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哲学の貧困:その認識論的諸前提

Misère de la philosophie, per K. Marx

池田光穂

『哲学の貧困』(La misère de la philosophie)は、カール・マルクスが亡命先のベルギーで1847年に発表した。そのタイトルは、ピエール・ジョセフ・プルードンの著書『経済 的諸矛盾の体系、あるいは貧困の哲学』(仏語: Système des contradictions économiques, ou Philosophie de la misère)に反論する目的で書かれたため、プルードンの「貧困の哲学」を(ヘーゲリアン的に)転倒させて「哲学の貧困」と記している。フランス語によ り執筆された政治経済学に関する哲学書である。マルクスの著作としては唯一フランス語で書かれた書物と言われている。

ウィキペディア(日本語)の要約はこうである:「『貧困の哲学』はプルードンが「貧困の哲学」で 扱った古典派経済学や方法論を踏まえたうえで、プルードンに不十分と考えた点が議論されている。第2章の方法論では絶対者と無限を扱うヘーゲルの『大論理 学』も引用し、[1]プルードンが試みた政治経済学のヘーゲルの弁証法による分析を 深める試みを行い、ブルジョアジーの富の生産とプロレタリアートの貧 困の生産の要因となる生産関係について考察している[2]他にも剰余価値には言及していないものの、のちの主著「資本論」の先駆けとなる労働価値説も 展開している。とりわけ特徴的な点は、プルードンが「生産しないブルジョワ層から課税し、労働者の貧困の削減に寄与」できると考え、導入を主張した消費税 [3]に対する反論、「すでにアダム・スミスの経済理論に由来し新しいものでない」点や[4]、ストライキを「賃金の上昇と物価の高騰を招く」がゆえに 「違法」としたプルードンの説を、当時イギリスでは解禁された結社法な ども踏まえて「現実の労働者の闘争を顧みないもの」 と反論し[5]、むしろ、賃金上昇が資本家の機械導入を促し物価は下落するとした。最後はプルードンの友人でもあったフェミニストのジョルジュ・サンドの 「闘いか死か、血まみれの闘争か無か。これは避けられない問題として厳として提示されている。」という言葉の引用で締めくくられている」文献:1) 「哲学の貧困」第2章1、最初の考察; 2) 哲学の貧困」第2章1、第7及び最終考察、(『資本論』第1部第7編第23章では相対的過剰人口の説明の文脈でそのまま引用)。3) プルードン:『経済的諸矛盾の体系、あるいは貧困の哲学』第7章、「警察あるいは租税」;4) 「哲学の貧困」第2章3「競争と独占」; 「哲学の貧困」第2章5「同盟罷業と労働者の団結」

第1章:科学的発見

Chapter One: A Scientific Discovery
The Poverty of Philosophy

INTRODUCTION.

Before entering upon the subject-matter of these new memoirs, I must explain an hypothesis which will undoubtedly seem strange, but in the absence of which it is impossible for me to proceed intelligibly: I mean the hypothesis of a God.

To suppose God, it will be said, is to deny him. Why do you not affirm him?

Is it my fault if belief in Divinity has become a suspected opinion; if the bare suspicion of a Supreme Being is already noted as evidence of a weak mind; and if, of all philosophical Utopias, this is the only one which the world no longer tolerates? Is it my fault if hypocrisy and imbecility everywhere hide behind this holy formula?

Let a public teacher suppose the existence, in the universe, of an unknown force governing suns and atoms, and keeping the whole machine in motion. With him this supposition, wholly gratuitous, is perfectly natural; it is received, encouraged: witness attraction—an hypothesis which will never be verified, and which, nevertheless, is the glory of its originator. But when, to explain the course of human events, I suppose, with all imaginable caution, the intervention of a God, I am sure to shock scientific gravity and offend critical ears: to so wonderful an extent has our piety discredited Providence, so many tricks have been played by means of this dogma or fiction by charlatans of every stamp! I have seen the theists of my time, and blasphemy has played over my lips; I have studied the belief of the people,—this people that Brydaine called the best friend of God,—and have shuddered at the negation which was about to escape me. Tormented by conflicting feelings, I appealed to reason; and it is reason which, amid so many dogmatic contradictions, now forces the hypothesis upon me. A priori dogmatism, applying itself to God, has proved fruitless: who knows whither the hypothesis, in its turn, will lead us?

I will explain therefore how, studying in the silence of my heart, and far from every human consideration, the mystery of social revolutions, God, the great unknown, has become for me an hypothesis,—I mean a necessary dialectical tool.


1.1. 使用価値と交換価値の対立

1.2. 構成された価値と止揚された価値

1.3. 法律の適応と価値の比率

.....a) 貨幣

.....b) 労働剰余
1. The Antithesis of Use Value and Exchange Value

2. Constituted Value or Synthetic Value

3. Application of the Law of the Proportionality of Value

A) Money

B) Surplus labour
第2章:政治経済学の形而上学
La métaphysique de l’économie politique



2.1 方法論

2.2 分業と機械

2.3 競争と独占

2.4 所有、すなわち地代

2.5 同業罷免と労働者の団結
1. The Method

2. Division of labour and Machinery

3. Competition and Monopoly

4. Property or Ground Rent

5. Strikes and Combinations of Workers



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リンク

文献

その他の情報

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ピエール・ブルデュー, ジャン= クロード・シャンボルドン, ジャン=クロード・パスロン 『社会学者のメチエ : 認識論上 の前提条件』 田原音和, 水島和則訳. -- 藤原書店, 1994.(Le metier de sociologue : prealables epistemologiques: Bourdieu, Pierre, 1930- ; Chamboredon, J.-C ; Passeron, Je an Claude )

付録:David Émile Durkheim, Les règles de la méthode sociologique, Paris : Presses universitaires de France. 1937.

はじめに

序論 認識論と方法論

第1部 認識論的切断 事実は直接知の幻想に逆らって勝ち取られる

第2部 対称の構成 事実は構成される―経験主義的責任放棄の諸形態

第3部 適用合理主義 事実は勝ち取られ、構成され、事実として確立される―認識論的行 為のヒエラルキー

結論 知識社会学と認識論

はじめに

調停的な認識論
カンギレム「調停的な認識論について」
認識論的警戒の三段階
バシュラール『適用合理主義』

序論 認識論と方法論

認識論と方法論 認識論と再構成された論理
アブラハム・カプラン『探究の行為:行動科学のための方法論』

第1部 認識論的切断(リプチュール) 事実は直接知の幻想に逆らって勝ち取られる

予先概念(prenotion)と認識論的切断の技術
認識論的障害としての予先概念(prenotion) エミール・デュルケーム『社会学的方法の規準』
予先概念(prenotion)と認識論的切断の技術 認識論的切断の手段としての一時的定義
マルセル・モース「祈祷」
予先概念(prenotion)と認識論的切断の技術 認識論的警戒を補強するものとしての論理分析
ジョン・H・ゴールドソープとディヴィツド・ロックウッド「豊かさとイ ギリスの階級構造」
透視の幻想と非意識の原理
思惟による社会現象の把握という幻想の基盤としての人為的制作の哲学
エミール・デュルケーム『教育と社会学』
透視の幻想と非意識の原理 方法的な無知
エミール・デュルケーム『社会学的方法の規準』
透視の幻想と非意識の原理 無意識:実名詞から実体へ
ルートウィッヒ・ウィトゲンシュタイン『青色本・茶色本』
透視の幻想と非意識の原理 透視の幻想を否定するものとしての決定論の原理
エミール・デュルケーム「社会学と社会諸科学」
透視の幻想と非意識の原理 コード(解読格子)と記録
フランソア・シミアン「歴史的方法と社会諸科学」
自然と文化:実体と諸関係のシステム
自然と歴史
カール・マルクス『哲学の貧困』『経済学批判要綱(グリュントリッ セ)
自然と文化:実体と諸関係のシステム 心理学的な不変要素としての本性(=自然):すなわち、原因と結果を点 灯させる誤謬推理(パラロジズム)
エミール・デュルケーム『社会学的方法の規準』
自然と文化:実体と諸関係のシステム 歴史的特殊性を普遍的傾向によって説明する不毛
マックス・ウェーバー『世界宗教の経済倫理』「序言」、「プロテスタン ティズムの倫理と資本主義の精神」
自生社会学と言葉の力
言語の疾病分類学
マキシム・シャスタン「ウィトゲンシュタインと他者認識の問題」
自生社会学と言葉の力 生物学における隠喩図式
ジョルジュ・カンギレム『生命の認識』「生物的思考における部分と全 体」
預言の誘惑
教授の預言主義と知識人の預言主義
マックス・ウェーバー『社会学・経済学における価値自由の意味』
預言の誘惑 教授の預言主義と知識人の預言主義 ベネット・M・バーガー『社会学と知識人:ステレオタイプの分析』

理論と理論的伝統
建築学的理性と論争的理性
ガストン・バシュラール『否定の哲学』

第2部 対称の構成 事実は構成される―経験主義的責任放棄の諸形態

(対象の構成)
国民経済学の構想
カール・マルクス『経済学批判要綱(グリュントリッセ)
(対象の構成) 前提なき科学という実証主義幻想
マックス・ウェーバー『社会科学および社会政策的認識の「客観性」』
(対象の構成) 「社会的事実をモノとして扱わねばならない」
エミール・デュルケーム『社会学的方法の規準』「第2版の序文」
経験主義の放棄
認識論のベクトル
ガストン・バシュラール『新しい科学的精神』
仮説あるいは前提
道具は、現に作動している理論である
エリフ・カッツ「コミュニケーションの二段階の流れ:ある仮説に対する 研究の現状報告」
仮説あるいは前提 統計学者は、自分たちが何をしているのかを知らねばならない
フランソワ・シミアン『統計と実験:方法についての考察』
技法の偽りの中立性:構成された対象か、それともまがいモノか
インタビューと経験を秩序づける形式
レオナード・シャッツマンとアンセルム・ストラウス「社会階級とコミュ ニケーション様式」
技法の偽りの中立性:構成された対象か、それともまがいモノか 主観的イメージと客観的座標系
ジョン・H・ゴールドソープとディヴィッド・ロックウッド「豊かさとイ ギリスの階級構造」
技法の偽りの中立性:構成された対象か、それともまがいモノか 現地人の言語カテゴリーと、科学的事実の構成
クロード・レヴィ=ストロース「マルセル・モース著作への序文」
技法の偽りの中立性:構成された対象か、それともまがいモノか 現地人の言語カテゴリーと、科学的事実の構成 マルセル・モース「若干の宗教現象への序論」
技法の偽りの中立性:構成された対象か、それともまがいモノか 現地人の言語カテゴリーと、科学的事実の構成 ブロニスラウ・マリノフスキー『西太平洋の遠洋航海者』
アナロジーと仮説の形成
社会学における「理念型」の使用
マックス・ウェーバー『社会学の基本概念』『社会科学および社会政策的 認識の「客観性」』

モデルと理論
『神学大全』と大聖堂:精神的習慣の所産としての深層のアナロジー
アーヴィン・パノフスキー『ゴシック建築とスコラ学』
モデルと理論 アナロジーの発見的機能
ピエール・デュエム『物理理論の目的と構造』
モデルと理論 アナロジー、理論と仮説
ノーマン・キャンベル『物理学初歩』

第3部 適用合理主義 事実は勝ち取られ、構成され、事実として確立される―認識論的行 為のヒエラルキー

それぞれの研究操作の意味と認識論的行為のヒエラルキー
理論と実験
カンギレム『生命の認識』「方法についての講義」
それぞれの研究操作の意味と認識論的行為のヒエラルキー 経験主義の贔屓にする対象
チャールズ・ライト・ミルズ『社会学的想像力』
命題の体系と体系的論証
方法上の挑戦としての理論
イエルムスレウ『言語学入門』
命題の体系と体系的論証 循環論法
エドガー・ウィント「歴史学と自然科学のあいだのいつくかの接点」
命題の体系と体系的論証 互いに支持し合う可能性を結びつけることによる論証
チャールズ・ダーウィン『種の起源』
認識論上のカップル(二項対立)
対話としての哲学
ガストン・バシュラール『適用合理主義』
認識論上のカップル(二項対立) 新しい実証主義:感覚論と形式主義との結合
カンギレム「方法についての講義」
認識論上のカップル(二項対立) 直観主義としての形式主義
エミール・デュルケーム「社会学とその学問領域」

結論 知識社会学と認識論

知識社会学と認識論 科学の世俗性
バシュラール『科学的精神の形成』
知識社会学と認識論 社会学的悟性の改良について
マルセル・マジェ『文化的行動の研究指針』
知識社会学と認識論 クロスチェックと検閲の推移性
マイケル・ポラニー『個人的知識』


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序論 認識論と方法論

第1部 認識論的切断 事実は直接知の幻想に逆らって勝ち取られる

第2部 対称の構成 事実は構成される―経験主義的責任放棄の諸形態

第3部 適用合理主義 事実は勝ち取られ、構成され、事実として確立される―認識論的行 為のヒエラルキー

結論 知識社会学と認識論

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付録:エ ミール・デュルケーム『社会学的方法の規準』David Émile Durkheim, Les règles de la méthode sociologique, Paris : Presses universitaires de France. 1937.

01. 社会的事実とはなにか:01-Durkheim_regles_sociologique_jap.pdf

02. 社会的事実の観察に関する諸規準:02-Durkheim_regles_sociologique_jap-2.pdf

03. 正常なものと病理的なものの区別に関する諸規準:03-Durkheim_regles_sociologique_jap-3.pdf

04. 社会類型の構成に関する諸規準:04-Durkheim_regles_sociologique_jap-4.pdf

05. 社会的事実の説明に関する諸規準:05-Durkheim_regles_sociologique_jap-5.pdf

06. 証明の実施に関する諸規準:06-Durkheim_regles_sociologique_jap-6.pdf

07. 結論:07-Durkheim_regles_sociologique_jap-7.pdf

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アドバンスド人類学/社会学の実践は、超越的な能力を必要とするものではありません。むしろ、単純 ではありますが、次のような活動を長期的に地道におこなうことが、ア ドバンスド人類学/社会学を実践したことになるのです。

つまり他の学問の実践と同じように、

  1. 【i】その分野で鍛えられてきた批判的な認識論的判断(=自己反省的)、
  2. 【ii】他領域におけるその領域における批判的な認識論的判断(=領域外の研究領 域の人たちが、その学問領域でくり拡げている自己批判的探究)、
  3. 【iii】人類学の学問的実践に対する他領域からの認識論的な批判(=他領域から の文化人類学への批判)

ら、を身につけ、つねに自己が寄与していると信じる学問の可能性をつねに刷新してゆく努 力を怠らないことです。

ロバート・マートンもこう言います。

「社会科学と社会的ディレッタンティズムの大きな相違は、はじめ興味あるアイディア として抱いているものを体系的に真面目に追求するかどうか、すなわち、学問的に責任をもって峻厳に追究するかどうかにあるという信念」を持てと(マートン 1961)。

●クレジット:(旧名称)『社会学者のプロフェッション:認識論的諸前提』Le métier de sociologue : préalables épistémologiques per Pierre Bourdieu, J.C. Chamboredon et Jean Claude Passeron/現在名称:哲学の貧困

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

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