すという道徳観——“馬 鹿な奴は馬鹿にされて当然“——は背景に隠されてしまう)。
* * *
【上の黄色の囲みの再掲です】以下の文章は、入院しているファニア・パスカルを訪問したルードヴィッヒ・ウィトゲンシュタインとのやりとりを、後になりパスカルが回想したも のである。
「扁桃腺を摘出して、きわめて惨めな気分でイブリン療養所に入院しておりました。ウィトゲンシュタインが訪ねて参りましたので、わたしはこうう めきました。『まるで車にひかれた犬みたいな気分だわ』。するとかれは露骨にいやな顔をしました。『きみは車にひかれた犬の気分なんか知らないだろ う』。」(フランクファート=山形訳 2006:21より引用).
I had my tonsils out and was in the Evelyn Nursing Home feeling
sorry for myself. Wittgenstein called. I croaked: "I feel just like a
dog that has been run over." He was disgusted: "You don’t know what a
dog that has been run over feels like." (Fania Pascal 1981:42)
[問題]
[メモ]
ファニア・パスカルさん(Fania Pascal)
・文献
[グループワークと受講者からのフィードバック]
発表:言語がわかるということ
【外国語学部生のレポーターのチーム】
・犬のみじめさのイメージ、同情の喚起、共感の能力
・ウィトゲンシュタインの発言の真意:ことばを素直にとらえる感覚、情報が限られているなかで、パスカルが犬好きだったとか、過去に不幸な 経験があれば、彼女にトラウマがあったと言えるのでは。
・どの理解に対して素直かが、彼と彼女の間で異なる?
・返事には2パターンある:同情する、と、わからないと主張する。どっちをだすかが問題。
【ヤマモト君と愉快な仲間たち】
・ウィトゲンシュタインについて:解釈が2つにわかる。
・パスカルは同情を求めた。それに対して彼は気遣う言葉をいうべきだったという解釈がまずなりたつ。
・空気の読めない人→教訓は、相手の状況や立場を理解すべき(普通の解釈)
・普通でない解釈:パスカルはウィトゲンシュタインに惚れている?パスカルの発言の真意は(明日も来てね!)か?
・ウィトゲンシュタインの立場から考えると、やっぱり、みじめ、きつい以上の理解を引き出すことができない。
・パスカルの言葉の限界について、彼は正しく指摘した。
・入院先にくるような彼についてのパスカルはよく知っているはず。予測可能。したがってこの会話は仲間内言語である。そこから推論できるの は、2人はデキていた???
・池田の設問はミスリードを生み出す罠?ではないか。
・教訓なし。let it be!
【サイエンス組】
・犬はみじめ→同情を引く?
・看護師経験者より扁桃腺を摘出した患者の経験をもとに、この会話を検証。うめくような経験への理解
・犬の苦しみを思い出して、感情をかきたてられた。
・哲学者どうしのプライドの対立
・コミュニケーションの前提:2人の信頼関係や哲学者であることを考慮すれば、なんでこんな会話なのかということも理解できるのでは?
【おとこしかいない?チーム】
・犬が死んでいる=救いようのない状況
・ウィトゲンシュタインの真意は、彼が犬好きでは?_比喩表現の指示対象(=犬)への同情。そんなに愚痴愚痴いうなよ、という感覚。
・比喩に対して揚げ足をとるのも大人げない→比喩の解釈をすすめることで、コミュニケーションを改善するという処方を引き出せる。
・会話データが少ない。さらなる情報が欲しい。
(c) Mitzub'ixi Quq Chi'j. Copyrleft, CC., 2009-2018