コミュニケーション主体の形成と倫理
Formation of Communicative Subjects and Ethics
☆4 コミュニケーション主体の形成と倫理
4ー1 アクターからみるコミュニケーション
ヘルスコミュニケーションの利用者(ユーザー)が一体何者であり、また、彼ら/彼女らはどのように振る舞っているのかということが、次の我々の関心にな る。そのためにはまずに(a)保健・医療サービスに関わる、スタッフの職種や実際の職域、制度や法などの規約に関わる事柄を明確にすることが必要になる。 次にその職種を包摂する(b)サービスの提供と分配に関する機能的な参与者を区分し、それらが適切なカテゴリーに分類することである。これには、ケアの消 費者、提供者、アドボケート、そして支援スタッフなどが経験的に区分することができよう。最後は、サービスの循環や交通という広い意味での(c)コミュニ ケーション行為の最小の単位(コミュニケーション・ユニット)になるエージェントやアクターの存在を明確化することである。
エージェントやアクターとは、行為者(その典型は人間)がある特定の文脈で、自律した主体性をもって行動している際に、それを能動的な動作主として振る
舞っていると解釈できる時に、それらの動作主の総称のことである。ここでの特定の文脈とは医療や保健の現場に他ならない。文化人類学では、その学問に関心
を寄せる視座方法(パースペクティヴィズム)により、エージェントやアクターには、目に見える実体として人間や法人のみならず自然の石や祠などの事物さえ
も含めることがある。それだけではない。目に見えない亡霊や幽霊なども、人びとがその存在を信じ、さまざまな行動や観念が生み出されるならば、幽霊のよう
な存在もエージェントやアクターとして認定して、その場を記述する必要があると、文化人類学者なら考えるのである。これらは、従来、文化人類学の対象とす
る「未開社会」にのみ当てはまることだと考えられてきた。しかしながら最近では、科学社会学の研究でも、ある文脈の中で歴史的に振る舞う/振る舞ってきた
存在を人間から事物(エージェントやアクター)にまで拡張するという議論が登場した。
4−2 アクターネットワーク
ブルーノ・ラトゥールやミッシェル・カロンらのアクターネットワーク理論(ANT)では、研究者は、単に人間に特化されるアクターの動態を調べて満足する だけでなく、人間以外の物質や制度などもアクターとして取り扱い、それらをめぐる社会的事象がその問題や実践のたびごとに構成されている、という立場をと る。つまり、事物とそのコミュニケーションが織りなすものは、ただ単に人間的アクターだけに還元できるものではなく、事物にもアクターとしての資格を与 え、それらがなすネットワークの配置と動態を明らかにすべきであると考えるのである。アクターはネットワークの中で作用することを通してダイナミックにそ の位置づけや働きが変わる。ネットワークを(文字通り活動子としての)アクターが活動する文脈と考えることができるが、ネットワークもまた活動する実体で あり、アクターの役割を変化させるかも知れない。アクターネットワーク理論は、それを考案した1人であるミッシェル・カロンによると、エージェンシー(ア クター)と構造を対立した関係としてみる従来の社会学理論に対比して、エージェンシーの振る舞いそのものが構造を構築すると理解する「翻訳の社会学」であ ると、その差異を主張している[■14]。
ヘルスコミュニケーションの生命倫理学を、アクターネットワーク理論から解釈するとどうなるであろうか。メディアにおける個々の報道や、個々のニュースメ ディアがもつ世論喚起力は立派なアクターの要因として理解することができる。アーサー・カプラン[■15]は、メディアによる報道が、生命倫理学者をして 適切に解説するという社会的圧力をかけたのと同様、メディアの消費者に対して、生命倫理上の問題に対する解法や処方箋を提示し、また、彼らと「公共的対 話」を促す生命倫理学者そのものを鍛え上げていったと主張している。そのように見ると、ヘルスコミュニケーションという場における生命倫理学者は、主体性 をもつアクターである。しかし、それと同等あるいはそれ以上の働きをしたメディアもまた、ヘルスコミュニケーションの文脈でアクターとして取り扱うことが できるのである。
コミュニケーションを、それらのアクター間の振る舞いを記述する場のダイナミズムであると解釈すれば今後どのような展開が可能であろうか。アクターが振る 舞う現場においてそれらを記述する用語は、社会学でいう相互行為論のものを使うと理解が容易になるかもしれない。つまり役割、ゲーム、作法(振るまい)、 効用を前提とした戦略や交渉などの用語を用いて説明することが可能になる[■16]。相互行為を説明する社会学の伝統においては、(1)行為者の外部に現 れた現象を丹念に追いかけて、行為者の内面の吐露や自己の行為に対する説明を重視しないアプローチと、それとは対照的に(2)行為者の内面の重視する心理 学的解釈を取り入れて総合的に説明するアプローチに大きく2つに大別できる。
前者(1)のように、内面性を不問にして外部に現れる振る舞いに焦点を当てれば、行動変容やその中長期的な変動の様子、さらには行動そのものの慣習化など
について、コミュニケーションがそれらに介在するプロセスについて関心がいくはずだ。ここに倫理的な観点からの吟味を加えるとなると、ここでの倫理上の判
断の着目点は、コミュニケーションの結果——例えば帰結主義——や外部から観察できる客観的プロセスから道徳を認定するということである。(2)後者のパ
ラダイム(=思考方法)に準拠すれば、行為者の内面に焦点が当てられることに関心が持たれ、コミュニケーションの語りや主体のアイデンティティ、さらには
意識、場合によっては無意識という分析概念も持ち出してコミュニケーションに関する様々な心理モデルに構築することが試みられる。ここに与る倫理の局面と
は、コミュニケーションの意図や、その前提における善意ということが優先課題になり、行為の帰結はそのコミュニケーションの〈受信者〉の責任のほうに深く
関与すると考えるのである。
4−3 臨床技法としてのヘルスコミュニケーション
ヘルスコミュニケーションは別の観点からみると臨床技法としての顔を持っている。ケア現場から要請されるより実践的なコミュニケーション教育では座学とし てさまざまな役割について学んだ上で、「本物の」現場で実修することが強調される。ヘルスコミュニケーションは、対処する疾患別の応談などの接遇技法か ら、社会生活や対象者(ターゲット)集団への広範囲なヘルスプロモーションまで大きな広がりをもつ。コミュニケーションが情報を伝達する過程だと考える と、そこでの情報倫理的な観点からは、正確に誠実に伝えること/受け取ることが送り手と受け手の双方の倫理に与る。それに加えて、ヘルスコミュニケーショ ンの場合、〈送信者〉の意図とは無関係に〈受信者〉に誤って理解されて伝達されるということを、〈送信者〉は予め予期しておかねばならない。これはコミュ ニケーションにおけるリスクに関わる事柄である。コミュニケーションの誤用や無理解あるいは無視(ネグレクト)は、その個人や家族にとっても社会にとって もリスク要因となる。それゆえ(1)リスク予防、(2)リスク対処準備態勢、そして(3)リスク対応、という観点からの取り組みも必要になる。この3つの 局面に、それぞれ倫理的なものが関わることは確実である。遺伝子などの個人情報の漏えいに伴う差別や精神的苦痛は、情報管理に関わるリスクである。ここで のリスクマネジメントは倫理面を配慮した情報マネジメントそのものである。
ヘルスコミュニケーションの意味理解に込められているものの中で、その臨床面への効用が説かれるのが、医療を受ける側の当事者へのエンパワメントツールと しての側面である。医療を「患者中心の医療(Patient-Centered Medicine)」[■17]に変える試みは、医療の総合的な決定権を医療者よりも治療をうける当事者のほうにシフトさせようとする試みである。ヒポク ラテスの昔から、患者はケアが必要とされるために古くから「脆弱な存在」あるいは「保護の必要な存在」と見なされてきた。このため洋の東西を問わず医療の 原則は、長い間、技術と知識という権能をもった医療者が患者に治療を施す際のパターナリズム(父権主義)原則で運営されてきた。そしてパターナリズムとい う人間関係の圏内における適切な生命倫理学上の原則も明確に導きだすことができる。
しかしながら現在では、インフォームド・コンセント、精神的ケアの浮上、さらにはユーザー自身がインターネット上における情報を収集し活用することなど、
患者をエンパワーする技術的や社会的制度というテーマが浮上し、患者の権利がより強調されるようになった。その中でも疾患・薬剤・自助グループなどに関す
るさまざまなケア情報を提供する健康情報技術(Health Information Technologies, HITs)あるいは
e-Health
の発達により、患者集団はやがて自律性の高い集団として振る舞うようになる。特に1990年代以降に本格化する携帯電話などのモバイル端末やインターネッ
トの普及は、すくなくとも医療の専門家のみならず市井の人びとに——不正確な風評も含めて——膨大な健康情報をもたらすことになった。もちろんこれは我々
に対して大きな倫理的検討課題をもたらす。医療集団はインターネット上に不正確な医学情報にどこまで介入すべきだろうか、と[■2][■18]。しかしこ
の領域における情報革命への最大の影響は言うまでもなく医療の専門職集団に対してであった。それはやがて「証拠に基づく医療(EBM)」と呼ばれるように
なる。情報通信技術(ICT)の発達と、インターネットを介した双方向のコミュニケーションツールの開発は、ヘルスコミュニケーションのあり方にこれまで
は量的なインパクトをもたらしつつある。今後は、スマート・モバイルという端末を経由して、最適で必要な情報を短時間でどこにおいても提供しユーザーが簡
便に入手することができようになるかもしれない。このことは医療者と患者の間の病気や治療に関する情報格差を狭めるかもしれないが、患者どうしの情報格差
は拡大してゆく可能性は大きい。今後人びとの医療行動の多様化にますます加速度が加わるようになるだろう。行動が多様化することは、その変化によってもた
らされる倫理上の問題も多様化することになり、生命倫理学者の取り組むべき課題もまた加速度的に増加するだろう。
リ ンク
文 献
引 用文献
そ の他の情報
そ の他の情報
CC
Copyleft,
CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099