サイバネティクス
cybernetics
解説:池田光穂
サイバネティクス(cybernetics)は、制御システムおよび目的システムに関する広範な研究分野である。
サイバネティックスの核となる概念は、循環的因果関係またはフィードバックであり、そこでは、特定の状態の追求と維持、またはその崩壊を支援する方法で、
行動の観察結果がさらなる行動のための入力として取り込まれる。サイバネティクスは、循環的な因果関係の例である船の操舵にちなんで名付けられた。操舵者
(サイバーノーツ)は、それがもたらすと観察される効果に絶えず応答して操舵を調整することにより、変化する環境の中で安定したコースを維持する。循環的
な因果関係フィードバックの他の例としては、サーモスタットなどの技術的装置(ヒーターの動作が温度の測定変化に反応し、部屋の温度を設定範囲内に調節す
る)、神経系を介した自発的な運動の調整などの生物学的例、会話などの社会的相互作用のプロセスなどが挙げられる。サイバネティクスは、生態系、技術系、
生物系、認知系、社会系など、どのような形であれ、また設計、学習、管理、会話、そしてサイバネティクスそのものの実践といった実践活動の中で、操舵術と
してのフィードバックプロセスに関心を寄せている。サイバネティクスは学際的あるいはトランスディシプリナリー的で「反領域的
(ntidisciplinary)」であるため、他の多くの分野と交差し、広い影響力と多様な解釈を持つに至っている。
さてサイバーパンクという用語における、サイバー(cyber)が接頭辞となって英語に流布するようになったのは言うまでもなくN・ ウィーナーのサイバネティクス(cybernetics)であり、これは通 信と制御についての学問を彼が提唱した際に用いられた言葉だった(ウィーナー 1957)。サイバーの語源はギリシャ語の操舵手あるいは統治者(kuberne-te-s)に求められる。ウィーナーがなぜこのような造語をおこなった かというと、それは彼の「情報」の定義と密接に関係しているからである(→「サイバネティク ス:動物とマシーンにおける制御とコミュニケーション」)。
ウィーナーによる「情報」の定義とは、個体が外界に適応しようと行動したり、行動の結果を外界か らえる際に、個体が外界と交換するものの内容のことをさす。サイバーという用語が、後にcyberspace や cyberphobia(コンピュタ恐怖症)のようにインターネットやそれに繋がるコンピュータを明示するようになったのは、サイバーに行為主体(=操舵 手)としての意味を持たせようとしたウィーナーからみれば不本意であっただろう。
その意味で、奥出直人がサイバーパンクを「頭脳の構造を探るような高度なテクノロジーをマスター し、それを自分のためだけに使う連中」と説明した時、それは言葉が最初にもっていた意味を復活させたと言える(奥出 1990:158)。サイバーパンクはテクノロジーの発達(正確には変化)と切り離せない。つまり、サイバーパンクの定義は、テクノロジーと人間主体との 関係の変化により変容しうるということである。変容が終わった時、この言葉は廃語になる。
文学作品ではサイバースペースの中に自我が侵入するとまで表現される。そのためウィリアム・ギブ ソン(1948-)『ニューロマンサー』(1984)などのサイバーパンク小説が「技術的に増強された(technologically- enhanced)文化的諸体系において周縁化した人々※」を取り扱うと定義されていることは、サイバーパンクという概念が、人間のある種のカテゴリーを さすと同時に、そのような人びとが担ったり拘束されもする社会性=文化をも包摂する概念であることがわかる(Frank 1998)。フランクの解説にしたがうと、社会的に周辺化されている人々つまり弱者は、サイバースペースにおいては、現実社会における強者(=経済的、社 会的、権力的にパワーのある人のみならず、警察や司法、あるいはマフィア組織など裏社会の実力者を含む)に比肩するだけの力と機会をもちうるというレジス タンス小説としても、『ニューロマンサー』を理解することも可能である。
※原文は、Cyberpunk literature, in general, deals with marginalized people in technologically-enhanced cultural "systems".です(http://www.non.com/news.answers/cyberpunk-faq.html, March 7,2004)。
解説者による註釈
この文章における人間主体という用語は、近代合理主義が前提にする、一枚岩で合理的で主体と客体 の二分法をよく理解しそれを行動に反映させることができるような行為主体をモデルしている部分と、その自己意識はともかくとして、肌で境界づけられた身体 をもつ、単なる行為主体という意味をごっちゃにしています。サイバーパンクの定義は、マン=マシン・インターフェース(→ユーザーインターフェイス)の発達により、いかようにも変化しま すので、このような軟弱な定義づけの限界は目に見えてわかると思いますが、むしろ議論のたたき台としてご利用ください。
ちなみに、かつて、私がウィリアム・ギブスン(ギブソン)のインタビュー映像をみたときに彼がこ んなことをいっていたのを鮮烈に覚えている:「予防注射というのは、人類にとっての最初のサイ ボーグ化経験だったのさ」
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