ネットワーク上の「想像の共同体」としての患者集団
Patient groups as “imagined communities” on the network
☆5.患者集団:ネットワーク上の「想像の共同体」
5−1 医療者—患者関係の変貌
1950 年代中期以降、医者と患者の関係をモデルにした相互作用と、それを支える文化という現象(=文脈)に焦点が当てられ、それを医者—患者関係(D—P関係) という名称で捉えられるようになった[■19]。このモデルは、医師が、看護者にあるいはそれ医学の医療スタッフに拡張されて、やがて医療者—患者関係と 呼ばれるようになる。さらには患者の消費者や医療者とのあいだの契約関係にある受益者すなわち「顧客」の関係であるとその意味を大きく拡張してきた。それ ゆえヘルスケア提供者—消費者(health care provider - consumer)と呼ばれることがある。医療というサービスを受益しているという見方は、産業社会における消費者として理解に道を拓くものであり、患者 は名実ともに医療というサービス産業の消費者になった。それゆえ患者や家族の側からの、医療に対するクレームの申し立てもまた、倫理的行為における不誠実 を受けたことよりも、医師あるいは医療団側の契約内容の不履行のほうがより焦点化されるようになった。そこでの契約行為の不履行は、道徳的な意図の表明で ある謝罪よりも、損害賠償で贖われるようになる。
これらの一連の現象は、ヒポクラテスの時代から言われてきた伝統的な医師が知識と技能に基づいて施術するという古典的な役割イメージから脱却しつつある現
象と言うことができる。熟練がもとめられたアートとしての医療という行為は、正確さと確実さが求められる現代科学の技術のひとつに変貌したということであ
る。科学者としての医療者、専門職集団としての利権の独占、治療技術の向上という3つの要素が、医療のこの技術的専門分化に拍車をかけている。このこと
が、患者による医療への期待への増大と、医療の専門性が細分化してゆき患者の要求に十全に応えることができなくなる事態引き起こしている。この出来事は、
まさにコインの裏表の現象であり、それらは専門分化の歴史的当初からその危険性を内包していたとも言える。
5−2 公衆衛生と人権
医療の専門化過程は、公衆衛生領域での活動領域の拡大をも意味する。領域拡大のこの局面においては、医者と患者の関係は、公衆衛生プロジェクトに関わる保 健医療スタッフとプロジェクトのターゲット集団(あるいはターゲットコミュニティ)の関係に拡張されるのである。私の用語法で「公衆衛生上の大転換 (public health turn)」とも言えるこのような現象は、グローバルな歴史的観点からみると、(1)かつて病院を中心とした西洋医療が方向転換をしつつあることであり、 (2)健康の概念の全体論へ回帰がみられ、(3)伝統的医療の復権と伝統的医療人材の公衆衛生政策への功利主義的な取り込みであり、(4)住民の統合的な 保健施策への巻き込みであること、という一連の動きと関連している[■20]。途上国における公衆衛生を中心とした住民への巻き込みにおけるパワフルな ツールとしてのコミュニケーションは、先に触れた1986年のオタワ宣言にあるようにヘルスプロモーション(=健康の社会的振興)のための社会的な道具だ てであり、それを可能にするための手段であったことは言うまでもない。このような状況のなかでのヘルスコミュニケーションにおける倫理的な問題とそれに対 する対策は、ほとんど問題にされることがなかった。その理由は住民に害を与えることが明白なもの以外は、善意の提供という観点から集団への介入における医 療倫理上の問題は起こらないものとされていたからである。
しかしながら住民を公衆衛生運動に巻き込むことは、社会的啓蒙に他ならず、住民は保健施策における健康になる権利をもつプレイヤーあるいはエージェントと なり、そこから導きだされるプロジェクトの運営原理はデモクラシーの理念に従う。医師と患者を対等な人格的関係として取り扱う原理は、医療倫理の綱領のな かに典型的に表れるようになる。医療倫理の歴史的起源を尋ねれば、このような考え方は、ニュールンベルグ綱領(1947)やヘルシンキ宣言(1964)で あり、ヒトを対象とする医学研究の倫理的原則の確立や、患者の権利宣言(1981)の中に見られると言えよう。医療者と患者を対等な人格としての尊重する 原理の確立は、公衆衛生施策が始まる以前からすでに準備されていたのである。
それらの形成期と時期が重なり、北米では1964年7月に公民権法が制定されるが、公民権運動以降の影響を受け、1970年代には、患者の権利運動 (Patient Rights Movement)にはじまり1980年代には健康のアドボカシー運動が活発化する。言うまでもなくこれらの動きは今日における病気の自助グループの形成 に大きな思想的根拠を与えた。また1980年代後半のエイズ禍と、それに対する世界レベルでのHIV感染防止への取り組みの活動、例えばメモリアルキルト 運動など、当事者のみならずより多くの人の社会的参画を促す運動へと展開した。
この時期はある意味で、啓蒙主義以来の2世紀以上にわたる歴史をもつ、人間がもつ諸権利の再吟味とそこから漏れた社会的カテゴリーに属する人たちに対する 救済とエンパワメントの時期に相当する。1975年の国際女性年(1986年からの10年間は国連女性の10年)、1979年の国際児童年と1989年 「国連子供の権利条約」の採択など、近代国家制度の中でいまだ克服されてこなかった社会的弱者に対する差別の反省と権利保障の理念が確立を促し、保護法律 が整備され、アドボカシーを通した当事者へのエンパワメント、ならびに社会的包摂すなわちソーシャル・インクルージョンといったさまざまな施策や理念が提 案される。20世紀最後の四半世紀では、患者の権利の向上にともなう、ヘルスコミュニケーションの現場で行使されるミクロな権力関係に関するかなり大規模 な変化が地球の広い範囲でみられた。ヘルスコミュニケーションという言葉が、それを受け取る人びとの気持ちのなかに、何か民主的なアクター間の対話を拓 き、そこに参与する人たちに予防や治療以上の効果、とりわけ当事者の主観的な癒し(healing)の感情すら起こすものであれば、それは、患者の権利主 体としての地位の向上であろうと思われる。
もちろん患者の地位の向上という未完の社会的プロジェクトはいつも順風満帆とは言いがたいし、また、各人あるいは特定のグループが、かつては理想的と思わ
れていたことが、全く異なったふうに変節し当初と想像していたものとは大いに異なる事態が起こることがある。たとえば1980年代には、今日の患者たちが
その適用範囲外の領域において自己の権利主張を過剰に拡張し、医療者と患者の理想的な信頼関係を破壊するモンスター(怪物)になるという事態は想像もでき
なかった。この状況に相まって、医療者がつくりだす「モンスターが医療を壊す」という危機言説が登場し、自らの医療行為における接遇の様式にも影響を与え
るという事態すら起こっている[■21]。これに類似したことであるが、医療過誤訴訟件数が大幅に増えた。2004年までの10年間では民事医療過誤訴訟
では既済件数15万を推移していたが、医療事故関係では既済件数が1004件と増え10年間で倍以上の伸びをしている[■22]。それらを処理する裁判の
効率性の悪さに気づき、これらの問題の解決の質と水準についての検討が進み、法廷にかかる以前に、あるいは法廷の外で紛争当事者間の「和解」にむけて対話
的手法が使われる裁判外紛争解決(ADR)というヘルスコミュニケーションが登場することなども、30年前には誰も想像することができなかったと言える。
紛争解決に係わったり、それにコメンタリーしたりする生命倫理学者には、専門の生命倫理の他に、情報論理の知識が求められることは言うまでもない。
5−3 想像の共同体として患者集団
ヘルスコミュニケーションの生命倫理を考える時、メディアの発達によりもっとも大きな影響を受けたのが、いわゆる「患者集団」である。かつての患者は、個 々の医療機関あるいは個々の医療関係者との直接的な関係で、集団組織を形成することはなかった。医療過誤や環境汚染などでの後遺症や中毒症の患者が集団で 提訴する時、彼らは被害者として「患者集団」を形成する。あるいは、特定の疾患から生存をした元患者あるいは現在緩解状態にある患者の集団も、医療者の指 導の下に生活上のコントロールを目的としたり、同じ病気の体験——社会学用語ではそれをキャリアーという——を共有したりすることを目的として患者団体を 形成することがある。これらの集団は類似の価値観、類似の人生観、類似のライフスタイルを共有することが多いので、モラルという側面においても類似の規範 を共有しているといえる。
ところが、今日では情報通信技術とりわけインターネットの発達により従来の地域コミュニティ間の連絡網の整備に加えて、遠隔地にいながら類似の価値観、類
似の人生観、類似のライフスタイルをもっている人たちがネットワークを形成し、仮想の共同性を共有(シェア)することが可能になった。使用言語や帰属する
文化という境界はあるものの、時にはそれを越えてすらネット上で連帯し、それが現実に集会をおこなって威信行動(デモ)を起こすことも可能になった。ネッ
トでの呼びかけ人が集合場所や時間を指定して一時的な集団——フラッシュモブ(flash
mob)という——を形成することが、それである。フラッシュモブのような直接行動を起こすことはないが、インターネットの掲示板を通して、特定の疾患を
共有する人たちが情報を共有し、また、その集団の中に医学的知識のある参加者、時には医師や看護師なども加わることで、ゆるやかな広がりをもつ仮想的な患
者集団が形成され、そのなかで保健医療情報が交換されることも起こっている(例えば、米国のALS患者団体のPatientsLikeMeや英国のナラ
ティブ・データベースのHealthtalkonline)。このような類似の価値観、類似の人生観、類似のライフスタイルを共有する仮想的な集団は、時
に現実の社会制度に関わることを通して、日々の行動のパターンを緩やかに変えてゆくことことがある。19世紀から20世紀における旧植民地地域で、新聞や
政治的チラシなどという印刷メディアを媒介にして独立運動を希求するナショナリストたちが糾合する現象を分析したベネディクト・アンダーソンの用語に倣っ
てこの現象を「想像の共同体」[■23]として見なしてもよい。アンダーソンは、植民地期の識字階級であった独立運動の指導者たちが、ロマン主義的文学、
政治教書や民衆配布用ビラ制作に従事し、それらが出版資本主義(print
capitalism)の発達と流通を背景に、民衆と強固に結びついたという。そして現代の「想像の共同体」としての患者集団はインターネット資本主義
(internet capitalism)の発達を背景にその連帯を強固にしつつあると言っても過言ではない。
リ ンク
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