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1940年の民藝と日本民俗学の課題

MINGEI and the Japanese folklore in 1940, Japan

池田光穂

筑摩書房版『柳宗悦全集』第10巻による 説明:「「民藝と民俗學の問題」(対談) 『月刊民藝』第二巻第四号(日本民藝協会.昭和十五年四月 一日発行)に掲載された、柳田國男との対談。式場隆三郎の 司会で、改造社の比嘉春潮が加わり、日本民藝館で行われた。 民藝と民俗学の別を明らかにする意図で催された、貴重な対 談で、沖縄の言語問題にも話が及んでいる。」

柳 宗悦
柳 田國男
式 場隆三郎
比嘉春潮


司会:民藝( 民芸)運動と民俗学の区分を明らかにしたい。

土俗学についてその来歴を聞く、柳田に質問→
土俗学は、心理学よりも古い。土俗学=エスノロジーとして理解可能であ る。


米国や英国における土俗学、柳田に質問→ 国内には注意が払われず、民族を研究する(=エスノロジー)ことに力点 が入る



土俗学は土民を想起させるので評判がわるい。そのため民俗という。他 方、ミンゾクというと民族学と混同しやすくなる。
←柳田に質問。柳田の学問は、民俗学なのか、土俗学なのか?

民族学は「原始民族」の研究が主となるか?
←柳田は「未開人」ないしは「半開人」と呼ぶ。日本で民族学を研究する なら本を読むしかない。他方「吾々の民俗学」では、本は足しに読む程度。「皆観察」をする。


大山公爵の「史前学」は?→
大山公爵の「史前学」は、人類学の側のものである。人類学は、体質人類 学と文化人類学の2つにわけて、史前学は後者に含まれる。「史前学」は「主としてものを研究する」ために考古学に近い。それゆえ、民俗学と史前学は異な る。


「道楽がすぎて」言語学に興味をもつ。言語に着目するのは「役立つ」。
←柳田に、言語の問題を論じている。

トランスポーテーション(ものの運輸)。ものの研究は、渋沢敬三のア チック博物館でやればいい。渋沢のアチック博物館は、民俗学(フォークロア)のほうである。したがって、アチックと民芸館とは異なる。 ←柳田に、方法論としては、民芸のいう実物が入らないと完全にならない のではないか?
民芸館では、闇雲に古いものはあつめていない。「美しい正しい民藝品だけを集めるという方針」をとっている。




文化というものの進み方は均質ではなく多様性がある。単純な地域では 「一列」に進むが、他はそうではない。東京を離れて甲州にいくと古いものが残っている。それらを全国で「同時」に収集すると(時間的差異がみられて)便利 である。それゆえ、遠く離れたところの比較が便利である。



「日本の歴史を現代科学にする」。民俗学は「過去のことを正確づけよう としている運動」である。それゆえに史学に食ってかかる面がある。ただし、厳密な意味での学(=科学)ではないかもしれない。学の使い方が厳密になれば、 民俗学から学をという言葉を捨ててもいい。
←それでは、民俗学の帰結はどこに目指されるか?

【民芸と民俗学の相違】(728)
民俗学は、1)過去を知るための学問である。自分が国語の未来についてコメンタリーしているのは民俗学者からではなく愛国者からおこなっている。
←方言を調べるということが歴史を調べることに繋がるのか?柳田への質 問は、民俗学は、1)過去を知るための学問か、2)現在あるいは将来につながる学問か?
民俗学は経験学ですね、と、念を押す。
民俗学には「直接的な文化的行動性」はない。愛国者ゆえに行動するので あり、民俗学者は「事実を正確に報告するだけで充分」である。 ←民俗学には「直接的な文化的行動性」はないのか?

僕の方(=民芸運動)は、経験学というよりも規範学。つまり、かくあ る、かくあったではなく「かくあらねばならぬ」という使命をもつ。
民俗学には(「かくあらねばならぬ」という)使命はない。
→経験学の民俗学は、(直接的な文化的行動性をめざす)民芸とは異な る。
←柳先生に質問を振る。

(民芸運動は)価値論であり、美学に関与するようなつてくる。
(柳田が承認)


民芸はものを扱うので、それに妥当する。
民俗学と考古学は、扱う対象が、無形か有形か、物質がないかあるかの違 いによる。(したがって民俗学からみると)民芸運動は、考古学に近い。 ←民俗学と考古学の関係に質す


物品は補助的手段である。


物品をたくさん考察する。しかし、考古学は規範学的ではない。考古学 は、価値を論じなくてもよい。

←柳に質問する「考古学と民芸」の関係は?


考古学は美術史に近い。考古学は規範学を表明していない(739)。


民芸は、将来性の問題と関係がある。



そのようなものが将来あらわれる、あらわれなければならない部分があ る、ことを前提にして民芸運動をしている。
←民芸館に集められた古い工芸品が、もういちど新しい民芸として現れる のか?


田舎の人の漬物のヴァリエーションが多い(田舎の知恵の証左)。
式場のまとめをまず肯定する。次に、古人は現在の人が考える以上に利口 である。字は読めなくても、物を判断する能力はあった、記憶の能力があった
【民芸と民俗学の共通点】739
経験学〈対〉規範学があるが、共通点がある;1)貴族的ではなく大衆を取り上げる、2)地方性を認める。

ものと人間とそれを媒介する共感能力の大きさ(740)
田舎の人の幸せは、民芸館の秀逸な民芸品と共に生活できたようなもので ある
これらをまとめて「人間的な価値の発見

1ヶ月かけて、東北六県を1ヶ月かけて歩く。民芸新作展覧会。日本にど のようなものがあるのかを知るよい機会になる。

【民芸の将来性について】(740)
柳に東北旅行について聞く

東北は民芸品が豊富にある。そのような粗製が増えつつある。
→だが粗製品が増えてきていないか?


そのような傾向があるが、立派に技術は残っている。復興を図っている。 また、田舎での役立つだけでなく、都市生活でも役立つようなものが必要。
→それは難しい。スリッパは可能性がある。
→現代生活に役立つものは意外とある。


海外への輸出への期待もある。式場の発言を肯定。
スリッパを事例に、技術と使われる現地のマッチングでさまざまな可能性 ができていると式場は主張。民芸は「日本の文化を一層日本らしくする/一段強化する 運動」である(742)。

本当に工芸的に正しい美しさのものは失われない。ものは変わるというこ とで(民芸の)美しさを失うのはよくない。あるいはもったいない。



高いものでも質が高ければ売れるはずだ(742)→式場は機械が進化す れば、人間の手芸と変わらなくなるのではないかと疑問を呈し、柳は「それくらい」の真似はできると応答するが最終的に「手工芸」の価値はなくならないと修 正する。 だが、機械による工業製品が民芸を食っていないか?(743)→
式場は機械が進化すれば、人間の手芸と変わらなくなるのではないかと疑 問を呈し、柳は「それくらい」の真似はできると応答するが最終的に「手工芸」の価値はなくならないと修正する。

民芸運動は「機械に対する反抗」である。しかし「実際にうつくしいもの が、古い手工芸品が」多い。それだけでなく、なぜうつくしいのかを考える。そうした上で、うつくしいものを作らねばならないと考える(=つくり継承してゆ く)。



沖 縄の標準語問題批判:比嘉氏出席】743
沖縄県学務部に対する何かがあった」ということはつまらないこと だ、と指摘。
柳田は、食ってかかったのは、警察部長(=親泊?)だと、補足する。 比嘉氏出席743(→比嘉春潮
『月刊民芸』1940年三月号の特集。26名が沖縄に渡航。沖縄県学務部と、 渡航団との間で、標準語問題で論争がおこる。まちに、標準語のポスターが多く目についた。沖縄の人たちに、旅行者がきただけで「県の方針に向かって余計な ことを言うな」と食ってかかられた、という経験がある。
比嘉氏出席743(→比嘉春潮)比嘉は、当時、改造社に編集者として勤務。比嘉は、沖縄から帰ってき て東京でも座談会をおこなった。親泊君は、風俗改良に熱心。沖縄県学務部に 対する何かがあった。
自 分たちは、標準語の奨励に反対したことはない。沖縄の人に(自分たちが標準語の推奨に)非常に反対しているように思われた、と分析


新聞は「愚な論」を取り上げている。風俗改良の上からは、普通語は奨励 すべし。新聞は表面的な対立だけに終始した。琉球語の価値評価に「少し高すぎた」のではないか?
自分たちは、地方の文化の価値を重くみなければならないという立場をと る。言葉だけのことではない(745)。沖縄の人も「非常に自信がない」。柳宗悦のメッセージは「自信をもて」とういうもの。沖縄県庁には沖縄の文化に対する尊敬が足りない
【柳田の反論】言葉には、本島、宮古、八重山に「地方差」がある。1) 言語間の多様性があるために(リンガフランカとして)、首里那覇のことばを押し付けるのではなく、「普通語」を話す必要があった。さらに、2)沖縄県外に 沖縄県人が外にでると「普通語」を話せないと差別される(=「非常に馬鹿にされる」)という社会問題が先行してあった。青年に「普通語」を話させるのはよ いが、高齢者にはそれほど意義がが大きくない。沖縄語の?「標準語」として統一するための教材がない。それをもって「あの沖縄の文化全体を表現することが できないのは、解りきっている」(745)。また、標準語化にラジオをつかえば、年齢の習得格差を是正できるとも。「方言札」には断固反対。こららのこと を「県庁の役人おしえてやらねばならない」

沖縄県庁には沖縄の文化に対する尊敬が足りない。そのような伝統をもっ ている(745)。

「元来那覇人は軽薄で便宜主義で、丁度日本人の初期の明治の外国文物に 対する態度をもっております」(746)。「諸君等は日本国全体の情けない外国崇拝を反省しなくちゃならぬといふことを遠回しにいったんです」 (ibid.)
「郷土というものに目をむける、そうした文化的な方向が沖縄の人々には まったくふさがれていた」(746)。「郷土に対する目をふさぐことが文化的だ」。
比嘉も左記の柳田の講演会に参加していた。
東北の人が民芸に対する態度は違う→県庁の人に聞かしたい
「まあ、とにかく心ぼそいのだね。中央におくれはしないかと思って、だから自分の良いものを見きわめる余裕がないのだ」 (746)→これは西暦2022年の今からみれば沖縄に対する内地人の「停滞化」への呪詛のように聞こえてしまう。
「沖縄の人は今でも丁度内地の文明開化の時代みたいだね、という言葉」 を聞くという(746)。宮城の知事は民芸のことは知らないというが、民芸運動のメンバーの言うことは理解してくれた。
そういうところは、東北と琉球は違う

東北と琉球は違う→民芸運動の、沖縄の人たちの誤解。その誤解の原因 は、「学」というものへの帰納にある。

(民俗学とは異なり)将来性の問題につながる。

この混乱の原因は、民俗学と民芸の混同、誤解にある。









●Johannes Fabian. 1983. Time and the other. New York: Columbia University Press.

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