農業改革
agrarian reform, land and agrarian reform
Emiliano Zapata en la ciudad de Cuernavaca. Abril. 1911
解説:池田光穂
農地の土地所有制度を改革する(land reform)こと、それにあわせて農業生産技術の改革の2つのうち、ひとつないしはふたつをわせて農業改革(agrarian reform)という。
西川大二郎(1999)は農業改革を次の3つの時期にわけて解説している。
第1期(20世紀初頭〜1945年頃)、第2期(1945年〜1959年)、第3期(1959年以降)
第1期(20世紀初頭〜1945年頃):主にメキシコ
伝統的アセンダード(アシエンダ所有者)と農民の緊張関係
マデロ「サンルイス・ポトシ計画(1910)」
その政策への反映:「1915年1月6日法令」や1917年憲法(とりわけ第27条)
1934-1940年 カルデナス(Lazaro cardenas del Rio)政権期:実質的な土地分配(農地改革)がおこなわれる[→サパタ]
「エヒード」への土地の返還がおこなわれる
しかし、これに対する西川(1999:286)の評価は手厳しい:「エヒードの再生は、伝統的農村地域においては零細民の再生を意味 し、他方、伝統的農村地域を離れたメキシコ北部、北西部などでは商品生産を拡大するための機能をもつ共同農業組織として発展させられた。石油の国有化を実 現したカルデナスの立場とすれば、エヒードの再生は、国家的立場の名の下に新しい農業および都市ブルジョアジーの立場に立って、伝統的地方地主層を排除し ながら、激しい農民運動に対応し、農民を体制内に凍結する試みであった」(西川1999:286)。
第2期(1945年〜1959年):ラテンアメリカの各地
グアテマラ革命(1944-1954):
アレバロ大統領期の1954年憲法、アルベンス・グスマン大統領期の1952年の農地改革法(Decreto 900):
1952年の農地改革で、60万ヘクタールの土地を10万家族以上に分配(Powelson 2008:43)
この当時の、大土地所有のシンボルは、ユナイティド・フルーツ会社。1954年にこのプログラムは崩壊[→グアテマラ革命]
ボリビア
1952年:MNR(革命国民運動)によるボリビア革命:スズ鉱山労働者と農民に軍部が協力。鉱山国有化と土地改革が進む。
ベネズエラ
ペルー
La Convencion 農民運動(1952-1964):クスコ
ブラジル
ノルデステ・サトウキビ農民連盟結成(1955-1964)
キューバ
モンカダ襲撃[→チェ・ゲバラ]1953年
キューバ革命(1959年)により、プランテーションとアシエンダは、国営農場と共同農場に。
第3期(1959年以降)
1961年ウルグアイ「プンタ・デル・エステ会議」・プンタ・デル・エステ憲章=「進歩のための同盟」調印。
ラティフンディオと零細土地保有の是正(公平な土地制度)への提唱
1967年第2回「プンタ・デル・エステ会議」
土地の生産性向上へと変化、公平な土地制度への提言は後退。
ブラジル
農地解放を掲げた「1994年労働者党」ルイス・イナシオ・「ルラ」・ダ・シルヴァ大統領2004年に当選したが、政策は滞っている。
ペルー
1969年 新農地改革法
ニカラグア
1979年 サンディニスタ革命後に、農業改革を1980年代中葉より実施。1990年サンディニスタ政権の敗北。
Enriquez, Laura. Harvesting Chnage: Labor and Agrarian Reform in Nicaragua, 1979-1990. Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1991.
エルサルバドル
1979年 マハノ大佐によるクーデター(ロメロ政権の崩壊)
1980年 農地改革基本法
メキシコ
1994年1月1日 サパティスタ国民解放軍がチアパス州で蜂起。1917年憲法27条の土地の貧民への分配の履行[→原文]を要求するが、政府はこれを拒否。
キューバー
サトウキビ生産効率の低下、国際市場価格の低迷、などから、小農による土地所有と商品農作物栽培への転換をカストロ政権期はつづけてお り、、食糧自給の水準をかろうじて維持している(都市部では供給量が需要を長期に低迷しているが)。
文献
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