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生命倫理研究者への提言
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Bioethicists
池田光穂
☆6.
生命倫理研究者への提言
サズとホレンダーの医者—患者関係についての記念碑的論文[■19]が書かれた1年後の1957年に、ロバート・ストラウスが、「医療の社会学
(sociology of medicine)」と「医療における社会学(sociology in
medicine)」という、社会学者と現実の医療の関係性についての有名な形式的区分をおこなっている[■24]。前者(=医療の社会学)が医療を客観
的にかつ中立的に分析する傾向をもつのに対して、後者(=医療における社会学)は現場に巻き込まれた状況の中から分析を紡ぎ出し、そして研究の成果を医療
現場に還元してゆこうとするのである。有り体に言うならば、前者は医療の批判的な観点からの社会学であり、後者は、応用社会学としての医療社会学のことで
ある。実践と観想(あるいは観察)の対象との関係性を学問の名称に表現したこの用語法による区分を、生命倫理学の区分としても応用してみるとどのようにな
るだろうか。それは「医療の生命倫理学(bioethics of medicine)」と「医療における生命倫理学(bioethics in
medicine)」との識別ということになろう。現実には、前者(=医療の生命倫理学)は哲学や倫理学の下位領域であり、理論研究の志向が強い文字通り
の「狭義の生命倫理学」を、後者(=医療における生命倫理学)は臨床現場や臨床における研究調査に関する倫理的な判断を下す、実用判断学としての医療倫理
(bioethics for medicine)や臨床倫理と呼ばれている学問を標榜する専門に対応する。
私はこのことにつき実証研究をおこなったわけではない。しかし、生命倫理学を専門とする同僚や友人に話を聞くと、このような経験的区分が実際にあったり、
ぞれぞれの生命倫理学者に色付けされたりするラベルは「緩やかな傾向」として確かにあるという。それにも関わらず、将来に渡って〈医療の生命倫理学〉と
〈医療における生命倫理学〉がそれぞれに独立性を高め、かつての社会学が辿ったようにより明確に分離してゆくことは健全なことではないと私は思っている。
その理由は、ちょうどメディアの報道過熱が、専門家を探し出して、倫理的観点からのコメントを求めた、という事態が、議論を促進させるさまざまな概念や理
論を作り上げていき、生命倫理学という学問の成立に多いに貢献したことに関係している。メディアがぶつけてくる質問に、さまざまな学際的知識を動員して適
切に答えたり、コメンタリーをしたりすることが、生命倫理学の研究と熟議の内容をより洗練されていったことを思い起こそう。アーサー・カプランの用語によ
ると、メディアは生命倫理学と大衆とのあいだの「公的対話(public
dialogue)」[■15]を促進するという社会的効果をもたらしたからだ。
生命倫理学という学問の、その懐が深いところは、現在では想像もできない医療技術の革新により、これまで続いてきた道徳的慣習やそれを支えるモラルが常に
再考なされなければならないことをその生命倫理学者たちが自覚しており、認識の更新という技法をその学問の実践論の中に組み込んでいることである——果た
してこれは私の期待過剰な思い込みであろうか。我々の経験的知識を超える異質な出来事との出会いが、先に触れたアクターネットワークのように、社会の中に
様々なエージェントを生み出し、エージェント間の交渉や対話を生み出す。そのような場の提供力こそが生命倫理学がもつ問題対処力の源泉であると考えられ
る。生命倫理学者が専門家と市民に対してヘルスコミュニケーションを生み出す状況を作ってきたのは、メディアにほかならない。メディアへの絶えざる応答が
生命倫理学を鍛えてきた。例えそれがうるさい蝿のようなものであっても、メディアと対話する力と機会を失ったとき、生命倫理学はその威力を枯渇させてしま
うだろう。
リ
ンク
文
献
- 『医療情報』(シリーズ生命倫理学第16巻)板井孝壱郎・村岡潔編、丸善出版(担当箇
所:第12章「ヘルスコミュニケーションの生命倫理学」Pp.234-256)260pp.、2013年9月30日
引
用文献
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[13]中川米造、1996『医学の不確実性』日本評論社
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[24]Strauss, R., 1957, The nature and status of medical sociology,
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そ
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CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099