ヘルスプロモーションにおけるコミュニケーションの位相
Communication Phases in Health Promotion
☆3 ヘルスプロモーションにおけるコミュニケーションの位相
1996年のWHOのある保健計画の関係者が作成した『ヘルスプロモーション用語集』ではヘルスコミュニケーションを次のように説明している。「ヘルス
コミュニケーションは、公的な計画項目(アジェンダ)において、健康の関心事に対する情報を人びとに提供し、重要な保健課題を維持するための主要な戦略の
ことである。大衆に有益な保健情報を普及するための、マスメディア、マルチメディアあるいはその他の技術的イノベーションの利用は、健康の進展に重要なだ
けでなく、個人および集団の健康の特異な側面への気づき(アウェアネス)を増大させる」[■12]。この文章のうち最初の文は、2006年のオーストラリ
アのニューサウス・ウェールズ州政府保健局によるヘルスコミュニケーションの定義と全く同一のものである[■10]。このWHOの定義がなされた1996
年頃は、まさに世界の先進国でインターネット革命が浸透しつつある時期であった。そのことを受けて、ヘルスコミュニケーションは、インターパーソナルな
ヒューマンコミュニケーションの強調よりも、情報通信技術を活用したインターネットを介したコミュニケーションのことを想定してこの定義がなされた可能性
がある。
この時期に遡る10年前の1986年にはヘルスプロモーションのためのオタワ憲章が採択されている。オタワ憲章では、コミュニティという言葉は重要な用語 として文書の中でたびたび使われている。しかしながら、興味深いことに、コミュニケーションという言葉はこの憲章の中では一度たりとも使われていない。そ の理由を私は推理してみたい。ここで私が提示する可能性は4つである。すなわち(1)コミュニケーションおよびその重要性は今も昔もあえて説明を必要とし ない言葉なので、わざわざ言及する必要がなかった。(2)ヘルスプロモーションという用語が、住民を保健行動に参入させるためのヘルスコミュニケーション そのもの、つまり同義語として捉えられていた。次に(3)オタワ憲章にみられるコミュニティ重視の発想のなかには、よもやコミュニケーションの齟齬が生じ ることなどは「想定外」であった。そして最後に(4)コミュニケーションを焦点化することに当時の憲章策定者はそもそも興味を持っていなかったのかという ことである。
今日の感覚では、コミュニティの中で保健プログラムを実行する時に、どのようなコミュニケーション戦略を取るのかということは極めて重要なことである。そ
して、コミュニケーション戦略を用いる際には、さまざまな倫理的課題が生じることは、多くのプログラム実行者たちによって認識されている。コミュニケー
ションこそは、臨床現場での医療者—患者関係のミクロな現場からテレビを用いてパブリック・メッセージを伝達するマクロな文脈まで、あらゆるレベルにおい
て重要な保健施策だと理解されている。言い換えれば、医療や保健施策はコミュニケーションの固まりなのである[■13]。情報通信技術がコミュニケーショ
ンの多様な広がりを作ったと同時に、その多様性ゆえに、相矛盾する事態にもなり兼ねない現状を鑑みると、先のオタワ憲章に、コミュニケーションという語彙
が登場しなかった理由は、(3)コミュニティ重視の発想のなかには、コミュニティ内部およびコミュニティ間によもやコミュニケーションの齟齬が生じること
などありえない、つまりコミュニケーションの齟齬はまったく「想定外」であったと考えられる。
| 1996年のWHOのある保健計画の関係者が作成した『ヘルスプロモーション用語集』ではヘルスコミュニケーションを次のように説明している。「ヘルスコ ミュニケーションは、公的な計画項目(アジェンダ)において、健康の関心事に対する情報を人びとに提供し、重要な保健課題を維持するための主要な戦略のこ とである。大衆に有益な保健情報を普及するための、マスメディア、マルチメディアあるいはその他の技術的イノベーションの利用は、健康の進展に重要なだけ でなく、個人および集団の健康の特異な側面への気づき(アウェアネス)を増大させる」[■12]。この文章のうち最初の文は、2006年のオーストラリア のニューサウス・ウェールズ州政府保健局によるヘルスコミュニケーションの定義と全く同一のものである[■10]。このWHOの定義がなされた1996年 頃は、まさに世界の先進国でインターネット革命が浸透しつつある時期であった。そのことを受けて、ヘルスコミュニケーションは、インターパーソナルな ヒューマンコミュニケーションの強調よりも、情報通信技術を活用したインターネットを介したコミュニケーションのことを想定してこの定義がなされた可能性 がある。 | |
| この時期に遡る10年前の1986年にはヘルスプロモーションのためのオタワ憲章が採択されている。オタワ憲章では、コミュニティという言葉は重要な用語 として文書の中でたびたび使われている。しかしながら、興味深いことに、コミュニケーションという言葉はこの憲章の中では一度たりとも使われていない。そ の理由を私は推理してみたい。ここで私が提示する可能性は4つである。すなわち(1)コミュニケーションおよびその重要性は今も昔もあえて説明を必要とし ない言葉なので、わざわざ言及する必要がなかった。(2)ヘルスプロモーションという用語が、住民を保健行動に参入させるためのヘルスコミュニケーション そのもの、つまり同義語として捉えられていた。次に(3)オタワ憲章にみられるコミュニティ重視の発想のなかには、よもやコミュニケーションの齟齬が生じ ることなどは「想定外」であった。そして最後に(4)コミュニケーションを焦点化することに当時の憲章策定者はそもそも興味を持っていなかったのかという ことである。 | |
| 今日の感覚では、コミュニティの中で保健プログラムを実行する時に、どのようなコミュニケーション戦略を取るのかということは極めて重要なことである。そ して、コミュニケーション戦略を用いる際には、さまざまな倫理的課題が生じることは、多くのプログラム実行者たちによって認識されている。コミュニケー ションこそは、臨床現場での医療者—患者関係のミクロな現場からテレビを用いてパブリック・メッセージを伝達するマクロな文脈まで、あらゆるレベルにおい て重要な保健施策だと理解されている。言い換えれば、医療や保健施策はコミュニケーションの固まりなのである[■13]。情報通信技術がコミュニケーショ ンの多様な広がりを作ったと同時に、その多様性ゆえに、相矛盾する事態にもなり兼ねない現状を鑑みると、先のオタワ憲章に、コミュニケーションという語彙 が登場しなかった理由は、(3)コミュニティ重視の発想のなかには、コミュニティ内部およびコミュニティ間によもやコミュニケーションの齟齬が生じること などありえない、つまりコミュニケーションの齟齬はまったく「想定外」であったと考えられる。 | |
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CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099