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対話論的沈黙について

On dialogic Silence of Walter Benjamin's Essay, "Metaphysics of Youth"

池田光穂

課題、下記のヴァルター・ベンヤミン(1913〜 14年3月頃の作品)の文章を読ん で、彼がいう「対話がめざす」ことがなぜ「沈黙」へとつながるのか、みんなで考えてみよう。

対話がめざすのは沈黙であり、そこでは聞き手は、聞 くというよりむしろ沈黙する者である。意味を受け取るのは、むしろ語り手のほうで あって、沈黙する聞き手こそ、汲めども尽きぬ意味の泉に他ならない対話 は、この沈黙する者に向かって言葉を差し向けるが、その言葉は、自ら意味を求めて手をのばす言葉、いわば空(から)の水瓶(みずがめ)にすぎない。語り手 は、かつであったおのが力の思い出を言葉にこめ、聞き手がさまざまなかたちで現われ出てくるのを待つ。なぜなら、語り手が語るのは、おのれを改めんがため だからだ語り手は、自ら言葉を発しているにもかかわらず、聞き手の 言わんとすることを理解する——すなわち、語っている自分が言語を冒漬しているのに 対して、そのような自分の眼の前にいる者の表情には、真摯さと善良さがぬぐいがたく しみついているということだ。

しかし、たとえ語り手が空虚な過去をほしいまま色づ けして語る場合でも、聞き手が理解するのは、この眼の前の語り手の発する言葉ではな くて、彼の沈黙である。なぜなら、語り手の魂はすでに霧散し、その言葉 は空疎きわまりないとしても、彼は現にいま聞き手の眼の前におり、その顔はすぐ手の届くところにあって、しきりに動く唇の動きもはっきり見えているから だ。聞き手は真の言語を用意し、語り手の言葉を自らのうちに消え入らせながら、同時にこの語り手をじっと見つめているのだ。

語る者は、この耳を傾けている聞き手のなかへと消え 入ってしまう。だからこそ対話からは、おのずと沈黙が生まれ出ることになる。 偉大なる者にとっては、対話はただひとつしかなく、その行きつく果てには、沈 黙という偉大なるものがひかえている。これまでも、力がよみがえったのは、この沈黙においてであった。すなわち、聞き手が対話を言語の果てまで導いてゆ き、語り手はあらたな言語としての沈黙をつくり出したということだ。語り手とはつまり、このあらたな言語にまず最初に耳を傾ける者のことに他ならな い。

コメント

書肆による解説
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ベンヤミンがフライブルク大学に入学したのは20歳のとき。27歳で博士号を取得するが、最終的に教授資格申請論文をフランクフルト大学で拒否され32歳 でアカデミズムへの道が閉ざされる。この時期のベンヤミンの論考には絶対的なものをつかみとろうとする観念論的・形而上学的な傾向がひときわ目立ってい る。「歴史」における多層な経験の想起を促し「言語」に経験の重みを奪回させ「認識」に形而上学的深みを回復させる若きベンヤミンの思考を集成した必読の 書。
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1(若さの形而上学;ヘルダーリンの二つの詩;来たるべき哲学のプログラム;歴史劇の問題)
2(経験と認識;事象の科学的記述について;無限の課題;知覚の問題について;志向の諸段階 ほか)
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〈第一部〉 若さの形而上学 ヘルダーリンの二つの詩 来たるべき哲学のプログラム 歴史劇の問題 〈第二部〉 経験と認識 事象の科学的記述について 無限の課題(1) 無限の課題(2) 知覚の問題について 志向の諸段階 知の種類 個別科学と哲学 真理と諸真理 認識と諸認識 認識理論 認識におけるジンポールの使用 フンボルト 言語と論理学 言語・名・記号(1) 言語・名・記号(2) 言葉の骸骨(1) 言葉の骸骨(2) 謎かけと秘密 類比性と親縁性 類似したものについての試論 悲劇とギリシャ悲劇における言語の意味 悲劇とギリシャ悲劇 『オイディプス』あるいは理性の神話 ソクラテス 古代の人間の幸福 中世について 道徳世界における時間の意味 後期ロマン派・歴史学派の歴史哲学 歴史の種類 神と歴史 宗教としての資本主義 神学的・政治的断章 アゲシラウス・サンタンデル 〈訳者解説〉


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