はじめによんでください

「自然」と「文化」の境界面:神経生理学研究室の事例検討

 Between Nature and Culture: An anthropologist's notes on "experimental animals"

池田光穂

【1】  私の発表は「自然と文化の境界面:神経生理学研究室の事例検討」のタイトルで、日本の大学の神経生理学実験室における動物実験の分析を通して、近代社会 における人間と動物の関係について考察します。

【2】  この発表の資料となる調査は、科学研究費補助金(萌芽研究)を受けておこなった、神経生理学者との共同研究によるものです。

【3】  ゲーリー・ラーソンGary Larson, 1950- )の風刺漫画に、動物の図書館「セルフヘルプのセクション」というものがあります。図書館のブースでは、さまざまな動物たちが『本能を 解放するやり方』や『自然淘汰を回避する方法』などの本を熱心に読んでいます。後ほど述べるフィリップ・ディスコラの人間と動物の4つのアイデンティフィ ケーション(=同定化)の図式に照らしあせると、この動物たちは、本を読むという「身体性」においても、知識を得てより良く生きようとする「内面性」にお いても、完全に人間の出来事と一致した世界を生きているかのようです。(→Gary_Larson

【4】  人類学者は、人工的環境のなかでも自然的環境のなかでも、人間が「文化」を駆使して生きるさまを研究します。文化人類学における自然と文化に関する二元 論は、レヴィ=ストロースが『親族の基本構造』の冒頭において述べたものがあります。彼は次のように言います:「インセストすなわち近親相姦は、〈自然〉 と〈文化〉という2つの性格を、いささかの曖昧さを残すことなく不即不離のかたちで示す」と。他方、神経生理学者は「自然科学」の対象である神経細胞の振 る舞いを観察することで、自然の表象を「正しく」科学論文に記述しようとします。もちろんこれら双方の研究者たちが、そう信じて学問的実践をおこなってい るということであり、社会現象としてそのような理念が現実化しているかどうかは全く別の問題です。

【5】  ここでの私の目論見は、研究対象である神経生理学者たちが考え実践する「自然と文化」について考察することです。しかし同時に、それを研究対象にする人 類学者が考える「自然と文化」もまた合わせて分析するつもりです。なぜなら、実証科学者としての文化人類学者は、自然の表象としての「神経生理学者の行動 と理念」を明らかにしようとするからです。西洋近代文化の末端に位置する、私たち、双方の研究者たちは、実際に〈自然〉と〈文化〉の二分法を生きているの でしょうか。我々は果たしてルネ・デカルトの嫡子、つまり彼の「正統な」遺産相続者なのでしょうか。

【6】  デカルトは『哲学原理』(1644)において、「私は考える」というラテン語の一人称活用 cogito に非常に高い意味を与えました。そして、彼が言うところの「普遍的疑念」から自由になるために、思考すなわち意識として「考えるもの」res cogitanceと、延長をもつ身体としての res extensaを、人間とりわけ「私があること」(=存在すること)の出発点として位置づけました。これがデカルトの心身二元論とよばれるものです。

【7】  デカルトは、この心と身体をまとめ、統一した私、つまり「思惟する私」を確固とするものについて、その最終的な場所「魂の座」が身体のどこにあるのかを 探しました。彼は、目や耳のみならず、脳が左右の半球に分かれていることに着目し、身体の感覚器官からやってくるものと、脳が思考するものが唯一ひとつに なる場所を特定し、それは脳の中の「松果体」と呼ばれる部分に他ならないと考えました。残念ながら今日では、松果体はバイオリズムを制御するホルモンであ るメラトニンの分泌器官であり、(そんなものがあればの話ですが) res cogitance と res extensaの結節点でもありませんし、また「魂の座」でもありません。

【8】  それにも関わらず、デカルトは、実際の観察データにもとづいて合理的に推論したという点では、神経生理学者のみならずそれを理解する人類学者にとって も、ある意味での「科学の失敗から学ぶ反面教師」あるいは科学的発見の寓意(アレゴリー)となります。デカルトの失敗は、松果体というあまりにもぴったり な臓器があったために、それが魅力のある罠、今日の我々がいうところの「躓きの石」になったということです。「魂の座」としての松果体のアレゴリーは、レ ヴィ=ストロースが考えるインセストにもあてはまるかもしれないと皮肉ったとしても、いったい誰がそれを否定することができるでしょうか。

【9】  視覚の神経生理学研究は、歴史も深く、またその技法においても洗練されてきました。

【10】  現在では視覚の神経経路については、生理学と解剖学ならびに発生遺伝学の研究からその正確な経路が明らかにされています。

【11】  また神経細胞の配線図については、正確にわかっているために、視覚情報がどのように処理されているのかという研究に現在では焦点が移っています。

【12】  動物実験は、単に研究をする動物にさまざまな処理をしてデータを引き出すことだけではありません。飼育から実験終了後の遺体の処理、さらには動物慰霊祭 まで広い領域をカバーする一連の作業のことであります。

【13】  動物実験をおこなう視覚の生理学者は、実験動物の経費、実験に投下する時間的精神的コストなど要因により、1年間に数回から十数回の頻度で実験をおこな い、1回あたり最大数十時間の実験しか行うことはできません。生理学者の時間のほとんどは、実験データの整理や標本づくり、他のグループの研究の検討、投 稿論文の作成や査読者とのやりとり、そして学会発表用の資料作成に費やされているといっても過言ではありません。

【14】  では、生理学者と実験動物のあいだの関係はどのようなものでしょうか。実験動物の飼育では、飼育場所の清掃や餌やりなど、基本的な飼育を学ぶことが重要 なこととされています。実験前にも後にも動物の個性や特徴について語られることは多く、実験以外の局面では感情移入すらあるということもあります。つまり 実験動物をモノのように扱えるから冷静に動物実験できるようになるのではないかという「非人称化仮説」は本研究ではあてはまりませんでした。ただし神経学 的特徴を説明する際には、擬人化は一切なされず、神経学的な個体差は完全にないものと脱個性化して話されます。


【15】  神経生理学の実験室における〈自然〉が具体的には何をあらわしているか整理してみましょう。まず神経細胞の普遍的性質、つまり膜電位、神経スパイク、神 経伝達物質などが〈自然〉として抽出され、論文に表象されます。そこでは生物種に固有な神経回路や視覚情報処理における合目的性があると主張されます。実 験には失敗がつきものなのにも関わらず、最終的には観察者の影響を完全に排除できると信じているため、得られたデータはピュアな〈自然的性質〉を表象する ものとして加工されます。そして自然の〈客観性〉を保証するために、人為的な影響——彼らの言葉によると人工物すなわち artifact であるノイズを除外する実践的な努力が積み重ねられます。

【16】  実験動物の話をそれになじまない人に話すと露骨に嫌悪され、そのような行為は「かわいそう」だと言われてしまいます。この理由はなんでしょうか。生物学 者が好む議論はバイオフィリアやバイオフォビア、つまり生命への愛好や嫌悪が進化論による遺伝的な形質ではないかという、エドワード・ウィルソンらの理論 仮説があります。それとは対照的に(つまり真逆に)動物のイメージは「種としての人間がもつ偏見」がおのおのの文化によって社会的に構成されるために、自 然科学のシンボルとしての「ガラス電極」(=文化)が「動物の脳」(=自然)に差し込まれること自体、自然と文化の越境侵犯的な〈ハイブリッド〉状況に、 これらの嫌悪する人たちは恐れるのだと解釈することも可能です。後者の人間がもつ文化的性向は、これをBio-Prejudice(=生物偏見)が存在す ると皮肉って言ってみたい気になりますが、この〈悪い感情〉そのものは生物学的基盤をもつことは明白です。その意味で、動物すなわち〈自然〉の文化表象 は、いわゆる「二次的に構成された自然 second nature」あるいは「文化としての自然」と言えるものかも知れません。

【17】  動物実験とは、動物にセンサーや薬物を埋め込む人工物から〈自然〉を取り出すプロセスに他なりません。客観的にとらえられるものを自然とし、それを理解 する人間の営為を文化と名付けるならば、自然科学者たちの活動は文化的知恵(sapientia)という活動レパートリーに入ることでしょう。しかし神経 生理学者たちは、自分たちは文化的活動に与っていないと言います。文化の違いが自然科学に反映したり影響を受けたりしていることはないのだと言うのです。

【18】  このように神経生理学者と文化人類学者が考える〈文化〉と〈自然〉の間には、共に二元論を共有しながらも微妙な差異がみられるようです。神経生理学者と 文化人類学者が、心に抱く自然と文化は、共に二分法的な秩序によって区分されていますが、〈自然〉と〈文化〉のハイブリッドの内部の両者の境界面では、あ たかも可動式の圧力隔壁、つまり文化と自然の間の壁のように、この壁が相互に押し合い引き合いしているのではないかと思われます。

【19】  ラトゥール[2008:27]によると、実際の現実は自然と文化がごっちゃになっている状態であり、ふつうこの状況に立ち向かう人類学者は、ネットワー ク化により産出された自然と文化のハイブリッドの現実を翻訳(translation)するという活動をおこなっています。しかしそれを分析しようとする 時、自然と文化のハイブリッドの現実を、自然と文化の領域に再びあるいは仮想的に二分化する文化的知恵 sapientia が働きます。翻訳(translation)と対照的な活動として、この活動を純化(purification)のプロセスであると彼は言います。ラ トゥールによると、純化は近代論者(modernist)のお得意の手口です。近代論者としての神経生理学者と文化人類学者の間には、それらの領域区分に おいて境界面の位置だけが異なるのです。

【20】  本研究における人間と動物の関係がどのような位相にあるのか、ここでフィリップ・ディスコラ(2006)における身体性と内面性から構成される4つの象 限について考えましょう。彼の議論によると、人間と他の種類の動物がどのような世界性——ディスコラは存在論(ontology)と呼ぶ——をもっている かで身体性と内面性から考える必要性を強調します。

 ディスコラの議論では、人間と動物の関係において、身体性の類似(+)と内面性の類似(+)に基調におくものはトーテミズムです。カンガルー のトーテムに属する男を指し示し「彼はカンガルーである」と言うとき、身体性と内面性は完全に一致します。他方、日本の神経生理学における動物実験では、 動物は、同じ中枢神経をもち同じ神経情報処理をする点で身体性は合致(+)しますが、デカルトの考えと同様、動物に洗練された心的メカニズムがあるとは考 えません。つまり内面性は一致しません(−)。これは自然主義(naturalism)と言えます。また、身体性は異なる(−)が、動物と内面性が繋がる (+)代表的な考えはアニミズムです。身体性(−)も内面性(−)も繋がらない関係は、人間と動物のあいだに直接的関係はなく、それぞれ人間界と動物界の 関係をつなぐものは、たんなる類推的=アナロジー的関係でしかありえません。その典型は中国の十二支における人間と干支(えと)の関係のようなものです。


【21】  実験動物を含めて、日本の社会における人間と動物の関係について、ディスコラが描く4つの象限にあてはまる動物の世界には、どのようなものがあるでしょ うか。まず身体性の類似(+)においても内面性の一致(+)においても際立ったものは、例えばディズニー映画『ファインディング・ニモ』にみられる動物の 社会をテーマにした子供向けのアニメーションの世界です。冒頭のゲーリー・ラーソンの風刺漫画を思い起こしてください。そして、身体性の類似(+)をもち ながらも内面性には共通性がない(−)ものが本研究でとりあげている実験動物の世界です。他方、身体性はまったく共通点をもたない(−)が、内面性には類 似点(+)を認めるものはペットの世界です。最後に、身体性(−)も内面性(−)をもちあわせないものが食肉にされる動物です。なぜならスーパーマーケッ トの食肉コーナーできれいに包装された肉を見ても、誰も動物の原形を想起する人はいないからです。

【22】  結論と考察に入ります。存在様式に関するディスコラの解釈によると、現代社会のなかで動物は、それぞれ自然主義(ナチュラリズム)、アニミズム、トーテ ミズム、そしてアナロジズムのすべてのアイデンティフィケーション(=同定化)に該当します。自然主義にもとづく研究対象である実験動物は、自然科学とい う枠組みの中でデータを産出するモノでしかありえません。ここでの〈自然〉とは、全体性を表象するものではなく、部分的真理としての〈自然〉に他なりませ ん。

【23】  近代論者である神経生理学者の実践は、〈自然〉の意味産出に関わることであり、それは純化(purification)というプロセスをおこなうことで す。その点では人類学者も同様の活動をおこなっています。実験動物から〈自然〉の真理を引き出すためには、真理を保証するための社会的なゲームの規約の手 続き、つまり倫理委員会、客観性の担保、査読制度という社会性に根ざした正当化の文脈が不可欠です。神経生理学者は、現代社会の純化 (purification)という真理ゲームのプレイヤーの一人と言えます。

【24】  この純粋化の真理ゲームにおいて、ここで未解決な問題があります。それは技術をどのように考えるかです。真理探究のゲームプレイヤーではなく、実際に 〈自然の力〉を引き出そうとする非正統的科学者の存在があります。例えばNPT(核拡散防止条約)に非加盟の国の物理学者たち、ガレージサイエンティス ト、麻薬カルテルに従事する化学者(ケミスト)などは、私たちのいう自然と文化の二分法とはまったく無縁の存在です。彼らは、既存の〈文化〉の存在を脅か す核の破壊力や、麻薬精製が産む巨額の利益を、あたかも錬金術のように〈自然〉から直接引き出そうとしています。彼らは正統的な真理ゲームの圏外で、科学 の純粋な力——知は力なり(フランシス・ベーコン)——を引き出そうとしていますが、真理と知の結びつきという私のこれまでの一連の議論と、非正統的科学 者がおこなう技術と〈文化を破壊する力〉の結びつきという関係を上手に位置づけることができません。

【25】  私たちは、自然の虚構性つまり文化性に意味づけられる〈自然〉の中に生きているのでしょうか。それともダナ・ハラウェイ流のジェンダー・ポリティクスに まみれたサイボーグ化した身体のコミュニティのメンバーとしてそこにいるのでしょうか。あるいはロバート・ヤング流の、植民地主義が作り上げた雑種性と いった特質をもつポストコロニアルな〈権力の空間〉なかでの存在なのでしょうか。さらには、人間のみがなす近代の政治性を、相対化したいブルーノ・ラ トゥールがいうところの翻訳的プロセスのネットワーク的ハイブリッドの中に生きているのでしょうか。

【26】  図之拾は、ビベイロ・デ・カストロ(1998)による西洋の形而上学とアメリカ先住民のパースペクティズムの位置づけを、アルジダス・グレマスの意味 の四角形を使って整理し表現したものです。ここでは西洋近代の理性概念もアメリカ先住民のアニミズムも思考様式としては形而上学的な観念論の相対 性に位置 づけられます。それらは多文化主義(multiculturalsm)つまり、それぞれの文化に対応する認識論として理解することができます。ビベイロ・ デ・カストロは、そのような認識論を根拠づけている確固とした複数の自然界があると主張して、それをマルチナチュラリズム (mutinaturalism)と呼びます。

【27】 図之拾壱をご覧ください。ディスコラやビベイロ・デ・カストロがつかう「存在論(ontology)」は、しばしば、先住民がもつ環境に関する認識論すな わち〈文化〉にすぎないのではないかという批判があげられます。しかしながら、社会の存在様式とは、その人たちが住まう自然環境とそれについての理念的思 考すなわち形而上学(メタフィジカ)とのセット、あるいはハイブリッドとして理解することができれば、それは認識論と相互補完関係をなす自然環境そのもの すなわち人間と動物の存在論的根拠になりえると言うことはできないでしょうか。

【28】 私の発表は以上です。ご静聴ありがとうございました。また本研究に関わったすべての皆さんに感謝いたします。
Gary Larson (born August 14, 1950) is an American cartoonist, environmentalist, and former musician. He is the creator of The Far Side, a single-panel cartoon series that was syndicated internationally to more than 1,900 newspapers for fifteen years.[1] The series ended with Larson's retirement on January 1, 1995. In September 2019, his website alluded to a "new online era of The Far Side".[2] On July 8, 2020, Larson released three new comics, his first in 25 years.[3] His twenty-three books of collected cartoons have combined sales of more than forty-five million copies.[1]
ゲイリー・ラーソン(1950年8月14日生まれ)は、アメリカの漫画 家、環境保護主義者、元ミュージシャンである。15年間にわたり1,900以上の新聞社に国際シンジケートされた1コマ漫画シリーズ「The Far Side」の作者である[1]。 このシリーズは1995年1月1日のラーソンの引退により終了した。2019年9月、彼のウェブサイトは「The Far Sideの新しいオンライン時代」を暗示した[2] 2020年7月8日、ラーソンは25年ぶりに3冊の新しい漫画を発表した[3] 彼の23冊の漫画集は合わせて4500万部以上売れている[1]。
Larson was born and raised in University Place, Washington, in suburban Tacoma,[1] the son of Verner, a car salesman, and Doris, a secretary.[4] He graduated from Curtis Senior High School in University Place and from Washington State University in Pullman[1] with a degree in communications.[5][6] During high school and college, he played jazz guitar[7] and banjo.[1] Larson said his family has "a morbid sense of humor",[1] and that he was influenced by the "paranoid" sense of humor of his older brother, Dan.[4] Dan played pranks on Gary, for example by taking advantage of his fear of monsters under the bed by waiting in the closet for the right moment to pounce. Dan "scared the hell out of me" whenever he could,[1] Gary said, but Dan also nurtured Gary's love of scientific knowledge. They caught animals in Puget Sound and placed them in terrariums in the basement, and also made a small desert ecosystem.[4] In 1987, Larson married Toni Carmichael, an anthropologist. Early in their relationship, Carmichael became his business manager.[1] In The Complete Far Side, Larson says that his greatest disappointment in life occurred when he was at a luncheon and sat across from cartoonist Charles Addams, creator of The Addams Family. Larson was not able to think of a single thing to say to him and deeply regretted the missed opportunity.[8] Addams died in 1988. Larson is an environmentalist. "Protecting wildlife is 'at the top of my list', he says."[1] Larson lives in Seattle, Washington.[9]
ラーソンは、ワシントン州タコマ郊外のユニバーシティ・プレイスで、自 動車セールスマンのバーナーと秘書のドリスの息子として生まれ育った[4]。 ユニバーシティ・プレイスのカーティス高校を卒業し、プルマンのワシントン州立大学[1]でコミュニケーションの学位を取得。高校と大学では、ジャズギ ターとバンジョーを演奏した[7][8][9]...。 [1] ラーソンは家族が「病的なユーモアのセンス」を持っており[1]、兄のダンの「偏執的な」ユーモアのセンスに影響を受けたと語った[4] ダンはゲイリーにいたずらをし、例えばベッドの下のモンスターに対する恐怖につけ込んで、飛びかかるタイミングをクローゼットで待っていたりした。ダンは いつでも「僕を怖がらせた」[1]とゲーリーは言うが、ダンはゲーリーの科学的知識への愛着も育てた。1987年、ラーソンは人類学者であるトニ・カーマ イケルと結婚した[4]。交際初期にカーマイケルは彼のビジネスマネージャーとなった[1]。 ラーソンは『完全なるファーサイド』の中で、人生最大の失望は昼食会で『アダムス・ファミリー』の作者である漫画家チャールズ・アダムスと向かい合う席に なった時に起きたと語っている。ラーソンは彼に言うべきことが一つも思い浮かばず、この機会を逃したことを深く後悔した[8]。 アダムスは1988年に死去した。ラーソンは環境保護主義者である。"野生動物を保護することは「私のリストの一番上」であるという。"[1] ラ-ソンはワシントン州シアトルに住んでいる[9]。
According to Larson in his anthology The Prehistory of The Far Side,[10] he was working in a music store[7] when he took a few days off, after finally realizing how much he hated his job. During that time, he decided to try cartooning. In 1976, he drew six cartoons and submitted them to Pacific Search (afterward Pacific Northwest Magazine), a Seattle-based magazine.[7] After contributing to another local Seattle paper, in 1979 Larson submitted his work to The Seattle Times. Under the title Nature's Way, his work was published weekly next to the Junior Jumble.[10] To supplement his income, Larson worked for the Humane Society as a cruelty investigator.[1]
ラーソンのアンソロジー『The Prehistory of The Far Side』によると[10]、彼は楽器店で働いていたが[7]、自分の仕事がいかに嫌いかをようやく理解し、数日間休んだという。その間に、漫画を描いて みようと思い立つ。1976年、6つの漫画を描き、シアトルの雑誌『Pacific Search』(後の『Pacific Northwest Magazine』)に投稿した[7]。シアトルの地元紙にも投稿した後、1979年に『The Seattle Times』に作品を投稿するようになる。Nature's Way』というタイトルで、彼の作品は毎週『Junior Jumble』の隣に掲載された[10]。収入を補うため、ラーソンは動物愛護協会で残虐行為調査員として働いていた[1]。
The Far Side; Larson decided that he could increase his income from cartooning by selling his Nature's Way strip to another newspaper. While on vacation in San Francisco, he pitched his work to the San Francisco Chronicle and, to his surprise, the Chronicle bought the strip and promoted it for syndication, renaming it The Far Side.[7] Its first appearance in the Chronicle was on January 1, 1980. A week later, The Seattle Times dropped Nature's Way.[10] Unlike Charles Schulz, who resented the name Peanuts imposed by his publisher, Larson had no such qualms, saying, "They could have called it Revenge of the Zucchini People, for all I cared." The Far Side ran for fifteen years, syndicated initially by Chronicle Features and later by Universal Press Syndicate, until Larson retired with his final strip published on January 1, 1995. Themes in The Far Side were often surreal, such as "How cows behave when no human watches" or "The unexpected dangers of being an insect". Often, the behavior of supposedly superior humans was compared with animals. For instance, a father explains to his son that a bird song is a territorial marking common to the lower animals, while surrounded by fences and dense housing. Animals and other creatures were frequently presented anthropomorphically. One strip depicts a family of spiders driving in a car with a "Have a Nice Day" bumper sticker, featuring a smiley face with eight eyes. One of Larson's more famous cartoons shows a chimpanzee couple grooming. The female finds a blonde human hair on the male and inquires, "Conducting a little more 'research' with that Jane Goodall tramp?" A representative from the Jane Goodall Institute thought that this was in bad taste and wrote a critical letter to Larson regarding the cartoon. Larson contacted the Goodall Institute to apologize only to find that Jane Goodall, who had been in Africa at the time of the cartoon's publication and only learned of it years after its initial publication, approved of it, stating that she found it amusing. Since then, all profits from sales of a shirt featuring this cartoon go to the Goodall Institute.[11] Goodall wrote a preface to The Far Side Gallery 5, detailing her version of the "Jane Goodall Tramp" controversy.[12] She praised Larson's creative ideas, which often compare and contrast the behavior of humans and animals. Larson's The Far Side cartoons were syndicated worldwide and published in many collections. They were also reproduced extensively on greeting cards which were very popular, but these were discontinued in March 2009. Two animated versions were produced for television: Tales from the Far Side (1994) and Tales from the Far Side II (1997).[7][13] A 2007 The Far Side calendar donated all author royalties to Conservation International.[1]
ラーソンは、ネイチャーズウェイを他の新聞社に売れば、漫画家としての 収入を増やすことができると考えた。サンフランシスコで休暇中にSan Francisco Chronicle紙に作品を売り込んだところ、なんとChronicle紙はこの作品を買い取り、The Far Sideと名前を変えてシンジケーション用に宣伝してくれた[7] Chronicle紙での初出版は1980年1月1日でした。出版社に押し付けられた『ピーナッツ』という名前に腹を立てていたチャールズ・シュルツと違 い、ラーソンは「『ズッキーニ族の復讐』でもよかったんだ」と言うほど気にしていなかった[10]。ファーサイド』は、当初はクロニクル・フィーチャー ズ、後にユニバーサル・プレス・シンジケートから発売され、ラーソンが1995年1月1日に最後の作品を発表して引退するまで、15年間にわたり連載され た。ファーサイド」のテーマは、「人間が見ていない時に牛がどのように行動するか」や「昆虫であることの意外な危険性」など、しばしば超現実的なもので あった。また、優れた人間であるはずの人間の行動が、しばしば動物と比較されることもあった。例えば、フェンスや密集した住宅に囲まれながら、父親が息子 に「鳥の鳴き声は下等動物に共通する縄張りの印だ」と説明したりする。動物やその他の生物は、しばしば擬人化されて表現された。ある作品では、「Have a Nice Day」のバンパーステッカーを貼った車でドライブするクモの家族が描かれており、8つの目を持つスマイリー・フェイスが描かれている。ラーソンの最も有 名な漫画の一つは、チンパンジーのカップルが毛づくろいをしている場面です。メスがオスの毛を見つけ、「あのジェーン・グドールの不精者たちと、もう少し "研究 "するのか」と問いかける。ジェーン・グドール研究所の代表は、この漫画が悪趣味だと考え、ラーソンに批判的な手紙を書きました。ラーソンはグドール研究 所に連絡して謝罪したところ、この漫画が発表された当時アフリカにいたジェーン・グドールは、最初の発表から何年も経ってからこの漫画を知り、「面白い」 と認めてくれたそうです。それ以来、この漫画が描かれたシャツの売上は全てグドール研究所に寄付されている[11] グッドールは『The Far Side Gallery 5』に序文を書き、「Jane Goodall Tramp」論争について彼女なりの詳細を述べており、人間と動物の行動をしばしば比較対照するラーソンの創造的なアイデアを賞賛している[12]。ラー ソンのThe Far Sideの漫画は世界中で放送され、多くのコレクションが出版されました。また、グリーティングカードにも多く複製され、人気を博したが、2009年3月 に販売中止となった。テレビ用には2種類のアニメが制作された。Tales from the Far Side (1994) と Tales from the Far Side II (1997).[7][13] 2007年の The Far Side カレンダーでは作者の印税は全てコンサベーション・インターナショナルに寄付された[1].
By late 1994, Larson thought the series was getting repetitive and did not want to enter what he called the "Graveyard of Mediocre Cartoons."[4][7] He retired the strip on January 1, 1995, when he was 44 years old. Since retiring from The Far Side, Larson has done occasional cartoon work, including magazine illustrations and promotional artwork for The Far Side merchandise. For the most part, he has also retired from public view: "He refuses to have his picture taken and avoids being on TV", Time magazine wrote in 2003. To Larson, "cartoonists are expected to be anonymous."[14]
1994年後半には、ラーソンはこのシリーズが繰り返しになりつつある と考え、彼が「平凡な漫画の墓場」と呼ぶ場所に入りたくなかったのだ[4][7] 彼は44歳だった1995年1月1日にこの漫画を引退した。ファーサイドを引退してからも、ラーソンは雑誌のイラストやファーサイドの商品の宣伝用アート ワークなど、時折漫画の仕事をしています。しかし、ほとんどの場合、彼は公の場から姿を消しています。「彼は写真を撮られるのを拒否し、テレビに出るのも 避けている」とTime誌は2003年に書いている。ラーソンにとって、「漫画家は匿名であることが求められている」[14]。
In 1998, Larson published his first post-The Far Side book There's a Hair in My Dirt!: A Worm's Story, an illustrated book with thematic similarities to The Far Side. The short book tells the story of an earthworm who feels that his life is insignificant. The main plot is told by the young worm's father and follows the beautiful (but slightly dim) human maiden Harriet, who takes a stroll across a woodland trail, encountering different aspects of the ecological world.[7][15] She admires it but knows little about the land around her, and that eventually leads to her downfall. The story became a New York Times Best Seller on May 24, 1998.[16]
1998年、ラーソンは『The Far Side』以後初めて『There's a Hair in My Dirt!!!』を出版しました。A Worm's Story』は、『The Far Side』とテーマが似ている絵本である。この短編集は、自分の人生など取るに足らないと感じているミミズの物語です。本筋はミミズの父親が語り、美しい (しかし少し頭が悪い)人間の乙女ハリエットが森の小道を散歩して、生態系の世界のさまざまな側面に出会うというもの[7][15]。 彼女はそれに感心するが、自分の周りの土地についてほとんど知らず、それが結局彼女の破滅につながるのである。1998年5月24日にニューヨーク・タイ ムズ紙のベストセラーとなった[16]。
Larson has been playing jazz guitar since his teen years.[7] He took advanced lessons from two famous jazz guitarists, Remo Palmier[17] and Herb Ellis. In exchange for guitar lessons from Ellis, Larson provided him with the cover illustration for the album Doggin' Around (Concord, 1988) by Ellis and bassist Red Mitchell.[18] Larson drew a cover for the November 17, 2003, edition of The New Yorker magazine, an offer he felt was too prestigious to refuse.[19][20] Larson voices himself in The Simpsons 2010 episode "Once Upon a Time in Springfield."
ラー ソンは10代の頃からジャズギターを弾いており[7]、レモ・パルミエ[17]とハーブ・エリスという有名なジャズギタリストに上級レッスンを受けてい る。エリスからギターのレッスンを受ける代わりに、ラーソンはエリスとベーシストのレッド・ミッチェルによるアルバム『Doggin' Around』(コンコード、1988年)のジャケットイラストを提供した[18] ラーソンは雑誌『ニューヨーカー』の2003年11月17日号の表紙を描き、あまりにも格調高いオファーに断ることができないと感じた。 [19][20] ラーソンはザ・シンプソンズ2010年のエピソード "Once Upon a Time in Springfield" で自分の声を担当している。
Larson was awarded the Newspaper Panel Cartoon Award by the National Cartoonists Society in 1985 and 1988, earned the society's Reuben Award for 1990 and 1994, and has been recognized for various individual strips by the National Cartoonist Society in 1989, 1990, 1991, 1993 and 1995. On March 15, 1989, a newly discovered insect species was named after Larson by Dale H. Clayton, head of the Committee of Evolutionary Biology at the University of Chicago. The Strigiphilus garylarsoni is a chewing louse[1] of a genus found only on owls. Wrote Larson: "I considered this an extreme honor. Besides, I knew no one was going to write and ask to name a new species of swan after me. You have to grab these opportunities when they come along." An 8" × 11" (20 × 28 cm) magnification of the insect appeared in the Prehistory of the Far Side 10th anniversary compilation, along with the letter requesting permission to use his name. Similarly, an Ecuadorian rainforest butterfly was named after him; Serratoterga larsoni.[4] The term "thagomizer", a feature of stegosaurus anatomy, was coined in a Far Side cartoon.[7] Eighteen years after earning his bachelor's degree at Washington State, Larson gave the commencement address at his alma mater in 1990.[5][21][22][23]
1985 年と1988年には全米漫画家協会より新聞パネル漫画賞を受賞、1990年と1994年には同協会のルーベン賞を受賞し、1989、1990、1991、 1993、1995年には全米漫画家協会より様々な個人ストリップが表彰されています。1989年3月15日、シカゴ大学進化生物学委員会のデール・H・ クレイトン委員長により、新たに発見された昆虫の種がラーソンの名にちなんで命名されました。Strigiphilus garylarsoniは、フクロウにのみ生息する同属の噛み付きシラミ[1]である。ラーソン氏はこう書いている。「私はこれを大変な名誉だと思いまし た。それに、誰も私の名前をとって白鳥の新種を命名してくれなんて手紙は書かないだろうと思っていたから。こういうチャンスはつかまなければならないので す」。この昆虫の8インチ×11インチ(20×28cm)の拡大写真は、「Prehistory of the Far Side」10周年記念誌に、自分の名前の使用許可を求める手紙とともに掲載されている。同様に、エクアドルの熱帯雨林の蝶にSerratoterga larsoniと名付けられた[4] ステゴサウルスの解剖学的特徴である「thagomizer」という言葉は、ファーサイドの漫画の中で作られた。ワシントン州立大学で学士号を取得してか ら18年後の1990年に、ラーソンは母校で卒業講演を行った[7] 。 ワシントン州立大学で学士号を取得してから18年後の1990年、ラーソンは母校の卒業式で講演を行った。
Since 1999, Larson has objected to his work being displayed on the internet, and has been sending takedown notices to owners of fan websites and users posting his cartoons.[24] In a personal letter included with the requests, Larson claimed that his work is too personal and important to him to have others "take control of it".[25][24] In 2007, he also published an open letter on the web to the same effect.[26] Larson has been criticized for not providing a legitimate online source for The Far Side series and negatively compared to cartoonists who have embraced the internet.[27] In September 2019, The Far Side website stated that "a new online era of the Far Side is coming!"[28][29] On December 17, 2019, www.thefarside.com, authorized by Larson, and dedicated to The Far Side cartoon series went live on the internet. On July 7, 2020, Larson released a new section of The Far Side website entitled "New Stuff".[3]
1999年以来、ラーソンは自分の作品がインターネット上に表示されることに異議を唱え、ファンサイトの所有者や彼の漫画を掲載しているユーザーにテイクダウン通知を送っている[24]。 要求に同封された私信でラーソンは、自分の作品は他者に「支配される」ほど彼にとってはパーソナルで重要だと主張している[25][24] 2007年にもウェブ上で同じ趣旨のオープンレターを発表している。 [26] ラーソンはThe Far Sideシリーズの正当なオンラインソースを提供していないと批判され、インターネットを受け入れている漫画家と否定的に比較されている[27] 2019年9月、The Far Sideウェブサイトは「The Far Sideの新しいオンライン時代が来る!」と述べた[28][29] 2019 年12月17日、ラーソンが認可し、The Far Side漫画シリーズに専念する www.thefarside.com インターネット上でライブを開始した。2020年7月7日、ラーソンはThe Far Sideのウェブサイトに「New Stuff」と題した新しいセクションをリリースした[3]。
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