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独自なるものとしてのショロイツクイントゥリ

Xoloitzcuintli as existence sui generis

池田光穂

Según dicen la palabra perro es una onomatopeya del sonido que hace este animal al gruñir: perr . Los pastores usaban ese sonido para incitar a sus perros. Un parónimo de perro es apurar, pues con esa voz apresuraban a las ovejas. -- Breve diccionario etimológico de la lengua Castellana, Joan Corominas, 1973,

近 代メキシコの代表的な芸術家ディエゴ・リベラの妻でありまた著名な画家であったフリーダ・カーロは、ハンガリー系ユダヤ人の父親ギジェルモゆずりの 写真術にも親しんでいた。彼女が撮影した複数の写真のなかに、何頭かの奇妙な姿の犬(中型犬)が映っている。その犬たちこそが、私が議論したいメキシカ ン・ヘアレス・ドック、口語的なスペイン語表現ではペロッ・ペロン(ずるむけ犬)、たぶん教養ある現代メキシコ人なら複数の表記法のあるショロイツクイン トゥリ(Xoloitzcuintli)と呼んでいるユニークな歴史的存在である。

ショ ロイツクイントゥリは、父親ギジェルモにとっての愛犬たちであったが、その愛情は娘にも受け継がれ、父親が娘のために建築した「青の家」——メキシ コ連邦区サン・アンヘル地区にあり現在はフリーダ・カーロ芸術博物館になっている——で多数飼われていたことが、彼女の残した写真帳の中の複数の情景の中 に窺うことができる。その一葉の裏に一匹の雌犬オチビサン(la Chaparra)の全体像が映された写真の裏にフリーダが、弟に向けて書いた、想像するに悲観的ユーモアとも冗談とも言える挨拶文が添書きされている。 オチビサンが最愛の夫ディエゴに売り飛ばされそうな夢をみたのだと。ショロイツクイントゥリに見慣れていない我々はこの醜い——いわゆる毛がなく裸なので 白黒の模様がそのまま斑入りの葉っぱのような醜い染みになって見える——「ずるむけ犬」どもに向けられる彼女の愛情の意味が今一つ見えてこない。

し かし、視線を少しずらしてみるとどうだろうか。世界有数のメソアメリカ考古学資料収集のメッカたる国立人類学博物館では、芸術的な観点からみても素晴 らしい数多くの土器が陳列されているが、その中で眼を見張るのが、上掲の写真の中でみられた大ぶりだがスマートなものではなく胴長で短足のショロイツクイ ントゥリ像である。そのデザインは頭部や胴体あるいは尻尾(尾部)に開口部があるもので、四つ足で屹立したもの、丸くなって横臥するもの、二体で並行する もの、相互にじゃれあってなめ回しているもの、座っているもの、巨大な壺(ないしは香炉)を背負っているもの、中には人面の仮面をつけているものすらあ る。それらの身体や顔の表面には皺が彫られてあり、明らかに「ずるむけ犬」の特徴から、ショロイツクイントゥリそのものであることがわかる。博物館の外の 公園に出てみると、ショートヘアのチワワ犬などを抱える人が目につくようになるから驚きだ。

さ て、実際に考古学研究書や発掘調査書の中には、食用痕のある犬骨が多く発見され、また別の現場では人間の埋葬に併せて副葬されたものもありショロイツ クイントゥリが、メキシコを中心とするメソアメリカ世界とりわけアステカにおいては、ユニークな位置を占めていることがわかる。アステカの神話によると、 全人類を造った銀の生命の骨から、ショロトルの神がショロイツクイントゥリを作り上げたという。ショロトルの神は、死の世界である宵の明星のミクトランの 危険から、人間を導き救うためにショロイツクイントゥリを人間界に遣わしたという。ショロイツクイントゥリは、狩猟に利用され、ペット——メキシコではマ スコット(mascota, これにはお守りの意味もある)——としても利用された。しかし、アステカの民は、先のように食用としても、この犬を利用した。征服期の16世紀のスペイン 人は、七面鳥と共にショロイツクイントゥリが、御馳走として盛大に食されたことを記載している。

「ず るむけ犬」ショロイツクイントゥリの奇怪な姿は、やがてスペイン人の嗜好の趣味にも影響を与え、ヨーロッパに輸出され、ヌード犬の育種のためにその 遺伝子資源が利用された——「遺伝子」という用語も概念もそれが知られるようになるのはその3世紀以上も経てからであるが。しかしながらヨーロッパ人は、 ショロイツクイントゥリを食用として利用する文化的伝統は旧大陸には持ち込まなかった。

そ れらの考古学的知見を総合すると、三千年の歴史をもつショロイツクイントゥリへの審美表現、豊かで多様性のある土器のデザインへの採用、そして食物利 用やまた高貴な人の副葬への犠牲など、多型的な、あるいはヨーロッパ人から見て倒錯的とも思えてしまう嗜好趣味など、ショロイツクイントゥリはメソアメリ カ世界の象徴的-栄養学的-生態学的-育種学的等々の連関の中に、なんとか位置づけることができる。しかし、それはかつての人類学、神話学、考古学的知識 を動員した古典的で優雅な首尾一貫した学術的説明体系を導きだす/だせるものではない。むしろ、農民義賊エミリアーノ・サパタの名前を冠した国民主義的な 色彩をもちつつもネオリベラルに抗するゲリラ組織の自治地域を国の南にもちつつも、中北部では過去5年間に麻薬マフィア関連の犯罪や抗争により5万人以上 の犠牲者を抱えた、現今のメキシコの不可解で、理解しようとすると眩暈のする複雑な事情を抱えた社会状況を理解する苦労に似て、このずるむけ犬は「エニグ マを解き放つ不思議な存在」であり続けている。

家畜
食肉対象+狩猟に有用
ペット
食肉+ペット+湯たんぽ

愛玩+霊界の守り神+薬

キーワード:犬の人類学、食用犬、犬の呪力、メキシコ、ショロイツクイントゥリ

ク レジット:池田光穂「独自なるものとしてのショロイツクイントゥリ:謎 めいた呪術的存在からユニークなペット犬へ」

図: ショロイツクイントゥリ表象の4つの位相。 ショロイツクイントゥリの古代意匠:ヌード犬らしく体幹のシワの印象が上手く表現されている(メソアメリカ)

●A family of Xolos  (https://bit.ly/2PLQeVM) and the sketch by Tamiji Kitagawa (1960)

A family of Xolos, one of the most ancient dog breeds in the world, originally from what is now Mexico. For Native Americans, they were guardians of the night and the underworld, protectors against evil spirits, companions of wizards and witches, and guides of mortals during difficult times and across the land of the dead.




クレジット:池田光穂,独自なるも のとしてのショロイツクイントゥリ:謎めいた呪術的存在からユニークなペット犬へ
独 自なるものとしてのショロイツクイントゥリ(日本文化人類学会研 究大会発表要旨集:Online ISSN : 2189-7964, ISSN-L : 2189-796)
独自なるものとしてのショロイツクイントゥリ:謎めいた呪術的存在からユニークなペット犬へ
(テクストと方法について,大阪大学機関リポジト リー)

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
Do not copy & paste, but [re]think this message for all undergraduate students!!!

Resumen: Esa obra chiquita es un trato de posicionar las imágenes de un genero de perro mexicano de pelón con sus imágenes ambos bonito y feo, qué se llama Xoloitzcuintli, en sus tres por tres crono-topes en nueve dimensiones, [Pre-Colombiano/Colonial/Moderno] x [Micro/Mezo/Macro] con sus interpretaciones y métodos. Su inspiración se viene de la teoría de Mijaíl Bajtín (1895-1975), la critique contra monólogico. En su titulo del este artículo, “los textos con sus métodos,” representa que aún método monólogico puede definir la orientación de su narrativa monólogico, hay posibilidad que se crean ordenes polifónicos cuando se reúnen narrativas porqué cada narrativa pudiera tener con su propio sujeto según la teoría de Bajtín. Mi tesis sea “Qredio quia absurdum,” creo por absurdo, en su teoría literatura narrativa en cierto cronotopo.