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ヘーゲル・カント・ルソー

Hegel, Kant, and Rousseau

池田光穂

☆ディータ・ヘンリッヒ「ヘーゲル体系の歴史的諸前提」 ヘーゲル哲学のコンテクスト / D.ヘンリッヒ著 ; 中埜肇監訳 ; 笹澤豊[ほか]訳、入間 : 晢書房. - 東京 : 理想社(発売) , 1987.11より

53 ・ヘーゲルの理解をその歴史的文脈から明らかにして、ヘーゲルの著作の読解(解釈)を刷新する
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・哲学者を彼(ママ)が生きた時代のなかで理解する
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・カントが大学での静かな研究環境で思索したのではなく、ヘーゲルは、時代のなかで、きわめて親密な研究サークルのなかでの議論をして著作をまとめる
・純粋理性批判(1781)
・フィヒテの知識学(1794)
・1797年にはヘーゲルは、カントとフィヒテの自由概念について[その不完全性に]不満をもちテキストをかきじはじめる
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・ヘーゲルの研究サークルは、チュービンゲンの神学校
・補習講師のイマヌエル・ディーツの手稿と書簡
・シェリングの未発表の神学的、哲学初期論文(1792-1793)
・ヘルダーリンとヘーゲルの共通の友人であるジンクレールの体系的手稿(1795-1796)
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1. ルソー、カントの道徳神学
・ルソーの宗教論
・ルソーはデカルトの明証性を、主観的なものにして、個人の誠実性ないしは良心の呵責(罪責感)を普遍的なものとした。

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・自己確信と自由意識は、そこで合致する
・そのモットーは「正しくあれ、さらば、汝、幸いならむ」というもの
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・カントによる【ルソー流の道徳神学の探求】
・ルソーによると自己確信が確信の最高源泉(明証原理)
・超越論的な神が、ルソーでは自己確信になっている
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・カントは、ルソーの自己確信=神的=道徳的根拠?に感動した
・カントはルソーの格言を引用する:「神性が存在しなければ、悪人だけが道理をもち、善人は狂人である」
・カントは、ルソーを真に受けただけでなく、それを証明しようと努力することになる(→実践理性)
・神のみが道徳的根拠を与えるという説明に、カントは最終的に苦慮する
・1793年「たんなる理性の限界における宗教」を発表し、神のみが道徳的根拠を与えるという説明は不確実とし、自らそれを告白する。
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・カントは、理性宗教を、自由の下に置くという、ルソーからの戦略の転換を計る。
・カントによると、我々の道徳的根拠の基礎は感情(=確信?)ではなく、普遍的な理性法則である
・感性的に動機付けられた志向のなあに、志向には内在していない秩序が入り込む。
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・そのため、矛盾した幸福理想は、たんにまとめられているにすぎない。
・理性は幸福のための条件であるが、理性自身がそれを証明しなければならない。
・倫理学の基礎づけは、道徳神学に移行する。

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・理性は道徳に幸福への希望を与えるが、幸福は、現実の行動の基礎にはなりえない。
・このような脆弱性は『純粋理性批判』のなかに、まだくすぶっている。
・理性と幸福をきりはなすべき、という考えが生じる。
・ということは、希望はあまりあてにならない人間の概念になる。
・結局、『実践理性批判』や『判断力批判』を書いて、道徳法則は、ただ我々に命じるだけのようなものに、スリム化される。
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・理性法則に拘束されていることを、描ければいいということがカントに戦略になる。
・1793年「たんなる理性の限界における宗教」では、道徳性と幸福には、絶対的に連関性がないと主張することになる。
・道徳神学は、自律性の倫理学にとってまったくの必要のないものになってしまう。
・つまり【道徳神学】そのものの放棄に到達する
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・このジレンマが、チュービンゲンのカント主義者たちとヘーゲルとその仲間たちの論争のたねになる。
・チュービンゲンのカント主義者たちは、正統神学をカント主義の攻撃から守るために、カントの初期の考え方をもちいて、道徳神学と正統神学を統一しようと 試みる。神学教師たちは、宗教性なしに、道徳性は無にである。つまり、道徳性の確保には宗教が必要である、ことを示そうとした。
・シェリングや、ヘーゲルたちは、道徳的な神信仰の理論形式を、自律の名において放棄してしまった。神と不死の概念が導入されなくても自律は完璧である。宗教はなくても道徳性は可能であり、道徳性はそれ自体で自立できる(=道徳は一切である)
2.カント主義と聖書批判
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・ゼムラーは、聖書批判という歴史的道具を手に入れる。
・聖書の意味から出発する(=プロテスタンティズムの原理)、により、教義により重要な箇所を文献学的に取り扱う。
・教父神学を、ギリシャ哲学からの影響を受けたものとして、それを排除したものを試みる。
・三位一体や贖罪論を排除して、原始キリスト教を再現しようと試みる。つまり、理性と啓示を調和させようとする試み。

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・聖書の時代の歴史的文脈化への方法論が採用:文献学的批判、東方言語への知識、歴史的解釈など
・シェリングの神話、歴史的伝説、などの哲学説、ヘーゲルの「キリスト教の精神とその運命」などのような研究
・理性宗教との合致を試みる、エーバーハルト・ゴツドロープ・パウルス教授(イエーナ)による神学プログラム
・若きカント学者は、バウルスの雑誌に寄稿することをめざす
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・ヘーゲルの、1792-93年のロマ書、ガラテア書の注釈作業。
・シェリングやヘーゲルの研究は、相互批判はあるものの、当時は発表されることが少なかった。

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・その理由は1770-1800年のチュービンゲンは、学問的正統神学の最後の牙城だったから
・キリスト教はただ理性をめざめさせるためにある、という若きカント主義者には、正統神学は否定した。
・他方、若きカント主義者は、その動きに反発した。
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・若きカント主義者たちは、それを自由精神の抑圧だと理解した。
・シェリングはゼムラーの方法を使って、研究をすすめる
・他方、ヘーゲルは、人間の自由な精神がどのように働くかということに格闘していた。
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・そこで導入されたのが、ルソーによる、個人の宗教と市民の宗教の区分である。
・私的宗教と市民宗教は、自律を促進するために、相互に競い合う。
・そして、ヘーゲルは、市民宗教を放棄することができない。なぜなら、同時に自由への動機付けが失われてしまうから。
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・ヘーゲルは、カントの立場にたった、シェリング批判をこころみる。
・他方で、正統派神学は、カントの1793年の論文にショックを受けていた(=つまり、道徳性と幸福には、絶対的に連関性がない、という主張)
・カント気狂いのディーツは、理性以外の啓示を否定するにいたった。
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・カントによると、我々の経験を超える概念は自由概念をのぞいて、実在性をもたない。
・カント気狂いのディーツは、理性以外の啓示を否定する、つまり、キリスト教の否定にいたった。キリストは詐欺師とも。
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・ディーツは、チフスで、1796年に死去。
・シュトル、ジュースキントなどの動き

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・しかし、シェリングとヘーゲルは、シュトルのなかに、カントの曲解しか見出し得なかった。
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3.ヘルダーリンの体系構想とヘーゲルの最初期の諸問題
・ヘーゲルは、カントの道徳神学を放棄した瞬間に、宗教に対する批判者になってしまう。
・宗教は、ヘーゲルにとって、共同体の中で生きる人間が、自律という純粋な理想、得るための手段にすぎなかった。
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・民族宗教とともに市民宗教とも手を切ろうとするヘーゲル
・その帰結が、理性は絶対的であるという考え方
・スピノザの影響:スピノザにとって世界が一切のように、フィヒテにとって自我はそのような位置にある。
・自我をめぐって、フィヒテ>シェリング>ヘーゲルの、自我の強さに関する理解
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・ヘーゲルにとっては、自由にとっての理論は、純粋理性批判で十分だと考えていた
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・ヘーゲル、実践理性の主観的自由の対立概念として愛をおく。
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・愛の理論
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・ヘルダーリン、スピノザの影響関係など
・主観と客観が働く場を存在(ザイン)と呼ぶ。
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・フランクフルトに到着したあとに、精神という概念は愛からはじまって、生という概念を通して連続的に生じた。
・ヘーゲルにとって定言命法のいちづけ
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・カントの自発性の哲学
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・正統神学に対するヘーゲルの最初期の闘争
【原注】
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リ ンク

文 献

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