癒しをうむ社会的文脈:宗教的側面
Social context of healing: religious aspects
「癒し」という言葉は流行語であり、その誕生は意外 と新しい。
癒しを声高に主張する人間に対してふつうの素人が 警戒するのは自然な感覚であろう。近代医療は、数々の犠牲者の上に君臨しつつも、人びとのあいだに確実に定着してきたからである。それは近代医療による治 療が効果があるものとされ、また治療の効果についての社会的合意が形成されているからである。だからと言って素人が近代医療に対して警戒感を失っているわ けではない。近代医療によって定義される治療に対する違和感は、その対抗軸であり、また代替手段を提供する癒しを選択したり信頼したりという形で表明され る。
癒しのオカルト的性格に気づけば、それを冷静に分析する態度は、癒しを宗教と関連づけて考えることを我々に要求する。まず、宗教という場合、世俗化し堕
落した既成宗教よりも社会変革をもいとわない新しく生まれた後発の宗教——新宗教と名付ける——のなかに、もっとも興味深い姿をあらわす。
新宗教とは、幕末、第二次大戦直後や、一九七三年のオイルショック、さらには九一年のバブル経済崩壊後など、社会の混乱期あるいは既成の価値の崩壊後に
登場する一般大衆なかから生まれてきた宗教運動のことをさす。天理教、創価学会、霊友会、世界救世教など現在ではメジャーになった大教団■4、ポストモダ
ンの宗教といわれるオウム真理教、さらには信徒数が数人レベルという極小なものまで、その数——五千という推測はあるが確定は不可能である——は定かでは
ない。これらの宗教はかつて「新興宗教」と呼ばれてきたが、このネーミングは伝統宗教を基準として時に価値下落を意図して用いられてきた経緯があり、ここ
では用いることはできない。
一般に新宗教運動の担い手となったのは、その時代における社会的弱者——主に経済的下層大衆や女性——であった。その創出期には、シャーマニズムにみら
れるように特定の神やその運動の指導者自身を神とみなし崇拝する小グループによる秘儀的な祭祀集団いわゆるカルトの形態をとることが特徴といわれてきた。
また新宗教教団は天国や理想世界のような原理的な社会を地上に実現させようと実践するので、既成の世俗権力と対抗することもしばしばである。このような運
動形態を、黙示録にみられるメシア王国での至福千年のキリストの再臨を願う信仰にたとえて千年王国主義と呼ぶこともある。。その際、他の宗派には非寛容で
臨み、自宗派の優越性を説くので、カルトに対してセクト(=宗派)的な性質をもつといわれる。
■4.これらは教団によっては、ときに奇怪とも思える教義や実践をおこなっているが、すでに多くの教団では既成宗教たる風格をなしており、いつまでも新宗
教と言い続けるのは、それらの信者や信徒からも反論があるかもしれない。その反論は正しいと思われるが、他に適当な用語がないのでこれを使う。
新宗教入信の理由はかつて「貧・病・争」というわかりやすい三題ばなしで解説された。貧困や病気や人間関係での争いなどが原因で新宗教に入信するのだと
いう説明である。新宗教運動と病気治療をつよい結びつきがあるものと解釈されたのだ。もっとも入信の動機をすべてこれらの三要因で説明することには限界が
あり、実証を欠いており無根拠な主張も多い■5。信仰と癒しの関係は、ほとんどあらゆる教団において取り扱われ、時に派手な宣伝と映ることもまれではな
い。手かざしによる「浄霊」、無農薬農法、勤行による「治癒」など、その形態はさまざまである。また「癌は切らずに治す」という教団もある。しかし、既成
の世俗権力に奉仕する近代医学は、こうした癒しに対して否定的な態度を取り続けてきた。現代医学側からの否定的リアクションのほとんどは、精神医学からの
攻撃であった。
■5.日本における宗教入信を災因で説明する紋切り型の議論であり、その分野では知名度のある研究者のなかにもこの説明を証拠なしに自明のものとしてとり
あげる者がいる。この三つの理由は、新宗教の信者は貧しく、病いを抱え、人間関係で争いをもっていたから入信しているのだと偏見を裏返して、それを入信の
理由であると錯認したものであることは十分に考えられる。
精神医学から新宗教への関与は、戦前には天皇を中心とする国家神道における「疑似宗教」と「宗教結社」に対する弾圧において、また戦後の新宗教運動の興
隆期には教祖あるいは信者の「精神病理」に対する関心から行われが、ともに精神医学の言説は新宗教運動の抑圧に協力した。とくに戦前には、いくつかの反体
制的主張が天皇制イデオロギー下の治安維持法に抵触し厳しい弾圧を強いられたが、その中で教団は、体制や社会的権威のスケープゴートとなった。そして、み
だらでよこしまな教えという意味をもつ「淫祠邪教」というレッテルを貼られて差別された。医学的権威は、「精神鑑定」という名のもとで彼らに狂気の烙印を
押し、その非合理性を医学的権威によって断罪した■6。
■6.この用語は宗教活動を誹謗する用語としては横綱級の巧みな造語である。精神医学者がこの誹謗語の流通に貢献したのは文中で指摘したとおりである(内
村祐之ほか『日本の精神鑑定』みすず書房、一九八〇年)。淫祠邪教の用語の起源をたどれば興味深いことがわかる。まず淫祠も邪教の漢語の起源きわめて古い
が、四文字の熟語として始めて使われた時期はよくわからなかった。淫祠は国家の統制秩序に反する隠喩として登場し、邪教は仏教用語に由来し、教えの正統性
を否定する表現として使用されている。つまり、淫祠邪教は国家が正当性を教える根拠を持っているという前提に生まれた否定的ラベルであり、戦前の新宗教弾
圧において不可欠の用語だったということである。
しかし、一九七〇年頃から参与観察にもとづいて、新宗教の実地調査にいそしんできた宗教学や社会学のフィールド研究者たちによって、淫祠邪教批判的偏見
から解放された社会学的研究が数多く出てきた。つまり、それらの研究が明らかにしたのは、新宗教の病気や治療の概念においては、神々の働きかけより、現実
の生活や人間関係を改善することによって救済されると考えられていることである。「因縁」や「障霊」の考えの背景には霊的な世界を含めた宇宙観と生命現象
全体への畏敬の念があること、つまり、万物を生かし続ける根源的な生命との調和を通して本来的な人間関係の回復と充実を目指す世界観が見てとれる。新宗教
のこのような救済観は、宗教社会学研究者の間では「生命主義」■7として定式化されてきた。
■7.対馬路人・西山茂・島薗進・白水寛子「新宗教における生命主義的救済観」『思想』665:92-115.一九七九年。この論文の著者の一人で「生命
主義」の実質的提唱者の対馬(1990:227)は、その現実について次のような指摘をする。「ただし、常にこうした思想が単独であらわれるわけではな
い。また実際に信者を指導する場面で常にこうした思想が強調されるわけでもない。霊界思想などの別の思想と並存している場合や、どちらかというとタテマエ
上の理論にとどまっている教団も少なからず見い出せる」。研究者でさえ、生命主義が実践をともなわない表層だけのプロパガンダになることに当惑しているの
である。対馬路人「世界観と救済観」『新宗教事典』井上順孝ほか編、223-236.一九九〇年。しかしながらセクト研究で有名なブライアン・ウィルソン
は一九七〇年に、創設期の宗教的セクトが病気治療に関わるのは、社会運動のための適応の形態であり、病気治療が——本文で触れた岡田茂吉ような興味深い事
例を除けば——自己目的化することはまれであることをすでに指摘している(ウィルソン『セクト』池田昭訳、二七五頁、平凡社、一九七二年)。
現代医療における病気の治療と、新宗教における治病概念、つまり「癒し」というものが、相互に別個に定義されるゆえんである■8。現代医療は、いわば医
者—患者関係に代表されるような限定された視点に立って治療を考えようとするのに対して、新宗教における癒しは患者のみならず、患者の家族、親族、共同
体、ひいては社会全体が治療されなければならないと主張する。このような治病のイメージは現代医学のそれとは根本的に異なっており、先に述べたカルトやセ
クトなどの教団組織の形態や、その教義の世界観と深い関係がある。
■8.池田光穂「新宗教と癒し」医療人類学研究会編『文化現象としての医療』pp.198-201、この文献の議論で私は、癒しを治療をより包括する概念
としてとらえたが、本章では異なっていることに注意せよ。なお、癒しを包括的概念として定義する私の議論の背景には、近代医療の治療の対抗軸として癒しを
内実以上に評価するものであったと、私はここで自己批判したい。癒しを治療を包括する概念であると主張するものとしては、新屋重彦・島薗進・田邊新太郎・
弓山達也『癒しと和解』ハーベスト社、一九九五年がある。
しかし、同時に新宗教の癒しのもつ問題点も指摘されている。その一つは、この癒しが時に現代医学の論理を無批判に受け入れていることである。これは奇跡 と称される信仰による治癒を、科学への抜きがたいコンプレックスの裏返し的表現で粉飾し、新宗教のもつ伝統や権威への批判という特色を失う、と危惧する声 もある。また、治病は既成の社会道徳を遵守させようとすることによって達成するという指摘もある。この場合には新宗教の病気治しの論理が現実の支配的な体 制を否定することなく、それを補完し助長する機能すらある。いくつかの類型化は可能であるが、新宗教の治病のあり方は教団の数ほどあり、具体的な事例研究 を通してこそ、はじめて癒しの解釈に多様性がでてくるだろう。
出典:池田光穂「「癒し論」の文化解剖学」佐藤純一編『文化現象としての癒し』[共著]、Pp.185-209、メディカ出版、2000年
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