生み出される学会内紛争
Making internal
conflict
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A
Graphic
Guide 133
133 |
ヤノマミ・スキャンダル |
133.
生み出される内乱 |
133.生み出される内紛 人類学者として、シャニョンとリゾーは、ヤノマミについての異なる2つのヴァージョンの表現をした。しかしティアニーは、今やもう馴染み深いこの告発がそ れだけには収まらないと主張する。というのも、村と村の間に激しい紛争をもたらしたのだ。交換財を得るためそれぞれの人類学者に依存していたそれらの村々 は、依頼人とそれに従属する関係にまで発展してしまっていた。 ヤノマミ——【台詞】——「これらの村出身の俺たちは、お互いをシャニョンとリゾーの「民」と呼び合うのさ」————「俺たちの村とは、お互いに戦争状態 にあるんだ」 人類学者たちは、研究対象の人びとの政治を、倒錯的に作り上げてしまったのだ。 これらのすべてに関して熱心な支援者だったのは、西洋のマスメディアである。「石器時代」の社会についての見出しを要求したり、マスメディアは、シャグノ ンを裕福かつ有名にし、彼の「どう猛な民」説を熱心に普及した。殺人が人間社会の最初の規則であるがゆえに、「どう猛な民」説は論理的には殺人と同起源の ものであるので、大量虐殺(ジェノサイド)も人間性にとって原初的なものである、という社会生物学的な説明を補完し、未開概念に関する最初から持たれてい た特徴を再利用するという形でおこなわれた。 アナザシ——【台詞】——「言い換えると、中世の民族誌が元気に生きながらえているということだね。ここが俺たちが生まれたところさ!」 [シャニョンに対するありとあらゆるすべての告発に関して、シャニョンはまったくの無実だとする完全擁護派の主張は、カルフォルニア大学サンタバーバラ大 学のホームページ上でかつては見ることができたが【訳注】今は見れない。] ※のちにアメリカ人類学連合の調査報告によるとシャニョンとニールに関する麻疹ウィルスの拡散に関してはシロ、採集された血液サンプルは一部返還されて、 これらの遺伝情報の採集に関してインフォームドコンセントがない点は報告書のなかで問題視された。右のカラム参照 (再掲)"The AAA convened the task force in February 2001 to investigate some of the allegations made in Tierney's book. Their report, which was issued by the AAA in May 2002, held that Chagnon had both represented the Yanomamö in harmful ways and failed in some instances to obtain proper consent from both the government and the groups he studied. However, the Task Force stated that there was no support to the claim that Chagnon and Neel began a measles epidemic.[18] In June 2005, however, the AAA voted over two-to-one to rescind the acceptance of the 2002 report,[19] noting that "although the Executive Board's action will not, in all likelihood, end debate on ethical standards for anthropologists, it does seek to repair damage done to the integrity of the discipline in the El Dorado case". Most of the allegations made in Darkness in El Dorado were publicly rejected by the Provost's office of the University of Michigan in November 2000.[20] For example, the interviews upon which the book was based all came from members of the Salesians of Don Bosco, an official society of the Catholic Church, which Chagnon had criticized and angered.[12] Alice Dreger, an historian of medicine and science concluded after a year of research that Tierney's claims were false and the American Anthropological Association was complicit and irresponsible in helping spread these falsehoods and not protecting "scholars from baseless and sensationalistic charges".[21]"- Napoleon Chagnon (1938-2019) |
■ 教科書(Cultural Anthropology Remix 協賛):今回の教科書は Merryl Wyn Davies (1949-2021) が著者、Piero がイラストレーターによる、その名も『人類学を紹介する(Introducing Anthropology)』出版社は Icon Books, 2002 です。8年後に改定されて、Merryl Wyn Davies and PIERO, Introducing Anthropology: A Graphic Guide, Icon Books Ltd., 2010.となりました。いわゆる啓蒙のためのイラスト・ブックです。カルスタもとい、カ ルチュラル・スタディーズのものは日本語に翻訳されているのでな いだろうか。とってもおもしろい本です。文化人類学の現代の問題系 にまでしっかり踏み込んでい ますが、そのことを 明確するために、人類学の歴史的ルーツに遡り考察するという姿 勢が貫かれています。つまり、骨太の人類学史の教科書ともいえるべきものです。それが、な、なんと邦訳されました!!! メリル・ウィン・デイビス『人類学』池田光穂+額田有美訳、現代書館、2021年10月 ISBN-13 : 978-4768401095 [総合目次]
★ 著者紹介:Merryl Wyn Davies (1949-2021)
メ
リル・ウィン・デービス(1949年6月23日 -
2021年2月1日)は、ウェールズのイスラム教徒の学者、作家、放送作家でした。イスラム教を専門とし、ジアウディン・サルダールと共同で書籍や記事を
執筆しました。イスラム人類学の権威であり、ロンドンのムスリム研究所の所長も務めた。メリル・ウィン・デービスは、1949 年 6 月 23
日、ウェールズのマーサー・ティドフィルで生まれた。サイファースファ・グラマースクールで A
レベルを取得。ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジで人類学を学んだ後、放送局やジャーナリズムの分野でのキャリアをスタート。ウェールズの地方紙、
BBC ラジオを経て、BBC テレビの宗教番組で 10 年間働き、「Everyman」、「Heart of the
Matter」、「Global Report」[4] などの受賞番組や、シリーズ番組「Encounters with
Islam」に携わった。1981 年、31
歳でイスラム教に改宗。1985年にBBCを退職し、フリーライターとして、ロンドンを拠点とするイスラム教徒の雑誌「Inquiry」で働き始めた。
1990年代には、マレーシアの元副首相で、後に野党党首となったアンワル・イブラヒム氏の顧問およびスピーチライターを務め、マレーシアのテレビ局
TV3で「Faces of
Islam」シリーズを制作した。イブラヒム氏が逮捕されると、ウィン・デイヴィスは逃亡し、シンガポールに移住した。1996年に英国に戻り、英国イス
ラム教徒評議会のメディア担当官に就任した。2010年にロンドン・ムスリム研究所に入所し、所長に就任した。2018年に「第二の故郷」であるマレーシ
アに戻ったメリル・ウィン・デーヴィスは、2021年2月1日、クアラルンプールのペタリンジャヤで、長年の病気のため心臓発作で71歳の生涯を閉じた。
英語ウィキペディア"Merryl
Wyn Davies (1949-2021)"より
リ ンク
文 献
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CC
Copyleft,
CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099