かならずよんで ね!

エピソードIV:新たなる希望はありかな?

Do you believe a new hope again? or Science in Anarchist's Sphere

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池田光穂

※はじめて飛び込んだ方へ:→リスクを覚悟でこちらに飛んでください!君はできるか?

私は、パウルの盟友で好敵手ラカトシュを失った後に 書かれた、些かバランスの失った熱い書である『方法への挑戦』よりも、ムツカシイ点では同様だが、どこか自由闊達で、彼自身の自伝的章も含まれた『自由人 のための知』のほうが好きだ。本稿の作成のためにパウルのアナーキズムについて調べる必要があり、両方を読み直してみたが、やはり前者の書には違和感が 残った。さて、認識論的アナーキズムを副葬品として、私はパウルの洗骨と再埋葬を行ったつもりであるが、この「自由社会」という安息の墓地の隣には「不自 由社会」のディベロッパーが進出しつつある。認識論的アナーキズム(ダダイズム)では、科学技術開発のヘゲモニーに対峙できないように思われるし、またそ れに呼応する研究機関や大学等で研究する科学者たちにも、理性の光(lumen naturale)を齎すこともできない。もっとも、これまで述べてきた彼の態度から忖度するに、再度甦ったパウルは「そういう強い規範(=寛容の精神の 下で対話を排除する論理)は持たないほうがよい。科学者としての根性が腐るからね」と言うはずだろう。

だけど、手を合わせ(つまり合掌し)パウルが残してくれた高邁な精神に対して、私たち科学者の今後の生き方をどのようにチューニングしてゆくべきだろう か。それは、高度に制度化されたこの社会の科学者は、管理圧力に対して警戒し、制度内に流通する権力というものを最小限に食い止めようとすること。すなわ ち各人がもつ権力を最大限に尊重する思想、形容詞抜きのアナーキズムの精神を、今あらためて装着すべきではないだろうか。

見渡せば、制度的科学技術を牛耳るシステムによる圧制に、同じ科学技術というプラットフォームを介して抵抗する「戦士」たちが、じつは無数にいることがわ かる。例えば、発言・表現の自由、人権擁護、情報倫理、政府の陰謀やコントロールに、ハクティビズム(hacktivism)という遠隔ネットワーキング 技術を使う、匿名の集団アノニマス。商標や特許により手厚く保護されている私企業により、科学技術から得られる便益が疎外されているという認識を持つ、 レッセフェール主義者。自宅を実験室にして、環境測定や有害物質の検査試薬を自作し、近隣の環境問題のために、自ら開発した検査キットで汚染の状況を調査 する、環境派のガレージ・サイエンティストたち。著作権期限切れの著作物をpdfファイルやテキスト・データにして、アップロードして、非営利的に利用を 拡大させようとする読書フリークや日曜サイバー哲学者たち……。これらの人たちは、人類の知識と技術が、国家によって専有されたり私企業の営利独占に利用 されたりして、市民の自由な活動に支障がおきているという認識を共有している。今や捏造が認定され取り下げられたネイチャー論文にあった画像や文章の捏造 や剽窃そして使い廻しを見破ったのも、多くの無名の博士号取得者たちである。ある意味で、大学や研究機関に属する科学者よりも、彼/彼女たちのほうが、研 究倫理的にはより高潔で高邁だとは言えないだろうか?

科学技術を独占する大きなシステムに対して、このような善意の無名科学者戦士の存在は脆弱である。だが、彼らがまさにその生命線とするインターネットの中 でのネットワーキングにより、様々なハンディを乗り越え、力をつけつつあることも事実だ。パウルが探究した「自由社会における知識」を永続させる原理と は、まさに非暴力的でかつ寛容性をひろくもったアナーキズムであり、今まさにその四〇年後にこの精神を具現した無名科学者戦士たちが多くいるではないか!  パウルPaul the Octopus)——そういえば二〇〇八年の南アでのワールドカップで驚くべき的中率の能力を示したマダコ(二〇一〇年一〇月二六日死去)もこのファーストネーム だった!——ファイヤアーベント『方法への挑戦』の中での言及を最後に引用しよう。

「懐疑家があらゆる考えを等しく良いものと、あるいは等しく悪いものと考え、あるいはそうした判断をすることを全くやめてしまうのに対して、認識論的ア ナーキストは最も陳腐な、あるいは最も不埼な言明を擁護することにもいささかの良心の呵責も抱かない。政治的、あるいは宗教的アナーキストがある生活形式 を取り除こうと願うのに対し、認識論的アナーキストはそれを擁護したいと望むかもしれない。というのは彼はどんな制度、どんなイデオロギーに対しても永続 的な忠誠、および永続的な反感を全く抱いていないからである」(一九八一:二五二)。

パウルの遺言をこのようにまとめてしまうと、本稿を通して認識論的アナーキズムを批判したつもりの私が、どっぷりとパウルのいう認識論的アナーキストたら んとしているじゃないかと赤面する思いではある。でも私は、そのことを恥じない。むしろ我が心の師匠に倣って居直ることにする。なぜならパウルのテーゼに 従えば、真の認識論的アナーキストは、そのような恥じらいにも反感を抱かない。

そうこうしているうちに、墓場のパウルからうめき声が聞こえてきた。母語のウィーン訛りのドイツ語ではなく、どうやら英語のようだ。うん?何と聞こえる?  私には次のように聞こえた…… "May the Anarchism be with you, scientists!"

May the force be with you, my deciple!!!

つづく……

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