供犠獣としてのイエス・キリスト
Jesus Christ as sacrifice animal
☆ 今村仁司先生ふう にいうと、偶然に供儀にされたものが、まわりのエピゴーネンたちにより神格化され、必然なものとして錯認される。これが重要。かしこなキリスト教徒とア ラン・バディウ先生なら、イエス導きの糸としてキリスト教を普遍化したのはユダヤ人のバウロさんだよということになる(=偶然を必然の神話に変えた張本 人)。
| In Christianity, the
lamb is a sacrificial animal that represents Jesus as both suffering
and triumphant. The lamb also symbolizes gentleness, innocence, purity,
sweetness, forgiveness, and meekness. In the gospel of John, Jesus is
identified as the sacrificial Lamb. After Jesus suffers in the Garden
of Gethsemane, John records that Judas Iscariot betrays Jesus, and the
soldiers "take Jesus, and bound him". This reminds us of the Akedah
(“The Binding”) and symbolizes a bound sacrifice. (Google のAIの回答から) https://public.websites.umich.edu/~umfandsf/symbolismproject/symbolism.html/L/lamb.html などを参照しているものと思われる ![]() Agnus Dei, c. 1635–1640, Museo del Prado, Madrid por Francisco de Zurbarán ++++++++++++ キリスト教では、子羊はイエスを苦難と勝利の象徴とする犠牲動物であ る。子羊はまた、優しさ、無邪気さ、純粋さ、甘美さ、赦し、柔和さを象徴する。ヨハネによる福音書では、イエスは犠牲の子羊とされている。ゲッセマネの園 でイエスが苦しまれた後、ヨハネはイスカリオテのユダがイエスを裏切り、兵士たちが「イエスを連れて行き、縛った」と記録している。これはアケーダ(「縛 り」)を思い起こさせ、縛られたいけにえを象徴している。 ![]() Agnus Dei, c. 1635–1640, Museo del Prado, Madrid por Francisco de Zurbarán |
|
| Even
if the offerings are by chance, they are always "chosen" by something.
Stupid Christians believe this, but that is why they are stupid.
Rather, from Hitoshi Imamura's point of view, what is offered by chance
is deified by the epigoneers around it, and is perceived as inevitable.
This is important. If you are a clever Christian and Dr. Alain Badiou,
you will say that it was Mr. Baurot, a Jew, who universalized
Christianity as the thread that led to Jesus (= the one who changed
chance into the myth of inevitability). It is a convenient argument to
talk about the "origin" of the selection of sacrifices, but the general
rule of my experience is that the selection of many offerings is
arbitrary and that they are consecrated before they are killed. Among
the group of ritual beasts, there are beasts that are selected in
advance and "not offered" in the ritual. If you are selected by this
group, you have the strange choice of being kept alive until you are
too old to eat. The animals die without being eaten, but it does not
seem that they are chosen because they "look bad" when they are
selected. If the rules for selection are arbitrary, is it a privilege
not to be offered for the rest of one's life? The beast is also
arbitrary. So, I think that Jesus Christ was also chosen from among the
dangerous anti-establishment cults of the time. If they are not killed
as sacrifices, they are "beasts not offered up in sacrifice. The
secular person is left to die a natural death. The existentialists of
the godless age say that the secular man who is to be consecrated in
reverse is the very person of Christ. Amen [somen hiya somen]. ++++++++++++ 供儀は偶然の法則であっても、なにかにより必ず「選ばれる」→この説 明、反証例あげると、一般性なくなる、脆弱な議論ですね。バカなキリスト教徒はこれを信じてやまないですけど、だからバカなんですね。むしろ、今村仁司論 的にいうと、偶然に供儀にされたものが、まわりのエピゴーネンたちにより神格化され、必然なものとして錯認される。これが重要。かしこなキリスト教徒とア ラン・バディウ先生なら、イエス導きの糸としてキリスト教を普遍化したのはユダヤ人のバウロさんだよということになる(=偶然を必然の神話に変えた張本 人)。供犠が選別された「起源」を語り納得するのは都合のいい議論ですけど、多くの供儀の選択は恣意的にきまり、殺される前に聖別されるというのが、僕が みてきた経験の一般則。供儀獣の群のなかには、あらかじめ、選別されて「供儀に供されない獣」がいます。こいつにえらばれると、ヨボヨボになるまで生かさ れるという変な選択もあります。食われずに死ぬわけですが、選別されるときに「こいつまずそう」だから選ばれるというわけでもないようです。供儀が選ばれ るルールも恣意的なら、一生供儀されない特権?獣も恣意的。だからイエス・キリストも当時の危ない反体制カルトのなかから、テキトーにえらばれたんじゃな いかなと思います。供犠としてのイエスキリスト。 ちなみに、世俗の人は、供犠として殺害されないかぎり「供儀に供されない獣」で、ヨボヨボになるまで生かされるわけです。だった自然死にまかせる。屍に なっても、うっちゃっておかれるわけですから。逆聖別される世俗の人こそ、キリスト本人そのものだと、神なき時代の実存主義者はそうおっしゃるわけです。 アメン・[ソーメン・ヒヤソーメン] |
|
| イサクの燔祭(イサクのはんさい)は、旧約聖書の『創世記』22章1節から19節にかけて記述されているアブラハムの逸話を指す概念であり、彼の前に立ちはだかった試練の物語である。 その試練とは、不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられるというものであっ た。この試練を乗り越えたことにより、アブラハムは模範的な信仰者としてユダヤ教徒、キリスト教徒、並びにイスラム教徒によって讃えられている。 ![]() 『イサクの犠牲』、 アンドレア・デル・サルト、(1527-1529年)、アルテ・マイスター絵画館 (ドレスデン) |
|
| 『創世記』での記述 経緯 それはアブラハムがゲラルの王アビメレクと契約を交わした後のことであった[1]。奇跡の業によって生まれた息子、何にも増して愛している一人息子のイサ クを生贄として捧げよと神が直々に命じたのである[2]。その命令の直後にアブラハムがとった行動は、以下のように記されている。 アブラハムは朝早く起きて、ろばに鞍を置き、二人の従者と息子イサクを連れ、焼き尽くすいけにえに用いる薪を割り、神が示した場所へと出かけて行った。 — 『創世記』 22:3、聖書協会共同訳 神が命じたモリヤの山を上るさなか、父子の間では燔祭についての短い会話が交わされている。イサクは献げ物の子羊がないことに戸惑うのだが[3]、アブラハムは多くを語らなかった。 するとアブラハムは、「息子よ、焼き尽くすいけにえの小羊は神ご自身が備えてくださる」と答え、二人はさらに続けて一緒に歩いて行った。 — 同 22:8 この時点でイサクはすでに、自分が燔祭の子羊として捧げられることを認識していたと思われる。しかし、彼は無抵抗のまま父に縛られ、祭壇の上に載せられるのであった[4]。 この間の両者の心理状態については具体的には何も描写されていない。「お父さん」と呼びかけるイサクの言葉と「息子よ」と応えるアブラハムの言葉からそれを推し量ることは可能なのだが、それがかえって物語の悲劇性を際立たせているといえよう。 結末 神の命令は「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」という21章12節の約束と明らかに矛盾していた。にもかかわらず、アブラハムはほとんど盲目的 に神の言葉に従ったのである。実際には、イサクの上に刃物を振り上げた瞬間、天から神の御使いが現れてその行為を止めた。アブラハムが周囲を見回したとこ ろ、茂みに角を絡ませた雄羊がいたので、彼はそれをイサクの代わりに神に捧げた。 ![]() 『イサクを捧げるアブラハム』、ローラン・ド・ラ・イール 、(1650年) |
|
| 動機 神が燔祭を命じた動機については、伝統的に三つの解釈が支持されている。 アブラハムの信仰心を試すため。またそれは、このような事態に陥っても動じなかった彼の偉大な精神を公にするためでもあった。 燔祭の場所として指示されたモリヤの山が神聖な地であることを示すため。ユダヤ教の伝承によれば、この出来事は現在、神殿の丘と呼ばれている場所で起きたとされている。 イスラエル民族から人身御供の習慣を絶つため。この習慣はカナン地方ではモレク崇拝やバアル崇拝などで一般的に行われていたという。 |
|
| イサクの年齢 当時のイサクの年齢については様々な議論が喚起されている。彼の容貌に関する『創世記』における記述は22章5節のアブラハムの言葉 "הנער"(この若者)[5]しか確認できない。 ハザル、及び一部の注釈家は、当時のイサクの年齢は37歳であったと述べている。つまり、この出来事はサラが死ぬ直前に起きたというのである。 イサクの年齢を5歳と見積もる説があるのだが、祭壇にくべる薪を彼に背負わせる記述があるので、その可能性を考えれば説得力を欠いているといえよう。 アブラハム・イブン・エズラは上記の説に反論するに及んで、13歳とする自説を紹介している。これはバル・ミツヴァの年齢であり、イシュマエルが割礼を受けた年齢でもある。 ハザルと同様、イサクがすでに成人であったとする別の説では、神の命令はアブラハムに対してだけでなく、イサクに対しても試練として立ちはだかったとしている。 |
|
| 後代への影響 ユダヤ教 ハザルによれば、『エレミヤ書』の7章31節に記されているモレク神の人身御供を非難する神の言葉[6]との兼ね合いを考えれば、アブラハムに対する命令は神によるものではなく、また神の意思が反映されたものでもないとしている。 11世紀のラシはこの見解を発展させ、神の命令は人身御供を指示していたのではなく、イサクを聖別する儀式の執行を指示していたのであり、実際、アブラハムはイサクを祭壇に乗せて神に捧げた後、命令に従って彼をそこから下ろしたと述べている。 ミドラーシュ・アガダーでは、アブラハムはその生涯においてサタンによる手の込んだ様々な介入を受けながらも不屈の意思で跳ね除けてきたとし、アブラハム をモリヤの山に差し向けたのも実はサタンの誘惑であったと述べている。さらには、その誘惑さえもが失敗したのを見届けると、サタンはサラのもとに赴き、ア ブラハムがイサクを屠ったと言って彼女を誑かしたと続ける。すなわち、そのショックが祟ってサラは死んだと結論付けているのである。 別のアガダーでは、モリヤの山に到着するとイサクは、屠殺される際に暴れて父を傷つけないよう、自ら縛られることを願い出たとしている。 『ゾハル』では、『創世記』26章の逸話[7]について、イサクは穢れなき生贄として選ばれたことにより、たとえ飢饉の時であってもカナン地方から出ることを許されなくなったと論じている。 |
|
キリスト教![]() 『イサクの犠牲』ロレンツォ・ギベルティ(1401年) ![]() 『イサクの犠牲』フィリッポ・ブルネレスキ(1401年) イサクの燔祭の物語は、論理的な解釈を通じてキリスト教の主要なモチーフに影響を与えている。それは、イエスがイサクと同様、神に捧げられる至上の犠牲と して描写されているからである。また、イサクは穢れなき子羊の代わりとして燔祭に供されたのだが、一方のイエスは洗礼者ヨハネによって「神の子羊」と呼ば れている[8]。十字架上の死という受難も、祭壇の上で縛られたイサクのそれと形式上の類似性が認められる。イサクの燔祭に関するこれらの解釈はキリスト 教の伝統の中で教義化したのだが、それによりキリスト教徒は、イサクが捧げられたとされる神殿の丘から、イエスが捧げられたとするゴルゴタの丘へ聖地を移 したのである。その場所には現在、聖墳墓教会が建立されている。 イスラム教 世界各地のイスラム教徒によって毎年盛大に行われる犠牲祭(イード・アル=アドハー)はこの故事を由来としている。『クルアーン』においてもイブラーヒー ム(アブラハム)が息子を屠るという主題が見出せるのだが、イスハーク(イサク)、イスマーイール(イシュマエル)のいずれを神に捧げようとしたのかは明 確に記されていない[9]。一部のイスラム神学者はイスハークであったと主張しているものの、スンニー派の大多数はアラブ人の祖先とされているイスマー イールであったとする説を支持している。また、燔祭に供された場所もエルサレムではなくメッカであったとしている。一方、シーア派ではイスハークであった とする説が受け入れられているのだが、これは彼らの多くがアラブ人はでないことによって蒙るスンニー派からの差別が関係していると見られている。また、ユ ダヤ教同様、イサクの燔祭にサタンが関わっていたとする伝承はイスラム教にも見られ、メッカ巡礼の儀式のひとつに、その伝承にまつわるものがある。 ギリシア神話 関連があるかは定かでないが、ギリシア神話にも、娘イーピゲネイアが父アガメムノーンによって生贄にされるという、イサクの燔祭と類似したテーマの物語が ある。そして、イサクの燔祭において最後には雄羊が屠られるのと同様、イーピゲネイアは雌鹿と引き換えにアルテミスによって救われている。 |
|
| いくつかの疑問 イサクの燔祭は数千年にわたって様々な議論を呼び起こし、各々の思惑に基づいた多彩な解釈をもたらした。こうした各派間の力学の中で、人身御供をタブー視 する信仰が生み出され、それらを悪習としてし排除するに至った。そして、一人息子をも惜しまないアブラハムの献身的な心構えが神の心を打ったことにより子 孫の繁栄と全地の祝福が約束されたという思想が形成されたといわれている。 ただし、この物語が提示する息子を捧げることの是非については聖書文献では解釈が分かれており(子供をいけにえにした王がそれによって悪王として記されて いる箇所も)、例えば『列王記下』の3章には、イスラエル軍とその友軍に追い詰められたモアブの王メシャが、城壁の上で長男を生贄にしたことによって難を 逃たと記されているのである。一方、人身御供の習慣が一般的だったこの時代の他民族、他宗教の観点から、アブラハムの神への忠誠心がどのように評価されて いたのかは定かではない。また、『士師記』の11章には、人身御供を否定する教訓としてか一人娘を捧げたエフタの話が残されている。 |
|
| キェルケゴール アブラハムの熱烈な信奉者であった哲学者セーレン・キェルケゴールは、その著書『おそれとおののき』において、イサクの燔祭におけるアブラハムの心理状態 を考察し、不条理な信仰と懐疑論に陥らない人生の可能性について検討した末、それを成し遂げたアブラハムを信仰の英雄として讃えている。アブラハムは無限 の諦念を通じてその無限を飛び越えた舞踏者に見立てられているのだが、それは奈落の底を通じて至高の境地に達するという発想である。キェルケゴールによれ ば、アブラハムには最も背徳的ともいえる手段、すなわち自殺という選択肢もあったのだが、その絶望の境地から一躍、信仰の父としての評価を勝ち取ったとし ている。 |
|
| 1. ^ 創世記(口語訳)#21:27-34 2. ^ 創世記(口語訳)#22:2 4. ^ 創世記(口語訳)#22:9 5. ^ 口語訳では「わらべ」、新共同訳では「息子」、聖書協会共同訳では「子ども」と訳されている。 6. ^ 彼らはベン・ヒノムの谷にあるトフェトに高き所を築き、息子、娘を火で焼いた。それは、私が命じたこともなく、わが心に浮かびもしなかったことだ。 — 『エレミヤ書』 7:31、聖書協会共同訳 7. ^ その時、主がイサクに現れて言われた。「エジプトに下って行ってはならない。私があなたに示す地に住み、 その地に滞在しなさい。私はあなたと共にいて、あなたを祝福する。私はこれらの地をすべて、あなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓った私の誓いを果たす。 私はあなたの子孫を空の星のように増やし、これらの地をすべてあなたの子孫に与える。地上のすべての国民はあなたの子孫によって祝福を受けるであろう。 アブラハムが私の声に聞き従い、私に対して守るべきこと、すなわち、私の戒め、掟、律法を守ったからである。」 — 『創世記』 26:2-5、聖書協会共同訳 8. ^ その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と共に立っていた。 イエスが歩いておられるのに目を留めて言った。「見よ、神の小羊だ。」 — 『ヨハネによる福音書』 1:35-36、聖書協会共同訳 9. ^ さて、あれのあとについてあちこち歩きまわれる年頃になった頃、「これわが子よ、わしは、お前を屠ろうとしているところを夢に見た。お前どう思うか」とあ れが言うと、「父さん、どうか御命令通りなさって下さい。アッラーの御心なら、僕きっとしっかりして見せますよ」と答えた。 — 『コーラン』 整列者 99〜102、井筒俊彦訳 |
|
| https://x.gd/u2jkL |
Agnus Dei, c. 1635–1640, Museo del Prado, Madrid por Francisco de Zurbarán
☆翻訳の問題
| 聖書 聖書協会共同訳(せ
いしょ せいしょきょうかいきょうどうやく、(英: Japan Bible Society Interconfessional
Version)は、聖書の日本語訳のひとつ。聖書新共同訳に引き続き、カトリックとプロテスタントの共同で訳された。翻訳の著作権者と出版社は日本聖書
協会[13]。 |
|
| 新共同訳の評価 1968年、聖書協会世界連盟とカトリック教会の間で協議が成立し、プロテスタントとカトリックが同じ聖書を用いるための聖書翻訳作業の「標準原則[注 2]」がまとめられ、世界各国で「共同訳」の翻訳が開始された[8][14]。日本国でも、1970年に「共同訳聖書実行委員会」を組織し、当時の日本を 代表する聖書学者70余名が選出され、翻訳が開始された[14]。しかし、翻訳方針を巡っては紆余曲折があった[4]。動的等価(意訳)理論に基づいて翻 訳した新約聖書を共同訳として1978年に先行頒布したが、諸教会から採用に否定的な声が寄せられた[4][15]。その結果、急遽翻訳方針を逐語訳へと 見直し、聖書全書を新共同訳として1987年に発刊したが、翻訳方針の変更などに伴う訳語、訳文の未調整部分が課題として残った[4][15]。 |
|
| 新翻訳事業の開始 日本聖書協会は、新共同訳を精査し次世代に向けて新たにどのような聖書翻訳を目指すべきか検討するために、2005年11月に翻訳部を新設し、あわせて翻 訳理論の研究及び実際の翻訳作業についての調査を行った[9][注 3]。その結果、オランダ聖書協会(オランダ語版)が2004年に発刊し、高い評価を得ているオランダ語訳聖書「Nieuwe Bijbelvertaling(オランダ語版)」の翻訳手順と、その翻訳理論である「スコポス理論(Skopos theory)」 が、モデルとして参考になるとの結論に至った[9]。そこで、「スコポス理論」の主唱者であるオランダ自由大学教授のローレンス・デ・ヴリース(蘭: Lourens de Vries)を招いて直接「スコポス理論」について学ぶなどし、このスコポス理論を新たな聖書翻訳に用いる方針が決まった[9]。過去においては、いくつ かある翻訳原則のどれが正しいかが議論され、「逐語訳」と「動的等価訳」とが対立的に捉えられてきたが、スコポス理論の利点は翻訳理論を別の視点から捉え 直すことにより、翻訳理論の間の対立を乗り越えることを可能にしたことにある[9]。スコポスとはギリシア語で目標を意味し、聖書翻訳理論では「対象読者 (聴衆)」と「使用目的(機能)」を表す[9]。対象読者を未信者とし、使用目的を伝道用とする場合と、対象読者を高学歴の信者とし、使用目的を礼拝用と する場合では、おのずと翻訳原則も異なる[9]。前者では動的等価訳が、後者では逐語訳が適切となる[9]。スコポス理論は、このように、まず翻訳のスコ ポスを選択し、そこから適切な翻訳方針を決定していこうとするもので、逆に言えば、スコポスをあらかじめ決定するなら、翻訳理論をめぐって動的等価か逐語 訳かという選択に関して揺れが生じるようなことはなくなるとしている[16]。翻訳事業を開始するに先立ち、日本聖書協会は2008年6月に共同訳事業推 進計画諮問会議の設置を決議し、国内17教派・1団体が委員推薦に賛同した[17]。この18教派・団体の信徒数は、当時の日本国内の信者総数の 75.3%に相当することから、「日本の諸教会が求める聖書」を示す答申を得ることができるとした[17][18]。諮問会議は2009年10月6日に、 新しい翻訳聖書のスコポスは「礼拝での朗読にふさわしい、格調高く美しい日本語訳を目指す」ことであるとする『翻訳方針前文』を日本聖書協会に答申した [17]。同年12月4日の同会理事評議員会はこの答申を承認、2010年2月にはカトリック中央協議会も臨時司教総会で新しい共同訳事業を承認するとの 決議を行ったことにより、新翻訳事業は正式に共同訳事業として開始することとなった[4]。 |
|
| 翻訳作業 新翻訳[注 4]は、新共同訳からの改訂ではなく、原文(底本)から新たに翻訳することとなった[20][注 6]。翻訳作業には、聖書協会世界連盟及び聖書翻訳のための非営利団体である国際SILが開発した聖書翻訳支援ソフト「パラテキスト(英: Paratext)」が用いられた[13][23]。即座に原語、主要翻訳、過去の邦訳、翻訳用注解書などを参照でき、それにより複数の翻訳者が訳文を検 討する翻訳者委員会は、大幅な効率化と時間短縮が可能となった[4]。「礼拝での朗読にふさわしい、格調高く美しい日本語を目指す」という翻訳方針を実現 するために、新翻訳は最初の段階から原語担当者と日本語担当者が協力して訳文の作成に当たった[8]。新共同訳では、翻訳者45名に対して日本語担当者は 6名と比率は九対一にすぎなかったが、新翻訳では、翻訳者62名のうち原語担当者43名、日本語担当者19名と比率は七対三とした[9]。原語担当者が作 成した訳稿が第1稿、日本語担当者がこの第1稿を日本語面から改訂した訳稿が第2稿、両者が話し合って作成した訳稿が第3稿で、新翻訳の日本語担当者には 日本語学・日本文学の専門家のほか、詩人や歌人も多く含まれたため、特に旧約聖書の詩文学の訳は、これまでの訳にない格調を備えたものとなったとしている [9]。原語担当者と日本語担当者の作成した第3稿に、翻訳者委員会での検討を終えた訳稿が第4稿、礼拝における朗読にふさわしい訳稿となっているか チェックを受け、原語担当者が訳稿を改訂したものが第5稿、編集委員会で検討され第6稿となった[8]。第6稿は、聖書学・神学の専門家、教職者、日本語 の専門家、一般信徒、学校教師によって構成される外部モニターによって、翻訳が翻訳方針に従っているかどうか、訳文に問題がないか、それぞれの立場から意 見が出され、この意見に基づいて再度、2017年12月2日に編集委員会が訳文を検討したのが第7稿で、これで翻訳作業が終了した[9]。 |
|
| 女性委員の参画 新共同訳では90人の委員のうちわずか3人だった女性の比率が、今回は148人中34人と増加し、その意見を反映して「はしため」が「仕え女」に変更され、頻出していた「お前」も限定的に使用するなどの成果があったとしている[13]。 |
|
| パイロット版 編集を終えた第7稿を、パイロット版として2015年12月から2018年1月まで、全48分冊、計23,000部を刊行した[9][24][25]。過 去に新共同訳においても、いくつかの書のパイロット版を刊行する試みは行われたが、聖書全書のパイロット版を正式な版の発刊前に公にしたのは初めてのこと だった[9]。日本聖書協会は、263件、6,861の意見が寄せられ、最終訳文を作成する際に参照されたとしている[21][26]。 |
|
| 出版 [icon] この節の加筆が望まれています。 (2020年1月) 検討委員会での議論を経て、書名は『聖書 聖書協会共同訳』に決まった[1]。2018年11月、日本聖書協会理事会での出版承認を経て、同年12月の発刊が正式に決定した[4]。初版は引照・註 附きの聖書とし、カトリック向けの旧約聖書続編付き(SIO43DC)が1万部、旧約聖書続編なしのプロテスタント向け(SIO43)は2万部印刷され、 同年12月3日の発売日には合わせて1万6千部が出荷された[4][16][27]。装訂は三輪義也[注 7]、印刷・製本は三省堂印刷八王子工場が担った[29][31][32]。 初刷 『聖書 聖書協会共同訳 引照・注付き』 SIO43、日本聖書協会、東京、2018年12月15日。ISBN 978-4-8202-1341-3。 NCID BB27398645。OCLC 1109731353。全国書誌番号:23231847。 『聖書 聖書協会共同訳 旧約聖書続編付き 引照・注付き』 SIO43DC、日本聖書協会、東京、2018年12月15日。ISBN 978-4-8202-1342-0。 NCID BB27309612。OCLC 1109735955。全国書誌番号:23232312。 講壇用聖書 講壇用聖書は、ごく薄い金箔を継ぐ特殊な専門技術の担い手が高齢化によって引退し、仕事量の著しい減少や、後継者が確保できないなどの事情から、国内での 製作が不可能な状況となってしまった[33]。代替の製作手段を探すこととなった日本聖書協会は、これまで海外での印刷製本の取引実績のある、中国、韓 国、オランダなどにあたったが、満足できるレベルに達する製本所を見出すことは叶わなかった[33]。そこで、2021年春、ヨハン・セバスチャン・バッ ハが使用した聖書の復刻(ファクシミリ版)を行っている出版社に連絡を取り、そこからオランダのフォプマ・ヴィエール製本所(蘭: FopmaWier boekbinderij)を紹介された[33][34]。同製本所は、かつて印刷会社で働き、後に独立したヴィッツェ・フォプマ(蘭: Wytze Fopma)が、2009年にオランダ北部のヴィエール村に開いた工房で、特殊製本の出版物を海外からも広く請け負っている[33][34]。同年8月に 到着した見本は、これまでの国内製作に引けをとらない極めて高品質なものであり、製作を依頼することが決定された[33]。印刷、折丁の綴り、聖書の中身 (ブック・ブロック)の製作は、オランダ国内で行われる[33]。2022年春から製作にかかり、約一年をかけて完成、納品を待つこととなる[33]。初 版の製作は合計で300冊の限定製作とし、頒布価はカトリック向けの旧約聖書続編付き(SI98DC)が本体価格32万円、旧約聖書続編なしのプロテスタ ント向け(SI98)が本体価格30万円と極めて高価なものとなった[33][35][注 10]。 『聖書 聖書協会共同訳 講壇用』 SI98、日本聖書協会、東京。[35] 『聖書 聖書協会共同訳 旧約聖書続編付き 講壇用』 SI98DC、日本聖書協会、東京。[35] 造本装幀コンクール 『聖書 聖書協会共同訳』の初版として発行された引照・註附き旧約聖書続編なしのSIO43が、第53回造本装幀コンクール[注 11]で日本書籍出版協会理事長賞(専門書(人文社会科学書・自然科学書等)部門)を受賞した[32]。出品した初刷に限って、薄葉紙をさらに圧縮加工し た特製の紙を用いることで聖書の厚さと重さを従来の七割程度に抑え、紙は裏写りしないよう着色してある[27][38]。また、一折32ページにもかかわ らず折りの誤差を感じない造本・背固めとするなど、抄造から印刷、製本まで高い技術と工夫が施された[39]。 普及 発刊当初から、信徒の高齢化、教会財政の逼迫が課題となる中、新しい翻訳聖書への移行、浸透をどこまで進められるかが課題との指摘があった[13]。カト リック中央協議会は、2019年1月に開催した常任司教委員会で、『聖書 聖書協会共同訳』の使用については数年先に検討することとし、現時点では現行どおり『聖書 新共同訳』を使用することを決めた[40]。日本聖書協会が、2019年度(2018年11月から2019年10月まで)に頒布した聖書(旧新約合本) 104,377冊のうち聖書協会共同訳は32,298冊で全体の30.09%[27]、2020年度(2019年11月から2020年10月まで)に頒布 した聖書(旧新約合本)85,201冊のうち聖書協会共同訳は10,861冊で全体の12.75%[41]、2021年度(2020年11月から2021 年10月まで)に頒布した聖書(旧新約合本)92,046冊のうち聖書協会共同訳は19,714冊で全体の21.42%だった[42]。 更新 日本聖書協会は、2019年8月30日付けで『聖書 聖書協会共同訳』聖書語句訂正一覧を公表し、変更・訂正は重版や新版を出版する際に反映するとともに、半年おきに聖書語句訂正一覧を更新していくと発表し た[43][44]。その後も聖書語句訂正一覧は、2020年8月31日付け、2021年8月31日付け、2022年4月30日付け及び2022年8月 31日付けで更新されている[45]。2021年3月には、聖書協会共同訳の訳文に関する照会や、将来の改訂等への助言を行う機関として、翻訳者兼編集委 員10名による聖書協会共同訳諮問委員会が発足した[46]。 |
|
| 評価 ヨハネ伝1章1節の訳「言(ことば)は神と共にあった」は、まずルターがドイツ語で「mit」と誤訳し、それが英訳聖書に「with」と受け継がれ、それ をそのままほとんどの日本語訳聖書が踏襲している。ギリシャ語では「πρoˊς 」で、ラテン語訳では「apud Deum」と正しく訳されていて、その意味は「の家で」「のもとで」であって、「と共に」とは訳せない。この問題については、田川建三訳新約聖書の本文と 聖書 聖書協会共同訳の脚注で初めて対応された。 |
|
| 聖書 聖書協会共同訳(日本語ウィキペディア) |
リ ンク
文 献
そ の他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
フランシスコ・デ・スルバラン: 聖ウーゴと食卓の奇蹟

☆
☆