ブラックコーヒーの存在論
Ontological bullshit of
your Black Coffee
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☆エルンスト・ルービッチの素晴らしいフィールム『ニノチカ(1339)』を考えてみよう、で始まるスラヴォイ・ジジェクのジョークについて考える。
ジョー クそのものは、次のとおり。ある男がカフェテラスにやってきて飲み物を注文する:男「クリーム抜きのコーヒーをいただけるかな?」→給仕「旦那さま、当店 にはクリームはございませんので、クリーム抜きのコーヒーはお出しできません。当店はミルクはございますので、ミルク抜きのコーヒーでしたらお出しするこ とができます」
このジョークを言ったあとに、ジジェクのある講演では(彼は講演のジョークでほとんど毎回このジョークを使うので、以下のように言わないこともある)、次のように言う。
「みなさんには、クリーム抜きのコーヒーも、ミルク抜きのコーヒーも、ブラックコーヒーも、プレインコーヒーもみな同じだと思うでしょう?でも本当は違うのです」→聴衆「笑い」
ジジェクのいう「でも本当は(それぞれ)違う」というが、僕たちはこの4つのコーヒーを存在論的 違い/存在論的差異と考えていいだろうか?というのが最初の問題。聴衆が笑うのは、同じものを(ミルク抜き/クリーム抜き)違うと強弁しているからであ る。つまり、命名は違うが、存在論的には同一のものを、存在論的に違うものだと、ジョークの主とジジェクは言っているからである。
だから最初の検証は、存在論的に同じか(=聴衆)、あるいは存在論的に異なるか(=ジョークの主とジジェク)である。明らかなことは、ジョークの主もジジェクも、本当は存在論的に異なるとは思っていない。だから笑いが生じるのである。
ということは、ジョークつまり奇矯さの原因はなにか?と考えることが重要なのである。これは、哲学的議論でいうところのノミナリズムの誤用あるいは濫用ということである。ノミナリズム(唯名論) とは、事物の存在は、命名されてはじめて認知されるというものだ。なぜか、なぜなら、我々は名辞(名示)されないかぎり、その事物を理解する=認識するこ とができないからである。ノミナリズムでは事物の存在とは名前があることと不可分なのである。あるいは、ある事実/事物について議論(=思考)をはじめる には、それについて名前をつけなければ、名前をつけて定義しなければ、議論が始まらないと考えるのである。ノミナリズムはオッカムのかみそりの原理から誘 導されると言ってもいい。ものごとについて手っ取り早く議論するためには、議論の対象に名前と定義を与えなければ、永遠に議論の共通の基盤が与えられない からである。
同じものを存在論的に異なると強弁するということがこのジョークのキモである。しかしながら、このノミナリズムの考え方を正確に適用させるとすると、この奇妙なはずの、ジョークの主もジジェクにも本当らしさが付与される。つまり、こういうことである。
ク リーム抜きのコーヒーも、ミルク抜きのコーヒーも、ブラックコーヒーも、プレインコーヒーは、すべて異なる命名物である。だから、店でミルクでもクリーム でも取り扱ってる場合にのみに、XXX抜きのコーヒーが意味をもつ。なぜならXXX入りのコーヒーとXXX抜きのコーヒーが対立するセットになって存在し ている。XXX抜きのコーヒーとは単なるブラックコーヒーやプレインコーヒーとは異なり、反対物を意味論的に内包する意味において固有の存在物であるということができる。
だから、クリーム抜きのコーヒーも、ミルク抜きのコーヒーも、ブラックコーヒーも、プレインコーヒーもみな同じではなくて、それぞれ、存在論的な差異を主張する点で、それぞれ異なるものなのである。ジョークの主もジジェクもまともになってしまう。だけど、おかしいのは、先に言ったとおり、名辞が異なる同一のものをノミナリズムの論理で違うという説明に固執しているからである。
では、クリーム抜きのコーヒーも、ミルク抜きのコーヒーも、ブラックコーヒーも、プレインコーヒーはそれぞれ認識論的 に違うのかというと、クリームやミルクを添加する前の原コーヒーをブラックコーヒーやプレインコーヒーと言ってる言ってるかぎり、存在論的に同じものであ る。したがって、ここの議論を理解するためには、存在論、認識論、そして唯名論(ノミナリズム)が、それぞれどのような定義と使われ方をしているのかにつ いて知ることが重要になる。
★以下の情報は、私の議論とはずれる(かなり間抜けな議論をしてるように思われる)が、同じ、ような意味のズレから存在論的意味を考えるものだから引用してみよう
| The joke has nothing to do with politics. |
その冗談は政治とは何の関係もない。 |
| It's a joke about negation. The point he is getting across is simply that: saying what something is not is completely different than not saying anything at all. In including the negation, you change the object you are speaking of. | 否定に関する冗談だ。彼が言いたいのは単純にこうだ:何かが何かではないと言うことと、何も言わないこととは全く異なる。否定を含めることで、話している対象が変わるのだ。 |
| In
the joke (if Im remembering correctly), the person orders coffee
"without milk". In doing this, the meaning of "coffee" changes. When
you think of coffee, you can probably imagine a black coffee. However,
by explicitly stating the "without milk", there is the implicature that
coffee essentially has milk in it; that, at base line, coffee has milk
and if it did not have milk, then it would not be coffee. Thus, "coffee
without milk" is a completely different object than "coffee", because
milk is essential to coffee being coffee. In fact, "coffee with milk"
becomes redundant and the same as "coffee". To say "coffee without
milk" is akin to saying "steak without the meat". |
そ
のジョーク(記憶が正しければ)では、客が「ミルクなし」のコーヒーを注文する。こうすることで「コーヒー」の意味が変わる。コーヒーと言えば、おそらく
ブラックコーヒーを想像するだろう。しかし「ミルクなし」と明示することで、コーヒーには基本的にミルクが入っているという含意が生まれる。つまり、コー
ヒーの根底にはミルクが存在し、ミルクがなければコーヒーとは言えないのだ。したがって、「ミルクなしのコーヒー」は「コーヒー」とは全く異なる物体だ。
ミルクはコーヒーがコーヒーであるために不可欠だからだ。実際、「ミルク入りコーヒー」は冗長で「コーヒー」と同じ意味になる。「ミルクなしのコーヒー」
と言うのは「肉なしのステーキ」と言うようなものだ。 |
| Thus,
when when the person orders "coffee without milk", it is a completely
different and unrelated object to "coffee", which must have milk. When
the waiter then says, "we only have coffee without cream", he is
suggesting it as a completely different object than coffee without
milk; the joke being that they are actually the same, because "coffee"
actually can and does exist without milk, yet for some reason the
waiter didn't know that. |
し
たがって、客が「ミルクなしのコーヒー」を注文する場合、それはミルクが必須の「コーヒー」とは全く異なるもので無関係な対象だ。そこでウェイターが「ク
リームなしのコーヒーしかありません」と言うのは、ミルクなしのコーヒーとは全く異なるものを提案しているのだ。ここでのジョークは、実は両者が同じもの
だという点にある。なぜなら「コーヒー」はミルクなしでも存在し得るし、実際に存在するからだ。ところがどういうわけか、ウェイターはそのことを知らな
かったのである。 |
| More
directly put, the joke lies in the fact that the conversation is
structurally identically to, "I would like a steak", "sorry we only
have salmon", but is functionally saying "I would like a steak", "sorry
we only have steak", through the use of negation. |
もっと直接的に言えば、この冗談は会話の構造が「ステーキをください」「すみません、サーモンしかありません」と全く同じなのに、否定形を使うことで実質的に「ステーキをください」「すみません、ステーキしかありません」と言っている点にある。 |
| Beyond
that, taking the joke more seriously however, in thinking that "coffee
with milk" is "coffee", we are unable to see the "true coffee", what
coffee truly is behind the mask. In that world, "coffee without milk"
would be an unintelligible sentence akin to "salmon without the ice
cream". |
それ以上に、冗談を
もっと真剣に受け止めると、「ミルク入りコーヒー」こそが「コーヒー」だと考えることで、我々は「真のコーヒー」、つまり仮面の裏にあるコーヒーの本質を
見失ってしまう。その世界では、「ミルクなしコーヒー」は「アイスクリームなしのサーモン」と同類の、意味をなさない文になってしまうのだ。 |
| https://www.reddit.com/r/zizek/comments/1259mpf/can_someone_please_explain_the_coffee_without/ | |
リ ンク
文 献
そ の他の情報
CC
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CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099