はじめによんでください

ヘルスコミュニケーション倫理の広がり

The Expanding Scope of Health Communication Ethics

池田光穂

☆  ヘルスコミュニケーションの領域がいかに多様で広大であるからと言って、その事実に驚くばかりで分析の手を休めることはできない。また登場するメディアの 種類は多様で浮沈が激しいから、類型分類は無意味であり、つねに個々の事例からのみ考えるべきだという言い訳も生産的ではない。そのため健康情報とメディ アにおける倫理について、なんらかの着眼点に関する布置とその整理が必要になる。表1を見ていただきたい。この表では(1)コミュニケーションの種類、 (2)メディアの種類、(3)メディアを利用する人間の種類、そして(4)誰に倫理と責任を帰属させるのかという対象の種類、について一覧表にした。以 下、順に説明していこう。

1−1 コミュニケーションの種類

  表1の左側から始めよう。最初は(1)コミュニケーションの種類である。コミュニケーションの古典的定義とは、情報の〈発信者〉と情報の〈受信者〉の間の 情報のやり取りのことである。これを提唱者2人の名前を取りシャノン=ウィーバーの定義という[■3]。クロード・シャノンとワレン・ウィーバーは、情報 の〈発信者〉と〈受信者〉のやりとりをコミュニケーションの基本とし、〈発信者〉のメッセージがどれだけ正確に〈受信者〉に伝わるのかというコミュニケー ションの様式についての基本的かつ重要なモデルを提唱した。ネットワークを経由し機械が処理をしている患者の医療情報は、まさにこのようなコミュニケー ション様式によって伝えられる。この時には倫理的な問題は機械どうしの間には生じない。ところが、人間が機械のメッセージ(臨床現場ではデータ)を読んだ り、機械に情報を人間が入力したりする時には、誤記入により通信内容の異常が生じる。また誤った事実を捏造するために意図的に誤った情報を入力することも ある。人間が介在すると過失や故意による倫理問題が発生することがある。

  情報コミュニケーションのやり取りは機械と機械、あるいは機械と人間の間だけではない。より多くの人には、人間同士のコミュニケーションのみが本当のもの だと思うだろう。しかし機械とのコミュニケーションとは異なり、過失によるものでも故意によるでも、情報のやり取りの帰結は同じである。しかしその責任の 帰属には過失によるものか故意によるものかを厳密に峻別する必要がある。臨床的な個と個の出会いのみならず、公衆衛生政策にみられるように、個人と集団 や、集団と集団の間のコミュニケーションも数多くある。例えばマラリア発生地域で媒介する蚊からの吸血時の感染を予防するために蚊帳を配布するプロジェク ト考えてみよう。プロジェクト関係者はマラリア感染の科学的事実を知らしめるために住民への説明会を行う。使ったことのない人たちに蚊帳のデモンストレー ションを行う。パンフレットやチラシを配布する。ポスターを貼る。申込書や受取書に記載させたりサインを求めたりする。蚊帳を配る普及員は、訪問先で家族 に使い方を説明したり、説明会に訪問した住民に優先的に蚊帳を無料で配ったりする。また住民にインセンティブをつけるために寸劇やゲームなどに参加するよ うに勧誘する。これら一連の作業は重要なヘルスコミュニケーション活動である。

1−2 メディアの種類

  ヘルスコミュニケーションで利用されるメディア(媒体)にはさまざまなものがある。表1の(2)「メディアの種類」には、その欄の中の左端に古典的なメ ディアの種類を列挙している。メディアは、大量に流通している媒体のことを意味するのでマスメディアとも呼ばれるが、今日ではマス(=大量)という言葉は 省略され、単にメディアと呼ばれることが多い。一般的なメディアには、新聞、広告・チラシ、映画、ラジオ、雑誌、本、テレビ、携帯端末および電話、そして インターネットが含まれる。メディア項目の右にある丸括弧( )の中には、近年の急速な情報通信技術(Information Communication Technology, ICT)の発達により、古典的メディアを機能的に補完したり、それらに成り代わったりしつつあるものについて記載している。古典的なメディアは、その機能 は維持されながらも、かつ同時に、さまざまなものに置き換わりつつある。例えば、テレビは現在でも市民生活を送る上で重要なメディアだ。しかしながらより 若い世代になるにつれてテレビの視聴時間は短くなり、その分の時間をスマホや携帯端末を使ってインターネットの動画配信やインターネットテレビやオンデマ ンドでの視聴に使うようになる。健康や病気に関する情報は、『家庭の医学』(通称:赤本)など類書の印刷媒体から人々は情報を得ていた。しかし現在では、 印刷媒体の発行元も含めた複数の企業がインターネットのウェブページ版やスマートフォン対応版などに対応したものを数多く提供している。調剤薬局で配布さ れる『おくすり手帳』はもらった薬の効能や副作用に関する情報が薬の名前と共に記載されている。しかし、この制度が普及する以前からインターネットでは薬 の情報を入手出来るような私設サイトが多数ある。

  メディア利用に伴うここでの倫理的課題とは何であろうか。テレビにしてもインターネットにしても、現代人にとって特定の病気に関する情報や健康維持に関す る番組・プログラムは人気のあるものになっている。しかしながら、ある種の医療番組は表に出ないスポンサーの存在が番組編成にさまざまな影響を与えている と言われ、特定の医療技術や薬に関する情報などが「科学的啓蒙」という形で、宣伝に利用されていることがある。実際、人気のあるテレビ番組が、特定の健康 食品や医薬部外品を取り上げると、売り上げが急に延びるために、小売店主は健康番組で紹介される健康法や商品の動向に常に注意を払っているという。効能の はっきりしない健康食品や健康嗜好品の行き過ぎた宣伝は、消費者センターから誇大広告として注意勧告を受けたりする。広告に問題がなくとも、この種の商品 の販売量は我々の想定を超える大きさのようで、しばし通信販売業者は脱税という刑事告発により、暴露された市場の規模の大きさに消費者は驚かされることが ある。耐久消費財のリコール(製造販売者による回収・修理・代替品の交換)と異なり、医薬品や健康食品の通信販売では顧客名簿からの連絡のみが唯一の手段 であるので、販売後に製品に問題が生じた場合、その販売経路の追跡が困難になるケースが多くある。メディアを使った宣伝では瞬時に大量の消費者に連絡が届 くが、その逆方向の情報が届き難いという難点があるようだ。

1−3 メディアを利用する人間とその責任の範囲

  表1ではそれに引き続いて、(3)メディアを利用する人間の種類、について列挙している。ヘルスコミュニケーションに関わる倫理的課題の所在は、そのメ ディアを利用する個人と集団に流れた情報と、そこから引き起こされた行動の帰結をめぐって議論が交わされることが多い。したがって課題や責任の所在を特定 するために、メディアを利用する人間の種類を区分しておくことは重要になる。表では、当人・当事者・ステイクホルダー、家族、近隣住民、地域共同体、当事 者集団、地方自治体、国家、国際社会、そしてマルチチュードというものをあげている。マルチチュードとは聞きなれない言葉だが、もともとはラテン語の「民 衆・群集・多数派」という意味に由来しアントニオ・ネグリとマイケル・ハート[■4]が、国境を越えるネットワークを経由した、具体的には全貌が見えない 地球市民のような存在を示す用語である。マルチチュードは互いに連絡を取り合い、その繋がりの連帯する市民パワーの源泉を共有していると言われる。そのパ ワーの糾合次第では、全地球的な改革を担う主体になる可能性をもつ存在である。マルチチュードというものが我々に対して何がしかの現実感(リアリティ)を もたらすものだとしたら、それは経済と情報のグローバリゼーションの結果であり、それを支えているコミュニケーションメディア、とりわけインターネットの 発達によることは論を待たない。

  この表の右端の欄では、(4)誰に倫理と責任を帰属させるのかという対象の種類の分類を示している。これらはヘルスコミュニケーションの倫理を論じる際 に、最終的にどこに被害や便益を被る人がいるのか、そして、それらの責任をどこに帰属させるのかということを相互に識別することが重要であると、考えられ るからである。ここでは、1.提供者あるいはプロバイダーという個人や集団、2.当事者・受益者・消費者という個人や集団、3.計画を実行し管理する集団 (例:健康プログラム立案し実行に移す政府や企業)、そして、4.計画を監視し分析する集団(例:第三者評価者、裁判所、生命倫理学者や社会科学者)の4 つに分けてみた。ヘルスコミュニケーションについての倫理的問題が生じた時には、どの個人や集団に対して責任の範囲や重みづけを行うかなどについて審議さ れるようになると思われる。

1−4 健康のための消費行動

  ヘルスコミュニケーションの多くは、治療を受けるにせよ、薬剤や食品あるいは嗜好品を購入するにせよ、現代社会における「健康のための消費行動 (consumption behavior for good health)」と深く関わっている。健康のための消費行動とは、健康になるための手段を入手するために金銭を使う、つまり消費する振る舞いのことを指し ている。消費行為には金銭が媒介する。消費行動が正しい商慣行によるものなのか、それとも詐欺行為に遭うことに限りなく近いものかを弁別することはとても 重要になる。なぜなら健康のための消費行動のパターンは、明らかに必要財の消費とは異なったパターンを取ることが多いからだ。たとえば肥満や体脂肪が気に なる人は、コンビニで「特定健康用食品」を手に取る確率が高い。独立行政法人「国立健康・栄養研究所」は認定をうけたこの食品を「健康が気になる方を対象 に設計された食品であり、病気の治療・治癒を目的に利用する食品ではないことに留意して下さい」[■5]と広報しているにも関わらず、消費者は病気の治 療・治癒に関与するものだと考える傾向がある。例えば、緑茶に含まれるある種の物質が生体内で基礎代謝量を上げることが科学的に証明されているとしても、 その商品を飲んだ消費者で「脂肪が燃やされる」とコマーシャルで〈炎がめらめらと燃えている〉ように隠喩的に表現されるほどの熱量消費はなく、実際にはそ の数百分の1かそれ以下のものであろう。広告代理店はこのことを自覚しており、ある商品の広告では体内で燃える炎の動きを現実にはありえない水色のCG動 画で表示している。このような宣伝は、この商品の科学的効能を誇大に広告していると言えるだろうか? あるいは「あくまでも利用者の個人的意見です」と画 面の隅に掲示することで製造元の会社は免責されるのだろうか。真剣に考えると、笑っては済ませられないような広告倫理上の問題をはらんでいることは事実で ある。

1−5 メディアと生命倫理学

  メディアやヘルスコミュニケーションに関する生命倫理学上の関心はいかばかりのものであろうか。現行で最新の『生命倫理学百科事典』(第三版)の索引をみ る限り、コミュニケーション、さらにはマスメディアや情報という独立した項目はない[■6]。ただコミュニケーションという用語については、情動 (emotion)、終末期ケア教育(end-of-life care education)、病い経験(illness, experience of)、言語の翻訳と終末期ケア(language education)、腫瘍学者/患者(oncologist/patient)、医師—患者(physician-patient)およびセクシュアリ ティ(sexuality)という項目において言及されている。情報=インフォメーションという名詞の形容詞的用法として「情報開示と真実告知 (Information disclosure and truth-telling)」が独立項目として設けられている。「科学出版(Scientific Publishing)」の項目の中に「情報の発信(Release of Information)」の中に情報開示に中に生じる当事者間の利益の相反についての記述がある。また「技術(technology)」の項目の中に 「コンピュータと情報技術(Computers and Information Technology)」という情報倫理に関する記述が見られる。これらの内容については、概ね本章では何らかの形で言及したり触れたりできるように配慮 した。

  では単行本ではどうであろうか。2冊の書籍を取り上げてみよう。グレゴリー・ペンスによる医療倫理の古典事例集『医療倫理』邦訳全2巻(第3版、原著、 2000年)[■7]では、先天の水頭症だった新生児に治療介入を行わなかったにも関わらず生き続けたベビー・ジェーン・ドゥ(実名ケリ・リン)の事例検 討のなかで「メディアの役割」が論じられ、当事者たちの圏外で加熱した報道による障害児への医療的不介入をめぐる論争が起きたことを紹介している。他方 「マスメディア」という項目で論じられているのが、先天心臓奇形であったベビー・フェイにヒヒ猿の心臓が移植された事件である。ここでの議論の内容は、異 種移植という好奇な大衆の関心がプライバシーの保護を名目に焦点がずらされ、医療側が外科手術上の技術についてマスメディアに伝えたにも関わらず、世論の ほうは異種移植という冒涜性というものに関心があり後者のほうに報道が焦点化されたことを紹介している。ペンスの議論は、医療倫理上の問題が生じるような 事例では、マスメディアによる報道により、世論がその内容の議論とは無関係な方向に誘導されるということを警告したものであった。

  他方、アルバート・ジョンセンの生命倫理学史である『生命倫理学の誕生』(原著、1998年)には「メディア生命倫理学」という小さな項目があり、これま での生命倫理上の問題の多くがジャーナリストによる報道あるいは暴露によって引き起こされてきた歴史について短くエピソード的に触れている。彼は「メディ アは生命倫理の出来事を麗々しく展示することで、生命倫理を宣伝しただけではなかった。メディアはまた生命倫理学の実践家に対する、当人たちと社会の双方 の見方をも形成した」[■8]と好意的に述べている。そして、テレビを中心としたメディアは生命倫理学の「公共的な対話」に貢献したと付け加えている。他 方で、ジョンセンは、メディアがもつ情報の即応性と断片化は、この学問の「品位」を落とすことにも役立ったとメディアがもつ潜在的に危険な面も指摘してい る。





















リ ンク

文 献

引 用文献

そ の他の情報

そ の他の情報

CC

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099