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政治的分類に関する9つのテーゼ

 Nine Thesis on Political Classification, 2017

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池田光穂

概要


「政治的分類」に関する学問的前提(9つのテーゼ)

1. 人種と民族 (エスニシティ)という諸概念は、自然(=普遍的現象)を分類したものでは ない。

2. したがって「人種と民族(エスニシティ)という諸概念は、(a)境 界が不明瞭であり、(b)科学的に根拠がなく、(c)分類として無意味 である」という議論に留まるのは不毛である。

3. それに代替する有益な議論と疑問の与えかたは、まず「人種と民族(エスニシティ)という諸概念は、(a')境界が不明瞭であるにもかかわ らず、なぜ、それらが長く本質化されてきたのか?」という問いであ る。

4. 次に「人種と民族(エスニシティ)という諸概念は、(b')科学的 に根拠がないにもかかわらず、科学=普遍的なものとして、未だ理解され ているのか?」という、次なる問いである。

5. 「人種と民族(エスニシティ)という諸概念は、(c)分類として無意味である」どころか、それが本質化してさまざまな問題を生み出すとい う点で「(c')分類として社会的機能しており、意味を派生しているその効果とはな にか?」という点である。

6. これらの事柄は社会構成的アプローチに他ならない。「政治的アイデンティティ」の議論において、「人種と民族(エスニシティ)という 諸概 念は、政治的権力の産物であり効果である」ということが証明されている。

7. そこから踏み込む議論とは、人種と民族(エスニ シティ)を前にした時に、その歴史性について、考えることである。

8. 人種と民族(エスニシティ)という分類について、その政治性を通しての反省のなかに、研究者が、どのように歴史性を織り込んでいくのか が、重要になる。

9. また、人種と民族(エスニシティ)という(政治的)分類という歴史に直面したときに、研究者にもとめられる態度の変容や反省において、ど のようなものが考えられるのか?、について私たちは考える必要がある。

「政治的分 類」に関する学問的前提(9つのテーゼ)《再掲》

    1. 人種民族 (エスニシティ)という諸概念は、自然(=普遍的現象)を分類したものでは ない。
    2. したがって「人種と民族(エスニシティ)という諸概念は、(a)境 界が不明瞭であり、(b)科学的に根拠がなく、(c)分類として無意味 である」という議論に留まるのは不毛である。
    3. それに代替する有益な議論と疑問の与えかたは、まず「人種と民族(エスニシティ)という諸概念は、(a')境界が不明瞭であるにもかかわ らず、なぜ、それらが長く本質化されてきたのか?」という問いであ る。
    4. 次に「人種と民族(エスニシティ)という諸概念は、(b')科学的 に根拠がないにもかかわらず、科学=普遍的なものとして、未だ理解され ているのか?」という、次なる問いである。
    5. 「人種と民族(エスニシティ)という諸概念は、(c)分類として無意味である」どころか、それが本質化してさまざまな問題を生み出すとい う点で「(c')分類として社会的機能しており、意味を派生しているその効果とはな にか?」という点である。
    6. これらの事柄は社会構成的アプローチに他ならない。「政治的アイデンティティ」の議論において、「人種と民族(エスニシティ)という 諸概 念は、政治的権力の産物であり効果である」ということが証明されている。
    7. そこから踏み込む議論とは、人種と民族(エスニ シティ)を前にした時に、その歴史性について、考えることである。
    8. 人種と民族(エスニシティ)という分類について、その政治性を通しての反省のなかに、研究者が、どのように歴史性を織り込んでいくのか が、重要になる。
    9. また、人種と民族(エスニシティ)という(政治的)分類という歴史に直面したときに、研究者にもとめられる態度の変容や反省において、ど のようなものが考えられるのか?、について私たちは考える必要がある。

学問的前提に対する反論

    1. 先住民という諸概念を、自然化するもの:言語は後天的に学べ得るにもかかわらず、(各民族や文化に帰属するとされる)先住民言語の存在が あり、それは歴史的に本質化されている。
    2. 先住民の作家や知識人の激しい抗議にもかかわらず、先住民は(国民)国家の問題ではない。その反対に(国民)国家が先住民とっての主要問 題なのである。現状では、先住民は国家が定義するとおりの存在である——先住民は、国家の定義によってのみ自分自身を知るのである。

学問的前提を踏まえて留意すべきこと(「カッコ」内 は太田好信による指摘、以下同様)

    1. 「他者化する眼差しの中に潜む(人類学者の)特権」を自覚すること(=無視できる特権の放棄)→「他者化する眼差しを問い直すという反省 的作業」が盛り込まれていること
    2. 研究対象としての「客体化」しない、こと→「他者化する視線を疑問視する方向性に踏み出す」→「対象との距離により担保されてきた確定性 を失 い、自らを不安にする感覚と向き合う」
    3. 「人びとは何を考え、わたしたちはそれらの人びとの考えについて、どう考えているのか?」について考えること

グアテマラの先住民族関する私の論文・資料集等

「支配的存在」を名指し、 可視化する試みについて:中央アメリカにおける人種=民族構成の近 代を再考する」の文献リスト

増殖用ファイル:16-post-colonial.html

クレジット:池田光穂「インディオ・メスティソ・ラ サ:ラテンアメリカにおける人種的カテゴリー再考」国立民族学博物館発表、2015年10月31日(レジュメ:パスワードなし)mikedas151031.pdf

●国立民族学博物館・共同研究会(2014- 2018)「政 治的分類——被支配者の視点からエスニシティと人種を再考する

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