はじめによんでください

ヘルスコミュニケーションを定義する

Defining Health Communication


池田光穂

☆2.ヘルスコミュニケーションを定義する

2−1 ヘルスコミュニケーションの一般性と多様性

  本章の冒頭のヘルスコミュニケーション定義を思い起こしてみよう。人々に健康をもたらすために、人々の行動様式や考え方に変化を与えるような、健康と病気 と予防に関わる情報の展開のことであると私は記した。メディアに関わるヘルスコミュニケーションにおいて、ドキュメンタリーなどメディアが伝えようとする ものは、個人の特殊な症例や医療技術の適用についての話である。このことが、ジョンセンの記述するように、メディアに関わるヘルスコミュニケーションの生 命倫理学上の議論の多くがエピソードに留まり、その背景にある問題性に関する深い議論になかなか展開してこなかったのではないかと想像される。

  ヘルスコミュニケーションというものが、どのような社会でもどのような歴史的文脈の中でも、普遍的で一般的に共通なものであり続けるという保証はない。あ る時代のある社会においてヘルスコミュニケーションと呼んでいるものが、別の異なった文脈ではおよそ似ても似つかぬ存在になる可能性がある。病気や治療の 概念が異なるように、ある社会における逸脱したヘルスコミュニケーションが、別の社会では規範的なものになることもある[■9]。

  だからと言ってヘルスコミュニケーションは、全くまとまりがないというものでもない。医者—患者関係が、しばしばシャーマン—クライアント関係に擬されて 分析されることがあるように、ヘルスコミュニケーションにも、それを成り立たせているエージェントやアクターの役割を析出させて、共通の類型から比較した り議論したりすることができる。それらの組み合わせや相互作用がいくら複雑でも社会にとっての共通点や相違点をもって、様々な角度から分析することが可能 になると思われる。それゆえにヘルスコミュニケーションは、それがおかれた文化的背景によって、その意味内容・社会的意義・実践的意味機能が異なるであろ う。その社会の人たちが考えるヘルスコミュニケーションは、その時代の文化や歴史というものに影響を受ける動態的なものであることがここで明らかになっ た。

  ヘルスコミュニケーションが多様性と動態をもつということが、このコミュニケーション自体の大きな魅力であり、変化への潜在力を持つと考えられる。次に、 このコミュニケーションの様式が地球規模的なレベルまで広がった要因は何かについて考察する必要がある。情報と経済のグローバリゼーションがもたらす、世 界の均質化と、同時にそれとは逆方向である、世界の分節的多様化という相互に相矛盾する方向性が、ヘルスコミュニケーション現象にも表れている。ヘルスコ ミュニケーションは確固とした実在として取り扱える。しかし同時に、文脈に依存しつつ流動的かつ不安定なものとしても理解しなければならない。もしヘルス コミュニケーションになんらかの実体を想定してその分析にアプローチするのであれば、このコミュニケーションに関わる人びとや事物から構成されるきわめて 立体的な構成物として分析することができよう。ここで言う人びとや事物はエージェントやアクターと呼ぶことができる(詳しくは第5節)。

2−2 ヘルスコミュニケーションの効用

  確固とした実在として取り扱えることを確認した後に必要となる作業は、ヘルスコミュニケーションとは何かという問いに答えることである。ヘルスコミュニ ケーション研究の分野が、他の健康科学の分野の中でも比較的新しく挑戦的な新興分野であるといっても、これまでに1ダース以上の定義が試みられている [■10]。2010年設立の日本ヘルスコミュニケーション学会は「ヘルスコミュニケーション学は、医療・公衆衛生分野を対象としたコミュニケーション 学」と解説している。同学会のサイトウェブページでは「医学研究の成果を…分かりやすく正確に伝えるということ」「関係者がお互いに伝え、受け取る、双方 向のコミュニケーション」「患者との良好なコミュニケーションが患者満足度の向上、紛争の予防・解決に結びつ」くこと、「職員のやる気・能力を高め、組織 内の紛争を防ぐためにもコミュニケーションが果たす役割は重要」と主張している[■11]。ここでのコミュニケーションとは、第1節で解説したように、い わゆるシャノン=ウィーバーの情報伝達のことを指している。コミュニケーションがうまくいくと、患者は満足し、患者が医療者に仕掛ける紛争(=ノイズ)は 回避できるまで縮小化するだろうと論じられている。またヘルスコミュニケーションを通して、患者との葛藤を回避できることが、医療現場におけるスタッフの 意志疎通にもプラスになることを説明している。つまり医療現場におけるコミュニケーションの改善が、患者との関係のみならず職場での人間関係の関係に役立 つものであるという主張がここには見られる。

  視点を海外に向けると、米国の疾病予防研究センター(CDC)の定義が目に付く。それによると、ヘルスコミュニケーションを「健康を増進する個人とコミュ ニティの意思決定に情報や影響を与えるコミュニケーションの諸戦略の研究と利用のこと」と規定している[■10]。このCDCによる定義は、後述する世界 保健機関(WHO)の定義と共通性をもち、コミュニケーション手段を、ヘルスプロモーションをはじめとして人びとの健康のために具体的な道具として役立て ようとする目的をもつ。またこの定義には、ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)を含む、あらゆる保健施策に関わる関係者の動員が必要であることを 示唆している。ソーシャル・インクルージョンとは、病者や障害者などの社会的弱者(マイノリティ)を同じ社会の成員として同等に取り扱うべきであり、また 彼らに権利が存在するという社会理念である。この理念の登場の背景には、多数派の人たちから受ける社会的排除という忌むべき事態を真摯に認め、国家や地域 共同体が社会的弱者の存在の意義を承認すべきだという前提がある。ヘルスコミュニケーションはそれに与するべきだという明確な価値判断(倫理)がある。

  これまでのことをまとめると、日本ヘルスコミュニケーション学会がもたらすコミュニケーションの効用は、患者との関係のみならず職場での人間関係の関係に 役立つものであるのに対して、米国のCDCのそれは、個人と社会の健康に関する意思決定に影響を与えるつまり行動を変容させるための戦略(=方略)だと考 えている。このことは、どちらが優れているのかということを読者に私は示そうとしたのではない。それぞれの定義には、ヘルスコミュニケーションの領域確定 を通して、それぞれの活動からどのような実践的結果(アウトカム)を引き出すことができるかということが示されているのかを、比較して読者に伝えようとし たのである。





















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