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自己批判としての人類学

Anthropology as self-criticism ; A Graphic Guide 118

池田光穂

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自己批判的人類学
118.    自己批判の人類学 118自己批判の人類学

『人類学の再創造』の改革の要素は、複数の解釈とアプローチを拓くことになった。

事後的な記載(Reporting back)
事後的な記載とは、他者についての植民地主義というインパクトのみならず、西洋世界の中で植民地主義の帰結について研究することを意味する。それは西洋社 会において型どおりやってきた人類学のアプローチとは異なる。

再帰的人類学(Reflexive anthropology)
研究対象者の声が聞こえるように、また彼らが自身を語ることができるように、フィールドでの資料を記録したり書いたりする方法論を変えることで、研究のプ ロセスを可視化すること。これは、人類学者による自己吟味にもなる。

擁護のための人類学(Advocacy anthropology)
非関与から関与する研究への転換であり、関与する研究とは、人類学者に研究される人びとの、経済的、政治的、人権そして土地の権利の窮状へ関与すること。 しかしこれは、論争として存続している。

学者(人類学者)——【台詞】——「人類学者は、元からあった〈現地人の伝統〉をそのまま〈保存〉したいのかね」

アナザシ——【台詞】——「それとも、人類学者らは、自己決定のための実際の力や資源を譲渡することを望んでいるのかな?それが何を引き起こすかに関係な くね」

★「文化人類学批判について」→「批判的応用人類学入門」→「文化批判としての人類学」→「モダニスト人類学」

【審問】
 人類学をはじめとするフィールドワーカーはなぜ、倫理的逸脱(=研究 不正)を起こすのだろうか?みんなで考えてみよう。そのための例題を「フィールド ワーク研究の倫理」からとってみよう。
「(出発点)皆さんは、これからチームを組んでハナモゲラ共和国のラン ゲルハンス諸島の住民に対してフィードワークをおこなおうとしてます。この住民の なかに成人後に常染色体〈異常〉により「未来の予知能力」を得ることができる人たちが含まれることが明らかになったからです。この予知能力遺伝子のDNA サンプルは口腔内の粘膜を取ることで分かりますが、正確に同定するためには、資料をすべて日本に持ち帰る必要があります。(対外的文脈)ナモゲラ国立大学 の研究チームも、どうもこのことに気付き我々の研究に大いなる関心をもっているようです。もちろんこの遺伝子異常は 軍事 技術にも応用可能ですので、世界の国防省や軍事産業も関心をもっています。(課題)あなたは、日本を出発する前から帰国するまでに、どのような倫理上の課 題を抱えることになるでしょう。1.出発前、2.出発後 現地 到着後、3.住民への調査中、4.調査終了後の出国前、5.帰国後、という5つの研究のフェーズにわけて、課題を列挙し、それに対する適切な対処法を創案 してください。」

■ 教科書(Cultural Anthropology Remix 協賛):今回の教科書は Merryl Wyn Davies (1949-2021) が著者、Piero がイラストレーターによる、その名も『人類学を紹介する(Introducing Anthropology)』出版社は Icon Books, 2002 です。8年後に改定されて、Merryl Wyn Davies and PIERO, Introducing Anthropology: A Graphic Guide, Icon Books Ltd., 2010.となりました。いわゆる啓蒙のためのイラスト・ブックです。カルスタもとい、カ ルチュラル・スタディーズのものは日本語に翻訳されているのでな いだろうか。とってもおもしろい本です。文化人類学の現代の問題系 にまでしっかり踏み込んでい ますが、そのことを 明確するために、人類学の歴史的ルーツに遡り考察するという姿 勢が貫かれています。つまり、骨太の人類学史の教科書ともいえるべきものです。それが、な、なんと邦訳されました!!! メリル・ウィン・デイビス『人類学』池田光穂+額田有美訳、現代書館、2021年10月 ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4768401095 [総合目次]

★ 著者紹介:Merryl Wyn Davies (1949-2021)

メ リル・ウィン・デービス(1949年6月23日 - 2021年2月1日)は、ウェールズのイスラム教徒の学者、作家、放送作家でした。イスラム教を専門とし、ジアウディン・サルダールと共同で書籍や記事を 執筆しました。イスラム人類学の権威であり、ロンドンのムスリム研究所の所長も務めた。メリル・ウィン・デービスは、1949 年 6 月 23 日、ウェールズのマーサー・ティドフィルで生まれた。サイファースファ・グラマースクールで A レベルを取得。ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジで人類学を学んだ後、放送局やジャーナリズムの分野でのキャリアをスタート。ウェールズの地方紙、 BBC ラジオを経て、BBC テレビの宗教番組で 10 年間働き、「Everyman」、「Heart of the Matter」、「Global Report」[4] などの受賞番組や、シリーズ番組「Encounters with Islam」に携わった。1981 年、31 歳でイスラム教に改宗。1985年にBBCを退職し、フリーライターとして、ロンドンを拠点とするイスラム教徒の雑誌「Inquiry」で働き始めた。 1990年代には、マレーシアの元副首相で、後に野党党首となったアンワル・イブラヒム氏の顧問およびスピーチライターを務め、マレーシアのテレビ局 TV3で「Faces of Islam」シリーズを制作した。イブラヒム氏が逮捕されると、ウィン・デイヴィスは逃亡し、シンガポールに移住した。1996年に英国に戻り、英国イス ラム教徒評議会のメディア担当官に就任した。2010年にロンドン・ムスリム研究所に入所し、所長に就任した。2018年に「第二の故郷」であるマレーシ アに戻ったメリル・ウィン・デーヴィスは、2021年2月1日、クアラルンプールのペタリンジャヤで、長年の病気のため心臓発作で71歳の生涯を閉じた。 英語ウィキペディア"Merryl Wyn Davies (1949-2021)"より

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