【年譜】チャールズ・ダーウィン, 1809-1882
Charles Darwin, 1809-1882; ビーグル号航海とその時代(→チャールズ・ダーウィン)
1776 ラプラタ副王領(首都ブエノスアイレス)
1806—07 英国によるブエノスアイレス侵攻
1807 英国奴隷交易の廃止
(→「ウィリアム・ウィ ルバーフォース(William Wilberforce)1759-1833」なお、ウィルバーフォースはCMS[英国聖公会宣教協会]の創設者のひとり)
1808 アルゼンチン独立(ナポレオンのスペイン侵攻)
1809 チャールズ・ダー ウィン、イングランド・シルズベリーに生まれる。
1816 リオ・デ・ラ・プラタ合州国
1819 大コロンビア共和国独立宣言(〜30年)
1825 ダーウィン、エジンバラ大学医学校に入学
1826 第一回米州諸国会議(パナマ)
1827 麻酔抜きの手術と血液を見るのを耐えかねて退学
1827−31 ケンブリッジ大学キリスト・カレッジで神学を修める。
1828 ウルグアイ独立:ブラジルとアルゼンチンの緩衝国になる。
1829 ファン・マヌエル・ロサスにより独裁が始まる
(先住民との内戦状態は1883年まで続く)
1831 8月 H・M・S・ビーグル号での航海旅行に正式に誘われる。
1831 12月27日 ビーグル号イングランドのダヴェンポート港を出港。
1832 12月16日 ダーウィン、ティエラ・デル・フ エゴの先住民を見る。
1832 エドワード・タイラー生まれる。
1833 英国奴隷解放令、東インド会社の貿易特権廃止(重商主義の規制撤廃)
1836 10月2日 ビーグル号イングランドに帰還。
1837 6月 ビクトリア女王即位(18歳)
1837 10月 Zoology of the Voyage of H.M.S. Beagle, edited and surperintended by Charles Darwinの執筆を開始(1940-43年間に5巻を出版)。
1838 英国先住民保護協会が分派し、 ロンドン民族学協会(1943)
1845 Journal of Researches into the Natural History and Geology of the Countries Visited During the Voyage of H. M. S. Beagle
1845 マルクス、エンゲルス『ドイツイデオロギー』:エンゲルス『イギリスにおける 労働者階級の状態(Die Lage der arbeitenden Klasse in England)』
エンゲルスは、イギリスの労働者階級を、産業革命 以降登場した新しい人間とみる。文献のみならず、労働者と接触し、その悲惨な状況とともに、労働者の意志や未来をみる。
1846 10月 The Geology of the Voyage of the Beagle.の第3巻、最終巻の執筆を終える。
1851 モルガン(Lewis H. Morgan, 1818-1881)『イロコイ同盟』
1851 ロンドン万国博覧会
1854 クリミア戦争勃発(〜56年3月)[→フローレンス・ナイチンゲール]
1859 ダーウィン『種の起源』出版(初版1,250部)
1860
ナイチンゲールはフランシス・ゴールトンに相談し、オックスフォードに応用統計学の 講座を開設するために私財による援助を申し入れる。[→出典]
1863 アルゼンチン、ドミンゴ・サルミエント大統領就任
1869 M・アーノルド『文化と無秩序』(Culture and Anarchy)
ビクトリア朝社会のイギリスを「蛮族」(貴族階 級)、「ペリシテ人」(中産階級)、「大衆」(下層階級)に区分、ペリシテ人たる中産階級の俗物性を文化(culture)の理想によって痛烈に批判す る。
1867 マルクス『資本論』初版出版
1871 ダーウィン『人間の由来』
1871 タイラー『未開文化 』Primitive Culture: researches into the development of mythology, philosophy, religion, language, art and custom』
1876 ビクトリア女王、インド女帝を兼任。
1877 モルガン(Lewis H. Morgan, 1818-1881)『古代社会』
生活技術に基づいて、野蛮(下・中・上)、未開 (下・中・上)、文明の段階に区分し、すべての社会が同じ経路を経過して発達するという図式を提案した(=後に進化主義と称される)。
1877 エドワード・シル
ベスター・モース, 腕足類研究のため私費で来日。大森貝塚発見(Nature,
1877年12月19日号に、同年9月21日付として自身の大森貝塚発見の記事を投稿
1872 ダーウィン『種の起源』第6版
1882 ダーウィン、ケント州ダ ウンで死亡。
1883 ダーウィンの甥、フランシス・ゴルトン「優生学 eugenics」の名称をはじめて名乗る。
1883 マルクス死亡
1884 エンゲルス『家族、私有財産および国家の起原』
モルガン『古代社会』にアイディアを得る。進化主 義が史的唯物論の論拠として使われる。
1884 タイラー(Edward Burnett Tylor, 1832-1917)、オックスフォード大学人類学教授就任
1887 ビクトリア女王即位50年、大英帝国植民地会議開催。
関連リンク
■おことわり
この種のカラー画面は、ぎとぎとして読みにくいとのユーザーからのお申し出がありました。順 次、モノクロの読みやすい文書に変えていくつもりです。もし読みにくい場合は、プリントアウトしてお読みいただければ幸甚です。垂水源之介 敬白
フランシス・ダーウィン(チャールズの息子)が、その息子のカロロ(=チャールズ)・ダーウィン(=元祖チャールズの孫です)に贈与した旨
が書かれている蔵書票です。カルロスはチャールズのスペイン語ファーストネームですが、ラテン語ではカロロになるのでしょうね。この蔵書票は、Mclennan, John
Ferguson, Primitive marriage, 1865 に貼付してあったものでした。